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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十四章 夕凪の汀
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道草を食うという決断

「一人で行かせることにしてしまって」

「なぁに、それは小さなことだ」


 アリュノーの波止場は、隙間なく暗灰色の石材で舗装されていた。西に向けて遮るもののない海が広がっている。真珠の首飾りの南端に位置するこの港は南北に細長く、弓なりに反りかえっている。そこにはガレー船から帆船まで、さまざまな船が所狭しと犇めいていた。

 俺達は、間もなく出港する帆船の前で、ストゥルンを見送っていた。出会った時とは違って、上下に涼しそうな麻の服を身に着け、足には分厚いサンダルだ。石の床が真昼の日差しに熱されているので、とても裸足では歩けない。


「どうなることかと思ったが、終わってみれば何もかもよし、だったよ。知りたかったオヤジやオフクロのこともわかった。金貨一万五千枚もあれば、死ぬまで食うには困らない。ま、こっちは運びきれない重さなのが厄介なんだけどな」

「船長に話は通してあるので、降りる順番は最後にして、荷物は船員に運んでもらえば済むかと思います。そのまま手紙を届ければ、あとは待つだけですよ。ただ、下手をすると何ヶ月も待たされることになりますが」


 結局、ストゥルンは一人でハリジョンを目指すことになった。大森林を目指すということで、ティズにはカパル王への橋渡しもしてもらったのだし、フィシズ女王とのいざこざもあったので、俺としても報告義務くらいはある。で、ルーの種族との件もあるので、どうせならストゥルンに使者の役目も果たしてもらうことになった。だから、彼の荷物は金貨だけではない。一枚だけ緑竜の鱗も運んでもらう。

 ただ、ティズがハリジョンに留まっているとは限らない。アーズン城に向かった可能性もあるし、案外、対岸のジャンヌゥボンにいるかもしれない。だから最悪の場合、ストゥルンはしばらく待たなくてはいけない。

 なお、ストゥルンにはもう一通、手紙を託した。こちらはリンガ商会とマルトゥラターレに宛てたものだ。ルーの種族との通交を持つからよろしく頼む、という内容だ。


「でも」


 彼は俺の後ろに視線を向けた。


「命知らずにもほどがあるんじゃないか? イーグー」

「ひぇっ、いきなりなんですかい、旦那」


 イーグーは、いつでもいつまでも卑屈な態度を崩さない。男に呼びかける時は「旦那」か「兄貴」、女が相手なら年下でも「姉御」だ。


「お前も俺と同じだけ金をもらったんだし、故郷に帰るなり、好きにすればいいんだろうに」

「いやいや、あっしはまだ、おいしいお仕事をもらってないもんで」

「俺が思うに、そりゃあファルスの近くにいれば、出世の機会はあるんだろうが……ほんの四ヶ月くらいの付き合いしかないが、これだけは言える。なんだかわからんが、幸運も不運も、ドデカいのが向こうから降りかかってくる……そういう極端な運命の持ち主だ。正直、博打みたいなもんだぞ」


 一応、道理は通っている。ストゥルンはティズに会った後、恐らくはシックティルの下につけられて、公的な立場をもらって関門城に留まることになる。身分も保証され、俸給を受け取りながら、ルーの種族の手助けをする。つまり、出世したわけだ。

 だが、このまま解散しても、イーグーは大金を受け取って終わりになる。無論、俺は笑顔で追い払おうとしたのだが、イーグーは必死に土下座して、何か下働きさせてくださいと頼み込むばかりだった。正直、気味が悪かったのだが、強引に叩き出しても、こっそり後をつけてきそうなので、好きにさせることにした。


「いやいやー、だからってですね、クーの兄貴でさえ手柄欲しさでついていくってのに、あっしが尻尾巻いて逃げ出すなんて、情けないにもほどがありゃしませんかい?」

「クーの兄貴って」


 あまりの言葉遣いに、クーが絶句した。


「兄貴というのは、さすがに無理がありませんか?」

「卑屈すぎる」


 タウルも呆れている。


「なんもおかしくはないでしょう! あっしはこの中では一番最後に若旦那の手下になったんですぜ」

「あの、イーグー? 手下じゃなくて、あくまで大森林を探索するときの荷物持ちとして雇ったんだけど」

「そこは細かいこと言わんと、金魚のフンだと思って見逃してくだせぇよ。なんせ若旦那の腕はピカイチですからね。末は貴族か将軍か、ここで媚びねぇでどうするんですかっての」


