宴と陰謀
「よくぞ参った」
「陛下、連日のお招き、この上なく光栄に存じます」
「よい。そなたらとの語らいは楽しい」
宴会場の入口で、俺は膝をつき、大仰に君恩を謝した。
「ここではそのような堅苦しい挨拶など無用じゃ。早う寛ぐがよい」
寝椅子の上から、フィシズは俺達に手招きした。
ここで俺は、もう一度頭を下げた。
「それにつきまして、お願い申し上げたき儀が」
「なんじゃ、遠慮なく申せ」
「はい。私どもは元々、女神の正義と威光とを明らかにせんものと、魔境たる大森林を目指す身でございます」
要は出発の許可を取りつけたい。それだけの話だ。
既にキニェシに到着して六日目。これ以上、逗留し続ける理由がない。
「ここでの安逸の日々は心地よいものではございますが、そのために私どもの覚悟も鈍ってしまうことでしょう」
「おぉ、それで何が悪かろう」
「人の世の喜びに耽るばかりでは、騎士の腕輪に恥じるというものでございます」
フィシズはすっと目を細めた。口元だけで笑っている。
「それも道理ではあろうな。ただ、ファルスよ、そう慌ただしく先を急ぐものでもあるまい。今からそなたらと宴をともにしようと待ちかねておったのだ。せっかく用意させた皿の数々も、無駄になっては空しくないか。出発は明日の朝でもよかろう」
「はい」
「では、その話はこれまでじゃ。さぁ、座って喜びをともにしようではないか」
さすがに今すぐ出ていきます、とは言えない。彼女の言う通り、饗応の準備が整っているのに席を立つなど、無礼この上ないからだ。
別に俺としては、明日の朝に出発できるのなら、何の文句もない。だが、この女王が何も考えていないはずもない。さて、何を仕掛けてくるか……
全員が着席して、そこに食事を介助する女達がやってくる。
さて、並べられた料理に毒が入っている可能性は? だが、こちらにはジョイスがいる。動き出さないということは、少なくとも、まず「食べさせ役」の女達には毒殺に加担する意図はないとわかる。だが、料理人がこっそり毒を仕込んできたらどうするか。
実は、こちらも確認済みだ。彼の目は今も休まず、この近くにある厨房まで、壁をぶち抜いて透視している。そこで皿に料理を盛り付けている男達の心をいちいち読み取っている。何かあれば、知らせてくれる手筈となっているのだ。
「それにしてもファルスよ」
「はい」
「酒は飲まぬのか」
俺は首を軽く振った。
「いつなんどき変事がないともわかりません。今は帯剣しておりませんが、いかなる時にもこの身をもって剣となし、いざとなれば陛下をお守りする所存でありますれば」
「ほっほほ、そうかそうか」
酔っぱらって判断力をなくすような振る舞いが許される状況ではない。
「ノーラ、そなたは」
「まだ若年の身でございます。何卒ご容赦のほどを」
「それは残念じゃのう」
「陛下」
俺の右手に座るクリルが、焦りを感じさせる笑みを浮かべつつ、言った。
「私めはお付き合い致しますぞ」
「仕方がないのう」
口元だけで笑っているが、心底どうでも良さそうな声色だった。
さて、状況を俯瞰すると、なかなかに厄介だ。
意思疎通や連絡が充分に行き届いていない。しかもジョイスに丸投げだからだ。
まず、今の居場所から。席順は身分に従っている。部屋の突き当たりにはフィシズ女王、その左側にクリル、俺、フィラックと並んでいる。右手にはノーラ、ジョイス、タウルの順番だ。そこに介添えの女がそれぞれ二人ずつ控えている。また、順番に料理が外から運び込まれる。
俺自身は、あの上等な客室に送り出されてから、ほぼ行動の自由がなかった。部屋の中までは監視の目などなかったのだが、外に出ようとしたところで人目に気付いた。夜伽のために送り出されたラピは、適当な時間をおいてから追い返したが、これでは仲間と連絡が取れない。
しかし、ジョイスはマークされていなかった。しかも『幻影』の神通力もあるので、短時間なら部屋から抜け出すこともできた。今朝、廊下で合流したときに短く確かめただけだが、フィラックとタウルには、女王の目的と、早めの退去を目指す旨を伝えることに成功した。
ところが、肝心のノーラはというと、彼女だけ最初から部屋が別で、遠くに陣取っていたために、直接話をすることができなかった。そして今朝、さっき最後に廊下で合流したのも彼女で、その時点ではもう、宮廷人が俺達の傍に立っていたので、迂闊なことは言い出せない。
つまり、打ち合わせなしで俺は退去を申し出なければならなかった。ノーラがどこまで現状を把握しているかはわからない。
だが、もっとまずいことになっているのがペルジャラナンだ。クーと同じく、人の身分に相当しないと看做されているので、王宮でも外側のどこかに留め置かれているらしい。残念ながら、こちらはジョイスも発見するに至っていない。いっそクーについては、与えた金貨を持ち逃げしていなくなってくれても構わないのだが、ペルジャラナンだけは何とか回収したい。
「ところでファルスよ」
「はい」
「贈り物はどうじゃった?」
まずはそういうやり方か。これくらいで済ませてくれるのなら、俺としても気持ちが楽なのだが。むしろ手間が省けた。
「と言いますと」
「ほっほっほ、恥ずかしがらずともよい。これ」
女王が合図すると、部屋の外に控えていた宮廷人が立ち上がる。一旦、その場を離れ、すぐ戻ってきた。その後ろには、大きな笠を被った白衣の少女が従っている。
彼女は頷くと、この宴会場の中央に摺り足で進み出て、その場に膝をつき、深々と手をついて頭を下げた。
「ラピはなかなかに美しかろう」
「はい」
「これ、ラピよ」
呼びかけられて、彼女は改めてまた深々とお辞儀した。
「今日よりそなたの職務一切を解く。また、平民の身分を剥奪して奴隷となし、ここにいる騎士ファルスに譲渡するものとする。よいな」
「はい」
消え入るような声だった。はて?
