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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十五章 南海の暗雲
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歩きにくい街

 誰もが何とはなしに目を覚ました。寝室から這い出て、真ん中の広間に集まってくる。そこで無言のまま、ソファに沈み込んでいた。

 昨日一日、何もしなかったのに、妙に疲れている気がする。眠りが浅かったのだ。


 ワングは俺達のために、それなりに高級な宿を選んでくれていた。南方大陸南部の様式なのか、その間取りは以前、アリュノーで泊まった場所とそっくりだった。

 真ん中に共用スペースとしての広間があり、その左右を囲む形で部屋が四つほどに分かれている。違うのは広間の向こうの通路側が中庭になっていて、見下ろせば鉢植えの緑……肉厚の葉をもつ大味な見栄えの草や、水の中に浮かぶ蓮……を楽しめることくらいだった。なお、中庭を挟んで反対側には、この宿の使用人のための空間がある。狭いところに寝床から職場までが詰め込まれているのだ。

 風通しも悪くないのだが、どういうわけか、落ち着けなかった。もしかすると、しっかりお香が焚かれていたので、その匂いのせいかもしれない。


「バンサワン様のところに出向くのは、明日の昼ネ。今日は好きにしてていいネ」

「といっても、僕らは仕事だけどね」


 この一日のうちに、ディンは船員達を率いて、船荷の封印を行う。昨日は臨時で警備員を雇ってみんな陸に上がったのだが、できれば倉庫を借りて積み荷を移しておきたい。ただ、昨日聞いた限りではそれが難しそうなのだとか。


「また倉庫を借りられないか交渉ネ。ダメなら仕方ないから、保険をかけて封印するしかないネ」


 ここ最近、ラージュドゥハーニーで疫病が流行した関係で、輸出が滞っていた。そのせいで、捌ききれていない商品で倉庫が満杯になってしまっている。買い付けには都合のいい状況だ。ただ、そのせいで船を空にできない。

 怖いのは船ごと盗まれたり、中身を抜き取られたりすることだ。そうならないように、港湾警備業者としっかり交渉して、船荷が失われた場合の賠償金も決める。現時点の船荷に何があるかの検品作業も行わなければいけない。


「じゃあ、皆さんはどうします?」


 俺の問いに、ビルムラールは苦笑いを浮かべて首を振った。


「今、できることはあんまりないんですよね。というか、自分ではあんまり出歩きたくないんです」

「というと」

「一応、逃げたも同然の立場ですから。噂では状況は安定しているらしいのですが……シェフリ家の状況が好転していれば、表から会いに行ってもいいんですが、まずいことになっていたら、ちょっと考えないといけなくて」

「触媒売ってくれりゃどうでもいいんだけどよ」


 キースがふんぞり返ってそう言うが、ビルムラールは肩を落とすばかりだった。


「前に説明したじゃないですか。魔術の触媒になる薬草は、内府の関係者が一括で買い上げてるんですよ。王衣のどこかの一族に話を通さないと、簡単には手に入らないんですから」

「面倒臭ぇなぁ」

「そういうことなら、街の噂を拾ってきてもいい」


 話を聞いていたタウルが頷き、フィラックに視線を向けた。


「ついてきてくれるか。前に一度来たことはある。でも、この街を一人では歩きたくない」

「わかった」

「済みません」


 はて、頭を下げる人が違う気がしないでもない。ビルムラールは、万一のことがないようにと当主たる父からポロルカ王国の外に出された立場で、本来なら戻ってくる予定のなかった人だ。それが今ここにいるのは、キースが強引に要求したからなので……

 しかし、当人はケロッとしている。


「じゃ、しょうがねぇな。今日も一日、風魔術の練習すっか。付き合え」

「ううっ、はいぃ」


 哀れ、完全に舎弟にされてしまっている。


「じゃあ、僕らはどうしようか」

「観光でもすればいいんじゃないか? どうせ暇だろうし」


 フィラックの言う通りだ。船の上で忙しく働いていた船員達なら、今日一日をのんびり過ごすのもありかもしれないが、俺達はお客様だった。むしろ寝すぎて逆に疲れているような、そんな感じがある。


「賛成だな」


 シャルトゥノーマも頷いた。


「私達は、何より外の世界を学ぶためにここにいる」


 ということなら、社会見学のお時間としよう。


「それならポロルカ王国の昔の遺物でも見に行こうか」

「石碑のある地区があるネ。ちょっと遠いけどネ」


 朝食を済ませてから、まずワングとディン、それに下の階にいた船員達が外に出て行った。それからタウルとフィラックが大通りに出ていった。窓の上から眺めていたが、人混みの中に紛れると、あっという間に見失ってしまった。

 一緒に出掛けなかったのは、同行者を目立たない格好にするのに手間取っていたからだ。シャルトゥノーマはまだ神通力で耳を隠せるが、ディエドラはそうはいかない。だから暑苦しいのは承知で、こちらの女性の服を着せている。頭の上にしっかりと布を巻きつけて、耳を隠す。

