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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十三章 神秘の地へ
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古代の人々の声

 建物から出た俺達は、広場に残された記念碑を見て回ることにした。あちこちに誰かの似姿と思しき石像が突き立っていた。


 手近なところには、椅子に座った女性が一人、そしてその手前に従者と思しき子供の像が二人分、置かれていた。

 しかし、近付いてよく見てみると、普通の人間のものではないとすぐわかる。まず、手前の少年少女の像だが、頭部がおかしい。手足が短く体が小さいのはいいとして、問題はその大きな頭の形だ。まるでハンドボールの表面みたいな形の肉の襞に覆われていて、額に一つだけ目がついている。その下には微笑む口らしきものも見えるが、それだけだ。鼻も耳もなく、膨れ上がった肉の塊みたいな顔をしている。ちなみに、男女の見分けは、服装で判断している。片方はズボンで、もう一人がスカートだったから、勝手にそう推測しただけだ。


「こっちがナールで、こちらが」

「アン、だな」


 俺がたどたどしく像の下に刻まれた文字を読むと、シャルトゥノーマが補足してくれた。


「知っているのか」

「こんな姿をしているとは思わなかったが、これはペルィの祖となる使徒、エシェリキアに仕えた従者達だ。ペルィはこのエシェリキアとコラ・ケルンとの契りによって生まれた種族だが、この従者達はエシェリキアが一人で生み出したという」


 こんな小さな体で何の役に立ったのだろうか? いや、ペルィはルーの種族きっての魔術師だ。とするなら、この従者達も相当な魔法使いだったに違いない。

 では、二人の従者の後ろに座るこの女性こそがエシェリキアであろう。サイズが実物と同じとは限らないのだが、見た限りでは、どちらかというと小柄な女性だった。やや尖った耳、ティアラに飾られたオカッパ頭の下の眼差しは挑発的で、唇は薄かった。露出の大きい服を身に着けていて、下はなんとミニスカートにブーツだ。背中にはコウモリの羽みたいなのがついている。それと、手先が特徴的で、掌が大きく丸っこいのに指は長く、その先には鋭い爪が延びていた。その左手には、短めの杖を手にしている。


「全然似てないんだな……」

「それはそうだ。エシェリキアはペルィではないのだから。あくまでコラ・ケルンがイーヴォ・ルーの助力を得て一人で生んだ子だ」

「子、か」

「そう。そして、ペルィの内なる魂の受け皿となった」


 コラ・ケルンの娘にして息子でもあるエシェリキアは、その妻にして夫となり、ペルィ達を産んだ。そのペルィ達が互いに結ばれて大勢の子孫を残し、今に至る、と。

 こうして彫像を見る限り、なんというか……勝気そうなお姉さんに見えなくもない。仮に前世のライトノベルに出てくるなら、シリアス展開のない作品の悪役で、お色気担当の間抜けな女幹部といった役柄がぴったりきそうな雰囲気だ。

 なおエシェリキアの名前は、イーヴォ・ルーの魔人の中では珍しく、ギシアン・チーレムに関する記録にも残っている。最後は英雄の手によって倒された、と伝わっている。


「今、エシェリクと呼ばれている街も、もともとは彼女に由来するそうだ」


 よく改名されなかったものだ。いや、関門城……トーシクの壁からして、ルーの種族の自治区を守る壁だったのだから。ギシアン・チーレムは、彼らを滅ぼすつもりがなかった。だから、エシェリキアの名前も抹消しなかったのだ。

 いったいどういう関係だったのだろうか。イーヴォ・ルーを滅ぼしたのも彼だし、敵対していたはずなのだが。


 とりあえず、使徒達の像らしいことはわかった。別にそれ以上、何か変わった秘密があるのでもない。ここは市民の憩いの場だったのだろうから。

 そうして何の気なしに像を見て歩くうち、俺は思わず足を止めた。


「これが」


 それは奇妙な姿をしていた。

 上半身は普通の青年だった。鎧を身に着けており、剣を携えている。だが、下半身が急に太くなっている。その足には猛々しく鱗が逆立っていた。その下半身の背中側には、まるで着ぐるみとか二人羽織のように、もう一つの上半身が生えていた。これは青年の上半身に覆いかぶさるように広がっていて、別途前脚と首、翼を備えた竜だった。

 誰のことかなんて、尋ねるまでもない。彼の足下には石のプレートがあり、そこにはルー語で名前が刻まれていた。


『ケッセンドゥリアン・タワンナン 贖罪と寛恕の使徒』


 彼の像には、お供の姿はなかった。ただ一人、高台の上に立ってまっすぐ西の方を見つめていた。この像に刻まれた姿のまま、ルーの種族とポロルカ帝国の人々を守るために、常に最前線で戦い続ける生涯だった。だが、それにしてはなんとあどけない顔立ちだろう。

