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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十二章 緑の闇の中で
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サル肉パーティーとその代償

 木の葉を打つ音も、こうなってはもう、しかとは聞こえない。間断なく降り注ぐ大粒の雨は音という音を濁らせてしまう。あちこちから大きな声でのやり取りが聞こえてくる。土砂降りのせいで、互いの言葉がよく聞き取れないためだ。

 緑のドームのそこかしこが排水溝となり、そのすぐ下にはカフェオレ色の水溜まりができる。だが、そこは大森林のハンター達だ。グズグズせずに足下を掘り崩して排水路を確保する。ほったらかしにして蚊が集まったらひどい目に遭う。

 水が落ちてこない一角にうまく陣取って、ゲランダン達はさっさとサルの死体を解体し、焼きを入れた。結構な時間がかかってしまい、その間に周囲がすっかり暗くなった。これはしかし、無理もない。まず皮を剥ぎ、血抜きをして、更に内臓を取り除いてから、隅々まで火が通るようじっくり焼いたのだ。野生動物の肉など寄生虫入りが普通だから、ここで手を抜くわけにはいかない。


「待たせたな」


 ゲランダンとその手下達が、焼かれたサルの肉を手に、戻ってきた。


「ヒッ」


 ラピがその凄惨さに思わず悲鳴をあげかける。首がないほかは、ほぼ皮を剥がれたままのサルだ。小さな人間の焼死体みたいなもので、見た目にはまるっきり食欲を感じさせない。

 骨も内臓も抜いてあり、表面の皮も剥いであって、しかもしっかり火を通したせいか、かなり縮んでいる。それでも頭なしでもサルの身長は五十センチ近くあるし、かなり大ぶりな肉ではある。それをサルの背中から胸にかけて開けた穴に鉄の棒を通して、ここまで運んできたのだ。


「約束通り、半分だ」

「多すぎる」


 俺は周りを見回した。


「四つでいい」

「そうか。じゃあ、遠慮なくもう一個はもらうぜ。ああ、そうだな、アワルのところにまわしてやるか」

「そうしてください」


 それで彼が顎で指図すると、手下の一人が鉄の棒からサルを一匹分、手掴みで引っ張り出して、持ち去っていこうとした。


「ああ、待て。俺とラーマの分……ああ、チャックもいやがるか。いいや、それ、そのまま置いといてくれ」


 戸惑う部下に彼はゆっくりと歩み寄り、近くに据え付けられた木のテーブルを引きずってくると、そこにサルの焼肉を転がした。部下から鉈を受け取ると、それで乱暴に肉を叩いて切り分けた。


「三人、三人……ああ、ちょうど十五人分か。わかりやすくていい」


 ダン、と鉈が振り落とされ、肉が千切れていく。部位を考慮はしない。乱暴にサルの腕だけ、胴体だけ、足だけと、おおまかな分量だけで彼は片付けた。


「さ、食おう。塩くらいはあるよな」

「ええ」


 クーが壺から塩を取り出し、小皿に移して、焚火の近くに供した。椅子なんて上等なものはないので、俺達は枯れ葉の上に直に座った。

 さて、ゲランダンは当然のように俺の隣に座った。そのまた向こうにはチャックが。一方、ラーマは反対側、タウルの横に笑顔で腰を下ろした。

 その様子を見ていたフィラックは、微妙な顔をして、チャックの横に座った。一方、焚火の向こう側にいるディエドラは、ものすごい目でゲランダンを睨みつけている。自分を捕まえた連中がここにいるのだから、当然の反応だが。

 無論、ゲランダンはというと、そんな悪意をいちいち気にするような男ではない。馴れ馴れしく俺に笑いかけ、話を切り出した。


「どうした? こんな上品なものは食えないか」

「いえ、立派な食べ物ですよ」


 そう言いながら、俺は視線を右に向ける。そこに陣取っていたノーラは、迷わずサルの腕に食らいついていた。それを見ていたラピはまた小さな悲鳴をあげたが。


「ははっ、お嬢様かと思いきや」

「どうしてお嬢様だと思ったんですか?」


 思わず漏れた一言なのだろうが、それが命取りだ。これで答え合わせができた。

 やはりこいつは、俺達の身元を調べたのだ。先のサハリアの紛争での出来事まではわからずとも、俺の名前や身分、それにピュリスの商会のことくらいまでは把握しているはずだ。リンガ商会を取り仕切る副会長という肩書を知らなければ、ノーラをお嬢様とは呼ぶまい。


