叱責、処分、口添え
大勢の学生が、蒸し暑い室内に席を与えられていた。右手の大きなガラスの壁は、晩夏の陽光を遠慮なく素通りさせる。だが、今日に限っては、主催者に思うところがあるのだろう。レースのカーテンすら取り除かれていた。
この不快な環境にもかかわらず、抗議の声をあげる者はいなかった。誰もがなんとなく察していた。今日は懲罰の日。きっと彼は大変に不機嫌であるに違いない、と。既にある程度は噂が行き渡ってしまっているのかもしれない。そうでなくても、ここにはサロン参加者のうち、帝都出身者が一人も呼ばれていない。となれば、華やかな社交ではなく、真面目な打ち合わせになるだろうことは、容易に予想できた。
俺達から見て正面の扉が開くと、先頭にグラーブ、続いてアナーニア、リシュニアが出てきた。二人の妹が向かいの壁際の椅子に身を置くと、グラーブが一人で前に出て、壇上から話し始めた。
「新学期早々、集まってもらわなくてはならなくなった。済まないが、今日は楽しい話はできない」
誰も物音さえたてない。じっと動きを止めた蒸し暑い空気の中で、壁がグラーブの声を吸い込んでいく。
「夏休みが始まる前に、私は君達に伝えたはずだ。千年祭を楽しむのはいいが、節度は守るように、と。だが、私の注意を軽んじる者がいたらしい。大変、残念に思っている」
叱責の時間が始まる。息を吞むのが聞こえた。
「ファルス」
だが、最初に声をかけられたのは、俺だった。
「はい」
「武闘大会に出場して、派手に暴れてくれたそうだな」
「ええと、はい」
冗談ではない。出たくもなかったのにヒジリの暴走の結果、参加せざるを得なくなって。ある程度勝ち上がらないと恥になるからと我慢しているうちに、毎度毎度罵声を浴びせられ、あることないこと並べ立てられて。挙句の果てには決闘すら申し込まれた。それでやっと終わってくれたと思うのに、最後に説教まで浴びせられるのか。
「私は言ったはずだ。大会出場そのものは咎めない。だが、名誉を損ねるような振る舞いは避けるように、と」
「恐れながら、僕の過失がどこにあったというのでしょうか」
「過失、だと?」
その瞬間、グラーブの目の奥に、本当の怒りの炎を見出した。
「仮にも人の上に立つ者が、過失で済むと思っているのか。問われるのは常に結果だ。そして、君はどんな結果を残した?」
武闘大会、決勝進出。力量なら示した。でも、そういう話ではない。
「世界中の人々が詰めかける千年祭の最中に。ああもひどい笑い者にされるとはな」
「お兄様」
リシュニアが後ろから声をかけた。
「ファルス様は、ご自分でそのようになさったわけでは」
「黙っておれ!」
ここではじめて、グラーブが怒鳴り散らした。これには、その場にいた生徒達も驚き慄いた。
だが、これではっきりした。グラーブは、武闘大会のことしか口にできない。少なくともこの場では。だが、本当に叱責したいのは、別の話だ。具体的には、コーヒーの宣伝について、マリータ王女を頼った件。しかし、それをこの場では口にできない。前提としての公邸の機能不全があり、グラーブの力を借りるのが難しかったからという事情もあるし、そうでなくても、よりによって仮想敵国の代表の力を借りたという形になったことが、グラーブの恥になるからだ。
「一応、武勇のほどは示してきました」
「ふん。それも、あのひどい決勝戦がなければ、認めることができたのだがな」
ここへきて、真剣勝負になったことが響いてきてしまった。
「あれはなんだ。なぜあんな、見世物のような真似をして、決勝戦を台無しにした?」
「真剣を持ち込みたい、と先方から言われまして」
「馬鹿げている」
馬鹿げているのは俺じゃなくて、キースの頭の中だ。でも、説明したところで、無駄だろう。
そして、この俺への叱責はまた、遠回しにベルノストに対してのものでもある。武闘大会に出場したという点では、どちらも同じだったから。
「とにかく、不名誉を持ち帰ってはならんのだ。今後は身を慎むように」
「はい」
「わかればよい。座ってよろしい」
グラーブからすれば、この叱責は苛立ち半分、不安半分といったところではなかっただろうか。
怒りはある。ぶつけたい。だが、具体的に口実があるのは俺だけ。リシュニアにもベルノストにも、同じようにはできない。だが、その俺はといえば、タンディラールから手綱をうまく握るようにと命じられているはずで。サハリアの戦役のことは不完全にしか知らなくとも、スーディアの一件は完全な形で伝えられている。こんな危険な相手に、後先考えない罵声を浴びせるなど、できるわけもない。