女王のこのやり口は、昨夜、予想した通りのものだ。要するに、ノーラがこの俺、ファルスにベッタリだから、引き離したい。そのためには、ファルスが他の女を抱くのがよい。それで、飽きた玩具であるラピを俺に押し付ける。昨夜、俺と同衾したという事実があればいい。これでノーラは、俺に裏切られたと感じるはずだ、と。
他所の男のお手付きになった不潔な少女など、フィシズの好むところではないから、当然このように下げ渡される。俺は何食わぬ顔をしてそれを受け取り、後で彼女を解放してやればいい。つまり、どう転んでもラピにとっては吉報なのだ。宮廷に留まっていても、どうせ女王が飽きてしまった以上、やってくる未来は傭兵の玩具、そして死だ。
ではどうしてこんな顔をしているのだろう? 或いはこれも彼女なりの演技だろうか。ジョイスならわかるかもしれないが、この場で俺に伝える手段はない。
「そういうことじゃ、ファルスよ。今後は人目を憚ることなくラピを存分に堪能するがよい」
「ありがたき幸せ」
くれるというのだから、いけしゃあしゃあと俺も受け取ることにする。
だが、この反応に一瞬、女王は眉を寄せた。鋭く振り返り、ノーラの顔色を確認する。
ノーラはまったく平然としていた。
女王のすぐ隣にいる以上、呪文の詠唱もできないのだから、ラピの頭の中がわかるはずもない。事前の打ち合わせもない。それでも彼女はまるっきり取り乱したりしなかった。
つまり、女王の作戦は完全に失敗だった。もっとも、これも予想していた。ノーラからすれば、慌てる必要も理由もない。
ファルスが「浮気」したも何も、俺は最初からノーラをピュリスに追い返そうとしている。フラレてプライドが傷つく、なんて段階はとっくに通り越している。タフィロンを攻略する途上で数百人を殺害した日、声を殺して怯え咽び泣く彼女に、俺が何をしたか。ノーラがここにいるのは、俺に愛されているからではない。
それにまた、この件の真実が気になるにせよ、そんなものは後で調べればわかる。俺の心は読めないが、ラピのそれなら簡単だ。怒るにせよ、嘆くにせよ、真相が明らかになってからすればいいことで、何もわからない現時点で感情的になる意味がない。
それでも並みの女なら、他の女と結ばれたのかも、という不安だけで居ても立っても居られなくなる。ところがノーラときては、その辺一切感情のブレがない。
「陛下」
俺はこの機を逃すつもりはなかった。
「このような素晴らしい贈り物をいただいたからには、私としても何か返礼をしたいと思うのです」
まずはラピを受け取ったことを既成事実に。これで約束通り、逃がしてやれる。
そこでもう一手。
「ほう」
「既にご覧になられているかと思いますが、私は世にも珍しい、人の命令を受け付けるリザードマンを飼っております。せっかくですから、この宴の余興にあれを呼びつけまして、いかに私の命令に従うかを、ご覧になっていただこうかと」
これまた打ち合わせなしでペルジャラナンには申し訳ないが、サル廻しのサルになってもらう。できればそのまま俺の部屋に連れ込む。最悪、ちょっとでも話ができればいい。なんとか合流したいのだ。
「ふむぅ」
女王は黄金の盃を弄びながら、しばらく考え込んでいた。
「面白そうじゃが、やはりやめておこうかの」
「おや」
「いくら人の言うことを聞くと言っても、やはり畜生じゃ。万一のことがあってはと思うと、恐ろしくてならぬ」
「それは残念です」
女王も勘付いたか。こちら側の全員が揃ってしまったら、いつでも宮城から出ていくことができる。それではノーラをものにすることができない。
「心配せずとも、餌は与えるように言ってある。明日の朝には顔を見られよう」
「お世話になります」
本当は気が気でない。
キニェシに到着してから、ずっと会えていないのだ。しかし、女王としても、俺の所有物であるペルジャラナンとクーを殺す権利はないし、明日の朝になっても会わせないなんて、筋が通らない。
「さぁさ、寂しくはあるが、今日は最後の宴じゃ。そなたらには存分に楽しんでもらわねばな」
日が暮れてから、宴はやっと散会となった。正直、長時間の宴会は、働くより疲れる気がする。しかも今回は、何があるかわからない状況で、ずっと気を張っていた。
宮廷人に送られて、自室に戻る。そこでまず、荷物を再確認した。なくなったものは特にない。それを確かめると、俺は服を脱いで入浴し、寝る準備をした。つまり、剣を寝床の中に滑り込ませた。
しばらくして、部屋の外からかすかに鈴の音が聞こえてきた。
ラピがまた俺の相手をするためにやってきた?
