表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十五章 南海の暗雲
762/1082

苛立つ戦士と夢見がちな殿下

本日辺りから正月休み終了(別に正月も用事があっただけで休めていない)で、作業に復帰していきます!

 宿の中庭にある椅子に座って、漫然と周囲を眺めている。


 円筒状の中庭には、直射日光は差し込まない。屋上には中庭を囲むようにして木造の屋根が据え付けられており、その支柱は対角線上の別の柱と横木を渡されている。今日みたいに晴れた日にはそこに布が渡されている。だから、ここはまるで井戸の底のようだった。

 客室は通りに面した方に集中しているため、そこから廊下に出て中庭を見た場合、対岸は使用人の領域になる。そこを今、下から見上げているのだが、個々人に自由が与えられているのか、そちらには小さな鉢植えやプランターがところどころに置かれている。宿泊客に提供する空間ではないというのもあって、うるさくは言われないらしい。だが、手違いであれらが落ちてきたらどんなことになるのやら。

 木造の足場は見るからに頼りない。その柵に、鉢植えがしっかり縛り付けられている。そこからヒョロリとした青い葉が顔を出していた。その向こう、部屋の扉はいったいいつ据え付けたのかもわからないほど古びた木製で、とっくに歪んでしまっている。

 低階層では、足場はもちろん、手すり壁も石造りだ。そこにプランターが鎮座しており、真っ赤な花を咲かせていた。その脇には黒々とした土がこぼれている。かと思えば、隅の方では茣蓙が敷かれており、そこで今夜の食事に使うらしい野菜が山積みにされている。もう少ししたら、誰かがあそこに座り込んで、皮剥きを始めるのだろう。

 一番低いところ、つまりこの中庭はというと……大きな鉢の中に水が満たされている。釉薬で深い藍色に染められたものだ。そこに蓮の花が浮いている。上の階にもあった鉢植えだが、ここにもいくつか寄せ集められている。宿泊客ではなくこちらの使用人が使うための、背凭れもない小さな木の椅子がポツンと置き忘れられていた。


 不思議と見飽きない。そこにある生活感が、なんとも味わい深いのだ。先日訪問した王宮の中庭より、こっちの方が好きだ。

 ただ、今日はそこにノイズが混じっている。


 白い陣羽織を揺らしながら、キースは短く溜息を洩らしつつ、足下の不揃いな古びた石畳を踏みにじっていた。

 彼の苛立ちもわからなくもない。というのもこれから、第二王子のドゥサラに招かれることになっている。それだけではない。別口で、第三王子も夜の会合を捻じ込んできた。


 元々彼は傭兵だった。つまり、王侯貴族に仕える騎士や軍団長に顎で使われる立場だった。詳しい事情説明も受けられず、場合によっては捨て石にされたり、依頼料の踏み倒しもあったりする。三年前の、あの王都の内乱のときのように、裏切りだって起きる。

 キースは、相手に自分達と同じところに降りてきて正面から剣を交えることを要求する。王都で敵として出会ったときにも、俺が口八丁手八丁で逃れようとしていると思って、散々挑発してきたものだ。

 ところが、まさに本人らが流血の原因そのものなのに、それを高みから見下ろして、私はそんな汚いものは知りません、とお上品な面をしているのが、お貴族様方なのだ。その態度が癪に障るのだろう。


 ……にしても、少し引っかかる。さすがにちょっと、苛立ちすぎではなかろうか。


 苛立ちが頂点に達したのか、彼は思わず腰のタルヒに手を伸ばし、抜き放とうとする。だが、そこで躊躇するように身を固くして、手を放す。それから深呼吸すると、もう一度手を剣に添えた。

 そこからは、打って変わって場を静けさが支配した。さっきまで中庭を歩き回っていたときには、まるで熾火が燻っているかのようだったのに、今、こうして体を大きく使って演武をすると、激しく動いているのに、まるで澄み渡った水面のように見えた。

 一通りの型をなぞってから、彼はそっと剣を鞘に戻した。


 いつの間にか、宿の使用人達も、また出かけるために一階に降りてきていた他の仲間達も、息を詰めて彼の動きに見入っていた。


「ファルス、なにボサッとしてんだ、サッサと行ってサッサと済ますぞ、クソが」


 言葉は乱暴だが、気持ちはもう落ち着いているらしい。

 実に彼らしい。苛立ちが剣を握らせることはあっても、その気持ちのままに剣を振るうことを、彼は自分に許していないのだ。むしろ剣が彼の心を整え、形作る。

 それは、能力だけ奪い取って強くなった俺にはない、本人の中で培われてきた何かだった。


 ドゥサラ王子は、俺達に普段着のまま、自らの邸宅に来るようにと伝えてきていた。畏まって変に着込んだりせず、気楽に訪ねてきて欲しいという。なお、招待されるのは俺達全員だ。ただ、もちろんビルムラールのことは伏せてあるので、彼だけ留守番になる。また、ディンは港の方に仕事の用事があるので、船員達と過ごすことになっている。