 問題はペルジャラナンだが、これはもう、どうしようもない。一応、服は着せるが、ごまかすのはまず無理だ。


 かくして俺達は日が高くなってから、路上に出た。その頃にはもう、道路沿いに小さなテントが乱立していた。ここは外からやってきた船乗り達が宿泊する宿のある通りで、つまりは余所者相手の商売ができる場所だ。馬車も通る道なのに、隅っこに露店があったのでは邪魔ではないかと思うのだが、これはもう既得権益なのだろう。屋根の下には小さな椅子や机も置いてあり、そこに身を落ち着けた男達がこちらを見ていた。


「ハイハイハイハイハイ」


 こちらの注意を引きたいのだろう。シュライ語が通じないことを前提に、そんな掛け声をかけてくる。それが始まりの号砲だった。


「ハサミ、ハサミ、便利なハサミ」

「シャツ、シャツ、涼しいシャツ」


 あちこちのテーブルから、鳥の巣もかくやというほどの騒ぎが沸き起こった。ひたすら物品の名前を繰り返す、単純なセールスだ。

 まるでヒヨコが出すような甘えた声で訴えかけてくる。但し、そこにいるのは可愛い小鳥ではなく、汗ばんだオッサンなのだが。その猫なで声の気持ち悪いことといったら。歩くごとに誘いの声が、さながら大合唱するセミのように、連鎖的にどんどん大きくなる。


「クー、はぐれないように」

「は、はい」


 こちらは合計九人の大所帯。但し、半分近くが女で、男も半分は未成年。甘く見られることは覚悟しておかなければならない。

 それにしても、ここの物売りどもの遠慮のなさときたら。中にはペルジャラナンの姿に気付いて変な顔をするのもいたが、すぐに我に返って大合唱に加わるありさまだ。


 突然、耳を驚かせる軽妙な音色が聴こえてきた。思わず振り返ると、そこには一人の老人がいて、それが小さな小さな弦楽器を奏でていた。構えとしてはヴァイオリンそっくりなのだが、サイズはずっと小さい。しかも、その胴体部分がなんと陶器でできている。それでこんな音が出るなんて。

 まさに名人芸なのだが、しかし、俺達が買ってもあんな演奏は真似できないだろう。昨日、ワングから聞いた話によるならば、この老人は幼少期から今に至るまで、ずっとこれを売る暮らしだけを続けてきたのに違いない。


 そのうち抜け駆けをしたくなったのか、とある露店から立ち上がってこちらにフラフラと近付いてくる男まで出てきた。何をするつもりかと思いきや、いきなりシャルトゥノーマの前に立ち止まって、雷に打たれたかのように目を見開いた。


「な、なんて美しいんだ!」

「はぁ?」


 彼女が美人なのは間違いないが、さっきからまっすぐ前に立ってたんだから、そんなの今更驚くことではない。

 だから、下手な芝居を見せつけられた彼女にしても、意味がわからず呆れ果てていた。


「愛している」

「はい?」

「もっと俺と話さないか」


 狼狽えた彼女は俺に助けを求めた。


「ファッ、ファルス、これは」

「相手にしなくていい」

「あなたこそ運命の人だ、待ってくれ」


 本気なわけはないだろう。見境がないだけだ。もっというと、性欲ですらないかもしれない。ホイホイついていってもろくなことにはならない。


「おおおお!」


 反対方向からも、馬車の通る道路を渡って迫ってくる男がいた。


「素晴らしい、美しい、あなた、名前は?」

「えっ? えっ?」


 ラピが目を白黒させている。


「愛している。今すぐ俺と結婚しよう」

「ちょ、ちょっと」


 そういえば、道を行く人はほとんど男ばかりだ。僅かに現地の女性もいることはいるのだが、だいたいは年配ばかり。

 もしやと思い、周囲をぐるりと見渡すと、後ろからもポツポツと男達が近寄ろうとしている。外国人、それも女となれば、彼らにとってはカモなのだ。そうだ、地縁、血縁の繋がりがない……ワングに言わせれば、人間扱いする必要のない相手なのだから。


「馬車、馬車に乗ろう」


 ジョイスが周囲を見回し、客を乗せていない馬車を探して指差した。


「あそこだ」


 俺が手招きして軽く駆け出すと、みんなついてきた。相変わらず猫なで声で甘えてくる男達も並走してきたが。

 近寄ってくる男達も、露店の連中も、決して裕福ではないはずなのだが、みんなお香を焚きしめていた。その匂いと汗とが混じりあって、なんともいえずむさくるしい。


「乗せてください」


 俺が御者達にそう声をかけると、丸い帽子を頭に乗せたその初老の男は、じろりと俺の足下から顔までを睨め回した。それから無言で座席を指し示すと、シッ、シッと車を引く驢馬達を急き立てた。

