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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十章 血墨戦役
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戦場の悦楽

 慌ただしく響く蹄の音。居並ぶ人々は誰も無口で、駆け抜ける伝令をただ見つめるばかりだ。


「報告! 南より敵軍、合流済み! およそ千五百から二千!」

「距離は。いつここまで来る」


 湖の畔の広場に、ラークは防衛戦の総指揮官として身を置いていた。


「間もなく! 宿営地の設営を始める様子はありません。直接来ます!」


 この報告に、どよめきが広がる。

 ブスタンは、ろくに城壁もない街だ。それでも時間をかければかけただけ、住民がバリケードを強化するので、攻略が面倒になる。いちいち陣地を据えてゆっくり攻略するより、一気に迫って一気に攻め落としたほうが被害が少ないと、そう踏んだのだろう。南側の最後の水場はそう遠くもなく、朝に出発すれば、ゆっくり移動しても昼前には街にまで到達できる。


「甘く見られたものだ。敵は誰だ」

「旗印からすると、セミンとフマルです」


 早速来てくれたか。待ち遠しかった。


「騎兵か」

「走竜はいません。通常の騎兵です」

「わかった。下がっていったん休め」


 ということは、セミンの精鋭部隊はここには来ていない、と。

 それもそうか。こんな防衛力の低いオアシス都市に、中核戦力を投入する理由がない。一応戦士ではあっても、それこそ普段はただの遊牧民でしかない連中なのだろう。要するに、大半は寄せ集めだ。


「各自、配置につけ! 敵をこの街に入れるな!」


 ラークが槍を掲げてそう叫ぶと、周囲の兵士がオーッと声をあげて応えた。そうして、それぞれ事前に割り当てられた拠点へと走り去っていく。


「ラーク様」

「どうした、ファルス君」

「僕もこれから防御塔に向かいますが」


 彼は溜息をついた。


「何も逃げ場のないところで戦わなくてもと思うのだがな。今からではどうしようもないか」

「それより、確認ですが」

「なんだ」


 俺は、周囲に人がいなくなっているのを確認してから、そっと言った。


「前に申し上げた、僕らがこの街に入る前、ネッキャメルの人々が、あの水場で殺されていた件で……あれが今、どこにいるかの話ですが」

「ああ」

「あれから手掛かりはありましたか」


 苦々しげな顔で、彼は頷いた。


「何も見つかっていない。あり得るとは思うが、どうにもなるまい。古老達も全員がネッキャメルや同盟氏族の人間ではない。保身を図る者がいても不思議はないからな」

「とにかく、お気をつけて」

「ああ、君もな」


 それだけで、俺は頷くと彼に背を向けた。


 街の南側に面する、六角形の丈の低い塔。高さにして、せいぜい三階建てくらいか。正直、市内の建物とそこまで高さは変わらない。ただ、こちらにはしっかり石が組み込まれているので、強度では勝っている。戦うための設備なので、頂上の胸壁もちゃんと作られている。それだけは救いか。

 背後に建ち並ぶ市街地の建造物とは、少し距離が空けられている。この防御塔の前にも小さな堀があるが、後ろにもある。騎兵が通り抜けられないほどではないのだが、全速力で突っ切るのは防げる。その突進力を殺した先に家々が建ち並んでいる。だからこの防御塔は、防壁というより、出城みたいなものだ。

 ここに詰めるのは俺一人ではない。塔の頂上には五人、ネッキャメルの兵が立っている。みんな弓を手に、敵軍の到来を待ち受けていた。


 この、言い表しがたい緊張感はなんだろうか。誰もがリラックスして、変に力みを見せずに立っているのに。その眼差しには、思わず人を沈黙させるような何かが宿っている。

 戦う、ということの意味。これは狩りとは違う。戦いだ。砂漠で赤竜を相手に戦うのとも、少し違う。迫っているのは、ただの危険ではない。ある種の意味を伴うものなのだ。


 地平線の向こうに砂埃が見える。今いる高さから見渡せる距離だから、地平線までの距離はせいぜいのところ、十キロちょっとか。それよりは手前にまで迫ってきている。

 後ろを振り返る。今も急ピッチで投石器の発射準備が進められている。敵が突撃を仕掛けてきた際に一度、石をぶつけるのがせいぜいだ。相手は攻城兵器も持たない騎兵で、こちらもろくに城壁などの防衛施設がないので、投石器なんか置いてあっても飾りみたいなものだ。


 だんだんと敵の姿が大きく見えてくる。そろそろか。投石器より先にとなると、かなり力を溜めないと威力を出せないだろうから。

 残念ながら、俺にはアーウィンと同じだけのことはできない。彼はきっと火魔術の奥義まで知り尽くしているだろうが、俺はせいぜい、上級魔術までしか知らない。この指輪の性能も、ノーラが身に着けていたような最高級の魔道具に比べれば、きっとかなり劣っている。

