説得は肉体言語で
ふかふかのクッションと長椅子。焦げ茶色の木枠に真っ赤な座面が映える。同じく幅広の丈の低いテーブルが置かれた。そこに質素な服装の侍女達が、神妙な表情を浮かべてすり足でやってくる。手に捧げ持っているのは色とりどりの皿。熱々のスープに蒸しパン、串焼き肉、サラダ、それに煮魚。
長椅子の上に座っているのはたった一人。白い髪の上に突き立つ耳は、テーブルの上に皿が新たに置かれるたび、ピクピク動いた。
ベルハッティは俺の我儘を聞き入れてくれた。王室の料理人に命じて、この国において提供できる最高級のディナーを用意させたのだ。それも俺のためではなく、獣人のために。
そこには彼なりの興味があるに違いない。既に俺はペルジャラナンを従えている。実際には支配しているわけではないのだが、傍目にはそう見える。では、獣人も同じように飼い慣らすはずだ。だが、どうやってやるのか。
目を潰すとか、暴力で脅すとか、そういう方法で亜人や獣人を大人しくさせた例はいくらでもある。だが、ペルジャラナンのような、どこから見ても魔物でしかない存在を、言葉一つで自在に操るとなると、これはもう理解の外だ。ぜひとも実例を目にしたいところなのだろう。
「食べ方はわかるか」
俺は食器を指差した。するとディエドラは、険しい目つきで俺を睨んだ。馬鹿にするな、それくらいわかっていると言いたげに。そして彼女は迷わずスプーンを手に取り……それを逆手に構えて振り下ろした。蒸しパンの上に。
そういえば、ここ二、三日の間は、手で掴んで食べられるものしか与えていなかった。彼女の普段の食生活などわからない。ただ、悪食のような能力を持っているところからして、ろくなものを食べていなかっただろうことは想像できる。加熱して寄生虫を殺した肉なんか、必要とはしていないはずだ。
それでも今日は、あえて人間のご馳走を与えてみた。これは俺なりの意思表示だ。話し合う気がある、それなりの待遇をしてもいいのだと、それを目に見える形でわからせるために。
それにしても、見るからに食べにくそうだった。テーブルマナーについては、とやかく言うまい。ただ、食器の適切な使い方がわからないらしい。逆手に持ったスプーンではスープを飲むのは難しいのだが、彼女はそのままのポーズで戸惑っていた。口を直接スープ皿に近づけようとしてやめたり……とにかくこちらに舐められたくないのだろう。しまいには、まるで刃物で自分の喉をつくような格好で、逆手に持ったままのスプーンでスープを掬って、絶妙なバランスを保ったまま飲んでみせた。
「うまいか」
「フン」
味が悪いはずはない。獣人の味覚が人間と異なる可能性はあるが、まずければ食べるのをやめたりもするだろうし。
しばらく待つことにした。俺の後ろで、他のみんなも大人しく様子を見守っている。そしてディエドラはというと、衆人環視の下、一切を気にかけずにマイペースで飲食を続けている。これをふてぶてしいとみるか、肚が据わっていると評価すべきか。
並べられたのは結構な量だったが、やがて彼女はすべてを食べ尽くした。
「もっと食べるか?」
俺の質問に、彼女は気だるげな視線を向けるばかりだった。
「わかった。デザートにしよう」
俺がそう言うと、すぐ後ろから侍女が一人進み出て、小さな皿を置き、また銀色の小さなスプーンを添えた。獰猛な獣人を前にした侍女は努めて怯えを隠していたが、ディエドラの方はといえば、じっとその様子を窺うばかりで、害意のようなものは見えなかった。
さっきしたように、彼女は小さなスプーンを逆手に持って、小さなケーキに突き刺した。ただ、ケーキは思った以上に脆く、持ち上げようとしたところで下半分が皿に落下した。これを失敗と捉えた彼女は繕おうとしたが、俺達がじっと見ているのに苛立ってか、急にスプーンを放り出した。そして直接手掴みして、ケーキを頬張った。
その瞬間、目を見開いた。甘いものを食べたことなど、これまでなかったに違いない。
「気に入ってくれて嬉しい」
俺は思わず頬が緩んだのを感じた。初めての甘味にディエドラが驚くだろうことは期待していた。ただ、それだけではない。
甘いものはおいしい。その喜びを俺は知っていて、彼女は知らなかった。今、それを伝えることができた。