 フィラックが、一応同意した。


「その気持ちはわからなくもないがな」

「なんなら、これから若旦那が経営するつもりの、あの豆畑の管理人にでもしてもらおうかと思いやしてね」

「命懸けの冒険の見返りが農園の管理人か? お前の頭はどうなってるんだ」


 そのフィラックも今、呆れた。


「任せるかどうかは、僕が決めることなんだけど」

「そ、そこはこれからの頑張りをですね、へへへ」


 ストゥルンは首を振った。


「俺だったら、そんな冒険はもうしないな。ファルスの傍にいたら、命がいくつあっても足りない。それがよくわかったよ。ははは」


 まったく納得だ。俺自身でさえ、そう思う。


「じゃあな。また会おう」

「お元気で」


 ストゥルンの乗り込んだ船が帆を上げて北に向かって出発すると、俺達は手を振った。やがて船体が水平線の彼方に消えて、帆だけが見えるようになると、俺達は踵を返した。

 後ろで様子を見ていたディンがポツリと言った。


「まぁ、冒険に行くんじゃないんだけどね」


 その通りだ。俺は今回に限って、寄り道することにしたのだ。


 ナシュガズで遭遇したルアなる人物の言うことを信じるなら、俺はこの後、使徒の企みに巻き込まれて、大きな危険に見舞われることになる。だが、それを俺が能動的に解決しにいってやる理由があるだろうか?

 なるほど、数々の贈り物をしてくれたルアには、多少の義理ならあるかもしれない。だが、それにしたって本人の言うところに従うなら「ケッセンドゥリアンを解放したことに対するお礼」だ。それに、どちらにしても、使徒もルアも手出しを控えているなら、俺が現場に行くまで、ことは始まらないだろう。

 俺の次の目的地は、神仙の山だ。東方大陸の北東部にある。となると、ここから最短ルートで移動するとなれば、船でキトまで戻り、そこで乗り換えるなどして、東方大陸の西岸を経由して、北西部のミッグの街で船を降りる。大陸の北を船で渡るのは難しいらしいので、そこからは陸路で大陸を横断する。その途中のどこかで事件が引き起こされるのだろう。

 だったら、あえてここで本来の道から外れてやろうと考えた。


 そうする理由はある。まず、俺自身が使徒の期待に応えられない可能性だ。ルアは問題の解決にあたる存在の候補として、龍神を挙げた。女神に比べれば格下とはいえ、神が直接出向かなければならないほどの大事件を想定しているのだ。いくらピアシング・ハンドがあっても、中身があくまで凡人でしかない俺では、乗り越えられないかもしれない。

 となると、俺としてはやはり、まずは同行者を減らす配慮をしたいところだ。具体的には、まず非戦闘員にあたるクーやラピ。それから、一応戦闘員に数えることはできても、ここまで出会ってきたような桁外れの怪物には太刀打ちできないであろうフィラックやタウルだ。逆にキースあたりは、本人は気付いていなくとも、恐らく使徒の手回しがあって送り込まれてきたのだろう。人間としては一流の戦士で、俺にとっては頼りになる人物だから。

 それと、心残りもなくしておきたい。犠牲者を減らしたいというのも重要だが、俺の中では、それと同じくらい大切な問題だ。


 認めたくはないが……聖女リント、人形の迷宮、不老の果実と、三つもの有力候補が無駄足に終わった。神仙の山は一応目指すが、そこにはきっと不死などない。そしてワノノマの姫巫女にしても、期待はできない。仮に姫巫女が不死だとしても、それを俺に分かち与える理由がないからだ。ましてやそこにはもう一柱の龍神までいる。

 だからといって、途中で足を止めることができようか? 使徒が見逃してくれるはずもない。だから俺は、旅の途上で遭遇する災厄を生き延びたとしても、最終的に龍神の前で正体を暴かれるか、使徒の……恐らく邪悪な目的による命令を拒んで殺されるか、二つに一つだ。


 つまり、現時点の見通しによれば、どう転んでもこの旅は破滅で終わる。不死を得られないなら、ある意味、いつ死んでも同じだ。その意味では、ルアが予告した危難など、恐ろしくもない。いつか片付ければいい宿題でしかない。

