ブスタン開戦前
俺が広場に戻ると、すぐさま一人の男が近付いてきた。ラークの部下だ。どうやら俺の姿が見えず、古老達も何も命じていないとのことで、途方に暮れていたらしい。すぐさま、街の中心部の宿舎へと連れていかれた。
「どこへ行ったのかと思ったよ」
「済みません、偶然知り合いに出会ってしまって」
「知り合い?」
だが、ジルのことは表沙汰にしないほうがいいだろう。ネッキャメルにとって仇敵だった一族の娘なのだから。
「個人的なことです。済みませんでした」
「ああ。じゃあ話をさせてもらおう」
宿屋の一階にある広い食堂を作戦会議室にして、ラークは前に立って説明を始めた。
「待っている間にさっきも軽く話したが……まず、私はこの街を離れられない」
この一言を口にするのに、どれだけの覚悟を要したか。
撤退はしないしできない。少人数での奇襲を繰り返す足止め作戦にも出られない。もしやるとしても、配下達に任せなくてはいけない。ネッキャメルの代表として、責任を負わなくてはならないのだ。
「この街の若い男達を動員して、兵力とする。頭数だけなら、攻め手に匹敵するだろう」
みんな黙って聞いていたが、ここで深い溜息をつくのが聞こえた。
数だけなら。それは期待できない戦力だ。
数万人の人口を擁するブスタンだが、住民が全員ネッキャメル氏族の人間なのではない。支配権があるだけだ。では、あとは誰が住んでいるかというと、同盟氏族の人間か、その他雑多な氏族のきれっぱしだったりする。
千年以上もの間、幾多もの興亡を繰り返してきたサハリア東部だ。名のある大氏族が生まれては消えていく。その大氏族から支族が生まれ、それもまた滅んだり、散り散りになったりする。直接的な戦争で破滅した場合には、或いは殺し尽くされて子孫も残らなかったりするのだが、一度の打撃で全滅せず、ただ利権を喪失しただけで済んだ場合には、その後、ゆっくりと衰退して離散するというパターンもある。
彼らもサハリア人としての感情ならある。しかし、帰属意識の向き先が明確ではない。氏族のまとまりをなす本家も、既にどこにあるかわからない。長い年月の間に共同体が解体され、孤立した人々だ。そして、今は大氏族の庇護を受けて、街の中で一定の利権を得て、働いている。
不遇な立場と言えるだろうか。社会の上層に迎えられる機会が極端に少ないという意味では、まさにその通りだ。しかし、どこの血族にも属していないという意味で、自由でもある。彼らの関心事は自分達の利益と安全、そして地縁にしかない。必然、強敵に対しては士気も低く、下手をすれば寝返りさえ起き得る。
もちろん、盗賊相手に戦うくらいならできる。街が戦火に見舞われれば被害を被るし、巻き添えで虐殺される可能性もある。敵氏族の支配下に入ることで更なる負担が生じる場合もある。だから、彼らにとっても、今の体制が続いたほうが望ましくはあるのだが。
「三つに分かれて活動しようと思う」
ラークは、壁に貼った簡単な地図を叩きながら言った。
「私はここブスタンに本拠を置く。残り二つの別動隊を用意して、そちらには偵察と奇襲を任せたい」
一つは、アーズン城を経由する南西からのルート。もう一つは、サハリアの砂漠のど真ん中を突っ切る。バタン、フィアナコン、そして広い砂漠の真ん中に点在する水場を経由しての南ルートだ。
「敵に打撃を与えることより、妨害に力を注いで欲しい。とはいえ、日数もかなり過ぎた。既にヌクタットが落とされていて、ここに来るのに三日もかかっている。恐らくだが、アーズン城はもう、敵に包囲されているだろう」
ラークの説明を、彼らは緊張感を漂わせながら聞いている。
「要所はいくつかある。アーズン城からここまでであれば、来る時に見たと思うが、一ヶ所だけ水場の近くに小さな峡谷がある。そこを奇襲の地点とする。だが、無理はするな。あちらも警戒しているだろう。無駄な犠牲は出したくない」
だだっ広い砂漠のど真ん中で少人数が無策に突撃しても、奇襲にはならない。だから、地形を利用する。逃げ場を確保できるよう、高低差や障害物のある場所を選ぶ。だが、そんなのは定石のようなものなので、あちらも当然、予期している。
「南側の進軍路も、ここから一日の距離に岩場があるが、こちらも無理はしないで欲しい。判断は現場に任せる。責任は私が負う」
男達の目の色が変わった。怒りのようなものが滲んでいる。
「ラーク様はどうなさるのですか」
「私か? 私は、ブスタンに残って、敵軍を迎え撃つ」
「ここは前に出て、敵と直接に干戈を交え、その実力を確かめるべきでは」
そのような申し出を受けて、ラークは穏やかな笑みを浮かべた。
「お前達の力量を信じている。そこは心配いらない」
「しかし、我々は小勢です。それであれば、ここで兵を集めるより、良い手があるかと」
「なんだ」
「ブスタンを、渡さない。そういうことです」
その意味するところを悟ったラークは、しかし、黙って首を横に振った。