それが気に入らなかったらしい。顔を顰めたディエドラは、食べきれなかったケーキの残りを投げつけようと身構えた。
だが、急に思い直したのか、俺を睨みながらまた、残りを口に入れた。ほっとしたのは言うまでもない。せっかくのデザートを粗末にしてほしくはなかったから。
なんだかんだお気に召したらしく、彼女はケーキを最後まで食べ、しまいにはクリームのついた指を舐め始めた。及び腰の侍女がやってきて、手洗い用の鉢を持ち込むと、察したディエドラは乱暴に手を突っ込んだ。
「名前を訊いてもいいか」
相変わらず、彼女は俺をじっと睨みつけるばかりだった。
「話ができないと困る。名前を教えてくれと言っている」
彼女はしばらく黙り込んでいた。だが、ようやく言った。
「ディエドラ」
「そうか。僕はファルスだ」
俺の自己紹介を、彼女は鼻であしらった。相変わらず敵対的な態度だが……
思うに、彼女を口説く余地は大いにある。その手掛かりは、ピアシング・ハンドが与えてくれていた。
「それでディエドラ」
だから早速、切り込むことにした。
「人間の世界に、何しに来たんだ」
この質問に、彼女は怒りを露わにした。
「おマエらがカッテにツカまえたんだろう!」
「半分はそうだ」
「ハンブン? ナニがハンブンだ!」
だが、俺の目はごまかせない。
「お前は人間の世界を見に来た。そのせいであいつらに捕まったんだ」
でなければ説明がつかない。どうしてディエドラにシュライ語の知識があったのか。なぜこうして会話ができるのか。
なるほど、シュライ語は南方大陸の共通語だ。実際どうだったかは記録もないしわからないが、仮にイーヴォ・ルーの時代から共通語として使用されていたのであれば、獣人が知っていても不思議ではない。だが、そういう使われ方をしていた言語だったのなら、もっと堪能でもいいはずだ。それが僅か1レベルでしかないという事実からすると……つまりはディエドラは、恐らく割と最近に人間と交流を持ち、言語を習得する機会を得た。そして、伝聞によって人間社会に興味を抱いたのだ。
「お前は人間の世界に用がある。そうだな?」
「ウルサい!」
「何がしたい? 今、食べたようなご馳走が欲しいのか。それとも大森林の外を見たいのか。力になってやれないこともないぞ」
俺は希望に沿ってやろう、手を貸してやろうと言ったのだ。にもかかわらず、この提案にディエドラは顔を紅潮させた。明らかに怒り狂っていた。
「どうした。まさかお前の身内が人間に捕まりでもしたのか? なら尚更、僕に頼るべきだ。お前と同じように買い戻して逃がしてやることもできるぞ」
だが、心を動かされた様子は見えなかった。どうやら違うらしい。
それもそうか。もしそんな切迫した理由から森の外に出てきたのなら、出された料理を味わったりする余裕はもてない。都合よく人間の言葉を覚えてから家族や友人が攫われた、なんてこともないだろうし。
「何が不満だ。それとも、何か気がかりなことでもあるのか」
一つ、彼女が俺の提案を拒否する理由なら、既に思い当たるところがある。
「言っておくが、今、前もって言っておけば、こちらは条件を飲むぞ」
「ジョウケン?」
「ああ、約束のことだ。例えば……森の中にいるお前の仲間には手を出さないとか、そういう話だ」
これは約束できる。金儲けのために大森林に潜るのでもない。金目当ての連中は、ケフルの滝付近のキャンプに置き去りの予定だ。獣人の村を見つけたとして、それは金脈同然ではあるものの、俺にとってはどうでもいいものだ。ただ、できれば話をしてみたいとは思うが。
「シンじられるか!」
「信じられなくても、信じるしかないんじゃないのか」
そこから先は、改めて説明するまでもないことだ。
俺達の力になってくれないのなら、転売するしかない。前にも伝えた。
「ディエドラ、俺達の探索を手伝ってくれたら、必ずお礼はする」
「フン」
「だが、助けてくれないのなら、こちらもお前を助ける理由はなくなる。誰かに売り渡すしかなくなるぞ。そうなったらもう、お前は一生、閉じ込められる」
彼女は返事をしなかった。だが、脱走が簡単ではないことはもう、身に沁みてわかっている。悔しげに歯軋りするばかりだ。
