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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十章 血墨戦役
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緒戦の勝利

 ブスタンの南門付近は、血と屍に塗れていた。

 俺はそれを、奇妙な気持ちで見下ろしていた。なんだかやけに見覚えがあるような。


 そうだ。食材の市。例えば築地のような。あれだって死体の山じゃないか。

 すぐ足下にも、俺の剣によって、胸の前半分が斜めに切り裂かれた男が転がっている。普通、こんな斬れ方はしないものだが。まるで解体中のマグロみたいに見えた。


 敵の戦力が集中するであろうこの入口に、ラークは主力を割り当てたはずだ。だが、数の暴力には敵わず、黒の鉄鎖に押し込まれてしまったようだ。いくら俺が、少し離れた塔の上から火球を叩きつけても、それで死んだのはせいぜい百人そこら。小さな損害ではないものの、足を止めてくれはしなかった。その後、地上に降り立って見境なく殺戮したが、それでも一掃できたのは戦線のごく一部だけ。

 それで俺は、最大の激戦地になりそうな方へと駆けつけた。到着してみれば、無念にもラークは劣勢らしく、味方の姿がない。


 だから、遠慮なく暴れた。

 体ごと飛び込んでいって、左右に剣を振れば、門の付近に密集していた兵士達があっさり肉塊に変わった。応戦してくる相手もいたが、その頃にはもう、すっかり余裕ができていた。剣で斬ったのでは一瞬だ。つまらないと思った俺は、あえて素手で相手の頭を掴み、いちいち丁寧に南門の壁に叩きつけた。その感触の心地よさといったら。頭蓋骨が折れて潰れていくその瞬間、指先に伝わる死の実感。何かに似ていると思った。そうだ、口の中で溶かした氷をゆっくり噛み砕くような。

 そうして目につく一人ずつを、まるでお菓子を一口ずつ食べるようにして平らげていった。気付くと、周囲には誰もいなくなっていた。ただ折り重なった死骸と、むわっと立ち込める血と汗の臭いばかりが取り残されていた。


 はて、戦いはどうなったのだろう? やっとここで流血への渇望が収まり、少しだけ冷静になった。

 俺は何も考えず、ただ夢中になって殺しを楽しんでいた。塔の上から百人程度、そこから飛び降りやはりそれくらいは殺しただろうし、今も門の前にいた数十人を片付けた。だが、敵は二千人程度はいたはずなので、一部は街の奥へと進んだはず。

 勝利を手にするためと考えるなら、奴らは本丸、つまりネッキャメルの頭領であるラークを討ち取ることを目標とするはずだ。


 戦場がこれだけ広いと、局地的な勝ち負けは、そう簡単には伝わらない。ここで俺は圧倒的な殺戮を展開したが、多くの敵兵はまだ、自分達の優勢を信じている。だから、市内で戦闘を継続しているはずだ。

 指揮官は殺したと思ったが、他にもまだいたのかもしれない。俺が爆殺したのはセミンの頭領の一人だった。まだフマルのリーダーがいるのではないか。


 門を確保していた敵兵はもういない。その向こう、建ち並ぶ家々によって僅かに蛇行するブスタンの大通りが、途中まで見える。この場所を奪回するために戻ってくるラークの兵はいない。そして、遠くからかすかに怒号のようなものが聞こえてきた気がした。

 反射的に、俺は駆け出していた。


 張り詰めた空気の中の静寂ほど恐ろしいものはない。この上なく密に組み上げられた足下の石の床の上には、ものも言わず肘をついたまま横たわる男の姿が見える。胸を一突きされたのだろう。その横には、折れた旗が見える。下半分が白、上半分が赤。これは赤の血盟の同盟旗だ。

 道の中央は、不自然なほどすっきりと、障害物がない。なのに左右には、押しのけられたような遺体が転がっている。死んだ馬も。しかも、ふと気付いたのだが、バリケードらしきものがない。木材で組んだ障壁が焼かれたり砕かれたりすれば、何かしら見つかるはずなのに。どうにも不自然な印象がある。


 懸念していたことが起きてしまったようだ。

 恐らくは古老達のうちの誰かが、敵氏族と内通していた。既にブスタンのどこかに潜んでいたのだろう。それが外からの襲撃と同時に動いて、大通りを後ろからこじ開けたのだ。

 逆を言えば、その計画に期待できそうだったから、彼らは一気に強襲をしかけた。時間をかけての包囲ではなく、短期決戦を選んだ。時が過ぎればその分、潜伏した仲間が発見されるリスクも高まるためだ。