ザ・中間管理職といったところか。ラークは一人で何もかもを背負い込もうとしている。
ネッキャメルの頭領達の会議において、ブスタンを優先するティズの意向は取り下げざるを得なくなった。その分、ラークは汚れ役を演じなくてはならず、こちらの古老達に言い訳をする羽目になった。ところが、今度は古老達からも信用されず、こちらもいつ裏切られるかわからない立場となった。
命懸けでブスタンを防衛するためにやってきた兵士の気持ちとしては「それならもう、こんな奴らなど知るか」なのだ。あくまでこれは、二大勢力の抗争であって、ブスタンを救うための戦争などではない。
だからラークにも、好きにしていいと言う。偵察の名目で逃げてしまえ、どうせネッキャメルの頭領達も、この厄介な仕事をまだ若いラークに押し付けたんだろう、百人っぽっちを寄越しておいて、ブスタンを失ったとて、誰が文句をつけられるものか、と。
だが、ラーク本人からすれば、そういうわけにもいかない。
それで二つ目の提案だ。
ブスタンを渡さない。同胞や同盟氏族の人間は生かして逃がすが、あとの市民など、どうなっても構わない。裏切られる可能性もあるのだから、いっそ街ごと焼き払ってやろう、と。
これはこれで有効な対策だ。ブスタンの豊富な物資を渡さなければ、アーズン城を囲む敵軍は、フィアナコンからの長い兵站線を維持しなければならない。つまり、襲撃する場所を選び放題になる。ゲリラ戦で抵抗を続けるなら、なかなか悪くない選択だ。最悪、ネッキャメルが敗れても、ニザーンの拠点であるジャリマコンを落とすのに、補給の問題を突き付けることができる。
古老達が市民兵を集める前であれば、組織的抵抗が生じない分、先んじて街を破壊するのも不可能ではない。
しかし、ラークはこれをも却下した。
今はこれ以上、ティズの声望を落としたくない。許可はされている。だとしても、命に代えても、そこは譲れない。同胞が族長の下に集結するまでは、自分達が捨て石になってでも、きれいな戦い方をしなくてはならない。
もちろん、だからといってブスタンを無傷で渡すわけにもいかないのだが。
「それで、班を三つに分ける。南西の道を守ろうという者は私の右手に、南の道を見張る者は左手に、ブスタンに居残る者は私の傍へ。希望を確かめたい」
この選別に、男達は目を見合わせた。だが、すぐ彼らは決断した。だいたい半分くらいがラークの下にとどまり、あとの半分がそれぞれ各ルートの監視にまわるという意思表示をしたのだ。
「これでは偵察に支障が出る。ブスタンに大勢残しても仕方がない。二十人までだ。あとは偵察にまわってくれ」
そう言うと、ラークは男達を見比べて、若い者から優先して、左右の偵察隊に割り振った。肩を押して、そちらに行けと追いやる。状況が悪ければ黙って逃げてよい、という意味だ。
戦場の指揮官としてはあまりに甘すぎる判断だと思う。厳しい軍令に部下を従わせるのが本来の役目なのだから。ただ、今回に限っては、むしろ彼らの誇りをいい方向に刺激しているように見える。
「ファルス君、君はどちらに行く?」
「僕はブスタンで戦います」
すると彼は困ったように溜息をついて眉を曇らせた。
「偵察の仕事は重要だ。逆に大人数でぶつかり合うブスタンの会戦では、君の仕事はそんなにないと思うよ」
「どちらから来るか、はっきりわかっていれば、そちらに行くんですが」
「ははっ、それじゃあ偵察の意味がない」
俺の返答にラークが笑うと、確かにそうだ、と男達も軽く笑い声をあげた。
「僕からお願いをしてもいいですか」
「なんだい」
「敵が街に迫ったときに、こちらから加える最初の一撃を、僕に許して欲しいのです」
この言葉に、ラークは笑みを消しかけた。男達も、少し真面目な顔をする。
「ファルス君、それは少しよくない」
「おっしゃることはわかります。手柄を横取りすることになりますから。でも、ネッキャメルの戦士達に恥をかかせたいのではありません。名誉などいりません。何の褒賞もいりません。遠慮なく敵を討ちたい。それだけの願いでここにいるのです」
「ふぅむ」
腕組みすると、ラークは少し考えてから言った。
「ここには弓の名手もいるし、街からは数も多くないが、投石器が持ち出されるだろう。街を守る戦いなのだから、当然、そちらが一番手になる。飛び道具の応酬の前に一人で前に飛び出すのは当然認められないが、それでも先に手を出せるというのなら、もちろん好きにしていいとも」
「わかりました。確かに今、お約束いただきましたよ」
これさえ確保できれば、あとは何もいらない。
「では、みんな、準備に取り掛かって欲しい。悪いが偵察に出る者には今夜から動いてもらう。恐らく、四、五日のうちには敵軍がここまで迫ってくるだろう。力を尽くして欲しい。解散!」
あと三日はある。
そう考えながら、俺は宿屋の外に出た。