 二台の馬車に分乗して、俺が行き先を伝えた。


「昔の石碑のあるところまでお願いします」


 彼は返事をしなかったが、そのまま黙って馬車を走らせ始めた。

 やっと一息つける。さすがにしつこい男達といえども、馬車に乗って走り去っていく相手は捕まえられない。と思って安心していたら。


「おい、ファルス」


 早くもジョイスが気付いて俺を肘でつつく。


「こいつ、吹っかける気だぞ!」


 しまった。何をやってるんだ。そうだった、乗り込むときに俺は金額の交渉をしていない。


「おじさん、おいくらですか」

「金貨十枚」

「高すぎるので、降りますね」


 すると彼は嫌そうな顔をして、値段を下げてきた。


「金貨五枚」

「まだ高いです。金貨一枚なら」

「三枚」


 相場がわからない。距離もわからない。


「こんなもん、銀貨三枚で行けるぞ」


 遅ればせながらジョイスが教えてくれた。でも、こちらから金貨一枚と言ってしまった。仕方ない。


「金貨一枚まで。それ以上は出せません」


 すると彼は、馬車をとある場所に止めた。


「ここは?」

「金を出せ」

「はい?」

「途中まで乗せた。石碑はここの通りをまっすぐだ」


 隣でジョイスが舌打ちしている。


「適当抜かしやがってこの野郎、断ったら同業者を呼び集めて俺達を取り囲むつもりでいやがる」

「ぶちのめすのは簡単だけど」

「そういうわけにもいかんよなぁ」


 彼の反対に座っていたノーラも難しい顔をしている。


「さすがにこんな理由で頭の中をいじるのは、泥棒と変わらないと思うし……」

「降りよう。気分もよくない」


 それで俺達は道路に降りた。その後、金貨一枚を渡したが、馬車二台に分乗していたから二枚渡せとあちらがケチをつけてきた。さすがにむかっ腹がたったので、それは強引に無視して追い払った。


「なんなんだ、ここは」


 宿を一歩出たかと思えば押し売りの群れに取り囲まれ、馬車に乗れば吹っかけられた挙句におかしな場所に放り出され。昨日、ワングが見せたあの横暴な態度には、それなりの合理性があったのだと痛感させられる。


 溜息をついてから、俺は周囲を見回した。

 高層ビルというべきか、石造りの丈の高い四角い建物が大きな日陰を作っている一角だった。そこには、とりわけみすぼらしい恰好をした人々が、路上にしゃがみ込んでいる。すぐに察した。あれは乞食だ。

 ということは……


「いけない、移動しよう」

「えっ」


 だが、これまた俺の判断は遅すぎた。

 既に後ろからやってきた、この界隈の女がシャルトゥノーマに話しかけていたからだ。


「お嬢様、お恵みを」


 その女の腕には、血色の悪い赤ん坊が抱かれていた。しかも痛々しいことに、足の骨が折れている。


「おお、なんとひどい」


 ある意味、世間知らずなシャルトゥノーマは、あまりのことに顔色を変え、自分の財布を取りだした。


「待て」

「なんだ」

「金は出すな」


 俺の制止に、彼女は食ってかかった。


「この子供を見ろ。ただでさえ貧しいのに、足に怪我までしているんだぞ。助けるのは当たり前だろう」

「そうじゃない。いいか、シャルトゥノーマ、この手の連中というのは」

「おい、ファルス、囲まれるぞ」


 見れば前方からも、片足のない男が這いずりながら近づいてきている。他の女達も……痩せぎすで、それこそマッチ棒の群れみたいなのが音もなく迫ってきていた。


「財布なんか出すからだ」

「何を言って」

「後で説明する。逃げるぞ!」

「あっ」


 胸糞悪いと言ったらない。さっきの赤ん坊の足が折れているのは、あれは物乞いをするために、親がわざと折ったのだ。だから大人になっても乞食をするしかないのが出てくる。片足のない男も、その目的で幼少期に片足を切断されたのだろう。

 そして、ここの地域に住む人々は、まさしく「乞食」という職業を独占した集団だ。


 それから俺達は、半日かけて市内を彷徨い歩き、昼下がりになってからやっと元の宿に引き返した。歴史上の偉人の名が刻まれた石碑などは見られなかった。

 こんな場所では、なるほど、タウルも一人では歩きたくないわけだ。特に俺の場合、女連れだったことが悪く作用した。


 今度こそ本当の疲れをしっかり溜め込んだ俺達は、そのままソファやベッドの上に沈み込んだ。そして夕方まで眠ってやり過ごした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「ハサミ、ハサミ、便利なハサミ」 「シャツ、シャツ、涼しいシャツ」 「カッセル、カッセル、働くカッセル」 「シニュガリ、シニュガリ、誠実なシニュガリ」
[一言] 大森林とはまた違ったいやらしさがありますね あちらが野生でものなら こちらは理性というか知性があるからこそのいやらしさというか
[一言] 乞食ビジネス... ジョジョ3部でその存在を知った時はかなりの衝撃を受けたものです
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