 殿下たっての望みとあれば、俺達もあえて暑苦しい儀礼用の服を着たりはしない。ただ、ワングだけは有頂天になって、気持ち悪い笑みを浮かべながら顔に香油を塗りたくっていたが。


 馬車が止まり、御者が恭しく扉を開いたとき、俺達は見晴らしのいい高台の上にいた。そこはラージュドゥハーニーで最も高い地点の一つを占める庭園で、視界には切り取られたような青空と緑の芝生、それに宮殿とそこに至るまでの石畳が見えるばかりだった。

 脇には東屋があり……東屋といっても、微細な浮彫が隅々まで施された壮麗な石造りの建物で、その辺の家屋よりずっと大きいのだが……そのすぐ下の清らかな池には、蓮の花がいくつも咲いていた。


 その東屋から、王族にしてはラフな格好のドゥサラ王子が姿を現した。白い半袖の上着に色鮮やかなチュニック、下は動きやすそうな、ちょっとダボついたズボンだ。爪先が反りかえった靴には細かい刺繍が施されている。服は上下とも白くてシンプルなのに、足下だけは身分を隠せない。

 さすがに王子が一人で行動することはなく、周囲には完全武装の兵士達がいる。それと使用人の男女も、手を組んで目を伏せ、来客に敬意を払っていた。


「よく来てくれた。ありがとう」


 外見に相応しく、言葉遣いも実に気さくな感じだった。


「今日は風がある。それほど暑くもない。じめじめした宮殿の中にいるよりは、この東屋の方が快適だと思う」


 こちらが深々と頭を下げようとすると、彼はそれを押しとどめた。


「固くならなくていい。本当に、個人的なお付き合いだと思ってくれれば」

「恐縮です」

「さ、遠慮はいらない。席次も何もない。こちら、座りやすいところから座ってくれればいい」


 巨石に囲まれた、だが風の通る大広間には、大きな瓢箪型のテーブルがあった。外の光を適度に取り込むためもあって窓の口が大きく開いているのだが、そこからはさっきの池が垣間見える。

 席を占めるのに、最も戸惑いをみせたのはクーだった。なるほど、カリの高級武具屋で身分の高い人物を目の当たりにすることはあったのだが、彼自身の立場は下働きでしかなかった。むしろ身分差を痛感する場面が多かっただけに、自分が王子の客人の中の一人に数えられることに違和感が大きかったのだろう。


「この国は、気に入ってもらえたかな」


 俺達が着席すると、彼はまるで普通の若者がするように、軽く身を乗り出してそう言った。


「これほど大きな街は、フォレスティアにはありません。さすがは三千年の都です」

「はは、少々古すぎて、ガタがきてるけどね」


 そうかもしれない。少し前に疫病が流行した件もあるのだし。

 けれども、俺はその物言いに小さな引っ掛かりを覚えた。うまく説明できないのだが。


「今日はみんなに話を聞きたいと思って、わざわざ来てもらったんだ」


 ドゥサラ王子は、楽しみでならないというかのように、笑顔でそう言った。


「聞いたところによると、キースさんはあの人形の迷宮を踏破した冒険者だというし、ファルス君達は大森林を縦断してこちら側まで来たそうだ。さぞかし腕に覚えがあるのだろうと思ってね」


 と言われても、どう話せばいいのやら。

 相手の身分も考えずにペラペラと自慢話でもせよというのだろうか?


