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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十章 血墨戦役
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崖上の城市

 西日を照り返す城郭が遠くに見える。緩やかに曲線を描く城壁が美しい。丈の高い塔はないが、それは恐らく必要がないためだろう。バタンの城市はちょっとした崖の上に築かれている。唯一、斜面になっているのが北側で、そこだけは馬で駆け上がることができる。視線を西の端に向けると、船の舳先にも似た絶壁が影をなしていた。

 それと東側には、統一時代に築かれたという長い連絡通路がある。ローマの水道橋みたいな石造りのアーチがずっと続いている。バタンの外港たるサグィまで繋がっているのだが、通路そのものが剥き出しで防壁も何もないので、戦時において海上からの補給を可能にするものではない。いずれにせよ、アルハールの海上戦力の多くが既に失われている以上、そちらの心配はしなくていい。


「こうして見上げると、改めて……険しいな」

「はい」


 ティズが嘆息し、俺は頷いた。

 野戦で勝利を得て、そのまま講和に持ち込みたい、か。ティズがそう提案するのも無理はない。常識の範囲で考えるなら、この地形の優位は大きい。多くの犠牲を出して攻め落としても、どれほどの旨味があるというのか。


 バタンはフィアナコンより明らかに小さい。内部に農地を抱え込んでいるあの街と違って、生産性の低い都市だ。一応、陸海の交易拠点としての存在理由ならあるのだが、最寄りの内陸の都市であるフィアナコンは敵性勢力の支配下にあるし、南西方向にあるフマルの支配地との交易といっても、そちらにはジャンヌゥボンという、もっと大きな街との直通街道がある。

 だから、この街の本当の存在価値は、今では専ら軍事上の機能にある。その役目は大きく二つのものを守るためにある。

 一つは交易利権だ。彼らの富は、真珠の首飾りの交易ルートの支配にかかっている。対岸にある独立都市サオーは、事実上、セミン氏族の支配下にある。そこから吸い上げる関税が彼らの生命線だ。

 もう一つは、後背地の防衛にある。ここからジャンヌゥボンまでの広い範囲に水場が点在しており、そこは特別な牧場として利用されている。大量の餌を必要とする走竜の養殖を行っているのは現在、セミンだけだ。


「取り囲んで待てば、そのうちに兵糧が尽きようが、それまでどう持ちこたえるか」


 タジュニドの現実的な意見に、ファフルが嘲笑を浮かべた。


「兵を率いる者が弱気になってどうするのですか。戦は人がするものでは?」


 いつかの発言をまぜっかえされて、タジュニドは振り返り、キッと睨みつける。だが、ファフルはまるで意に介していない。


「ここに来るまで、どれだけ相手に機会が与えられていたと思います? 切り立った崖や岩場、隠れる場所には事欠かなかったのに、一度も奇襲を受けたりしなかった。思わぬ敗戦に腰が引けてしまっているんでしょう」

「南方大陸の魔獣どもとは違うぞ。奴らには知恵がある」


 言い返されても、彼は肩をすくめるばかりだ。

 実際、ここに至るまでの道中は、伏兵に向いた地形がいくらでもあった。フィアナコンから西は砂だらけの砂漠だったのが、この辺はどちらかというと岩砂漠といったほうがいい風景になっている。奇岩群という言葉がしっくりきそうな、奇妙な形をした岩場が数箇所あったし、割と近いところでも、まるで掘り抜いた穴みたいなのがあちこちにあった。

 つまり、突き立つ岩山の数々が、バタンの北から西にかけて点在している。そこから少し距離をおいた岩山の上に建設されたのがこの街なのだ。そういう事情だけ考えると、バタン近辺は騎兵で戦うには有利とはいえない。一応、赤の血盟の軍勢はなるべく幅広な通路を選んで進軍し、今も平坦な場所に布陣している。ここから南西向きにバタンまでの間には、これといった障害物もない。

 なお、走竜にとっては多少の地形の起伏は問題にならないという。実物を見たことはないが、あれは夜目が利くらしく、夜間にここを突っ走っても、岩場にときどき見つかる穴も軽々跳び越えてくれるらしい。そんな便利な乗り物があるのなら、それこそこちらの進軍を妨げてきてもよさそうなものなのだが、今のところは無事だった。


「知恵というと? 夜討ちですかね?」

「ファフル」


 ティズがやや窘めるような口調で言った。


「なんでしょうか」

「夜襲への備えは必要だ。特に今夜は警戒を厳重にさせよ」

「承知です。ま、それくらいしかないでしょうからね」


 軽い口調でそう返すと、ファフルは背を向けて陣営の奥へと足を向けた。

 タジュニドもラークも、難しい顔をしている。日に日にファフルの態度が尊大なものになっていく。大きな手柄をたてたのでもないのに。


 ただ、俺は俺で、別のストレスも抱えている。

 すぐ後ろに立つジルは、いつも通りの無表情だった。しかし、やはりというか、あのフィアナコン陥落の夜以降、ラークとの関係は非常に気まずいものとなっていた。必要がなければ口もきかない。

