凋落のシェフリ家
翌日、俺達はワングの案内で馬車を走らせていた。今度は目立たないように、約一名を除いては地味な服を着ている。
バンサワンの邸宅を辞去してから宿に引き返し、シェフリ家を巡る状況が安定していることを伝えた。ならばということで、ビルムラールは親元に顔を出すことにしたのだ。これはキースにとっても魔術の訓練機会の獲得という目的があるので、今回はついてきた。
既に昨日のうちに使いの者を送っているので、約束は取り付けてある。この件、俺にはあまり関係がないのだが、キースだけに任せるときっとろくなことにならない。人形の迷宮では助けてもらったのだし、俺がフォローに入って話がこじれないようにしたい。
なお、ノーラを含め、他のメンバーは全員宿に待機している。昨日の話し合いは、土地利用権をリンガ商会に持たせたいというのもあり、ノーラを同席させたが、今回の話し合いには特に必要ないし、普通、こちらでは女性は表舞台に出てこないものらしい。
馬車が停まった。
降り立った先には、立派な石の壁が聳え立っている。これだけでも、数百年に渡って王家に仕え続けたシェフリ家の権勢のほどがわかろうというものだ。だが一歩、門の内側に立ち入れば、今、どれほど困窮しているかがすぐさまわかる。
バンサワンの庭とは違って、芝生は滅茶苦茶になっていた。あちこちがまだらに枯れており、地肌が見えている個所もある。かと思えば雑草が根付いて子供の背丈くらいの高さになっているところもある。庭木も剪定されておらず、形がデタラメだ。かつては蓮の花を楽しめたはずの池も、今ではすっかり濁り切ってしまっている。ボウフラが涌いてそうで、近寄りたくもない。
その向こうには白い邸宅の壁が見えるのだが、そこも煤けてしまっている。ろくに清掃すらされていないのだ。
荒れ果てた我が家の様子を、ビルムラールは泣き出しそうな顔で見つめていた。
「行きましょう」
俺が促すと、彼は目頭を押さえて頷き、やっと歩き出した。
「ごめんください」
分厚い焦げ茶色の木の扉の前で、俺は声をあげた。
しばらく返事がなかったが、ややあってようやく控えめな音をたてて、両開きの扉の片側が引かれた。
「どちらさまでしょうか」
「アディン!」
もう堪えきれないというように、ビルムラールは前に出た。
「坊ちゃんですか!」
「長いこと留守にした。父上は」
肩を揺さぶられて、その老人は大きく息を吐きだした。
「もちろん、ご無事でいらっしゃいます」
それだけ聞くと、彼は大股に中へと踏み込んでいった。俺とキース、ワングも後に続いた。
アディンと呼ばれた老人は、俺達を応接間に案内した。そこにも、何ともわびしい空気が漂っていた。置かれているソファも一級品で、壁際にはいかにも値の張りそうな壺や黄金の女神像、それに王家から賜った数々の勲章が飾られている。そのどれもが埃をかぶったままだった。日差しを遮るカーテンは、重く垂れさがっている。もうしばらく動かしてもいないのだ。
だが、何より寂しげだったのは、部屋の隅に置かれた立派な香炉だった。翡翠のように美しく釉薬で彩られた陶器製のものだが、これも埃塗れになっている。室内には繰り返し焚かれてきたお香の匂いが染みついているのに、今は使われてすらいない。
一礼して去っていく彼を見送ると、俺達は腰掛ける気にもなれず、突っ立っていた。使用人の気配はなく、ひっそりとしている。さっきの老人と、シェフリ家の当主であるヒラン以外、どれだけの人が居残っているのだろうか。広大な屋敷を維持管理する資金と人手が足りていないのは、明らかだった。
廊下の向こうから足音が聞こえてくる。意外にしっかりとした足取りだ。
やがて開け放した扉の向こうから、大柄な初老の男が姿を見せた。頭には例によってターバンをつけていて、真ん中にはエメラルドが輝いている。その下に覗く髪には白いものが混じっている。横に広い短い髭が口元を覆っているが、こちらも白くなりかけていた。
彼、ヒランは何かを言おうとして、口を閉じた。それから室内にいる俺達に向かって、フォレス語で挨拶の言葉を述べた。
「遠方よりようこそ我が国へ。主なき鳥の巣のような有様ですが、ご容赦願いたい」
俺達は着席した。そこに戻ってきたアディンが茶を供して、一息ついたところでやっと話が始まった。
「先日は、ご連絡いただきありがとうございました」
「いえ」