 それでも、人間に許される範囲では、最高水準の魔力を行使できる。詠唱だけでなく、動作も省かず、丁寧に火の玉を練り上げていく。ほとんど赤い色を見せないままオレンジが黄色に、白に、そして……だんだんと青白くなっていく。気付けば、右手に嵌めた魔法の指輪の宝石も、赤から薄い青へと色合いを変えていた。

 右の掌の上で、拳より少し大きい青白い光球が、激しく回転し始める。砂漠の空気が掻き乱され、鼻先をかすめていく。後ろに控える兵士達が息を呑んだ。


 かなり間近に迫った敵が、足を止めた。だいたいの目測だが、街の外側、この城壁からおよそ一キロ弱の距離か。矢はもちろん、投石器も届かない距離。そこで整列し、待機している。前に一人、馬をゆっくりと歩かせつつ、後ろを向いているのがいる。あれが指揮官か。

 多分、ここからは突撃だ。馬が全力でこの距離を抜けるとなれば、一分とは言わずとも、二、三分以内にはここまで迫ってくる。ましてやサハリアの騎兵は軽装だ。


 旗が三種類くらい見える。一つは、白地に黒い円が描かれているようなデザインのもの。多分、黒い鎖が円環を形作っている様子を描いたものだろう。敵側の同盟の旗だ。もう一つは黄色い矢のマークが黒地の旗の中に見える。最後に、黄色い旗の中に赤い竜の首が描かれているのがあって、それが先頭集団に翻っていた。

 俺は指揮官の姿を目で追った。ピアシング・ハンドのおかげで、現在位置を見失うことはない。どうやら部隊の先頭集団に囲まれる格好で、こちらに向かってくるようだ。


 不意に動き出した。真ん中の集団が走り出すと、やや遅れて左右が駆け始める。見る間に楔形の陣形をとった。

 今は密集しているが、まもなく散開するに違いない。あちらからも、こちらの投石器が見えているのだから。なら、やるのは、その瞬間だ。


 俺は慎重に狙いをつけた。真横に投擲するなら線で狙えばいいが、斜め上から角度がついているので、どうしても点でしか当てられない。ぶっつけ本番でどこまでやれるか。


 隊列が、膨らみ始めたように見えた。

 右手を静かに、そこに向ける。詠唱の最後の一言を添えて。


 散々待たされた苛立ちか。身に纏わりつく空気を振り払うような勢いで、青白い光球がすっ飛んでいく。風を擦りながら、シュウッと小さな音をたてた。

 その光が、騎兵隊の中に吸い込まれて、消えた。


 次の瞬間、爆音が巻き起こった。砂埃が高く舞い上がり、冗談みたいに人の体が浮いた。横に撥ね飛ばされて、二、三度地面に叩きつけられ、転がったのもいる。爆心地の地面は抉られ、そこには押し潰された人馬がへばりついていた。

 だが、俺は失望していた。この程度の結果しか出せない。多分、人数にして百も削れていない。直接、爆発に巻き込めたのは、せいぜい二、三十人くらいだ。その他、爆風で十数人が死傷したくらい。それでいて、無駄に地面に穴を開けている。魔術の知識の不足ゆえか。


 それでも、あまりの破壊力に先頭集団の足が止まる。その間に、俺は急いで次の詠唱を始める。今度はもう、丁寧に狙うつもりもない。手っ取り早さを優先する。もう先頭にいた指揮官はどこにも見当たらない。

 後ろからの声に押されて、再度前進を始めた集団に、もう一度、火球を投げつける。青白い炎の槍が馬体を横倒しにし、人の手足を引きちぎる。せいぜい数百メートルの距離ともなると、兵士達の絶叫もここまで聞こえてくる。次。


 詠唱の途中で、敵の兵士の一人が、馬上からこちらの塔を指差した。さすがに気付かれるか。

 怒号が響くと、扇形に広がりつつあった敵が、一斉にこちらの塔目指して殺到してきた。轟く馬蹄の音に、後ろに控える兵士達も、さすがに顔色をなくした。


 恐らく、敵はこう考えたに違いない。ブスタン防衛のために、ネッキャメル氏族は選り抜きの魔術師を派遣した。であれば、最大戦力はあそこにある。あの塔の上で火球を投げつける厄介な奴を捕らえてしまえば、あとは勝ったも同然だ、と。

 その考えは、ほぼ正しい。但し、俺を接近戦で倒せるのであれば、だが。


 俺の横では、胸壁に身を預けながら、兵士達が懸命に矢を放っている。俺もそこに混じって、威力の小さい炎の槍を投擲した。だが、相手はもう覚悟を決めている。多少の被害があっても、構わずここを占拠するつもりでいるらしい。

