私はハゲになりたい
オリンピックも終わりですね。
しかし、不幸祭りは終わりません……どころか、まだ序盤です。
パラリンピック期間に差しかかっても、私は必死に続きを書いているかもですorz
このままだと、集中連載の後に連載が途切れる!
作者の連載マラソンは、まだ続きます。
分厚い黒雲が千切れ飛ぶ。その狭間に、金色の月が浮かび上がる。切れ切れになったのが、その前を何度も横切っていく。
「くっ! こ、このっ! こっち来るな!」
クーもラピも必死の形相で棒を振り回す。足下のネズミが、イーグーと大木の間に置かれた荷物にとりついたら、大変なことになりかねない。食料の匂いに気づかれたら、袋でもなんでも穴をあけて食い破ってくる。必要な道具だろうがなんだろうが、片っ端からダメにされる。
だが、俺が剣を抜いて加勢しようとすると、タウルが止めた。
「ネズミを殺すな。こいつらがいないと、虫がいなくならない」
そうなのだ。このネズミ達はあくまで、虫の大群に引き寄せられてやってきただけ。これを殺して追い散らしてしまったのでは、虫の被害はなくせない。
アーノが嘆息した。
「さすがにがっかりだな。魔物を討つべくやってきたのに、虫けらとネズミとは」
「そろそろ仕事」
「なに?」
だが、疑問に捉われることはなかった。その瞬間の微かな羽音を、彼は聞き逃さなかった。黄金色の軌跡が闇の中に弧を描く。
「きゃあっ!」
すぐ目の前に落下した黒い何者かに、ラピは叫んで跳びあがった。
右から左まで、翼を広げて一メートル以上にもなる大物。真っ黒なコウモリだった。アーノの太刀筋に不足はなく、既に事切れている。それでもそのコウモリの赤い目は、じっとラピを見上げているかのようだった。
「ネズミを食うコウモリは、人も襲う」
俺もペルジャラナンも剣を抜き放った。
これもこっちに来た分だけ、叩き落とせばいい。全滅させたらネズミがいなくならない。標的が大きくなって、むしろやりやすくなったというべきだ。
「こいつらを追っ払えば、終わりか」
「まだいる、かもしれない」
既に緑のドームの下には、黒い翼が無数に、それこそ我が物顔で飛び回っているというのに。まだこの続きがあるというのか。
「コウモリを食らうのがいる」
「今度はなんだ」
「魔獣」
そろそろ本当に手強いのが出てくる、か。心なしか、アーノが嬉しそうな顔をしているようにみえる。
だが、反対にディエドラは、目を見開いて不安げにしていた。
「イマ、ナンてイった?」
「魔獣が出ると言ったんだ」
それを聞くと、彼女は正気を失った。
「つぉっと!」
「ヤメろ!」
首に銀の首輪がかかっているのに、乱暴に飛び出そうとして、フィラックに抑え込まれた。
「コロすな! ヤメろ!」
「暴れるな! 危ないだろが!」
彼女の態度で察した。
「タウル、魔獣というのは」
「姿はいろいろ。狼のようなのもいれば、虎みたいなのもいる。普通の動物とちがって、ずっと大きい。強いし、なかなか死なない」
彼女の態度から察するに、恐らくルーの種族とかかわりのある何者かなのだろう。
だが、だからといってどうせよというのか。俺には彼らを再び霊樹と結びつける術などない。もし襲ってきたら、斬るしかない。ここには守るべき人達がいる。
「ハナせ!」
聞き分けなく、ディエドラは必死になってもがき続けた。思わず俺達の視線が集まり、それが隙になった。
「あっ! 若旦那!」
イーグーが指差した。緑のドームを突き抜けて、更に大きなコウモリが急降下してきたのだ。一直線にラピを狙っている。
飛び出そうとして……右にタウル、左にディエドラがいて、一足跳びに割り込めない。
「ラピ!」
「きゃあああ!」
「うひぇっ!?」
いきなりの来襲に、ラピどころかイーグーまで、腰を抜かしたかのようにへたり込んだ。
その大コウモリは間抜け面をしたまま、勢いよく大樹の幹、ちょうど立っていた時のイーグーの頭のあった場所に衝突して、そのままズルズルと木の根の上に転がった。
「ひえっ、なんでぇこいつ、てめぇで勝手に死んじまいやがった」
抱きすくめたラピを引っ張り上げながら、イーグーは、よくも驚かせたなと、いかにも憤慨したようにそうぼやいた。
だが……
俺は見ていた。
しゃがみ込む振りをして、イーグーは棒を手放しつつ、そっと掌から、藍色の鏃を投擲していた。
結果からしても間違いない。彼はやはり大魔法使いだった。『即死』の魔法でコウモリを葬り去ったのだ。
だが、不可解な点がいくつかある。実力を隠すところは、使徒の手下という仮定が正しいとするなら説明できる。ただ、それではなぜラピを庇ったのか。或いはどこか違う場所で、もっと大きな悲劇を引き起こしたいからなのかもしれないが。