 だからこそ、コーヒー豆を発見した時には激しく心を揺さぶられたのだ。まず、俺が死んでも、リンガ商会はここから利益を得続けることができる。ピュリスに残した人達の将来を守ってあげられるのだ。それに俺自身が生きた証にもなる。俺はいなくなっても、きっとコーヒーは飲まれ続ける。せめて、そうなってほしい。


 別荘に引き返すと、ワングが書類を手に待ち構えていた。


「正式に許可が下りたネ!」


 俺達を大広間の椅子に座らせて、メイド達にお茶を提供させながら、彼は自分の手柄をアピールし始めた。

 予期された結果ではあるので驚きはないが、無論、朗報だ。


 トゥワタリ王国においては、外国人の土地所有や利用には制限がかかる。一応、ルアンクーの王権を引き継ぐという名目で王を名乗ってはいるが、実質的にはポロルカ王国の属国だ。そして海賊王の再来を恐れるポロルカ王国としては、トゥワタリ王国の勝手な行動を抑制する必要があった。具体的には、勝手に領土の一部を誰かに与えて臣下とするなどの振舞いを禁じる条約が定められている。

 よってトゥワタリ王国の土地の利用権を得たければ、まずアリュノーで申請の準備を整えてから、ポロルカ王国の首都ラージュドゥハーニーまで出向いて、その認可を受ける必要がある。その手続きを、俺はワングに任せていた。彼もそれなりの地位を得た大商人であり、顔も利くので、この手の仕事にはうってつけだったからだ。


「ファルス様の贈り物が効いたネ」

「それはよかったです」

「ポロルカ王国でも、贈り物は大事ネ」


 ここトゥワタリ王国は、閉じた社会だ。積極的な富国強兵には突き進めない。他の港を支配下に収めるような対外進出はサハリア人の怒りを招くし、国土の開発はポロルカ王国に睨まれる。パイの大きさが決まっているので、利益を得る方法が限られる。大きな功績を得て出世するというより、既にある地位を活用して袖の下をもらうほうが一般的なのだ。それは国王からしてそうで、だから陳情するなら関係各所に金品をバラ撒くしかない。

 だから下っ端には金貨を、国王陛下には緑竜の鱗と骨を贈った。おかげでごく短期間のうちに土地の購入許可が下りた。あとは宗主国の承認を得られれば、それで解決する。ただ、あちらはあちらで、相当に汚職の多いお国柄らしい。


「というわけで、船の手配も済んだネ。フリュミーさん、アナタ、船員はこっちで集めたけど、改めて船長、お願いネ」

「なんとかするさ」


 陸路でもラージュドゥハーニーを目指せはするのだが、やはり海路の方が楽だし、到着も早い。

 それにワングとしても、この南方への航海でまた一つ商売をするつもりらしい。実は少し前までラージュドゥハーニーで疫病が流行していたこともあって、そちら方面の取引が滞っていたのもある。

 また、アリュノーから南の海は危険度が一段上なので、腕のいい船乗りを確保できるのでなければ、なかなか乗り出せないのもあった。俺との遭遇は彼にとってイレギュラーだったが、これも一つの機会と捉えて、儲けのチャンスにしようというわけだ。

 この船に便乗するのが、キースとビルムラールだ。そもそも二人は最初からポロルカ王国を目指していた。キースが魔術の修行を目的としており、触媒の入手が比較的容易な場所に行く必要があったのだ。ただ、何の伝手もないと買い付けがそもそも難しいので、ビルムラールの手助けが必要だった。


 かくして、みんなの思惑が一致して、南方行きの船が仕立てられることになったのだ。

 ワングは、楽しみでならないといった顔で叫んだ。


「ラージュドゥハーニーは私の生まれ故郷ネ! みんなきっと気に入るネ! お金儲けもいっぱいできるネ!」

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[気になる点] なお、ストゥルンにはもう一通、手紙を託した。こちらはリンガ商会とマルトゥラターレに宛てたものだ。ルーの種族との通交を持つからよろしく頼む、という内容だ。 叔父さんやおばさんも生き…
[気になる点] >「なんなら、これから若旦那が経営するつもりの、あの豆畑の管理人にでもしてもらおうかと思いやしてね」 こいつ、ファルス君の手下になるにあたって自分の能力を最大限に活かせることが分かっ…
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