 その険悪さを見て取った新たな俺の「郎党」達は、これまた微妙に距離を置いている。ムフタルなんかは軽くウィンクして皮肉笑いを浮かべるだけだが、フィラックやディノンは目を背けてしまう。タウルに至っては、生来の内気さもあってか、こういうのが本当に苦手らしく、何も見たくないとばかりに俯いている。

 これからまた合戦だというのに……


 馬蹄の響きが近付いてくる。ティズはのっそりと振り返った。


「ほうほう、どうだ、ティズよ」


 相変わらず下馬もせず、アラティサールは毒蛇を連想させる笑顔を口元に浮かべて、呼びかけてきた。


「陣地の設営はほぼ終わりましたよ」

「ふうん、しっかり頼むぞ」


 馬上から左右を見回しながら、特に手落ちはなさそうとみて、彼は頷いた。


「左翼は最前線になるからな。ここがやられては大変なことになる」


 結局、赤の血盟の連合軍は、南西方向に向かってV字型に陣地を組んだ。左側、つまりバタンの出入口になる正面方向に一番近いのがネッキャメル氏族の兵となる。逆に右翼はというと、最前線にフィアン氏族、その後ろをサマカット、マジュフの兵が埋めている。言うまでもないが、ニザーンの兵が最後尾だ。


「簡単には抜かせませんとも」

「そうあって欲しいな」


 そう話し合っているところ、徒歩で追いついてきた男がいる。ハビだ。なにせ背が高く手足も長いので、存在感がある。


「遅くなリましタ」

「いい加減、馬に乗ったらどうだ。乗れなくはないだろうに」

「小回りが利かナいと、落ち着かナいもノで」


 相変わらず奇妙なイントネーションに甲高い声。どことなく剽軽な印象さえあるのだが。

 ハビはこちらに向き直ると、そそくさと頭を下げた。


「どうモ、ネッキャメルの頭領の皆さン」

「ああ、お勤めご苦労」


 彼はチラチラと顔を見比べて、まずはティズに駆け寄った。


「ちゃンとご挨拶したイと思っていましタ。お目見えでキて光栄でス」

「あ、ああ」


 図々しく身を乗り出して、一方的に握り締めるような握手をされても、ティズは笑みを絶やさなかった。


「アラティサールさマ」

「どうした」

「お忙しイところ済みませンが、頭領の皆さンの顔をここで覚えておきたイと思いまス」


 視線が向けられたと察して、タジュニドが応えた。


「タジュニドだ」

「おお、会議の時にもイらしてましたネ」


 振り返ると、今度は俺だった。


「こちラは? 会議でお見掛けしましたガ、ネッキャメル、ではなイようナ」

「プノス・ククバン……だ。ティズ様にはいろいろ援助していただいている。父はあのアネロスだ。聞いたことはないか」

「おォ!」


 ガバッと身を起こし、彼は俺の周囲を取り巻く男達を見比べた。


「でハ、後ろに控えてイるのが家来の皆さンですカ!」

「そうだ」

「ハて、女の方もイるようですガ?」

「ジルか。こう見えて腕はそれなりに立つ。女扱いしないほうがいいぞ」

「ハッ、ハハァ! 失礼しましタ!」


 アラティサールが馬上から声をかけた。


「そろそろいいか」

「ハッ、ハイ! 済みませン!」


 前屈みになっていたところ、ハビはビクンと身を震わせて直立し、慌ててアラティサールの乗る馬の後ろに引っ込んだ。


「邪魔したな。明日にも戦いを挑みたいところだが、今夜は特に厳重に頼むぞ」

「ええ」


 それだけで、アラティサールとそのお供の連中は去っていった。


 だが結局、日が落ちても周囲は平穏そのものだった。真ん中を空き地にして四方にテントを張り、俺とラーク、ムフタルとタウル、フィラックとディノンが同じところに割り当てられている。当然だが、ジルだけは一人用だ。少人数の集団なのもあって、今回からはサハリア風の天幕は割り当てられなかった。


「ラーク様、ただいまお食事をお持ちしました」

「ああ」


 仮にも頭領なので、わざわざ自炊などしない。一族の下っ端が鍋を持ち込み、テントの真ん中の消えかけた焚火の上にそっと置いた。俺は薪を足す。

 無言の中、俺は尋ねた。


「ラーク様」

「なんだ」

「夜襲はあると思いますか」


 気まずい空気もなんのその。俺の興味関心は、今、ほとんど戦いのことで占められていた。先のフィアナコンでも、その前のハリジョンでも、さほど人を殺していない。今度こそ大暴れしてやらなくては。