「……何から聞かせてもらえばいいのかな」


 俺達がリアクションに困っているので、王子も困ってしまったらしい。

 そこへ使用人達がやってきて、来客に飲み物を供した。だが、それだけで一礼して去っていってしまう。こちらの人間は、身分ごとに領域がきれいに切り分けられてしまっているので、余計なフォローなどは期待できない。

 ふと思った。今、目の前にいる王子がサフィスで、使用人がイフロースだったら、きっと何がしか手助けをしてくれただろうに、と。


「恐れながら殿下」

「ああ、なんだい?」

「その……先王陛下がお亡くなりになってから、まだ新王の即位を目にしておりません。このような状況では、殿下もお忙しいのではないかと」

「それはないよ」


 彼は肩を竦めて否定した。


「次の王は兄のイークで決まりだ。これは変わらない。今、兄上はずっと王位継承に関する儀式や手続きに追われている。実は父が亡くなってもう二ヶ月半も経ってるんだ。なのにブイープ島に渡れないせいで、何もかもが延び延びになっていたからね。逆に僕らはただ待たされる立場だから、もう暇なんだ」

「左様でしたか」


 彼は手振りで飲み物を勧めると、付け加えた。


「情けない話だけど、疫病の件も関係していてね」

「噂で聞いたことがあります」

「半年ほど前に急に高熱を出して寝込む人が大勢出るようになった。そんな中、北東地域で活動していた女神神殿出身の医師達が、自発的に庶民の治療に乗り出してくれて、大いに助けられたんだ。それに、特に銀鷲軍団の被害が大きくて、あの時にはまるで使い物にならなくなっていた。そういうときに何万人もの患者に薬を配ってくれたおかげで、死者がごく僅かで済んだ。でも……」


 彼は首を小さく横に振りながら、声を落として言った。


「……父は亡くなってしまってね」

「大変気の毒なことですが、疫病は人を選びません」

「まったくだよ。ただ、おかげで有為な人物を見出すことができた。その医師達の代表が、黒の王衣に推挙されているんだ。けど、これを承認するかどうかでまた余計に時間がかかってしまってね」


 とはいえ、ここから何を話せばいいのかがわからない。


「イーク殿下は儀式でブイープ島に渡られるとのことですが」

「そうだよ」

「そんないろいろと決めなくてはいけないことがある中で、儀式がそんなに優先されるものなのでしょうか?」


 政治的決定が山積みである中、基本的には無人であるはずの島に渡って儀式を行うのが、どうしてそんなに重要なのか。


「それについては、僕も詳しくは知らないんだ。王位を継承した者だけが、とある洞窟に行くらしいんだけどね」

「洞窟、ですか?」

「ブイープ島は、もともとイーヴォ・ルーの幽冥魔境があったと言われる場所なんだよ。昔は火山があったらしいんだけど、今は休眠しているそうだ。で、溶岩が溢れていたとされる山の上は、今は底なし沼みたいになっていてね。その山の麓の辺りに洞窟があって、そこは王だけが立ち入れる聖域ってことにされているんだ」


 なかなか不思議な話ではある。

 イーヴォ・ルーは魔王だ。少なくとも、この世界の常識に照らせば、邪悪な存在ということになる。なのに、王だけが立ち入ってよい聖域ときた。


「他にも古代の神殿跡とか、いろいろ残ってるものはあるんだけどね」


 さて、ここからどう話を続けよう?


 冒険談を聞きたいだけ、なのだろうか。俺達はドゥサラの人柄を知らない。何を望んでいるかもわからない。つまり、物珍しい話を聞いて楽しみたいのか、そこから教訓を得たいのか。

 俺達は先日の青竜討伐で活躍した。一方、第五軍団は五千人の兵士を動員してブイープ島の解放を目指したのに、大損害を出して撤退した。この差はどこにあるのかを、為政者として知っておきたいのだろうか?

 しかし、それにしては……

 気さくさを演出するためなのか、本当にそういう思考回路なのか、判別がつかないが、言葉遣いが奇妙なのだ。兄とか父とか、まるで民間人のような表現ではないか。


「では、殿下」

「ドゥサラでいいよ」

「そういうわけには参りません」

「ははは、お堅いな」


 どうして俺が一人で喋らないといけないのか。

 それは、この中に貴族がおらず、騎士身分の人間も三人だけで、しかも年長者のキースが面倒がって何もしないからだ。ノーラは俺より僅かに年上だが、やはり女性というのもあって、こういう伝統的な社会ではしゃしゃり出るものではない。そして身分を意識する場面だからこそ、騎士の証すら持たない他の仲間は、自分からは発言できないのだ。


「殿下は何をお知りになりたいのでしょうか? つまり、単に異国の珍しい話を聞いてお楽しみになられたいのか、何か学びを得ようとしていらっしゃるのか、その辺りを察しかねております」

「ほう」


 俺の回答に、彼は少し真顔になって、感心したように息をついた。


「いや、単刀直入に目的だけ突きつけるのも、味気ないと思ったのだけどね。率直にいうと、そうだな、生き方というか……君らの強さを手にするにはどうすればいいのかってことに興味があったんだよ」


