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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十二章 緑の闇の中で
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大森林の洗礼

 黒い土の上には、崩れかけた落ち葉が尽きることがない。大勢の冒険者達に踏み均されてきたこの道の真ん中には、草がほとんど生えていない。それでも湿り気は保たれており、若干の粘り気のある地面には大勢の足跡が刻まれていた。中には足を滑らせたらしい形跡もある。

 見上げれば緑のアーケードがずっと向こうまで続いている。今は緩やかな登り坂だ。黒い地面、列をなす男達、その向こうには緑の天井が続くばかりで、青空は一向に見えない。


 それでも空気にこもる熱気と湿気が、今の時刻を教えてくれている。そろそろ昼が近い。

 明け方、関門城の前を出発したときには、まだ涼しさが残っていた。空が薄曇りで、直射日光が差し込まないのもよかった。完全に夜が明けて青空が入道雲の合間に顔を見せるようになる頃、俺達は関所になっている出城の横を通過した。この丸い砦こそが、魔物の来襲を告げるためにある前線基地だ。ここを抜けると、本格的に大森林の魔境に突入する。

 それからはずっと頭上は緑に覆われたまま。どういうわけか平坦な道がほとんどなく、黒土の斜面を登ったり下りたりの繰り返しだ。そうこうするうち風の流れが滞り、じわじわと蒸し暑さが周囲一帯を覆いつくした。草木の吐息、荷物を運ぶ男達の汗、水気を吸った地面の臭いが混じりあって、噎せ返るような空気が充満していた。そんな中、たまに羽虫の飛び交う音が耳元をかすめる。いちいち耳障りだった。


 前から一人の男が小走りになって駆け戻ってくる。伝令役だ。


「休憩ー、休憩ー」


 行軍速度はごく遅い。それもやむを得ないことだ。俺は自分の荷物だけを背負っている。何かあった時、すぐに戦えるように、身軽にしているのだ。おかげで苦労は小さい。

 だが、ポーター達は違う。荷物運びが主任務の彼らには、重い負担が課せられている。現在、隊列はペダラマンの班が先頭で、ゲランダンが最後尾だ。なお、監督官のディアラカンは、ゲランダンの班に護衛されている。

 その間に俺達の班、その後ろにアワルの班が並んでいる。アワルは、ケカチャワンを渡るために必要なボートを運搬する、一回きりの往復に付き合う人足も指揮している。この人足の移動速度が遅いのだ。

 休憩は、そうした重い負担を引き受けた男達のためにある。ペダラマンは、自分の経験から判断して、適当なタイミングで足を止めさせていた。


「ふいーっ、いや、これはありがてぇ」


 イーグーは、近くにあった石の上にどっかと腰掛ける。


「っと、すいませんね、若旦那の座るところがありゃあしねぇ」

「ああ、そのまま。座ってください」

「いやっはは、実はへばってましてねぇ」


 俺達の班は、ポーターの数が少ない。傍からはそう見えないが、戦闘力に偏っている。

 班の中で先頭をいくのがタウルだ。もういつもの軽装ではなく、カリで買い求めた黒い装束に着替えている。彼はこの班の斥候役だ。続いてアーノとメニエ……シャルトゥノーマがその後ろを固める。彼らも荷物は自前の分だけ運んでいる。前方から魔物が現れた場合に対処するのがその役目だ。真ん中で纏まっているのが俺とノーラ、ジョイス、そしてイーグーだ。その後ろに続くのがクーとラピ、彼らに鎖を掴まれたまま従うディエドラで、最後尾にペルジャラナンとフィラックがついている。

 要するに、前後を大人の戦士に守られて、真ん中に女子供がいる。すると荷物持ちは、必然的にイーグーしか残らない。実際、彼は山のような量を一人で担いでいた。


「探索は始まったばかりですからね。苦しいようなら、もっとこちらで持ちます」

「いやぁ、あっしはこんなもんでしか役に立てませんからね、しっかりやりますよ。けど、何かあったら旦那様方が守ってくれねぇと、どうなるかわかんねぇですぜ」


 よく言う。俺や俺に改造されたノーラやペルジャラナンを除けば、明らかに最強の人物なのに。この量の荷物を背負えるのだって、身体操作魔術のおかげだろう。疲れた疲れたと言っているが、本当はそうでもない。