「ノーラはティンティナブリアの農民の娘ですが」

「あ、ああ、そうだったのか。なに、あんまりかわいらしいんでね。貴族か騎士の家の生まれかと思った」

「わかります」


 この対応で情報の精度がわかろうものだ。ただ、ある程度は演技かもしれない。決めつけずにいこう。


「で? 食えるかい?」

「そうですね」


 どんなものでも料理。毒や衛生面の問題がない限り、俺が食を粗末にすることはない。


「おっ、いったか」

「少し焼き過ぎですね。多少の臭みは、これは仕方がない」

「ほほう、食通だ」

「これは腕の肉ですか。なかなかに噛み応えがある」


 食用に改良された牛や豚には遠く及ばない。だが、飢えを満たすためとするなら、十分以上のものだと思う。こういう肉は、部位によっては結構なエグ味もあったりする。多分、胴体部分の肉を割り当てられた人は、通でもない限り、残念な思いをするだろう。


「逞しいな」

「皆さんにとっては、割と普通でしょう?」

「そうなんだが、このサルの肉は久しぶりだ」


 そう言うと、彼は余った手で頭をガリガリ掻いた。


「こいつは不運の肉だからな」

「どういうことですか」

「ペダラマンのところは、これ抜きだ。あいつのところのバカが先走って槍を投げやがったもんでな」


 このサルは、仲間が危険にさらされるなどすると激昂して、フンを投げつけ始める。興奮すると未消化のフンでも無理やり絞りだしてぶつけてくる。これがひどい悪臭を放つ。

 問題は、その悪臭に虫が惹きつけられることだ。すると、その虫を捕食する小動物も追いかけてくる。更にその天敵といった具合に、状況がエスカレートしていくわけだ。そうした事情から、宿営地でこのサルを殺そうものなら、降り注いだ汚物が大森林の虫けらから魔物まで、数多くの敵を招き寄せることになる。といって、夜間に寝床を変えるのもハイリスクだ。こうなっては乗り切るほかない。


「今夜は大変なことになりそうですね」

「ああ、安眠できるといいな、ははっ」


 初回の遭遇などなかったかのように、彼は実に親しげに話をしてきた。


「ところで」

「はい」

「俺ぁわかんねぇんだけどな。お前、フォレスティア王タンディラールの騎士なんだろう?」

「そうです」

「なんで赤の血盟が出てくるんだ」


 言い訳は考えておいたが、少し言い澱んだ。そこを気にしてか、フィラックが口を挟んだ。


「ネッキャメルの族長にしてサハリアの盟主ティズ様が、特別に目をかけるようにとおっしゃったからだ」

「だから、その理由を訊いてるんだろ」

「僕も、貧農の子です」


 ボロが出てはまずい。俺は急いで答えた。


「シュガ村というところで売られた、ただの子供だったのですが……ティズ様の兄にあたる方で、ミルーク様という方が僕を買い取ってくださったのです」

「ほお?」

「その後、ミルーク様のおかげでピュリス総督の家僕として働くことになりましたが、それもあって運よく国王陛下に目をかけていただき、今があります」

「ふーん?」


 髭を掻き回しながら、ゲランダンは考え込んでいた。


「あー、すまねぇ。よっくわかんねぇんだけどよ。俺が知ってる話じゃ、フォレスティア王家と赤の血盟、そんなに仲良かった気がしねぇんだが」

「僕に言われましても」

「それもそうか。チッ、本当のとこはわっかんねぇな。俺ぁずっと大森林にいたからよ」


 だが、すぐ切り替えたらしい。


「でもじゃあ、昔はどうあれ、今はいいとこのお坊ちゃんなわけだ」

「お坊ちゃん……はい」

「そんなお坊ちゃんがなんでわざわざ大森林に潜ろうってんだ?」

「点数稼ぎですよ」


 俺は肩をすくめてみせた。


「正直なところ、これまでのところは陛下のご都合もあって、無理やり拵えた経歴しかないんです。そろそろ武功の一つでも挙げておかないと、近衛兵団に入れてもらえませんから」