それより魔術の使い方だ。今、イーグーは魔法を使う前に、俺にコウモリの来襲を告げた。それから、俺が駆け出して割り込もうとして、こちらを向いていたタウルやディエドラが邪魔で進めないと判断し、イーグーがラピを抱きかかえて腰を落とすまでに、何秒もかかっていない。せいぜいのところ、二、三秒だろう。その短時間に、イーグーは触媒も詠唱も動作もなしで、いきなり『即死』の魔法を使ってみせたのだ。
俺がムーアン大沼沢でこの魔法を使ったときには、一分近くもかけて詠唱し、やっと使えていた代物だ。それで蜘蛛は殺せても、黒竜は倒せなかった。今回相手どったコウモリは殺しやすい相手だったとしても、あまりにやり口が鮮やかすぎないか。ましてや、身体操作魔術のレベルが俺より低いのに。
もちろん、イーグーにはレッサースピリットなるものがくっついている。これがあると、魔法の威力が底上げされるのはわかっている。だが、それだけでここまで魔法の発動が速まるものだろうか? 魔法の道具もなしに? 人形の迷宮のレヴィトゥアにしても、派手に装飾された短い槍を手にしていた。恐らくは、あれが彼の魔道具だったのだろう。だが、イーグーは明らかに丸腰なのだ。
とにかく、考えている余裕はなかった。今もネズミの大群は半ばパニックになりながらその辺を這いまわっているし、コウモリもまだ、この宿営地の頭上を飛び回っている。
だが、ここで突然、この喧騒を突き破る轟音が響いてきた。
「きた」
タウルが短く告げる。もがいていたディエドラが泣きそうな顔で動きを止めた。アーノの口元には、静かな笑みが浮かぶ。クーやラピは、驚いて立ち尽くしていた。
「ファルス、任せた」
「わかった」
手強い魔物だからこそ、実力を確認済みの仲間に委ねる。タウルの判断は適切だ。
俺は剣を手に、遠くにいるであろう魔獣の気配を探った。
そのとき、宿営地のまさに真ん中から、思いもよらない絶叫が響いてきた。明らかに人の声ではない。巨大な鳥の声のような。ただ、微妙に野太い。コウモリではこうはなるまい。
思わず振り向いてしまったのだが、それだけでは止まらなかった。続いて、誰が聞いてもわかる断末魔の悲鳴が聞こえてきた。但し、これも人間のものではない。さっき耳にしたばかりの魔獣の声とそっくりだ。
その声が響き始めると、まず既に混乱していたネズミが、更なるパニックに陥った。彼らは来るときは鉄砲水のようだったのに、去る時はまるで花火のように、あらゆる方向へと逃げ去っていく。
同じく、コウモリ達も半ば恐慌状態に陥って、勢いよく飛び過ぎて枝に頭をぶつけたりしていた。だが、そのうちに四方八方に飛び去っていった。気づくと、さっきまで聞こえていた地鳴りのような魔獣の声も、いつの間にか止んでいた。
急に訪れた静寂に、俺は目を丸くした。俺だけではない。比較的冷静なのは、タウルとシャルトゥノーマだけだった。
「なるほど」
「なるほど、とは?」
彼女は肩の力を抜いて弓を下ろした。
「声色を真似て追い散らしたんだろう。なかなか見事なものだ」
それで思い出した。ペダラマンの配下の一人、ストゥルンだ。彼の声帯模写で、より強力な魔物の声や魔獣の死を演じてみせたのだ。それで動物達や接近しかけていた魔獣は、ここが危険な場所だと勘違いした。
ネズミやコウモリでは、怪我人は出てもなかなか死者は出ない。だが、魔獣が出てきたら、話は違ってくる。
「最初からやってくれれりゃいいのに」
フィラックが呆れ顔でそう言うと、タウルが首を振った。
「虫けらは、あれでは逃げない。ここまで引きつけないと、あれはできない」
「そんなことより、あっしはくたびれましたぜ」
その場にしゃがみ込みながら、イーグーは泣き言を口にした。
「よくやってくれた」
フィラックの感謝の言葉にも、棒に縋りつきながら彼は不満を口にした。
「はぁ、まぁ、そういうお褒めの言葉も嬉しいですがね?」
「なんだ、何が欲しい。金か?」
「そいつもいいんですがね……」
彼の視点は、足下に転がる黒い大コウモリに向けられた。
「タウルの旦那、ありゃあ食えるんですかね?」
「食える。肉は少ない」
「解体しろ、なんて言いやせんよね? さすがにもう、横になりてぇんで」
タウルは肩をすくめ、力なく笑った。
「虫が来ないよう、焼き捨てよう」
俺がそう言うと、ペルジャラナンが剣を鞘に戻し、周囲に落ちたコウモリを引きずって、一ヶ所に集め始めた。それを見て、クーも死んだネズミを拾い上げて、そこに投げ込んでいく。
よく見ると、この混乱に巨大ゴキブリどもも便乗したらしい。千切れた脚や羽の残骸が散らばっていた。さすがにこちらは手で直接触れて回収する気にはなれない。
死体の山に向けてペルジャラナンが手をかざすと、一気に燃え上がり始めた。
「さて、寝るか」
「一応、誰か見張りをしないと」