「答えてくれ。まず、不老の果実を知っているか」
「シらない」
「わかった。じゃあ、ナシュガズは? 行ったことはあるか」
「ナい」
「じゃあ、霊樹の在り処は知っているか」
最後の質問に、彼女は眼を見開き、息を詰まらせた。そして前へと飛び出ようとして……首に嵌められた首輪に引っかかって後ろに引き戻された。
「心配しなくても、刈り倒す気はない」
「ウルサい! ゼッタイにチカづけない!」
「それでいい」
やはりルーの種族にとっては、この上なく大切なものなのだろう。口に出しただけでこの反応だ。
「不老の果実もナシュガズも知らないのか。本当に?」
返事はない。構わず言った。
「まぁいい。手を貸してくれ。わかることを教えてくれればいい。僕達といる限りは、人間達には手は出させない。もし襲われたら必ず助ける」
この、最後の一言に彼女は眼を剥いた。
「タスける?」
「そうだ」
「ニンゲンのクセに! ワナに……っく、タタカったらマけない!」
言葉が出てこなかったようだが、意味なら通じた。
要するに、こう言いたいわけだ。弱っちい人間ども、罠にかからなければお前らなんかには負けない、そんな弱いお前らが私を助けるなんてできるものか、と。なるほど、そこまで的外れな主張ではない。
「じゃあなにか」
案外、簡単な話だった。
「僕がお前を一対一で倒したら、お前は言うことを聞くんだな?」
「デキるものか」
「やってみようか。僕が勝ったら言うことを聞け。お前が勝ったら逃がしてやる。さ、外に出よう」
とはいえ、勝負のために獣人を放して、いきなり逃げられたのではシャレにならない。となれば、すぐに利用可能な試合会場は一つしかなかった。
関門城の真下の連絡通路。そこを借りた。分厚い石の壁と天井に、前後は鉄格子が降ろされている。視界を保つため、壁際にはいくつもの篝火が置かれていた。
獣人と少年騎士の力比べを見物しようと、近くにいた兵士達が続々とやってきた。その後ろからまた一人。いつも通り、鎧を身に纏ったままの国王陛下までお出ましだ。周囲は気を遣っていたが、彼は何も言わず、手を振って兵士達の後ろに立った。
「首輪を取ってやれ」
万一、人質に取られてはまずいので、この役目はフィラックが引き受けた。その間、ディエドラは大人しくしていた。だが、首輪が外れると目に見えて元気そうになった。どこかだるそうな感じだったのが、しなやかな動きで軽く飛び跳ね、不敵な笑みまで浮かべてみせた。
もちろん、その間も俺は準備を怠らない。こっそり詠唱して身体強化を済ませておいた。
「武器は使わない。相手を抑え込んだ方が勝ちだ。殴ろうが何をしようが自由」
「おマエヒトリでやるキか」
「相手は僕一人だ」
「フン!」
はじめの合図も待たず、ディエドラは地を蹴った。
反った弓のように体を撓らせて、猛然と跳びかかってくる。それは素早い動きではあったが、俺にとっては単調そのものだった。
彼女の左腕が、まさに俺を引き裂こうとした瞬間、俺は左手を添えつつ鋭く左右を入れ替えた。その一瞬で、既に彼女の肩関節まで極まっていた。既にディエドラは地に伏し、左腕を捩じりあげられて、おまけに肩を踏みつけられていた。
「勝負ありだな」
「グッ!?」
とはいえ、本当はまだ終わってない。
ここからどうやり返してくるか。獣化なるアビリティも確認している。ということは、何か動物の姿にでも化けて、パワーアップして……
……と思っていたが、何も起きなかった。拍子抜けだ。
「グムム」
「もう終わりか?」
「ハ、ハナせ!」
「手伝ってもらうぞ。いいな?」
返事を待たず、俺は手を放した。
ディエドラも、これ以上暴れようとはしなかった。自分が敗北したこと自体は、受け入れたらしい。半ば放心状態で、その場に膝をついていた。
周囲から、軽く溜息が漏れる。俺の技をみて、その熟練を悟ったからだ。やがて誰かが拍手を始めた。振り返ってわかった。ベルハッティを楽しませることはできたらしい。
拍手が収まってから、俺はディエドラに告げた。
「悪いが、夜寝るときには首輪をつけてもらう。しばらくはな。これからよろしく」
聞いているのかいないのか。
後ろからフィラックが歩み寄って首輪を嵌めても、彼女はそのままだった。