「無理やり? なんだそりゃ」

「詳しくは言いにくいのですが、まぁ、この冒険者証のランクの高さを見ればわかるかと」

「ふん」


 彼はガブリとサルの肉を噛みちぎり、飲み込んだ。


「で、武功って、何をしたいんだ」

「そうですね」

「なかなか弓が得意みてぇじゃねぇか。グリフォンでも狩るってか」

「悪くなさそうです」

「ハハッ、まぁ、飛んできてくれなきゃ、仕留められんだろうしな」


 だが、笑いを収めると、彼は真顔で尋ねた。


「ってかよ、んなもんじゃねぇだろ」

「と言いますと」

「そんなんだったらお前」


 フィラックを顎で指し示しながら言った。


「お前は関門城に居座ったまま、俺やこいつら使って狩らせときゃ済むんだろが。金はあんだから」


 痛いところを突かれた。言われてみればその通りだ。


「俺は本音を聞きたいんだ。何が欲しくてこんなところまで来やがった?」

「そうですね」


 いっそ、本当のことを言ってごまかすか。

 開き直った俺は、そう決めた。


「ルークの世界誌に書かれている不老の果実があったら、欲しいですよね」

「は?」

「聞いたことないですか?」


 さすがの彼も、これには意表を突かれたらしい。キョトンとしていたが、いきなり笑いを爆発させた。


「ハッハハ! そうかそうか。おとぎ話を探しに来たってかぁ?」


 それだけ聞くと、彼はさっと立ち上がった。


「ま、面白い話ではあったな」


 それだけ言うと、彼は背を向けて立ち去ろうとした。


「今のうちに休んどけ。もうじき、雨が止んだら寝るどころじゃなくなるぜ?」


 横で様子をチラチラ見ながら少しずつサルの肉をかじっていたチャックは、まだ食べかけなのに慌てて立ち上がった。


「あっ! ボス! ねぇ、ちょっと! あ、失礼します……それじゃ」


 ゲランダン達が去ってからしばらく。既に周囲は暗く、焚き火の他に明かりもない。雨が降り止む気配はなく、俺達の宿営地は音のベールに覆われたままだった。

 雨がやまないのは、この際、好ましいことだ。臭いを洗い流してくれるから。彼が言った通りであるとすれば、この雨が止むことで、先のサルどもの汚物の臭気が、小さな虫けらを招き寄せることになるからだ。夜が明けるまでは、迂闊にこの場所を放棄するわけにもいかない。

 交替で見張りを立てることにした。最初はジョイス、続いてタウル、最後に俺。そういう順番と決まった。となれば、時間と体力を無駄遣いせず、さっさと寝るのが上策だ。俺達は揃って、それぞれのテントに入って横になった。すぐ頭上の大木のおかげで、ここまで濡れることはなかったから。


 次に意識の火が小さく点ったのは、近くのテントの内部から聞こえる、小さな物音だった。ドタンバタンとうるさいなぁ、今、何時だと思ってるんだ……とボンヤリ考えて位置に思い至った。あれはノーラとラピのいる場所……

 ハッとして跳ね起きようとした。その時、腕の皮膚に違和感をおぼえた。


 何かが小さく俺の腕に爪をたて、かきむしるような、くすぐるような。

 すぐさま意味を悟った俺は、叫び声をあげそうになった。三センチはある大きな赤黒い蟻のような虫が、列をなして一方に向けて行進していた。俺の腕を通り道にして。

 振り払いたいが、変な動きをしたら噛みつかれるかもしれない。痛みはいいとしても、変な毒でもあったら面倒なことになる。


 そしてこういう時、俺が持っている能力のほとんどは、何の役にも立たなかった。なるほど、剣をとれば、一匹ずつ的確に殺すのは難しくない。だが虫けらは無数にいる。魔法は? 火魔術は、敵が離れていて、何かを巻き込む心配がない場合にしか使えない。身体操作魔術は強力だが、こういう虫を一匹ずつ潰すには全く不向きだ。腐蝕魔術ならこいつらを一掃できるが、汚染が周辺に広がってしまう。魔眼でも一瞬で片付けられるものの、これまた大勢が巻き込まれて犠牲になる。