周囲を見回すが、誰も彼も疲労の色が濃い。それで、俺が予定通りに引き受けようと声をあげかけたところで、ノーラが手を挙げた。
「私がやる」
「いいのか? 疲れてるだろう」
「いいの。どうせ眠れないから」
何のことかと思ったが、少ししか眠れていないのもあり、俺は深く考えることができなかった。
「じゃあ、何かあったら起こして。僕らは寝る」
「うん、おやすみなさい」
ノーラも相当に眠そうだったのだが、あとで交代すればいいと思って、さっさと横になってしまった。
そして翌朝……
外が明るくなっていることに気づいて、ハッとした。慌てて跳ね起きて外に出る。
昨日と同じ場所にノーラは座っていた。居眠りもしていなかった。そして、休みなく手を動かしている……
「おは、よう」
俺はおずおずと声をかけた。
「おはよう、ファルス」
一晩中、何をしていたかと思いきや。
彼女の自慢の長い髪の毛。これにずーっと櫛を入れていたのだ。相当乱暴にやったらしく、抜けた毛が彼女の座っていた岩の周囲にパラパラと散らばっている。
「ああ、もう限界」
「少し休んだら」
「ファルス、その剣、ちょっと貸して」
逆らわずに手渡すと、彼女は慣れない手つきで自分の首の後ろに刃を持っていこうとする。
「危ない!」
俺は剣をひったくった。
「何をするんだ!」
「もう我慢できないの!」
声を聞きつけて、他のテントからも仲間たちが出てきた。
特に眠そうにしているのがラピだったが、他もそれぞれ、疲れが顔に出ていた。
「痒いのよ」
「何が」
「頭が! 大森林に入ってから、毎日毎日小さなノミとかダニとかシラミとかが、落としても落としても」
そういうことか。
長すぎる髪の毛ゆえに、そういう微細な虫の住処になってしまった。それが痒くてたまらない、と。
「髪の毛なんていらない。いっそハゲになりたいくらい」
横で見ていたシャルトゥノーマは、無言で踵を返すと、大きめのボウルを持ってきた。そこに水を灌ぐと、ジョイスに声をかけた。
「持ってて」
「ああ」
彼女はノーラを立たせると、指示した。
「深呼吸しなさい」
言う通りにすると、また言った。
「もう一回……息を止めて」
そのままシャルトゥノーマはノーラの後ろに回り、長い髪の毛の先端を纏めて掴んで上へと引っ張った。それから容赦なくノーラの顔をボウルの中に水没させた。
なるほど、ノミだろうとダニだろうと、呼吸ができなければ溺れ死ぬしかない。しかし、頭皮付近に棲みついていたのはそれでいいとして、今ので逃げ切ったのは……
「げぇっ」
「放さないで」
横に立っている俺にもはっきり見えた。ノーラの髪の毛を逆に辿って、小さな小さな虫けらが、シャルトゥノーマが掴んでいる髪の先端目指して這いあがっている。
「うええ」
ラピも身を縮めて、その気持ち悪い小虫の行列を横から眺めていた。思わず自分で自分を抱きすくめるが、その頭の中にもこういうのが大量に居座っているのに違いない。
「ファルス、そろそろ切って。この辺から」
「わかった」
そっと剣を添えて、ノーラの髪の毛を半ばから切り落としていく。シャルトゥノーマはそれを手早く泥の上に抛ると、おかっぱ頭になったノーラの頭を、なおもボウルの中に沈め直してゴシゴシ洗い出す。たまに首筋から上陸しようとするのが見つかるが、そこには容赦なく水を浴びせて溺れさせる。
「そろそろいい」
髪の毛を半分以上切られ、びしょ濡れになったノーラがようやく顔をあげる。水も滴るいい女……どころではなく、目には隈ができているし、表情からして気分も最悪なのがよくわかる。
「ほら、これ」
汚れた水でいっぱいのボウルの中に、木漏れ日が差し込んだ。覗き込んだ俺達は、一様に顔を顰めるしかなかった。
黒々とした小さな虫の死骸がプカプカ浮かんでいる。数えきれないほどに。
「髪の毛が短くても、少しずつはついてるから。どこかで洗い落とさないと」
「こんなのどうすりゃいいんだよ」
ジョイスが呆れ顔でそう言うと、彼女は頷いて、懐から小さな丸いケースを取り出した。
「この薬を塗れば、少しは虫除けになる。でも、もうあまり量がない」
「マジかよ」
「大丈夫。次の村の近くに、これの材料になる薬草の群生地がある。そこで採取して調合すればいい」
なるほど、それでシャルトゥノーマは平気そうな顔をしていた、と。
「ディエドラは? 虫には刺されなかったのか」
無表情なシャルトゥノーマとは違って、こっちはうれしそうだった。
「おマエらニンゲンとはチガう! ハハハハ、ザマァみろ! ニンゲンのクセにモリにハイるからダ!」
ジョイスは黙ってボウルの水を捨て、新しい水を注いで濯いで捨てた。それからまた、水で満たして戻ってくる。
そして、溜息をついた。
「次は誰だ?」
なお、ハゲの日は8/9、明日なのだそうです。