「愚息が戻ってくるとしか聞いておらず、このような……お恥ずかしい限りです」
「こちらがもう少し詳しくお伝えすればよかったのです。申し訳ございません」
最低限、来客に対して礼儀を示したヒランは、しかし、苛立ちを抑えきれなかったのだろう。厳父の顔で息子に向き直った。
「それでお前は、なぜラージュドゥハーニーに戻ってきた」
「それは、そのぅ」
「お前を出国させるのに、どれほど手間取ったか。王国が魔術師の流出に目を光らせておることくらい、承知していように。愚か者めが」
ポロルカ王国は、少し前のジャンヌゥボン、つまりアルハール氏族と同じく、目に見える形で魔術師集団を抱えている数少ない国だ。そして魔術は知識であり、力でもある。特定の血族が代々魔術を引き継ぐという形をとることで、ポロルカ王国は魔法知識の流出を最低限に抑えてきたのだろう。ヒランは、ワディラム王国への留学という名目で、どうにかこうにかビルムラールを出国させた。最悪の場合、お家取り潰しまで覚悟していればこそだ。
「責任は俺にある」
黙っていて欲しい男が口を切った。
「魔術の知識と触媒が欲しい。手を貸してくれ」
キースはそう言って座ったまま、頭を下げた。作法も何もあったものではないが、これが彼なりの誠意であることは、俺にはわかる。
だが、当然ながらヒランにとっては意味不明だ。目をパチクリさせながら、ようやく質問を口にした。
「そういえば、お客様のお名前をお伺いしておりませんでした。大変失礼して申し訳ない。息子のことで、少々頭に血が上っていたようです」
「いえ、こちらが突然お伺いしたものですから」
やっぱり俺が必要になった。ほったらかしにしていたら、きっと話がこじれておしまいだったろう。特にキースは、戦士としては一流だが、社会性が迷子になってしまっている。世渡り下手な俺がそう思うくらいだから、かなりのものだ。
「僕はフォレスティア王の騎士、ファルスです。こちらはワング・ケタマカン、ポロルカ王国の事情に詳しい商人だということで、今は案内をお願いしています。それとこちらはキース・マイアス、マルカーズ連合国出身の冒険者です」
「ふむ? 息子とどのような関係で」
「はい。ドゥミェコンではお力添えをいただきました。伝え聞いてはおられませんでしょうか? 人形の迷宮を踏破したのは、こちらのキースのパーティーです」
するとさすがにヒランも態度が変わった。
「ほう……いや、迷宮攻略とドゥミェコンが放棄された件については、小耳に挟んでおりますが」
「その時に、僕とビルムラールさんは、同じパーティーにいました」
「なんと」
これで悪印象はかなりのところ、拭い去られたと思う。ビルムラールは遊んでいたのではなく、外国でしっかり結果を出して帰ってきたのだ。
「ですが、それはそれとして、帰国した理由は?」
「俺が頼んだ」
「キースさん、僕が説明します。こちら、キースさんは既に水魔術には熟達していますが、新たに風魔術を学びたいと考えておりまして、魔術の盛んなポロルカ王国に行きたいと望んだのです」
それでヒランも納得して頷いた。
「確かに南方大陸南部は、魔術の触媒が最も豊富に得られる地域です。その意味では、我が国にいらっしゃるのは間違いではありません。しかし、触媒の材料となる薬草類は、すべて王国がいったん買い上げて、一括管理することになっておるのです」
「聞いてるぜ」
俺に構わず、キースはがさつな言葉遣いで喋り出した。
「触媒を好き勝手に使えんのは四つの王衣の家系だけっつうじゃねぇか。だから、俺に融通してくれ。ついでに俺に魔法を教えろ。金は払う」
相手は仮にも王家の側近だった名家の当主なのに。冷や冷やしながら顔を見比べていたのだが、ヒランは落ち着いていた。
「本来は、弟子を取るにもいちいち許可を取らねばならないことになっておりますが……恥ずかしながら、背に腹は代えられぬ状況です。我が家はもう、体面を繕う余裕もない。分家の者どもも皆、今は仕事を失っておりますゆえ。見ればおわかりでしょう」
「わかんぜ。金がねぇってんだろ。だから出すっつってんだろが」
「内密にであれば、魔術を教えるのは構いません。しかし、触媒の方はどうにもなりません。今は権限を剥奪されておりますゆえ」
してみると、この屋敷の惨状は、見た目以上の苦労であろうと察せられる。
