出陣前夜の会議にて
特設の大天幕の下、入口から向かって正面には、いくつも燭台が立てられていた。その後ろに掲げられているのは赤と白の同盟旗。剥き出しの砂漠の地面の上に薄汚れた敷物が広げられ、その左右に背凭れのない椅子が三つずつ置かれている。その後ろには少し距離を空けて、赤いカーテンが吊り下げられている。
なんとも落ち着かない。すぐ後ろにはフィラックが直立不動で控えている。その向こう、カーテンのあちら側には、ニザーンの男達が息を殺して佇んでいる。用命に応えたり、安全確保に気を配ったりするためなのだが、安心できない相手に背中を見せているようで、気が気でない。
無論、顔色に出すわけにもいかないので、俺も他の族長達のように、肩の力を抜いて視線を中空に漂わせる。盟主の居場所を除けば一番の上座、向かって左手の最前列を占めているティズも、そのようにしている。すぐ後ろに控えているのはタジュニドだ。ハーダーンを除けば、全員がすぐ後ろに従者を立たせている。
入口に近い下座にいるのが、俺とハーダーンだ。フィアンは裏切り者を出したし、ククバンはそもそも赤の血盟の一員ではない。また、族長とはいっても手勢もいないのだから、当然の扱いだろう。
天幕の入口が捲り上げられる。そこを足早に潜り抜け、大股に真ん中を突っ切っていく男。アラティサールだ。
やはりというか、やっぱり好感を抱けない。嫌いな顔、とでも言おうか。誠実そうな雰囲気がまるでない。体つきは実に堂々としているのに、そこに爽やかさのようなものが感じ取れない。自分の中の先入観もあるとは思う。ブスタンの救援をせず全力をハリジョンに向けたという判断が、頭の隅に引っかかっているためかもしれない。
後ろには、二人の従者がいた。しかし、それが俺だけでなく、他の族長達の視線を集めた。
一人は普通だった。頭にターバン、砂漠の戦士には珍しくない、身軽な防具をつけただけの恰好をしたサハリア人。ところがもう一人があからさまに怪しい。全身がほとんど黒く見えるくらいの紺色だ。まるで忍者のように、頭のてっぺんから足下まで。しかも顔もほとんど隠れていて、目元しか見えない。そこから垣間見える皮膚は焦げ茶色で、西部シュライ人らしいとわかる。背が高く、やたらと手足が長い。
「こちらは」
たまりかねてタッサルブが声をあげた。
「アラティサール殿、この者はニザーンの頭領ではあるまい。慣例をお忘れか」
俺もその慣例とやらは知らないが、多分、族長達が背後に立たせる男は、基本的にその一族の頭領から選び出すものなのだろう。
「戦場でいちいち小さなことにこだわっていたのでは、何事もうまくはいきますまい」
タッサルブの高齢に敬意を表しつつも、アラティサールは傲然たる笑みを浮かべて、従わなかった。改めて全員に向き直り、彼は言った。
「かの海峡の王、ルアンクーに倣って、自分も出身によらず優れた人物を脇に置くことにした。今ではこの男、ハビはニザーンにとってなくてはならない参謀だ。今回の会議にも出席させたい」
この物言いに、大半の族長は僅かに表情を曇らせた。だが、特に異議を唱える者はいなかった。
アラティサールは「海峡の王」という言い回しをしたが、少なからず彼の名は、東部サハリア人にとって不愉快なものだ。今からおよそ五百年前、暗黒時代の最中に暴れまわった一代の梟雄、それがルアンクーだ。一般的には「海賊王」などと呼ばれている。そこにはサハリア人が抱く、彼に対する負の感情が滲んでいる。
偽帝アルティの蜂起と混乱の後、世界は群雄割拠の時代に巻き戻された。南方大陸全土を支配していたポロルカ王国の権威は失墜し、南部以外の地域には、事実上、支配力が及ばなくなった。東部サハリア人は一つにまとまることはなかったが、それ以上に結束力のない南方大陸西岸の諸勢力は、武力に勝る海の向こうの異民族の支配下に置かれた。これは現代まで変わらない。
だが、そんな歴史の中の唯一の例外がルアンクーだった。真珠の首飾りの港湾都市の一つ、エインを拠点に、彼は海峡狭しと暴れまわった。北はキト、南はアリュノーまでの海沿いの都市をすべて支配下に収め、そればかりか対岸にも手を伸ばした。ジャンヌゥボンは陥落こそしなかったが服属を余儀なくされ、貢納するようになった。バタンは攻め落とされ、ハリジョンを支配していた氏族も、彼に降伏の意を示した。
現在、ポロルカ王国の属国となったトゥワタリ王国も、元を辿ればこのルアンクーの活躍が基礎となっている。暗黒時代の覇王の影響は、現代にも及んでいるのだ。
だが、最後には身内からの裏切りによって捕らえられ、ハリジョン近郊の海沿いのどこかで処刑されたと伝えられている。
暗黒時代の中期は、海洋帝国の時代だったようにも思われる。ルアンクーの一代限りの王国の北西には、ムスタムやジャリマコンに支配を広げたピュリス王国が割拠していた。諸国戦争によって一度寸断された物流が回復し始めたこの時代、そうした通商ルートを押さえた集団が勢力を伸ばしたのは、自然なことだった。まして内陸は、ドゥミェコンもそうだし、ティンティナブリアの東部のロージス街道をみてもわかるが、魔境が拡大したために、その価値が大きく損なわれていたのだから。
そんなルアンクーの帝国を支えた名参謀がジン・ウルシンという名で知られる男だった。伝えられるところによると、いつも体の線の見えないローブを身に着けていて、目元だけが見える恰好をしていたらしいが、実はマスクの向こうは鳥肌が立つほどの美男子だったとか。ハンファン人らしいとも言われているが、定かではない。