ただ、彼にとって幸いなのは、俺に逆らう意思が全くないということだ。ただの叱責であれば、多少理不尽であっても、黙って受け入れる。俺の気分一つで世を乱すわけにはいかないのだから。
「このように、気の緩みということについては、私としても厳重注意ということで処分する以外にない。だが」
なんとも気の詰まることに、俺はただの前座でしかなかったらしい。
「これを諸君らに伝えるのは大変残念だが、それでは済まないこともある」
三人の王族がやってきた、向かい側の扉が、もう一度開かれた。そこから姿を現したのは、制服姿の男女だった。二人とも、青白い顔をして俯いていた。
「リック・アドヴォカット・パストロック、ポーラ・ベリッシュ・タギダ」
王都の年金貴族の家の出の二人の名前を、王子は略さず口にした。
「この両名について、芳しくない報告をせねばならない。私の仕事、とりわけこの夏の社交について、彼らは手伝いを申し出てくれた。ありがたいことでもあり、私としては快諾したのだが」
もはや涙を流すとか、そういう段階ですらないのだろう。恐怖と絶望に打ちのめされた二人は、幽鬼のようにただ、音もなく佇むばかりだった。
「こともあろうに、業者からの賄賂を受け取り、先方の言いなりになって、公邸の側の不利益を忘れて、身勝手な振る舞いに出た。そのことが明るみに出たので、今、こうして処分を言い渡さなくてはならなくなってしまった」
リックは唇を嚙んだ。悔しいのだろう。賄賂と言われた。そんな自覚はなかった。あまりに世間知らずだった。悪意はなかった。
気の毒だが、仕方がない。君側に侍るというのは、決して容易なことではない。さっき、グラーブも言っていたように、高い地位にある者は、結果を問われる。王子の側近という重大な立場を占めておいて、軽率にリベートを受け取り、それが賄賂同然のものになってしまうということに思い至らないという時点で、単なる無知ではなく、罪悪になってしまう。
「まず、この件は本国に伝えるが、留学許可の取り消しを陛下に依頼はしない。陛下のご判断があれば、そのようになるだろうが、私の側からは、そこまでの処分をするべきと伝える考えはない。サロンからの退会も命じない。但し、今後、卒業までの間、自主的なサロンからの退会も許可しない。また、本日限りで、本サロンの会合に参加することを一切禁止する」
半ば死刑宣告のようなものだ。サロンから退会はさせないが、今後の出席は許可しない。つまり、これは「他所で余計なこと言うんじゃないぞ」と釘を刺しているのだ。そして、もうダメな奴だと烙印を押されたので、二度と起用してもらえない。留学は取りやめにはならないので、学園を卒業はできる。でも、帰国しても、こんなマイナスの実績がついてまわるのでは、官職を得るなんて夢のまた夢。ポーラの方も、こうなってしまったのでは、ろくな縁談など得られまい。
死にはしないが、残りの人生、消化試合が確定してしまった。
「今日の会合は以上だ。居心地の悪い時間を長々と我慢してもらおうとは思わない。次は秋風の涼しさを喜べるような集まりとしたい。解散」
これで話は終わり、三人の王族は扉の向こうへと消えた。リックとポーラはというと、その場に取り残されたままだ。サロンの参加者は、誰も彼らに近付かなかった。別に、声をかけてはいけないとは誰も言われていないのだが、わざわざそんな真似をするメリットもない。一方、二人はただただ呆然と立ち尽くしたまま。ほぼ破滅したも同然の現状を、すぐさま受け入れられるはずもなかった。
そして俺としても、特に接点があったわけでもなく、手を差し伸べるほどの事情もなかったので、溜息をついてその場を去る以外に、やるべきことはなかった。
公邸を出たところで、俺は待ち伏せにあった。
「こんにちは!」
いつもテンションが高いオギリック。その横には、カリエラもいた。
「災難でしたわね」
耳に絡みつくような声で、カリエラが言った。
「そうですよ! 大会は実質、準優勝みたいなものだったのに、あんまりです」
「あ、ああ、ありがとうございます」
いったい二人とも、俺に何の用だろうか。察しはつくが……
「でも、心配はいりませんよ」
「というと」
「僕もカリエラさんも、いざとなったら、ファルスさんのこと、殿下にとりなしますから」
はて?
