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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十二章 緑の闇の中で
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説得は肉体言語で

 ふかふかのクッションと長椅子。焦げ茶色の木枠に真っ赤な座面が映える。同じく幅広の丈の低いテーブルが置かれた。そこに質素な服装の侍女達が、神妙な表情を浮かべてすり足でやってくる。手に捧げ持っているのは色とりどりの皿。熱々のスープに蒸しパン、串焼き肉、サラダ、それに煮魚。

 長椅子の上に座っているのはたった一人。白い髪の上に突き立つ耳は、テーブルの上に皿が新たに置かれるたび、ピクピク動いた。


 ベルハッティは俺の我儘を聞き入れてくれた。王室の料理人に命じて、この国において提供できる最高級のディナーを用意させたのだ。それも俺のためではなく、獣人のために。

 そこには彼なりの興味があるに違いない。既に俺はペルジャラナンを従えている。実際には支配しているわけではないのだが、傍目にはそう見える。では、獣人も同じように飼い慣らすはずだ。だが、どうやってやるのか。

 目を潰すとか、暴力で脅すとか、そういう方法で亜人や獣人を大人しくさせた例はいくらでもある。だが、ペルジャラナンのような、どこから見ても魔物でしかない存在を、言葉一つで自在に操るとなると、これはもう理解の外だ。ぜひとも実例を目にしたいところなのだろう。


「食べ方はわかるか」


 俺は食器を指差した。するとディエドラは、険しい目つきで俺を睨んだ。馬鹿にするな、それくらいわかっていると言いたげに。そして彼女は迷わずスプーンを手に取り……それを逆手に構えて振り下ろした。蒸しパンの上に。

 そういえば、ここ二、三日の間は、手で掴んで食べられるものしか与えていなかった。彼女の普段の食生活などわからない。ただ、悪食のような能力を持っているところからして、ろくなものを食べていなかっただろうことは想像できる。加熱して寄生虫を殺した肉なんか、必要とはしていないはずだ。

 それでも今日は、あえて人間のご馳走を与えてみた。これは俺なりの意思表示だ。話し合う気がある、それなりの待遇をしてもいいのだと、それを目に見える形でわからせるために。


 それにしても、見るからに食べにくそうだった。テーブルマナーについては、とやかく言うまい。ただ、食器の適切な使い方がわからないらしい。逆手に持ったスプーンではスープを飲むのは難しいのだが、彼女はそのままのポーズで戸惑っていた。口を直接スープ皿に近づけようとしてやめたり……とにかくこちらに舐められたくないのだろう。しまいには、まるで刃物で自分の喉をつくような格好で、逆手に持ったままのスプーンでスープを掬って、絶妙なバランスを保ったまま飲んでみせた。


「うまいか」

「フン」


 味が悪いはずはない。獣人の味覚が人間と異なる可能性はあるが、まずければ食べるのをやめたりもするだろうし。

 しばらく待つことにした。俺の後ろで、他のみんなも大人しく様子を見守っている。そしてディエドラはというと、衆人環視の下、一切を気にかけずにマイペースで飲食を続けている。これをふてぶてしいとみるか、肚が据わっていると評価すべきか。

 並べられたのは結構な量だったが、やがて彼女はすべてを食べ尽くした。


「もっと食べるか?」


 俺の質問に、彼女は気だるげな視線を向けるばかりだった。


「わかった。デザートにしよう」


 俺がそう言うと、すぐ後ろから侍女が一人進み出て、小さな皿を置き、また銀色の小さなスプーンを添えた。獰猛な獣人を前にした侍女は努めて怯えを隠していたが、ディエドラの方はといえば、じっとその様子を窺うばかりで、害意のようなものは見えなかった。

 さっきしたように、彼女は小さなスプーンを逆手に持って、小さなケーキに突き刺した。ただ、ケーキは思った以上に脆く、持ち上げようとしたところで下半分が皿に落下した。これを失敗と捉えた彼女は繕おうとしたが、俺達がじっと見ているのに苛立ってか、急にスプーンを放り出した。そして直接手掴みして、ケーキを頬張った。

 その瞬間、目を見開いた。甘いものを食べたことなど、これまでなかったに違いない。


「気に入ってくれて嬉しい」


 俺は思わず頬が緩んだのを感じた。初めての甘味にディエドラが驚くだろうことは期待していた。ただ、それだけではない。

 甘いものはおいしい。その喜びを俺は知っていて、彼女は知らなかった。今、それを伝えることができた。


 それが気に入らなかったらしい。顔を顰めたディエドラは、食べきれなかったケーキの残りを投げつけようと身構えた。

 だが、急に思い直したのか、俺を睨みながらまた、残りを口に入れた。ほっとしたのは言うまでもない。せっかくのデザートを粗末にしてほしくはなかったから。


 なんだかんだお気に召したらしく、彼女はケーキを最後まで食べ、しまいにはクリームのついた指を舐め始めた。及び腰の侍女がやってきて、手洗い用の鉢を持ち込むと、察したディエドラは乱暴に手を突っ込んだ。