 つまりこれは、監視に専念して危険に対処する仕事はしませんよ、という意志表示だ。


「いや、助かってるよ」


 後ろから歩み寄ってきたフィラックがそう言う。


「まさかこんなにたくさん荷物を持ってもらえるとは思わなかった。これは報酬を弾まないといけないな」

「へっへへ、そいつはありがてぇ」

「戦うだけが仕事ではない。立派にやり遂げてくれれば、その分の見返りはあるべきだ。な、ファルス?」

「ええ、もちろんです」


 にしても、いつの間に魔法を使ったんだろうか。割と近くで見ていたのに、詠唱する様子もなかったし。


「どうだ」


 前から戻ってきたタウルが俺達の輪に加わる。


「まだ森の入口。具合の悪いことがあったら今のうちに言え」


 軽装のクーとラピは、それぞれ長袖の服を着ているとはいえ、既に疲れが見て取れた。


「どうした?」

「いえ、坂が多いんですね」


 するとタウルは頷いた。


「大森林には『丘の上で眠れ』という言葉がある。楽をしようとして丘を避けて歩いても、いいことはあんまりない」

「ちゃんと理由があるんですか?」


 ラピの質問に、タウルは再び頷いた。


「大森林といっても、全部が全部、森じゃない。こういう黒土と背の高い木が生えるところがまず一つ。それから、川が流れるところがもう一つ。最後に、丈の低い木がまばらに生える沼地がもう一つ」

「沼?」

「坂が多いのはこういう黒土のところ。だいたい木が生えていて、日差しも差し込まない。暑さもそこまでじゃない。歩くのは大変。でも沼よりはいい」


 想像すればすぐわかることだ。沼地にはさまざまな困難がある。


「沼は、地面が柔らかい。平坦な場所でも足を取られる。日差しもあまり防げなくて暑い。魔物や虫も多い。急な鉄砲水がきても、逃げ切れない。横着して丘を避ける探索隊は、だいたい全滅する」

「そ、そうですか……」


 ということは、この上り下りを続けなくてはいけない。文句も言えない。ラピは引きつった笑みを浮かべた。


「反対に、丘の上にはいいこともある。日差しは通りにくい。風が通ることもある。鉄砲水も届かない。食べられる木の実や果物が見つかることも多い。それに、運が良ければ地面から黄金が見つかる」

「黄金!?」

「この辺ではまず無理。だけど、奥地の丘では、たまに埋まっている」


 そんな会話をじっと眺めていたイーグーが、すっと立ち上がる。荷物を背負ったまま。


「お嬢様がた、こちらどうぞ。泥んこの上に座るのは落ち着かねぇでしょうし」

「えっ」

「あっしはもう、休めたんで」


 クーとラピは目を見合わせた。明らかに大きな労苦を引き受けているのはイーグーだったから。休ませてもらうのは、さすがに厚かましい。


「座っておいてくれ。ちょっと足を休めるだけでも、全然違う」

「そ、それでは。申し訳ございません、ご主人様」


 奴隷から解放する……つもりだったのだが、結局手続きはできなかった。というか、ウンク王国の関門城以南の地域では、そもそも奴隷と平民の境目がない。

 なら、この探索の間は、他のメンバーと同じように扱うだけだ。そして、すべてが終わったら別のところで平民に戻せばいい。


「にしても、ゆっくりすぎるな」


 フィラックがこぼした。


「こんなもの。人数も多い」

「どれくらいかかる? ケカチャワンという河まで出るんだろう」

「早くて十日はかかる。もしかすると、もっと。途中、小さな村にも立ち寄る。そこで休みもとるなら」


 実は奥地には、脱法移民でない人々の村もある。身元を確かめられた上で、王国から免状を発行されている集団だ。といっても、荒くれものの襲撃がまったくないでもない。要は脱法移民よりはマシ、という程度だ。