 とにかく、それならラークを死なせるわけにはいかない。街の中心部に向けて、俺は走り出した。

 街路を抜け、広場に出たとき、予想通りだったとはっきりした。


「燻し出せ!」


 そんな声が聞こえる。

 湖の畔のあの六角形の木造の東屋が、臨時の作戦本部になっていた。その中に、ラークと数人の戦士が詰めていたのだ。風通しのいい大きく開いた窓も、今は木の板で補強され、外からの矢を防ぐことができる状態だ。

 しかし今や、それが三十人近い敵兵に囲まれている。馬鹿正直に突っ込んでいけば、建物の入口のところで囲まれて斬られるだけなので、敵方の兵はそれを遠巻きにし、火矢を浴びせている。

 俺は連中のそのまた後ろに出たのだ。ラークとその仲間が立て籠もる東屋とは、反対側に立っている。


 間に合った。

 最初に思ったのが、それだった。次は敵の注意をこちらに。全員が俺を狙う限り、負けはない。


「うおおおっ!」


 わざと雄叫びをあげて、集団の中に切り込んでいく。


「なんだ? どこから!」

「敵だ!」

「射殺せ!」

「構うな!」


 敵方の指示は混乱したが、火矢がいくつか飛来した。軽々はたき落とし、曲刀を手にして前に出てきた戦士の首を、勢いよく刎ね飛ばした。


「そいつは相手にするな! 言った通り足止めして、先にラークをやれ!」


 まずい。どうやら俺の戦いぶりを見て、逃げ出したのが混じっているらしい。合理的に考えれば、やたらと手強い変な奴をいちいち相手にするより、先に総大将を討ってしまったほうがいい。

 槍を手にした兵士が五人ほど、俺を遠巻きにして取り囲んだ。倒しきれない相手ではないが、向こうは最初から時間稼ぎのつもりでいる。俺が殺しを楽しんでいるうちに、対策を考えていたか。


 視界の隅で、東屋の屋根が大きく燃え上がった。

 これでは、もう中にはいられない。案の定、ラークと四人の兵士が、噎せながらそこから転がり出てきた。


「押し潰せ! 逃がすな!」


 このままでは。

 しかし、足止めに徹した戦士達を切り伏せてからでは時間が。刺されるのは別に構わない。痛みには耐える。それでも、回復するのに時間がかかってしまっては意味がない。

 なら火球……いや、それはそれで、東屋に肉薄する戦士達を狙うと、一緒にラーク達まで爆殺してしまう。身体操作魔術の魔法の矢……詠唱に時間がかかる上に、一人ずつしか始末できない。

 考えても仕方ない。ならやっぱり、強行突破するしか。


「邪魔だ!」


 俺が突っ込もうとすると、槍を手にした戦士達は、それぞれ道を空けるようにステップを踏んだ。真ん中が下がり、左右が回り込む。


「このっ」


 左手に回り込んだ戦士の槍が突き出された。その穂先を一瞬で刈り取り、そのまま勢いよく飛び込んで、袈裟斬りにする。一人。

 さすがに仲間をやられれば、少しは怯むかと思ったのだが、彼らはそれでも立ち塞がっている。顔色は変わっているが、むしろそれで俺の手強さを再認識したのか、構えには乱れがなかった。


 こうしているうちにも、ラーク達は二十人近い敵に囲まれ、もはや斬り合いになっている。時間がない。


 そっと口の中で詠唱する。

 正面に立つ敵の一人がよろめいた。彼に斬りかかろうと一歩を踏み出し、そこでいきなり左手に剣を持ち替えて、横を向かずに剣を振り抜いた。返す刀で正面の男も肩から真っ二つにした。


 手際の良さに気付いた二人の生き残りは、血相を変えて飛び退いた。そこで槍を左右に振り始める。意地でも俺に踏み込ませまいというつもりか。


「よっし! やれ!」


 興奮した声が聞こえて、はっと顔をあげる。

 ラークの横で戦っていた戦士が今まさに力尽きてターバンを血塗れにしながらずり落ちた。そのがら空きの右肩に、曲刀が振り下ろされる。


「ラーク!」


 やっぱり間に合わなかった!

 急いで前へと飛び出そうとしたとき、視界を横切る小さなものに気付いた。


 曲刀は、振り下ろされなかった。襲撃者は身を転がして足下の砂地に身を横たえ、胸に刺さった矢を掴んでいた。

 今のは……


「誰だ! ウッ!」


 また一人、矢を受けて膝をつく。

 西の市街地の建物のどこかから、誰かが敵を狙撃しているのだ。


 今だ。


 立ち塞がる二人の兵士の視線が一瞬、逸れるのに気付いて、俺は大きく踏み出した。そいつはこちらに気付いたが、もう手遅れだった。槍の柄ごと真っ二つになり、そのまま石の床に腸をぶちまけた。それを跳び越え、駆け付ける。