 強さ、か。曖昧な表現だ。

 これは単に戦闘能力のことを指しているのだろうか。でもそれなら、キースだけ招けば解決する。彼が要請に応じるかどうかは別として、常識的に考えるなら、最初から軍の武術師範として招きたい、待遇はこれこれとしたいという話をすればいいはずで。


「武力ということでしょうか」

「それも含めて、だね」


 椅子の背凭れに身を預けて、彼は嘆息した。


「我が国の悪いところだ。各々の仕事は、生まれで決まる。多分、世界のどこよりもそういうところがあってね。だから、兵士の家に生まれたら、代々兵士になる。才能があってもなくても関係なく」


 彼はさも嘆かわしいといわんばかりに手を広げ、天を仰いだ。


「で、その結果があの体たらくなんだ。五千人が束になっても倒せなかったものを、君ら個人の集まりがあっさり打ち倒してしまった。あの時、赤の王衣の魔術兵も参戦するはずだったんだけど、準備が整わなくて出遅れてしまった。で、結局、手柄は魔物討伐隊と君らだけというわけさ」


 ポロルカ王国としては面目丸潰れといったところか。


「どうしてこんなことになってしまったのか。我が国は、もっと垣根を取り払う努力をするべきだと思う」

「垣根、ですか?」

「そう、つまりね、今ある枠組みをなくしていくべきなんだよ。強い者が兵士になる、目端の利くのが商人になる、勤勉な人が農民になる。人がそれぞれなりたいものになる、個人の力を最大限生かして暮らす、そういうある意味公平で平等な社会にしたい」


 そんな規模の大きな話を、一介の騎士にされても困るのだが……


「殿下、外国人でしかない私どもには、手に余るお話です。そういうご相談は、例えば宰相のバーハル様になさってはいかがでしょうか」

「ああ、彼は駄目だ」


 軽い調子で手を振った。


「何かにつけ、保守的だからね。旧弊があるにせよ、今あるものを活かすべし、なんだ。なぜそこに壁があるのかを知るまでは、壁を取り壊すべきではない、それが彼の口癖だから」

「ですが、どちらにせよ、私どもは一介の騎士であり、また冒険者であり、外国人でもあります。ポロルカ王国にどんな責任を背負えるものでしょうか」

「僕はね。王子という地位に固執するつもりもないんだ。世の中がよくなるのなら、それこそ一介の冒険者になったって構わない」


 これは、どう受け止めたらいいのだろうか。開明的というのか、それとも世間知らずなのか。

 一国の王子、それもポロルカ王国の場合、王族は基本的にその地位に留まって内府での政策決定に関与する役目があるので、他国の王族より重い責任がある。それが国を捨てて冒険者になったりしたら、ちょっとした大事件なのだが……


「このままではいけないのは、僕自身もなんだ。なんとかして、生まれ変わりたいと思っている」


 個人的に、今の自分自身に行き詰まりを感じていて、ヒントをもらいたいと、そういうことなのだろうか?


「このままでは、僕が何のためにこの世にいるのか、生きている値打ちがあるのかもわからない」

「そういうことなら、俺は帰らせてもらうぜ」


 いきなりキースが席を立った。


「ちょ、ちょっ、キースさん」

「地に足ついてねぇ妄想垂れ流されても困るからな。俺にしてやれるこたぁねぇよ」

「と言いますと」


 キースの乱暴な言葉遣いに、周囲の召使達、護衛の兵士の視線は険しくなった。ワングはというと、慌てている。

 だが、ドゥサラだけは平静そのものだった。批判は受け止める、といったところだろうか。


「生きるってことがまったくわかっちゃいねぇ。そんだけ。だったら何やっても無駄だ」

「ご指導ありがたいのですが、意味がわかりませんよ」


 王子の言葉遣いが丁寧になっている。

 自分に対する批判や攻撃に対して、権力を振りかざすまいという配慮なのか、それとも失言を避けるための自制なのか。


「んー、そうだな」


 席から離れて俺達の後ろを歩きながら、キースは護衛の一人に声をかけた。


「おい、お前。剣を寄越せ」

「なっ、何を言ってるんだ!」


 無礼な態度に対して既に不快感を露わにしていた護衛は、血相を変えて怒鳴り返した。


「試合を、ということですか? なら、木剣を持ってこさせます」

「ふん」


 その回答にキースは不満げに鼻を鳴らしたが、特に制止もしなかった。

 程なく木剣が持ち込まれると、俺達は揃って東屋から広々とした庭園に出た。


「光栄です」


 ドゥサラ王子は笑みを絶やさなかった。


「世界最強ともいわれる一流の戦士に稽古をつけていただけるとは」

「御託はいい。かかってこい」


 木剣を肩を叩きながら、キースはそう言った。


「参ります」


 ドゥサラは両手で剣をまっすぐ構えると、キースの隙を窺った。

 だが、どだい力量に差がありすぎる。ドゥサラにも鍛錬の形跡は見えるが、所詮は実戦を知らない道場剣法の域を出ない。型に囚われない……いや、むしろ型が身体に溶け込むまで剣を振り続けたキースの立ち姿に、まったく攻め手が見当たらず、時間ばかりが過ぎていく。