伝説の中のルアンクーは、とにかく快活で気前のいい男だったという。出身や身分にかかわらず起用し、結果を出せば必ず報いた。ジンのような身元不明の人物でも、能力次第で構わず高い地位につけたそうだ。
しかし、一代の快男児ルアンクーも、サハリア人にとっては屈辱の象徴だ。但し、ニザーンが支配するジャリマコンは同時期に海上の通商圏を築いたピュリスの同盟都市であって、ルアンクーの支配下に入ったことがない。こんな物言いは、だから他の族長達にとってはまったく面白くない。
「ハビ、ここに居並んでいるのは赤の血盟の族長達だ。挨拶しろ」
「ハ、ハ、ハイ」
暗い藍色の覆面の向こうから、体つきとは不釣り合いな甲高い声が漏れてきた。
「どうモ、紹介に与りましたハビといいまス。アラティサールさマと赤の血盟のために精一杯働かせテいただく所存でス」
なんだかイントネーションも変だ。調子外れというか。
いったい何者……
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ハビ・マラ (38)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク6、男性、38歳)
・スペシャルアビリティ 鏡像散身
・マテリアル 神通力・念話
(ランク6)
・マテリアル 神通力・千里眼
(ランク5)
・マテリアル 神通力・暗視
(ランク5)
・スキル フォレス語 4レベル
・スキル サハリア語 4レベル
・スキル シュライ語 5レベル
・スキル ハンファン語 4レベル
・スキル 指揮 5レベル
・スキル 管理 4レベル
・スキル 格闘術 7レベル
・スキル 投擲術 6レベル
・スキル 軽業 6レベル
・スキル 隠密 6レベル
・スキル 罠 5レベル
・スキル 騎乗 3レベル
・スキル 水泳 4レベル
・スキル 医術 5レベル
・スキル 薬調合 5レベル
空き(19)
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なるほど、能力的には大したものだ。並外れた体術だけではない。一言でいって一流の忍者、か。これだけ有能なら、君主たるもの召し抱えずにはいられまい。ただ、参謀かと言われると、微妙な感じもするが。
それより変な能力がある。この『鏡像散身』ってなんだ? 分身の術でも使うんだろうか。忍者みたいに。
族長達が深い溜息をついた。
ハビに若干の不快感をおぼえたのが伝わってくる。それでも、彼がこの場にいることを辛うじて許したらしい。
「では早速……ティズ、バタンに向けて出発できるのはいつ頃になりそうか」
「既に勝利より五日、当座の糧食は用意済みゆえ、いつでも」
ここからバタンまではさほどの距離もない。仮にバタンを前に布陣して、何十日も睨みあうことになっても、そうそう補給に苦労したりはしないだろう。
「後方はどうする」
「シジャブに任せる考えですが」
「しかし、ネッキャメルだけに任せるのもな」
「では、わしが残ろう」
ティズの向かいに座ったタッサルブが声をあげた。
「情けないことだが、先の戦いで馬より叩き落されてこのざまじゃ。一族の者達の多くも傷つき、すぐには役に立てまい。兵糧を届け、敵を見張る仕事は任されよ」
「ふーん……」
アラティサールは何か考えるような素振りをみせたが、少しして頷いた。
「ではタッサルブ殿、当面、フィアナコンはお任せする」
あくまでミルーコンの名は使いたくないらしい。
「それで敵情について、どれほど明らかになっているかだが」
視線が自然とハーダーンに向けられる。
「あ、それは」
口ごもりつつ、しかし彼は、知っていることを述べた。
「あくまでセミンの連中が言っていたことでしかないが……バタンにアルハールの主力が勢揃いしているらしい」
「主力、というと?」
「風と土、二人の賢者を伴って、次期族長のムナワールが直々にやってきた、と聞いた」
アラティサールは難しい顔をした。
「魔術兵、か」
「それだけでなく、キジルモク氏族のアルカンが、傭兵部隊を引き連れてきたという。フマルも、族長のハダーブが直々に兵を率いてきたそうだ」
だが、追加の情報にはさして興味をおぼえなかったらしい。
「フマルなど」
その口調には、明らかに軽侮の気持ちが込められていた。
「敵を軽んじるべきではありませんぞ」
ティズが重々しく警告する。だが、彼は取り合わなかった。
「先の戦で奴らがどれだけ醜態をさらしたか、忘れたのか。いや、覚えていて言っているのか」
「恥辱が力になることもある。彼らを三十年前と同じと考えるほうが危ういのでは」
「それならまた、誰かネッキャメルの勇士を一人送り込んで、黙らせればよいではないか。だが、今度また同じことをしてみせたところで、さすがに大手柄とはいくまいがな」
はて、と違和感をおぼえた。
アラティサールは随分とフマルを甘く見ているようだが、これまで戦った限りでいわせてもらえるのなら、彼らは決して軟弱な連中などではなかった。特に年嵩の戦士の覚悟には相当なものがあった。塔の上から突き落とされるときにも、恐れを顔に出さなかったのだ。
過去に何があったのだろう?