「難しいところだな」


 ややあって、彼はポツリポツリと答えた。


「あちらとしては、打って出ないという選択はない。バタンは防御に優れるが、敵を牽制してはじめて意味のある拠点だ。閉じこもって出てこないなら、それこそニザーンが南下して、背後にある牧草地を食い荒らす」

「フマルやアルハールが助けに来るのでは」

「普通ならそうだが、特にフマルは、既にかなりの打撃を受けているはずだ。それなのに主力をバタンに置いている。その上こちらの背後を狙えるほどの余裕があるかどうか」


 アルハールにも、大戦力のあてはない。実際にこの目で見たのは俺だけだが、彼らの艦隊は一隻残らず海の底だ。となると、今、バタンに置いているのとジャンヌゥボンを守っているので、ほぼ全戦力といっていいだろう。


「明日、どうするつもりだ」


 逆に尋ねられて、俺はシンプルに答えた。


「何もなければ、そのまままっすぐあの坂を駆け上がって、城門を突破しようかと」

「ふっ」


 ラークは苦笑した。


「デタラメだな」

「フィアナコンの時と同じですね。城門をブチ破ったら中に入る。中に入ったら敵を斬る。作戦も何もありません」


 ブスタンの時のように、満足するまで血を浴びたいものだ……


「一番殺したいのはフマルですが、この際セミンでもなんでもいい」


 今までは「勝たせる」ことに集中して行動する必要があった。だが、今回は戦うことに重点をおいていきたい。


「へっ」


 話を聞いていたムフタルが鼻で笑った。


「随分自信があるんだな」

「そうじゃない」

「あん?」


 俺は首を振った。殺戮に心惹かれながらも、そこは落ち着いて考えてある。


「あちらには風の賢者と土の賢者がいるという報告があった。実際に戦ったのは火の賢者だけだったが……魔術兵の能力は低くなかった」

「聞いた話じゃ一発で吹っ飛ばしたらしいが?」

「決着は一瞬だったが、相手が弱かったということじゃない。あれは時間をかけては駄目だ。魔術を使わせることなく、考えさせる前に倒したい」

「ふーん」


 俺の説明に納得したのか、ムフタルは笑みを消した。


「で、本当なのか? フィアナコン落とした時の話ってのはよ」

「信じなくていい。明日、目の前で見せる」

「そいつは楽しみだ」


 フィラックとディノンは顔を見合わせた。


「あの」

「あ、はい」


 気持ちを切り替えて、俺はディノンに振り返った。


「それはそれでいいのですが、その……任務の方を……」


 そうだった。彼らは実質、ジルの護衛だ。

 俺が戦いにのめり込み過ぎると、同行するジルが危険にさらされる。といって、それを明言もできない。本人に聞かれるとややこしいことになる。ましてやこの場にはラークまでいるのだ。


「任務? なんのことだ?」


 ジルが怪訝そうな顔で尋ねる。


「あ、ああ、えっと」


 なんでもない、と言おうとしてやめた。そんな言い訳ではごまかせない。


「タウルとフィラックには、一応、偵察じみたことをやってもらおうかと思っていて」

「ふむ? なぜだ」

「この辺は地面が抉れていて、いきなり大穴が開いていたりもする。そういう場所に知らないうちに敵兵が潜んでいたりもするかもしれない」

「一通りは調べたはずだが」

「だ、だから、余計に気を付けておきたい。あちらにとっては地の利もある。勝つより負けないことが大切だ。特に合戦の最中に後ろにまわられたくはない。だから明日は陣営に残れと言っておいたんだ」


 そこで俺は、取ってつけたみたいに言い添えた。


「そうだ。ジルもフィラックを手伝ってやってくれないかな」

「……別に構わないが」


 じろりと俺の顔を見つめてから、彼女はそう答えた。

 きっとジルは別の解釈をしたはずだ。険悪になりつつあるラークと引き離そうとして、こういう提案をしたのだと。だが、俺にとっては好都合だ。ティズの頼み事はジルの護衛。彼女を最前線に出さずに済むという点で、これは好ましい。いくら気を付けていても、流れ矢であっさり死ぬ可能性だってあるのだから。


 話はそれで終わった。

 夕食を済ませ、それぞれがテントの中に引きこもり、明日を待ちつつ、眠りに落ちた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] マラのカタコトわざとっぽいなあ。 言語スキル2レベルの時のファルスと念話状態のペルジャラナンがペラペラ話せてたところ見ると、言語スキル4レベルでカタコトってのは違和感ある。 [一言] …
[一言] 顔を覚える、鏡像散身に使うのかな? ファフルさんはフラグを積むのが上手いな...
[一言] 風魔術はかなりヤバいですよね… イフロースの雷、今のファルスくんですらピアハン以外に防ぐ術が無い気が…
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