「名前を訊いてもいいか」


 相変わらず、彼女は俺をじっと睨みつけるばかりだった。


「話ができないと困る。名前を教えてくれと言っている」


 彼女はしばらく黙り込んでいた。だが、ようやく言った。


「ディエドラ」

「そうか。僕はファルスだ」


 俺の自己紹介を、彼女は鼻であしらった。相変わらず敵対的な態度だが……

 思うに、彼女を口説く余地は大いにある。その手掛かりは、ピアシング・ハンドが与えてくれていた。


「それでディエドラ」


 だから早速、切り込むことにした。


「人間の世界に、何しに来たんだ」


 この質問に、彼女は怒りを露わにした。


「おマエらがカッテにツカまえたんだろう!」

「半分はそうだ」

「ハンブン? ナニがハンブンだ!」


 だが、俺の目はごまかせない。


「お前は人間の世界を見に来た。そのせいであいつらに捕まったんだ」


 でなければ説明がつかない。どうしてディエドラにシュライ語の知識があったのか。なぜこうして会話ができるのか。

 なるほど、シュライ語は南方大陸の共通語だ。実際どうだったかは記録もないしわからないが、仮にイーヴォ・ルーの時代から共通語として使用されていたのであれば、獣人が知っていても不思議ではない。だが、そういう使われ方をしていた言語だったのなら、もっと堪能でもいいはずだ。それが僅か1レベルでしかないという事実からすると……つまりはディエドラは、恐らく割と最近に人間と交流を持ち、言語を習得する機会を得た。そして、伝聞によって人間社会に興味を抱いたのだ。


「お前は人間の世界に用がある。そうだな?」

「ウルサい!」

「何がしたい? 今、食べたようなご馳走が欲しいのか。それとも大森林の外を見たいのか。力になってやれないこともないぞ」


 俺は希望に沿ってやろう、手を貸してやろうと言ったのだ。にもかかわらず、この提案にディエドラは顔を紅潮させた。明らかに怒り狂っていた。


「どうした。まさかお前の身内が人間に捕まりでもしたのか? なら尚更、僕に頼るべきだ。お前と同じように買い戻して逃がしてやることもできるぞ」


 だが、心を動かされた様子は見えなかった。どうやら違うらしい。

 それもそうか。もしそんな切迫した理由から森の外に出てきたのなら、出された料理を味わったりする余裕はもてない。都合よく人間の言葉を覚えてから家族や友人が攫われた、なんてこともないだろうし。


「何が不満だ。それとも、何か気がかりなことでもあるのか」


 一つ、彼女が俺の提案を拒否する理由なら、既に思い当たるところがある。


「言っておくが、今、前もって言っておけば、こちらは条件を飲むぞ」

「ジョウケン?」

「ああ、約束のことだ。例えば……森の中にいるお前の仲間には手を出さないとか、そういう話だ」


 これは約束できる。金儲けのために大森林に潜るのでもない。金目当ての連中は、ケフルの滝付近のキャンプに置き去りの予定だ。獣人の村を見つけたとして、それは金脈同然ではあるものの、俺にとってはどうでもいいものだ。ただ、できれば話をしてみたいとは思うが。