その音が、途切れる。立ち止まったのだ。
そうして音もなく手がカーテンにかかる……
俺は背を向けて寝転がっていた。
足音もなく、誰かが近付いてくる。
曲刀を振り上げた瞬間、その大柄な男は消え去った。と同時に、衣服が滑り落ち、落下した刀がベッドの縁にぶつかって短い金属音をたてた。
「ごちそうさま」
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ゾラボン・ケケラサン (33)
・マテリアル プラント・フォーム
(ランク6、無性、0歳)
・スキル フォレス語 5レベル
・スキル サハリア語 5レベル
・スキル シュライ語 5レベル
・スキル 剣術 6レベル
・スキル 盾術 6レベル
・スキル 格闘術 5レベル
・スキル 隠密 5レベル
・スキル 軽業 5レベル
・スキル 罠 5レベル
・スキル 薬調合 4レベル
・スキル 医術 3レベル
空き(22)
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密林でも見落とさないくらいの、目立つ真っ赤な種が、敷物の上に落ちた。それを拾い上げると、ポーチに押し込んだ。
なかなか優秀な男だったらしい。女王の側近なだけある。相手を油断させるために、あえて鈴の音を鳴らして接近したところも、なかなか悪くはない考えだった。
しかし、暗殺とは。
どうしたものか。このまま素知らぬ顔で明日を待つか、それとも行動を起こすべきか。
その思考は、迫りくる足音に中断された。
「ファルス様!」
礼儀も遠慮もなく、カーテンを押しのけて、ラピが転がり込んできた。
「お逃げください! このままではお命が!」
ベッドの縁に腰かけたままの俺のところに迫って、肩を揺らして訴える。その彼女の左の頬は、赤く腫れていた。
が、やがて彼女も気付く。自分が見慣れない服を踏んづけていることに。脇には曲刀も転がっている。そういえば、入口には鈴のついた笠も転がっていた。
「ゾラボンはもういない」
「ど、どこへ」
「さぁ」
この辺、あまり突っ込まれるとまずい。
それより、気になることがある。
「僕は別に自分の身は守れる。それより、他のみんながどうなったかが」
「済みません、そこまではわかりかねます」
「とにかく、じっとしているわけにはいかない。ラピ、逃げる準備をしておいて。もしかしたら、今夜中にキニェシから出発しないといけないかもしれない」
俺は手早く着替え直し、帯剣して、部屋の外に出た。
廊下の向こうに、駆け寄ってくる影が見えた。
「ジョイス!」
「おう!」
遠慮なく彼は大声で呼びかけてきた。
「まじぃぜ、傭兵どもが俺らを捕まえようとしてきやがった」
「そこまでするか」
「お前はまぁ、やられやしねぇと思ったが」
「フィラックとタウルは」
「そっちは大丈夫だ。ただ、ノーラと……」
「ペルジャラナン、とクーが行方知れずのまま、か」
フィシズ女王、思った以上に狂っているらしい。
我儘が通らなかったことがないだけに、想像力が欠如しているのだろうか? 多分、今夜の騒ぎも「傭兵の一部の仕業」ということにして、ごまかすつもりなんだろうが。直接、赤の血盟の支配を受けているのはティンプー王国だけだから、多少のおイタは問題にならないと、そう高を括ったか。
「仕方ない」
できれば事を荒立てたくなかったが、こうなってはもう、行動せざるを得まい。
「みんなを助け出そう。行くぞ!」