「やぁっ!」


 埒が明かないと思ったのか、ドゥサラは大きく踏み込んで、剣を振り下ろした。

 その瞬間、キースは鋭く身を捩じらせて相手の切っ先を前方につんのめらせると、返す刀でバッサリ胴を薙いだ。避けることもできず、きれいに腹部に一撃をもらったドゥサラは、激痛のあまり、木剣を取り落として膝をついた。


「これでお前は死んだ」


 後頭部に木剣を突きつけながら、キースは言い放った。

 痛みに息も絶え絶えになりながら、それでもドゥサラは顔をあげ、なんとか言葉を返した。


「お見事、です」

「そんなことどうでもいい」


 木剣を肩に担ぎながら、キースは言った。


「お前、何やってんだ?」

「何って……剣でキースさんに挑みました」

「挑んでねぇだろが」

「えっ?」


 何を言われているのか、理解できないといった顔で、ドゥサラはキースを見上げた。それから、ふらつきながら立ち上がる。


「非力ながら、私は全力を尽くしました」

「いーや、お前は何もしていない」


 キースは木剣で周囲に立つ護衛達を指し示した。


「お前、俺に勝てないのはわかってたよな?」

「はい」

「じゃ、なんでこいつらに声をかけなかったんだ」


 言われたことを理解できず、ドゥサラは目を丸くする。


「俺様を袋叩きにすりゃ、勝てたかもしれねぇ。なんで命じなかった」

「そ、そんな! そんなことして何の意味があるんですか」

「後ろにいるガキどもを見ろ。こいつらを人質にしてもいいかもな」

「まるで山賊ではありませんか。それのどこが剣術なのですか」


 キースは首を揺すりながら、一つずつ指摘する。


「そもそも、俺達に出した飲み物、あれもダメだ」

「お口に合いませんでしたか」

「なんで毒を盛らなかった?」

「はい?」


 今、キースが指摘したのは、ドゥサラの発想の狭さだ。

 戦いがすべての世界で生きてきたキースは、一切をそのように考える。使えるものはなんでも使う。自分の強さも弱さも弁える。


「そんなことをして、どうやって強くなれるというんですか」

「違うな。それが強さだ」


 キースの指摘、王子には伝わっていないのかもしれない。要するにバーハルの言葉と同じだ。今あるものを活かすべし。

 王子という身分があるのなら、一介の兵士のような強さは必要ない。むしろ意地汚く振舞ってでも自分は生き延び、部下をどんどん送り付け、ついにはキースを討ち取ってしまえばいい。もちろんこれが王子でなく、もっと別の境遇にある誰かなら、別の作戦が有用だろう。例えば、若く美しい女性だったら? ベッドに誘って毒入りの酒を飲ませるのでもいいだろう。

 自分自身というこれ以上ない実体を無視して、心の中で思い描くだけの素晴らしい何かを目指すなど、愚かしいにもほどがあるのだと。


「目ェ覚ましな」


 木剣を放り出すと、キースは外に向かってどんどん歩いていってしまう。どうやらこれでお茶会は終わりにするということらしい。

 いや、言いたいことはわかるけど、これ、後始末をさせられる俺の立場も考えて欲しい。


 この後、俺と、主としてワングは、大汗をかきながらドゥサラ王子と語らって、なんとか円満な形を繕って、彼の宮殿を辞去したのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 例え壁で限られた中であっても その壁の中で出来ることはある それをせずに壁だけ壊したところで 何が出来ようか
[気になる点] >キースの指摘、王子には伝わっていないのかもしれない。要するにバーハルの言葉と同じだ。今あるものを活かすべし。 この言葉はキースにも跳ね返ってくるのかな。 戦士としての才能があるのに…
[一言] ドゥサラの話に則って言うなら 王子という立場を捨てて他のことをすることを考えるよりまずは王子として目的のために出来ることが何か考えて行動しろ、ってことか…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