魔術と医術、知識で王家に仕える側近の一族が、丸ごと失業してしまった。彼らは有用な人材ではある。なにしろ一族揃って魔術師だ。だが、だからこそ困窮する。彼らを雇いたい領主や富豪は大勢いることだろう。貴重な魔術の知識ごと、買い取りたいのだ。しかしそれはポロルカ王国にとっては、自国の優位性の喪失を意味する。だから海外での就職活動を許容するわけにはいかない。といって国内で働こうにも、この国は血縁集団がそのまま職業集団になっているような、ガチガチのコネ社会だ。それこそ、路上のゴミ拾いの仕事すら、ろくにまわってこない。
だから、当主が資産を切り売りしながら、一族すべてを養っている状況なのだ。
「じゃ、どうすりゃいいんだ」
「ビルー家に頼めば、或いはどうにかなるかもしれません。ビルムラール」
「はい」
「メディアッシなら話を聞いてくれるだろう。今の私は目立つ動きはできん。お前が頼んできなさい」
これでキースの用事も、半分は終わったようなものだ。ヒランはビルムラール以上に魔術に精通している。触媒を横流ししてもらいつつ、授業料を支払って魔術の訓練をすればいい。
「情けない話ですが、お越しいただいたのは我が家にとっての幸運です。新王の即位が遅れているので、恩赦もいただけず。あと半年もすれば、完全に破産していたところです」
「恩赦、ですか」
「ティーン殿下の勇み足で、泥をかぶったのですよ。もうご存じかもしれませんが、市内の下水工事の件で、汚職が発生しまして」
昨日、バンサワンから教えてもらったばかりの話だ。
「聞いています」
「私が仮決定した後に資料を書き換えられたのでは、どうにもなりません」
「えっ」
「私がイーク殿下を強く支持していたからでしょう。それに、王家も一般市民の支持を得られなくていいわけではありません。それぞれの血縁、地縁、職能集団をどれだけ味方につけられたかが、やはり先王の指名を得られるかどうかの条件になってくるのです。そこで一歩出遅れていたから、裏金をばら撒きたかったのだと思います」
一石二鳥でひっかけられてしまった、ということか。
「それは、もう」
「ええ、イーク殿下も把握していらっしゃるのですが、しかし王家に傷をつけるわけにもいきませんので」
宮仕えの悲しさとしかいいようがない。自分の足を引っかけた奴でも、主筋なのだ。
だが、それだけに鬱憤は溜まっているのだろう。こんな話を余所者相手にベラベラ喋ってしまうのも、理不尽な扱いに対する不満があればこそだ。表向き、平静を保っているように見えはするが、客人の前でビルムラールを叱責したことからもわかるように、実はヒランにも気持ちの余裕がないのだ。
「予定通り、イーク殿下が即位なされば、あとは恩赦は時間の問題だとみています。ただ、黒の王衣に推挙されている人物がいて、そちらの是非について決着がついていないのと、あとはブイープ島近くの海に魔物が出ているせいで渡航できないのもあって、いろいろ話が進んでいないのです」
難儀だが、そうなるとあれもこれもすべて時間が解決する、といったところだろうか?
黒の王衣に先王の指名した人物が就任するかどうかは、内府で話し合って決めればいい。既に先王は死去しているのだし、そういつまでも時間をかけてなどいられまい。海に魔物が出ている件も、即位の儀式を先延ばしにし続けるのは無理だから、どこかで何とかするはずだ。
そうしてイーク殿下とやらが正式にポロルカ王として即位すれば、あとは時間経過で俺の土地利用許可も解決するし、シェフリ家の復権も許される。ひたすら待つだけだ。
何より、今の状況は悲惨に見えるが、ヒランが言ったことは、バンサワンからの情報とほぼ符合する。味方してくれる他の王衣の家もある。今さえ凌げるのなら、どうにでもなるように思われる。
「ビルムラール、お前は様子を見て、やはり出国しておきなさい。恩赦が正式に下るまでは、まだ何があるかもわからない」
コーヒー豆の件さえ片付けば、俺としては思い残すところもそんなにはない。せっかくの待ち時間だし、同行者の身の振り方を考えて、一人でも多く安全地帯に残していきたいものだ。なにせこの後、俺はとんでもない災厄に取り組まなくてはいけないらしいのだから。
再び北に向かうまでの、ちょっとした休日と思っておくのがちょうどいい。
「お客様を十分にもてなす余裕がないのが残念でなりません。ですがまたいつか、我が家にお越しください。きっと次は盛大にお迎え致しましょう」