 ただ、そうした奥地への移住にメリットがないのでもない。関門城付近の土地は粘土質で農地に向かないのだが、この黒土の丘では作物が割合よく育つ。だから開拓地としては望ましい場所であるといえる。魔物や無法者が出没する点を除けば、だが。


「すると、翡翠の月が終わるくらいまでかかるか」

「少し気がかり。碧玉の月は雨が多い時期。すると」


 思い至って、俺も溜息をついた。


「川の増水、か」

「そう。沼地も危なくなる」


 一気に大雨が降ると、大木でも根っこから引き抜かれたり、へし折られたりして、濁流に押し流される。それが川を遡行する俺達に襲いかかるわけだ。


「魔物も活発になる」

「関係あんのか?」

「沼地が水浸しになる。餌も見つけにくくなる。寝る場所もなくなる。そうなると」

「あー、そっか」


 増水の時期には、魔物が活動的になる可能性も高い。といって、乾季を待てばいいかといえば、そう単純でもない。


「水が減ったら減ったで、川べりに魔物が多くなる。どちらにしても、ここは危ないところ」

「なるほどな」


 タウルの意見も参考になるが、できればごく最近まで現場にいた人間の声を聞きたい。そうなると、俺の班はほとんどダメだ。

 俺、ノーラ、ジョイス、ペルジャラナン、フィラック、クー、ラピ、イーグー、アーノ……揃いも揃って余所者だ。タウルは大森林出身者だが、ブランクが長い。そうなると、案内人として適格なのは、やはりディエドラと、シャルトゥノーマだ。そして、この森林の浅い層を自由に歩き回った経験となると、前者には期待できなさそうだ。


「メニエ、何か気付いたことがあれば教えて欲しい」

「いや」


 彼女は相変わらずの無表情で、静かに答えた。


「これだけ大きな集団で移動していると、大抵の魔物は避けていく。いつもはこの辺にいる虫けらも、逃げ去って近くにいない。まぁ、もう少し奥地に進めば、いやでも見かけると思うが」

「今は安全ということかな」

「それはそうとも限らない。逆に物音に反応する魔物が」


 そこで彼女は言葉を切った。

 視線は、石の上に座り込んで、もう舟を漕ぎだした二人に向けられていた。


「なに」

「シッ」


 何があったのだろうか? 俺は、二人の背後の森に目を向けた。石の向こうには丈の低い下生えがあり、その向こうは木々の茂る森が続くばかり。魔物や猛獣の姿は見えない。

 だが、彼女は腰の短刀を引き抜き、そっと二人に歩み寄った。小枝を踏み、それが折れて小さな物音をたてる。


 クーがそれで目を覚ました。


「あっ、済みません」


 慌ててシャルトゥノーマは指を唇にあてた。だが、遅かった。


「キャアッ!?」


 いきなりラピが悲鳴をあげた。寝惚けて前のめりになったところを、急に足を引っ張られて、地面に叩きつけられたのだ。そのままズルズルと引きずられていく。同時にクーも引き倒されて、森の奥へと滑り込んでいった。

 考える前に体が動いていた。それは俺だけでなく、シャルトゥノーマもアーノも、それにペルジャラナンも同じだった。


 誰より早く駆けだしたアーノが一瞬のうちに刀を抜き放ち、地面をかすめるようにして振りぬいた。黄金色の輝きが弧を描き、ラピはそこで止まった。

 クーも引っ張られていたが、先に目覚めていた彼は、咄嗟に木の幹に縋りついていた。


「待ってろ!」


 そう叫んで手を伸ばす。その瞬間、クーが力負けして幹を手放した。だが運よく、腕に俺の手がかかった。

 引っ張る力が思った以上に強く、俺まで引きずり込まれそうになる。クーの手を掴んだまま、俺はグッと腰を落とした。それが不意に軽くなり、俺はクーを抱えたまま仰け反ってひっくり返った。