訝しいことだ。二人にそれだけの発言力があるものだろうか? それにグラーブだって、英明とまではいかないとしても、愚昧ではない。彼は彼なりの考えがあって、ああした振る舞いを選び取っている。それをたかだか貴族の家の次男坊、それも未成年のオギリックと、今年学園に入学したばかりのカリエラと、この二人の口利きであっさり考えを変えるだろうか。
「心強いことです」
だが、それだけでもう恩を売った気になったのか、二人は笑みを浮かべた。
「そういえば、ファルスさん」
「なんでしょう」
「兄に仕えている、あのタマリアというメイドなんですが、領地に引き取ったりはしないんですか?」
何を確かめたいのだろう? 無難に答えることにした。
「ええ。本人がまだ帝都で頑張りたいと言っていますし」
「でも、兄はあと半年もしないうちに卒業しちゃうんですが」
「その後は、まぁ、また新しい仕事を探さないといけないですね」
「ふーん」
一瞬、オギリックの顔から表情が消えたが、すぐまた笑みが浮かんだ。
「じゃあ、引き続き僕が雇うっていったら、どうですか」
「それはもちろん、ありがたいことですが」
「まぁ、僕だけじゃ決められないけど、お父様が許してくれたらってことで」
ただ、それなら注意事項を述べておかなくてはいけない。
「その、タマリアですが」
「はい」
「針仕事はそれなりにできますが、料理の方はどうにも……その代わり、読み書きもできますし、貴族や商人の字体も書き分けられます。フォレス語だけですが。計算もできますが」
カリエラが眉を寄せた。
「変わった人ですね」
「ちょっといろいろあって、そうなんです。そういうのでよければ、というお話なんですが」
少し間をおいて、オギリックは答えた。
「わかりました! どうも親切に、細かく教えてくださり、ありがとうございます!」
旧公館まで歩いて帰る頃には、残暑ゆえに気持ちの悪い汗が全身に纏わりついていた。まっすぐ離れに行き、自室で制服を脱ぐと、湯船に水を満たして飛び込んだ。それから着替えて、一階の縁側まで歩いていった。
「お疲れ様でございます」
「今日は確かに、気疲れする集まりだった」
居室の奥に、ヒジリは座っていた。俺も向かいに座ると、すぐウミが気付いて、奥へと引っ込んでいった。
「というか、ヒジリ」
「なんでございましょう」
「武闘大会の件、ついに殿下にまで叱責されたぞ」
彼女は座ったままだが、無言で腰を折った。
「滅多なことにはならないかと存じますが」
「僕もそう思う」
「私としたことが、やりすぎてしまったようです」
「いや」
俺は首を振った。
「いろいろと巡り合わせが悪かった。リンが悪乗りして便乗したのもあったし。ただ」
「はい。私の方でも、心当たりはございません」
結局、あの五回戦で、あそこまでいろんな証人を搔き集めたのは誰か、ヒジリの手の者に調べさせても、手掛かり一つ得られなかった。
「そちらも気がかりだが、今は殿下とベルノスト様の関係も」
「もうすぐ、例の事件から一年が経とうとしているのですね」
「どう思う」
ヒジリは頷いた。
「殿下はまだお若く、経験も足りておられません。その中では、よくやっていらっしゃると思います……が」
「が?」
「仮に信頼できる腹心をここで失うとすれば、それはただの経験、学習の対価とするには、少々高くつきすぎるのではないかと」
そうだろう。そして恐らく、タンディラールも同じように判断を下している可能性が高い。
だからこそ、アルタールが帝都に留まっているのだとすれば……
「僕としては、殿下よりベルノストの方が心配だ」
「ご無理もないことです。なんにせよ、見守るしかないかと存じますが」
そこへウミが戻ってきた。
とりあえずは一服。湯呑みの茶を飲んで、俺はほっと息をついた。