既に周囲は薄暗くなり始めていた。通りのあちこちに、槍を手にした男が立っている。互いに声掛けをしながら周囲を見張っている。黄土色の家々が、黒い影に染まっていく。その上で、あくまで晴れ渡った空が、茜色から次第に紫色へと、若干の色の濁りをみせながら移り変わっていく。
とりあえず、俺がやっておくべきは能力の組み換えだ。枠は限られているが、もっと戦闘力を高めなくてはいけない。
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(自分自身) (12)
・アルティメットアビリティ
ピアシング・ハンド
・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力
(ランク9)
・アビリティ マナ・コア・火の魔力
(ランク9)
・アビリティ 魔導治癒
・マテリアル プルシャ・フォーム
(ランク9+、男性、11歳、アクティブ)
・スキル フォレス語 6レベル
・スキル サハリア語 5レベル
・スキル 身体操作魔術 9レベル+
・スキル 火魔術 9レベル+
・スキル 剣術 9レベル+
・スキル 格闘術 9レベル+
・スキル 騎乗 6レベル
・スキル 料理 6レベル
空き(0)
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三日間、そして入れ替え可能なのが三つ。「騎乗」「格闘術」「フォレス語」は、今すぐ使えなくても困らない。馬に乗って移動する機会はしばらくないし、武器を手放しての超接近戦に至る可能性も低い。また、ここではサハリア語の方が便利だ。
そうだ、と思いつく。こんな風に自分を改造してはどうだろう?
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(自分自身) (12)
・アルティメットアビリティ
ピアシング・ハンド
・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力
(ランク9)
・アビリティ マナ・コア・火の魔力
(ランク9)
・アビリティ ビーティングロア
・アビリティ 魔導治癒
・マテリアル プルシャ・フォーム
(ランク9+、男性、11歳、アクティブ)
・マテリアル ドラゴン・フォーム
(ランク7、男性、325歳)
・マテリアル 神通力・飛行
(ランク9)
・スキル サハリア語 5レベル
・スキル 身体操作魔術 9レベル+
・スキル 火魔術 9レベル+
・スキル 剣術 9レベル+
・スキル 料理 6レベル
空き(0)
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赤竜に変身する手段を用意しておく。但し、変身してからでは詠唱もできなくなるので、その場合には剣術や身体操作魔術をバクシアの種に戻して、「怪力」や「痛覚無効」、「爪牙戦闘」といった能力を身に着けるべきだろう。場合によっては、本来の赤竜にない能力を組み込むことも視野に入れる。
鳥に化けたとき、俺は練習によって空を飛べるようになった。一方、神通力だけで飛ぼうとしても、これはうまくできなかった。しかし、赤竜という、本来空を飛ぶ存在になってから神通力を発動させれば、或いはうまく使いこなせるのではないか。
今回のブスタンでの戦いには間に合わないだろうが、アーズン城やハリジョンも救援を必要としている。移動速度は何物にも代えがたい。試してみる値打ちはある。
本来なら、ここで待ち受ける必要すらないのだ。自分から探しに行って、敵をただ殺せばいい。だが、それではネッキャメル氏族の利益にならない。それに、こちらにはやりたい放題やる機動力も、今はないから、仕方なくだ。
三日間も空きがある。能力を入れ替えるいい機会なのだから。
だが、それにしても……
何か見落としている気がする。
俺達が砂漠の中の小さな水場でネッキャメルの一族の小集団が虐殺されているのを確認したのは、つい昨日だ。つまり、敵方の先遣隊は、俺達より一日以上早く、北方に達していたことになる。
しかし、ブスタンはまだ、戦火に見舞われてはいなかった。本体が来るまでは手出しを控えているのだろうとは思うが、では、奴らは今、どこにいるのだろう?
最悪の可能性を考えれば、既にこの街の中にいるのかもしれない。
だが、また少し考えて、それも小さなことだと思い至った。俺は敵を殺したいだけなのだ。ブスタンがどうなるかなど、本来は俺の問題ではない。
それでも一応はラークに相談しておくべきだろう。憶測にすぎませんが、と但し書きをつけて。
それより寄せてくるのは誰だろう? フマルか、セミンか。楽しみでならない。
もうすぐだ。やっとこの怒りをぶつけることができる。
自分がどこまでやれるか、この戦いで確かめてやろう。
やっと仕事納めです。
皆様、今年も一年、お疲れさまでした。