「シンじられるか!」

「信じられなくても、信じるしかないんじゃないのか」


 そこから先は、改めて説明するまでもないことだ。

 俺達の力になってくれないのなら、転売するしかない。前にも伝えた。


「ディエドラ、俺達の探索を手伝ってくれたら、必ずお礼はする」

「フン」

「だが、助けてくれないのなら、こちらもお前を助ける理由はなくなる。誰かに売り渡すしかなくなるぞ。そうなったらもう、お前は一生、閉じ込められる」


 彼女は返事をしなかった。だが、脱走が簡単ではないことはもう、身に沁みてわかっている。悔しげに歯軋りするばかりだ。


「答えてくれ。まず、不老の果実を知っているか」

「シらない」

「わかった。じゃあ、ナシュガズは? 行ったことはあるか」

「ナい」

「じゃあ、霊樹の在り処は知っているか」


 最後の質問に、彼女は眼を見開き、息を詰まらせた。そして前へと飛び出ようとして……首に嵌められた首輪に引っかかって後ろに引き戻された。


「心配しなくても、刈り倒す気はない」

「ウルサい! ゼッタイにチカづけない!」

「それでいい」


 やはりルーの種族にとっては、この上なく大切なものなのだろう。口に出しただけでこの反応だ。


「不老の果実もナシュガズも知らないのか。本当に?」


 返事はない。構わず言った。


「まぁいい。手を貸してくれ。わかることを教えてくれればいい。僕達といる限りは、人間達には手は出させない。もし襲われたら必ず助ける」


 この、最後の一言に彼女は眼を剥いた。


「タスける?」

「そうだ」

「ニンゲンのクセに! ワナに……っく、タタカったらマけない!」


 言葉が出てこなかったようだが、意味なら通じた。

 要するに、こう言いたいわけだ。弱っちい人間ども、罠にかからなければお前らなんかには負けない、そんな弱いお前らが私を助けるなんてできるものか、と。なるほど、そこまで的外れな主張ではない。


「じゃあなにか」


 案外、簡単な話だった。


「僕がお前を一対一で倒したら、お前は言うことを聞くんだな?」

「デキるものか」

「やってみようか。僕が勝ったら言うことを聞け。お前が勝ったら逃がしてやる。さ、外に出よう」


 とはいえ、勝負のために獣人を放して、いきなり逃げられたのではシャレにならない。となれば、すぐに利用可能な試合会場は一つしかなかった。

 関門城の真下の連絡通路。そこを借りた。分厚い石の壁と天井に、前後は鉄格子が降ろされている。視界を保つため、壁際にはいくつもの篝火が置かれていた。

 獣人と少年騎士の力比べを見物しようと、近くにいた兵士達が続々とやってきた。その後ろからまた一人。いつも通り、鎧を身に纏ったままの国王陛下までお出ましだ。周囲は気を遣っていたが、彼は何も言わず、手を振って兵士達の後ろに立った。


「首輪を取ってやれ」


 万一、人質に取られてはまずいので、この役目はフィラックが引き受けた。その間、ディエドラは大人しくしていた。だが、首輪が外れると目に見えて元気そうになった。どこかだるそうな感じだったのが、しなやかな動きで軽く飛び跳ね、不敵な笑みまで浮かべてみせた。

 もちろん、その間も俺は準備を怠らない。こっそり詠唱して身体強化を済ませておいた。


「武器は使わない。相手を抑え込んだ方が勝ちだ。殴ろうが何をしようが自由」

「おマエヒトリでやるキか」

「相手は僕一人だ」

「フン!」


 はじめの合図も待たず、ディエドラは地を蹴った。

 反った弓のように体を撓らせて、猛然と跳びかかってくる。それは素早い動きではあったが、俺にとっては単調そのものだった。

 彼女の左腕が、まさに俺を引き裂こうとした瞬間、俺は左手を添えつつ鋭く左右を入れ替えた。その一瞬で、既に彼女の肩関節まで極まっていた。既にディエドラは地に伏し、左腕を捩じりあげられて、おまけに肩を踏みつけられていた。


「勝負ありだな」

「グッ!?」


 とはいえ、本当はまだ終わってない。

 ここからどうやり返してくるか。獣化なるアビリティも確認している。ということは、何か動物の姿にでも化けて、パワーアップして……


 ……と思っていたが、何も起きなかった。拍子抜けだ。


「グムム」

「もう終わりか?」

「ハ、ハナせ!」

「手伝ってもらうぞ。いいな?」


 返事を待たず、俺は手を放した。

 ディエドラも、これ以上暴れようとはしなかった。自分が敗北したこと自体は、受け入れたらしい。半ば放心状態で、その場に膝をついていた。


 周囲から、軽く溜息が漏れる。俺の技をみて、その熟練を悟ったからだ。やがて誰かが拍手を始めた。振り返ってわかった。ベルハッティを楽しませることはできたらしい。

 拍手が収まってから、俺はディエドラに告げた。


「悪いが、夜寝るときには首輪をつけてもらう。しばらくはな。これからよろしく」


 聞いているのかいないのか。

 後ろからフィラックが歩み寄って首輪を嵌めても、彼女はそのままだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ファルスはアイクに拳で説得されて、ディアドラも拳で説得された。 説得するには、肉体言語も有効ですね。
[一言] 他の底知れない連中に比べるとディエドラはまだ可愛げがあるなぁ… 競売の時にファルスに食って掛かったのは「畜生モドキだから言葉なんて喋れないかな~?」と虚仮にされたと受け取ったからっぽいですね…
[良い点] 手についたクリームぺろぺろしてるシーン、誰か絵にしてくれ。 [気になる点] 女神はうんち... 今までどの作品においても女神からうんちのワードが出てくることはなかったから謎に衝撃がすごい。…
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