 人形の迷宮で出会った彼のことを思い出す。語り口は陽気で、愛嬌があった。竜人族は戦士の一族だが、彼自身は戦いを好んでなどいなかったに違いない。もともと龍神トゥー・ボーが滅ぼされたとき、残されたムワの人々を庇うために身を捧げたくらいなのだから。そういえば、少なくともモーン・ナーの捕虜になるまでに数百年は生きたはずの彼だったのに、剣術のスキルなどもアーウィンより低かった。鍛える時間と責任感はたっぷりあっても、そもそもの才能や意欲には乏しかったのかもしれない。


 使徒達の像を見て回ってから、さっきの建物の対角線上にある大きな石碑に近付いてみた。そこにもルー語の文字が刻まれている。

 そこにあったのは、記念すべき日々の記録だった。新たに公園を作ったとか、墓地を街の外れに作ったとか。


「墓場があるのか」


 バジャックが興味ありげに言った。


「ある、と書いてあるけど」

「じゃあ、後で行こう」

「えっ?」


 どうしてそんなところに興味を……ああ。


「墓と言えば副葬品だろ?」

「あのね……」


 目の前にはシャルトゥノーマもディエドラもいるのに、堂々と墓荒らし宣言なんて。まぁ、大森林のハンターとしては正しい態度なのだけれども。


「まあ、後で見に行こう」


 だが、別に反対する理由もなかった。


「掘り返すのはナシで」

「おいおい、死人が金持っててもしょうがないだろ?」

「死人はそうだけど、この街のものはルーの種族が受け継いでいる。やむを得ない理由もないのに勝手に持ち去るのはよくない」


 するとディエドラが言った。


「ハカはアらすな。ハカのナカのモノは、シんだヒトのもの」


 やり取りを横で見ていたシャルトゥノーマは、少し態度を軟化させた。


「そうだな……何も取るなでは納得できないだろう。さっきの建物の中にあった金塊なら、多少は持ち去ってもいい」

「いいのか? 勝手に決めて」

「どうせ何百年も誰も使っていなかった。それに、何も取るなと言ったら、こいつらはこっそり街のどこかに傷をつけて、金目のものを持ち去ろうとするかもしれんぞ」


 という、まったく合理的な考えからだった。

 まぁ、その辺は彼女らが決めればいい。俺が欲しいのは情報だけだ。


「それより、残りも読んでしまおう」


 そして石碑の末尾の記事。そこに俺達の目が吸い寄せられた。

 シャルトゥノーマは小刻みに震えながらその記述をじっくりと読み、それからゆっくりと人間の言葉に訳して読み上げた。


『我らが導き手よ いずこへ行かれたのですか

 お許しください 我らがこの地を去ることを

 二千年の歳月を 刻み続けてきたというのに

 守られた都の外 豊穣の大地は既に荒れ果て

 山の端に巣食う その魔物らの猛々しいこと

 飢えに苦しむ故 街路樹すらも食い尽くして

 救いを求め行く かの女神信じ奉じる者達に

 なれど我らが魂 母なるナシュガズに留まる


 混神暦 二千三百六十二年 風の月三十七日

 女神暦 四百四十三年 橄欖石の月七日

 市長代理プロッシ記す』


 そこだけ石碑への刻まれ方が乱暴で、雑だった。周到な準備もなく、急いで作業したのが目に見える。

 今から五百五十年ほど前に、この地の人々は都を捨てて去った。だが、ここに残された情報はそれだけではない。


「女神、暦?」


 フィラックがその意味に気付いて、呆けたような顔でそう呟いた。

 女神暦が併記されている。つまり、この都に住んでいたルーの種族は、少なくとも統一時代においては、多少なりとも外部の人間と関わりがあった。帝都の暦を記載するくらいには、統一された世界秩序に従属していたのだ。

 現にここにも、女神を奉じる者達に救いを求めると刻まれている。ギシアン・チーレムが持ち去った霊樹の苗は帝都で管理されているはずだと、それがあれば別の土地に移住することも可能であると、彼らは知っていたのだ。


 ノーラが指摘した。


「この街、魔物に入り込まれた様子が全くない。壊れた道路もないし、看板だって色褪せただけ。住んでいた人達は、落ち着いて避難したのね」


 だが、同時に植物がほとんどない。命あるものがまるで残っていない。ここに書かれたように、外部からの補給を断たれたナシュガズでは、あらゆる物資が使い果たされた。街路樹を食べたのか、それとも燃料にしたのかはわからないが、とにかく残らなかった。