タッサルブが確認する。
「騎兵と言えばセミンじゃが、そういえばアラティサール殿」
「なにか」
「ハリジョンでは、セミンの大戦士長、タリアンを見かけなかったか」
「いや」
このやり取りに族長達は顔を見合わせた。雑兵どもは散らしたものの、敵の中核戦力は温存されている。
「走竜はまだ無傷で残っているとみるべきだな」
「バタンの城壁も考えると、なかなか難しいのではないか」
他の族長達も口々に意見を述べる。
「思うに」
ティズが静かに口を開くと、みんなそちらに注目して沈黙した。
「敵方もかなりの損害を被っているはず。アーズン城を囲んでいたフマルやセミンの兵はほぼ全滅しているし、ブスタンからの敗残兵もどれだけ合流したか。特に三方に騎兵を送ったセミンには、もう走竜くらいしか、まともに戦える兵がいないと考えていい」
「アルハールはどうだ」
アラティサールの指摘に、ティズは落ち着いて応えた。
「ハリジョンを攻めていた艦隊がほぼ無力となったとすれば、あとはジャンヌゥボンを守るための最低限の兵が居残っているはず。名のある者達を前に出したにせよ、キジルモクの傭兵まで駆り出しているところをみると、せいぜいバタンに詰めているのは二、三千ほど。フマルも、全力をバタンの支援にはまわせないでしょうな。多く見積もっても三、四千かと」
つまり、兵数だけを単純比較すれば、こちらのほうが多いだろう、という見通しだ。
「野戦でなら、勝ち目は充分にある。しかし、バタンを攻め落とすとなれば、そう簡単には」
「ほう、ではどうする」
「我らも恨みがあるゆえ、戦わずに済ませるのは難しい。ここは一度、あちらを打ち負かして譲歩を求め、講和に繋げるというのが上策かと」
そんなことをされては困るのだが。まだフマルの連中を皆殺しにしていない。
「甘いな」
アラティサールは嘲笑って言った。
「ではどうなされる」
「一度打ち負かすのはいい考えだ。あちらもきっと打って出てくる。それでこちらが有利を取れたら、一部の兵を送って南部を荒らしてやればよい」
ティズは難しい顔をした。
「いっそジャンヌゥボンを狙うという手もあるな」
「あの堅固な城塞を……正気ですか、アラティサール殿」
「こちらの艦船はほぼ無傷だ。無茶とも言えないだろう。それに旨味がなくては戦う気になれまい。なぁ、ハーダーン」
そう声をかけられて、彼は俯いた。
頭の中では雑音が鳴り響いている状態に違いない。ティズがフィアナコンを分捕ったのは、フィアンの人々にとってもベターな選択だった。しかし、これだけのことがあった以上、戦後に街を返還しますよ、ということにはならない。仮にティズがそれを望んでいようとも、けじめの問題がある。誰よりアラティサールが認めないだろうから。ここまできてしまったら、それこそバタンでも攻め落とし、そこの利権を分配してもらうのでもなければ、先がない。
だが、それではニザーンの取り分がない。ハーダーンにそこまで考える余裕があるかどうかは怪しいが、アラティサールはここでフィアンを磨り潰すつもりなんじゃないか。ネッキャメルばかりにおいしい思いをさせるのは気に食わないだろうし。
「ニザーンの兵はそこまで疲れていない。明日にでも出発しよう。では、段取りを決めねばな」
アラティサールが身振りで示すと、カーテンの裏から慌ただしく数人が駆けだしてきて、テーブルを真ん中に置いた。そこにはバタン周辺の地図が描き込まれている。
「まずは目先の一戦。確実に勝ちを収めていこうではないか」
そう言う彼の顔は、なぜか自信に満ちているかのように見えた。