「きやがった!」

「急げ!」


 もう遅い。接近戦になれば、どうとでもなる。間合いに差のない曲刀では、俺の剣は受けきれない。

 技も何もない。大振りに叩きつけるだけで、受け止める曲刀ごと真っ二つにへし折って、胸を斜めに切り裂ける。一秒に一人ずつ、敵が倒れていく。


「ぐっ、お、おのれ……ぐあ!」


 怒りを露わにした敵の戦士長らしき男が、背後からラークの剣に胸を刺し貫かれた。

 これで、襲撃者は全滅したようだ。


「済まない、気をつけてはいたが、結局罠にかかった。君のおかげで助かったよ」

「いえ」


 俺は首を振った。


「助かったのは、僕のおかげではありません」

「なんだって?」

「間に合ったのは、あの矢があったからです」


 俺は、西の市街地に繋がる湖沿いの街路を眺めやった。そこにはいつの間にか、人影があった。

 肩にはくすんだ色のマント。膝から下には革の脛当てが紐で固定され、胸にも革の胸当てが。頭には固く結ばれた頭巾。矢筒を背負い、腰には短めの剣。長弓を手に、そこに佇んでいた。

 まるで男の兵士だが、胸の膨らみがそれを否定している。火のような眼差しが、こちらに向けられていた。


「助かりました。僕だけでは間に合わなかった」


 静かに歩み寄りながら、彼女は俺の前に立った。


「でも、なぜ」


 理由がわからない。

 ジルには、戦う理由がない。いや、あるのか?


 ミルークは、フマルの敵意によって殺された。赤竜が殺したのだとしても、原因は黒の鉄鎖にある。だが、彼を憎み、復讐するためにすべてを捧げた彼女が、なぜ武器をとるのか。

 彼女にとってのミルークは、父親であって父親ではなかった。夫ではなく、しかも唯一の男だった。しかし、もしここに彼がいて、意見を許されるのなら、彼女が戦うことにはきっと賛成しなかっただろう。


「わからない」


 そう言うと、彼女は皮肉げに微笑んで首を振った。

 だが、その不思議と穏やかに見える表情の中に、俺は確かな決心を見て取った。


 わからない、というのは、意味がないことを意味しない。意味はある。それを言葉にできない。説明はできなくとも、やらねばならないという確信があるのだ。


 ようやく状況を把握したラークは、俺に尋ねた。


「ファルス、君……彼女は?」

「ええと、名前は」

「ジル」


 短く答えた。本名を。


「えっ」


 慌てて振り返る俺に構わず、ラークは尋ねた。


「後日、必ずこの恩義に報いよう。それで、家名は。どこの氏族の者か」

「どこでもない」

「なんと」

「私に家名などないと言った」


 そう答えるしかない。

 身に纏わりついた意味が、答えることを許さない。


「ファルス」


 彼女は俺に振り返る。午後の、やや黄みがかった日差しが、彫りの深い彼女の顔を半分だけ照らす。


「私も戦う。連れていけ」


 ジルがそう言うのと同時に、街の南側にある塔の数々から、歓声があがる。

 味方が槍を手に、胸壁の上に身を乗り出している。敵の襲撃を跳ね返し、撤退させることに成功したらしい。

 そしてこの瞬間、ブスタンは戦場の緊張から解き放たれたのだ。


 俺達は連れ立って、街の南門を目指した。駆け付けた頃には、地平線の向こうに巻き起こる砂埃が、小さく遠ざかっていくのが見えるばかりだった。


「本当に勝ったのか」

「犠牲は少なくなかったようですが」


 改めて、手近に転がる死体の山に死線を向けたラークは、難しい顔をした。


「これは後片付けが……」


 言いかけて、返り血に塗れた俺に気付いた。そして、ここで何が起きたかを察したのだ。


「ラーク様」


 俺は肩をすくめた。


「ブスタンの古老達に伝えてください。あなた方は見捨てられたのではない。ティズはここに一番いい駒を置いたのだと」

今年もありがとうございました。

丸五年の連載。

こんなに長引くとは……


なんとか完結まで走り切れればと思いつつ、これからも続けて参りたいと思います。

読者の皆様には、引き続き楽しんでいただければ幸いです m(_ _)m

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― 新着の感想 ―
[一言] 600話まで読んだが、今が一番面白いです
[一言] ファルスくんの行く末を見届けることが生き甲斐のひとつとなっております。どうか、完結までよろしくお願い申し上げます。
[良い点] ファルスはかなりの力量を持ちながら攻撃範囲の問題でなかなか厳しい戦いになりましたね。 まだまだ展開が読めず、落とし処もわからないので続きが気になります。 [一言] 今年も一年連載ありがとう…
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