 俺一人で戦っているのなら気楽だが。一応仲間なのだから、配慮くらいはしないと。


「皆さん、矢はもういいので、そこの出口を押さえてください。下の連中は、すぐ僕が蹴散らしますから」

「ど、どうやって……あっ!」


 ついに塔の真下に張り付いた敵の兵士めがけて、俺は飛び降りた。およそ十メートルの高さからの落下だったが、既に身体強化を済ませておいたおかげで、無事に着地できた。

 見上げると、胸壁の狭間から目を白黒させる味方の兵士の顔が見える。あまり出ないほうがいい。矢が飛んでくる。


 それより、やっと好き放題に剣を振るうことができる。


「なんだ、こいつは」

「この高さから落ちて」

「いいからやれっ」


 馬上から槍が繰り出される。剣を引き抜きざま、軽くなぞるだけで、穂先がすべて落ちた。

 異様な結果に、彼らは思わず目を丸くする。


 驚くのも隙だ。

 俺は構わず前に出て、馬の首ごと薙ぎ払った。そいつは悲鳴もあげず、上半身を馬の背からずり落とした。そのまま突っ伏し、指先で砂を掻き毟る。

 手応えがいい。やはりというか、この剣は俺の望みに応えてくれているらしい。これは斬ったのではない。溶けている。この状態なら、なんだって両断できる。


 我に返った敵兵が、周囲から一斉に俺を押し潰そうと迫った。俺は余裕をもって剣を左右に振る。それだけで何もかもが真っ二つになった。剣も、槍も、盾も、馬も、人も。降り注ぐのは赤黒い血ばかり。相手が止まって見える。

 まるで砂場の砂山を蹴散らすみたいだ。腕を一振りするだけで、血飛沫が舞う。栓を抜いたビールを浴びせられた気分になる。血と臓物の臭いが立ち込める。だが、それが少しもいやではなかった。

 殺しまくると、敵と距離ができてしまう。それが不満だった。楽しいのに、すぐ終わってしまう。そうなったら、また次の砂の城を追いかけて、蹴飛ばさなくてはいけない。これはそういうゲームなのだ。そしてまたすぐ、バケツをひっくり返したような音が聞こえる。バシャッ、と血液が降り注ぐ。

 ふと、右腕は血塗れなのに、左の肩に赤い汚れがついていないのに気付いた。これじゃあだめだ。返り血で全身真っ赤にしたい。そうだ、それを目標にしようか。


「くっ……! 正面からやりあうな! 射殺せ!」


 お楽しみが過ぎたらしい。ビーンと弦の揺れる音がしたかと思うと、俺は砂地の上に突っ伏していた。


「この野郎!」


 頭上から声が降ってくる。

 ああ、そうか。左足と胸を射貫かれた。こんなもの……


「待て! まだ生きてるぞ!」

「虫の息だ。殺せ!」


 ぐっと力を入れ、右手と左手を、それぞれ刺さった矢羽根に添える。そして立ち上がると、強引に力ずくで引き抜いた。


「おあっ!?」

「こいつ、メチャクチャな」


 軽い痛みが走る。だが、それに遥かに勝る興奮が、頭の中に渦巻いていた。

 剣、剣。どこいった? そうそう、これこれ。


「なんだ!? あんな抜き方をして、なんで平気な顔を」


 ああ、そうだ。ミスリルの武器にだけは気をつけよう。忘れるところだった。

 あれでやられると、傷が治らなくなる。他はいいけど、それだけは注意しよう。


「か、かかれ! トドメを刺せ!」

「ははははは!」


 俺は思わず、自分でも説明できない感情に駆られて、大笑いしてしまった。

 一瞬、敵兵はうろたえたが、それでもなお、馬の腹を蹴って突っ込んできた。それを横から輪切りにする。


 心地よい悲鳴が耳に響く。

 やった。今ので、左肩も赤くなった。他はどうだろう。もっと赤いシャワーを浴びなくては。


「あは、あはははは!」


 笑うのが自分でもやめられない。やめる必要がない。こんな爽快なことが、他にあるか。

 そうだ。俺はずっとこうしたかった。いつもいつも、人の世のしがらみに囚われて、自分を抑えていたのだ。そんなもの、ただの偽善でしかないとわかっていながら。

 今は自由だ。俺が望んだ通りになっている。俺がこの世に生まれ変わるとき、何を願った? 奪ってやりたい。命を奪う以上の喜びが、他にあるだろうか?


 夢中になって剣を振るううち、気が付くと目の前に黄土色の地平線が広がっていた。

 なんで? そこでやっと我に返る。敵の隊列を突き抜けてしまったのだ。


 だが、まだ続きがある。街の前面には、まだいくらか敵がとりついている。なら、続きができる。


「待て……」


 俺は左右を見回してから、西側にある街の入口の門付近に固まる敵に向かって突進した。


「待てぇっ!」


 殺したりない。もっと、もっと。

 俺は殺戮の悦楽に酔いしれながら、敵の人馬を求めて猛り狂った。

闇堕ち一段階目ですね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 居なくなって分かる、ノーラの絶妙な立ち位置。 [気になる点] 主人公が狂っちゃう場面ってスッキリして好きなんだけど、何処か不安になる。背徳って言うんですかねこういうの。 [一言] ノーラは…
[一言] 無双ゲーのキャラかな?
[一言] 人倫という鎖から開放されたら、これくらいのことは出来てしまうんですよね……。誰かがファルス君を引き戻してくれる日が来るでしょうか。
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