 一方で、都に周囲には魔物がいたらしいことがわかる。どういうわけか、ナシュガズに攻め込むことはできなかったが、恐らくは何か、魔法の装置が機能していたのではないか。あれだけの箱舟を作る魔法都市なのだから、やっぱり何かの魔法が街を守っていたのかもしれない。しかし、魔物の側としては、それに打ち勝つ必要などなかった。山上の都市であるこの街を滅ぼすには、周囲からの物資補給を断ってしまえば済むからだ。


 クーも気付いた。


「ということは……ファルス様、大森林の魔物というのは、いつから居着いたのでしょう?」


 それも重要なところだ。

 一千年前、世界統一の時点では、今見られるような魔物の大半は、実は存在しなかったのではなかろうか? 川にゴイやニクシーがウヨウヨいたのでは、ろくに船も行き来できない。吸血虫やグリフォンが空を行き交う場所では、おちおち暮らしていられない。

 では、なぜ、どうして大森林に魔物が溢れるようになったのだろう?


 とにかく、これでラハシア村の言い伝えが正しかったことも裏付けられた。

 ルーの種族は、まずここを去った。だが、魔物だらけの大森林で生き抜くのも難しく、外部の人間や帝都の支援を求めて関門城を越えた。だが、その時代は諸国戦争の真っ只中だ。彼らは戦乱の中で命を落とした。

 人間達の歴史から、その記録は失われた。だが、当時のナシュガズの人々の認識からすれば、こういうことになるのではないか。


『帝都は我々との協定を破り、見殺しにした』


 なら、この石碑の記述は、人間達の罪の証拠だ。

 俺達はいつの間にか口を噤み、所在なく立ち尽くすばかりになった。


「墓場を見たいと言ったな」


 気分を変えようと思ったのか、唐突にシャルトゥノーマが言った。


 幸い、街中に石造りの標識が残っていてくれたおかげで、俺達は道に迷わずに進むことができた。街の西側の門を登って抜けた先には、荒涼とした岩山が広がるばかりで、どこにも道が通じていなかった。だが、その岩山のあちこちが墓地として整えられていた。

 一見してそれとわかる墓標がいくつも立ち並んでいた。形状はだいたいシンプルで、小さな石碑があるばかりだ。そこにいくらかの文字が彫ってあるだけ。それが彼らのスタイルらしい。


「思った通りだ。なかなか楽しいぞ」


 彼女は一つずつ、指差しながら訳してくれた。


『私からあなた方へ。かつてナシュガズ一の美女と称えられた私の吐息を贈ります。あとは存分に』

『俺からお前らに。全財産を街に寄付した。次の祭りで飲む酒はオゴリだ! 俺の分まで楽しんでくれ』

『私からあなたに。冴えない人生を過ごした私が贈れるものといえば、ただ私が座っていた場所しかありません。せめて楽に体を伸ばして寝転んでください。疲れたらこれを椅子代わりにしても構いません。こっそりオナラをしても黙っててあげます。じゃ、あとは頼みました』


 ケッセンドゥリアンやクヴノックの言葉を聞いていなければ、理解できないだろう。


「はぁ? これのどこが墓なんだ?」


 ストゥルンが首を傾げる。


「これからおいおい学ばないとな。我々ルーの種族は、死に際してこういう挨拶をする。ただ、ここのはやたらとふざけているが」


 彼らの挨拶は、まず呼びかけから始まる。それから、何を贈与するかを宣言し、最後に後事を託す。

 だから真面目な墓碑銘もある。


『元市長マンタンより、市民の皆様に。私の財産は市の予算に、蔵書は図書館に寄付しました。どうかナシュガズの繁栄のために、存分にお役立てください。街とルーの民の未来をお任せします』


 どの墓碑銘も、必ず目にする人への呼びかけになっている。そのなんと賑やかで、優しげなことか。

 これがルーの民の文化なのかもしれない。死は恐ろしいし悲しいが、それだけではない。仮に孤独な人がここにやってきたら、何を感じるだろうか? 会ったこともない、遥か昔に亡くなった人達の言葉が残るだけ。けれども彼らは、今でも気さくに冗談を飛ばしてくる。

 そこには確かに、何百年も前に生きた人々の声が残されていたのだ。

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[一言] 姿無くとも言葉在る 言葉在るならば思い在り
[気になる点] 『我らが導き手よ いずこへ行かれたのですか  お許しください 我らがこの地を去ることを  二千年の歳月を 刻み続けてきたというのに  守られた都の外 豊穣の大地は既に荒れ果て …
[気になる点] 『我らが導き手よ いずこへ行かれたのですか  お許しください 我らがこの地を去ることを  二千年の歳月を 刻み続けてきたというのに  守られた都の外 豊穣の大地は既に荒れ果て …
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