 それより、この虫けらは何が狙いだ? まさか……


 寝る時にも腰に巻いたままのポーチにそっと触れる。そこに虫がとりついているのがわかった時、俺は考えるのをやめた。バクシアの種が失われたら、その損害は……


「こっ、このっ! クソッ!」


 俺が跳ね起きると同時に、テントの入口が引き開けられた。


「ファルス!」

「タウル、虫が」

「なるべく殺すな! 臭いがつくぞ!」

「また臭いか!」


 うんざりしながら、俺はその虫どもを自分の着衣とポーチから払い落とした。

 ブーツを履こうとして、ひっくり返して乱暴に叩いてみる。やっぱり虫が落ちてきた。


「貸せ!」


 タウルがブーツをかっさらい、何度か乱暴に地面に叩きつけて、中に指を突っ込んで確認した。それを受け取り、手早く履く。

 俺がテントから出るのと同時に、ノーラとラピが外へと転がり出てきた。


「そうだ、ディエドラは?」


 俺が急いでテントに駆け寄り、入口を引き開けると、そこには膝を丸めて座る彼女と、なぜかシャルトゥノーマの姿もあった。餌になるものがないためか、どういう理屈かはわからないが、虫どもはテントの真ん中を行進しつつも、二人にはまるで気づいていないかのように、黙って通り過ぎていた。

 とりあえず、俺は二度にわたってディエドラのテントにいたシャルトゥノーマに問い質した。


「何をしている」

「雨が止んだ。これから厄介なことになる。だから起こしにきた」


 俺は身振りで外に出るよう、指し示した。それから少しして、二人とも外に出てきた。


「ギィイィ」

「これは、なんとも」


 ペルジャラナンもアーノも、見るからに不機嫌そうだった。睡眠は妨げられるわ、虫の数が多すぎて殺してもきりがないわで、どうしようもなくて這い出てきたのだから。


「慌てなくていい。虫どもの狙いはあっちだ」


 タウルが指差したのは、寝る前にあのサルどもの集中攻撃を浴びた一角だった。


「じゃ、じゃあ、外で待っていればいいんですか?」


 クーが尋ねると、タウルはゆっくり首を振った。


「虫を追って、今度はネズミどもがくる。ネズミから食料を守る」

「は、はい」

「ネズミを追ってコウモリどもが飛んでくる。それを追って、魔物もやってくる」


 冗談じゃない。サルの肉一つでこれか。


「じゃ、どうすれば」


 その問いに、タウルは木の棒をクーとイーグーに握らせた。


「荷物をこの木の横にぴったりつけて、ネズミが来たら追い払え。ラピ、お前もこっち。コウモリより大きいのは、こっちでやる、それとフィラック」

「なんだ」

「その獣人の鎖をしっかり握ってくれ。戦うのはファルス達に任せる」

「わかった」


 フィラックの返事は、しかし、森の中から聞こえる無数の金切り声に掻き消された。

 そう思うが早いか、暗がりの中から灰色のネズミ達の大群が、まるで鉄砲水のように列をなして雪崩れ込んできたのだ。

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[良い点] ジョイスが猿を食べるって共食いですよね、よく考えたら。 [一言] >いや、なんでもやってよくて、学ぶ機会とかいろいろ恵まれているところからのスタートでよければ、理系の研究者になりたいですね…
[気になる点] 獣人たちがどうやって虫の襲来に対処したのか。現実の軍隊蟻に対して、動かないことで生き物と思われなくする方法をとっている生物のことを連想しました [一言] 水魔術さえ使えればなぁ、洗い流…
[一言] > 睡眠は妨げられるは、虫の数が多すぎて殺してもきりがないはで この「は」は副助詞ではなく終助詞なので「わ」では? 間違っていたらすみません。 不幸祭りありがとうございます。 大森林はて…
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