 ペルジャラナンが、クーの足にかかっていた緑色のロープのようなものを断ち切ってくれたのだ。


「なんだこれ」


 クーとラピの足に絡みついていたのは、蔦のようなものだった。足首に強く絡みついており、肌に触れた部分は赤く腫れている。


「触るな。すぐ水洗いしろ」


 シャルトゥノーマが言った。知識があるらしく、タウルもすぐ自分の水筒から水をぶちまけて、クーの足首に振りかけている。


「弱い毒がある。こいつに絡みつかれると、滲み出た毒液のせいで、触れられたところの感覚がなくなる。そうしてしっかり掴んでおいてから」


 サクサクと森の中に踏み込みながら、彼女は続けた。


「ここだ。この穴。見えるか。わかりにくいが」


 確かにそこには、黒ずんだ空洞があった。周囲を下生えに取り囲まれていてわかりにくいが、水溜まりのように見えた。


「こんな森の浅い所で見かけるのは珍しいが、だからこそ今日まで見つけられなかったのだろうな」

「どういうことですか?」

「この魔物……俗に『人食い』などと呼ばれるが、普通はこうして襲ってきたりはしない。ただ、宿営地の近くに生えていると厄介なことになる」


 基本的に、獲物を自前の袋の中に引きずり込む蔦しか攻撃手段がない。逃げることもできない。だからこいつは、物音が……具体的には地面が震動しているうちは、何もしない。ただ、人や獣が寝静まると、物音があった場所にゆっくりと蔦を伸ばし、絡ませる。もともと標的は眠っているし、蔦自体が毒液を分泌させて感覚を麻痺させるので、いざ穴に引きずり込もうというときでなければ気付かれない。そうして一気にこの穴に引き寄せると、上から蓋を閉じてしまう。中には消化液がいっぱいに詰まっており、餌食になった人は呼吸もできずに一分ほどで溺れてしまう。あとはじっくり消化すればいい。


「で、どうやって片付ける? さすがに、こんな毒液の中に、この刀は突っ込みたくないのだが」


 アーノが呆れたように言う。さっき気付いたのだが、その刀はやはり黄金色をしていた。由緒ある品なのだろうか? それに材料になっているのはなんだろう? ミスリルでもないし、アダマンタイトはこんな風にはならない。オリハルコンは加工次第で色がある程度変わるが、あれは硬度の関係から、こうした武器には向かないはずなのだが。


「安物の槍があれば、根のあるところまで一気に刺し貫くという手もあるな。あとは、よくやるのが岩を投げ込むという方法だ。こいつの蔦では、この穴の中に入り込んだものを引っ張り出すことはできない」

「さっきの岩を引っこ抜いてここまで持ってくれば」

「それは面倒だし、手間だな」


 あれこれ話し合っているところに、ペルジャラナンが割って入った。


「ギィ」


 理解した俺は、無言で皆を下がらせた。彼の指輪が赤く輝き、次第に橙色、そして黄色、白へと変色していく。頃合いやよしとばかり、彼はすぐ足下の穴に手をかざした。

 ボコッと消化液がはねた。触手のような蔦がのたうつ。それを彼は迷わず焼き払った。一瞬、『人食い』の消化管を縁取る蓋の部分が、ゴッと炎上して、すぐに火が消えた。と同時に、ピアシング・ハンドからも生存の表示が消えた。

 消化液をじっくり加熱して沸騰させ、蔦や上蓋を焼き払う。それでこいつは息絶えた。


「やれやれ」


 アーノは肩をすくめた。

 ジョイスも苦笑いしながら呟いた。


「今夜から、寝るときには気をつけねぇとな」


 その時、背後の道に足音が響いた。


「出発ー、出発ー」


 どうやら休憩時間は終わりらしい。

 先に進まなくては。

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― 新着の感想 ―
[一言] お姉さん:「ここだ。この穴。見えるか。わかりにくいが」 ショタ君:「確かにそこには、黒ずんだ空洞があった。周囲を下生えに取り囲まれていてわかりにくいが、水溜まりのように見えた。」 お姉さ…
[気になる点] にしても、いつの間に魔法を使ったんだろうか。割と近くで見ていたのに、詠唱する様子もなかったし。 レッサースピリットを宿していたレヴィトゥアも、無詠唱で魔法使ってませんでしたっけ? …
[良い点] ぎぃ [一言] 蔓、触手、麻痺毒、消化液(衣類限定)、、、うん。コイツは有能だ
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