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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十一章 帝都だけの花
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学生達による自由についての討論

 勝手口から道路に出た。少し前までの、あの噎せ返るような夏の熱気は、朝の時間帯にはもう、遠ざかっていた。空気に湿り気は残っていて、そっとそよぐ弱々しい風に、顔を洗われるような感じがする。

 北の大通りに向かって歩く。足の裏の、地面を踏みしめる感触が心地よい。そんな風に思われるのは、先々に憂いがないからだ。学園でやることといえば、形ばかり必修の授業を受ける以外は、もうほとんど調理室で料理の研究をするばかり。それが生活のリズムになって、自分の中の当たり前になってきている。でも、その生活も、今日から数えるならもう後半戦に差し掛かっている。

 通りを渡るための地下道、その暗い入口の前で、ヒメノはいつものように待ってくれていた。


「おはようございます」

「おはよう」


 この、奇妙な婚約者公認彼女という関係性も、だんだんと馴染んできてしまっている。思えば、随分と助けられたものだ。変な女に付き纏われそうになった時に、何度もヒメノが割って入ってくれた。

 そんなようなことを頭に浮かべながら歩いていて、ふと気付いた。今朝は会話がない。小さな違和感のようなものを覚えた。だが、次の瞬間、彼女は俺の視線に気付いたらしい。


「今日からまた通学ですね」

「やっと日常に戻ってきたって感じがする」

「ですね。夏の間は、本当に慌ただしかったです」


 なんだろう? 妙なぎこちなさがある。でもこれは、恥じらいとか、そういうのではない。夏の間は、確かにお互い忙しかったし、顔を合わせる機会も減っていたとは思うのだが、何かあったのだろうか?


「そういえば、千年祭の服の展示は、どうだった? なんか、いろんな人に見てもらえたらしいけど」

「はい。服飾業者の方もいらして、評価していただけたんですよ。特に、ワノノマ風の衣服は、夏の暑い時期には快適なものですから、どうにか自社の製品に組み込めないかと、そう仰っていました」

「それはよかった。話が広がるといいけど」

「ありがとうございます」


 はて? 彼女の最大の関心事であるはずの服のお話なのだが、これで終わってしまった。

 何かもっと、そこで働かせてほしいとか、そういう話を熱心にするかと思っていたのに。


「でも、凄いというなら、ファルスさんの方が……料理大会で三位でしたし」

「あれは、評価されすぎだったかも。僕より腕のある料理人は他にもいたと思うし。でも、醤油を評価してもらえたのは嬉しいかな」

「武闘大会は」

「あー」


 悪夢のような日々だった。


「ファルスさん、普通に強いのに、どうしてあんなことに」

「わけがわからないんだ。確かに、最初は煽った奴がいるんだけど」

「どなたですか、それは」

「リンといってね、僕のピュリス時代の、セリパス教会の司祭だった女が、どういうわけか僕を変態扱いしてて、でも」


 結局、謎が残ってしまっている。


「途中から、明らかに行き過ぎているというか、からかいの限度を超えた感じになってきて」

「ちょっとは聞いてますけど」

「引っかかってるのが、僕の過去をあれだけ知っていて、あんな真似をする人が誰かいるのかな、ってことで」


 いや、知っているだけではダメだ。その上で、何をすればああまで過去の関係者を探し出すことができるのか。俺についての、ほぼ全情報を掌握しているとなれば、例えばノーラなんかはそうなのだが、彼女にしても、相当な労力をかけないと、フィシズ女王に仕えていた元侍女なんか、こんなところにまで引っぱり出せない。それが容易にできるほどの何者かとなると、すぐ思い至るのは使徒だが……


『真なる帝王を愚弄するか』


 ……やっぱりあり得ない。奴がこんなおバカな遊びに加わるようには思われない。


「案外、みんなで共謀したのかもしれませんよ」

「どうしてそんな」

「ファルスさんを取られまいとしてです。これ以上、人気者になったら困りますから」

「お嬢様も同じようなことは言ってたけど」


 それにしても、だ。

 リリアーナは、俺への侮辱に便乗して、悪乗りはした。ノーラも、冷淡に状況を利用する方を選びはした。だが、主体的にこの状況を作り出したかとなると……


 学園の正門の前まで辿り着いた。特に変わったこともなく、ポツポツと学生の姿が見える。人数の割には静か。いつものように、落ち着いた雰囲気がある。祭りの後の、一抹のもの寂しさのような何かは感じるが、これが日常ということでもある。

 教室に入ってみると、もう見知った顔はほぼ揃っていた。


「おう、ファルス、おはよう」

「ああ、おはよう」


 真っ先にギルに手を振って挨拶し、それから彼の横に座った。

 ふと、ひそひそ声が自分に向けられているらしいことに気付き、そっと後方を盗み見た。教室の隅には三人の女子生徒がいて、俺の方を指差しながら、額を寄せ合って話し込んでいた。


「ね? 言った通りでしょう?」

「怖いったらないわ」

「性神、夜の帝王、要するに性欲の魔王ってことでしょ? 目が合っただけで昏倒しちゃうなんて」

「倒れるだけで済めばいいけど」

「シッ! 気を付けないと、妊娠しちゃう!」


 ……あの三人娘、入学してから今まで、一度も俺と絡んだことがないのだが、時間経過とともに、だんだんとこちらの評価がひどくなってきてないか? 武闘大会の件はあるにしても。


 頭を振って彼女らのことを意識から追い出した。そうして振り返ると、後ろの席ではラーダイとランディ、それにアルマとフリッカが雑談していた。


「今から試験の準備か。お前らも大変だな」

「公務員になろうと思ったらね。でも、合格すれば、一生安泰なんだし、今くらい頑張らないと」

「だいたい一年後か。来年の秋に試験で、冬前には結果も出るっていう」

「だって」


 アルマが説明を引き継いだ。


「あんまり結果が遅いと、落ちた人の就職先探しが間に合わないから。でも、冬前に結果を貰っても、いいお仕事、残ってないけど」

「なかなか厳しいな、帝都は。ある意味、人生が一発で決まっちまうんだもんな」

「僕らからすれば、大陸の方が厳しいと思うけどね。やること決まってて、ほとんど変えられないんじゃないか」

「まぁな」


 机の上に腰を下ろして腕組みし、ラーダイは言った。


「俺も、帰国したらもう、冒険者の真似事なんかできねぇし。シャハーマイトで、まぁ、騎士の見習いだな。貴族の次男坊なんかは留学から帰ったら即、金の腕輪なんだけど、うちみたいな騎士の家だと、あっちじゃ留学帰りじゃ、まだ銀の腕輪止まりだから」

「それだって、いい身分なんじゃないの?」

「まぁそうだけど、あくまで小姓とか従士とか、見習いだから。下積みしなきゃいけねぇわけよ。何年か……上役の騎士がヤバいのじゃなきゃいいんだけどなぁ」


 遠い目をしてラーダイは溜息をついた。


「そこへいくと、フリッカ、お前こそ気楽だよな? 宮仕えでもねぇんだし、いいとこのお嬢ちゃんなんだろ?」

「えー、全然そうでもないですねー」


 普段はアホなコスプレばかりしている彼女だが、今日は珍しく制服での登校だった。


「さすがに国に帰ったら、すぐお見合いと結婚ですよー? 変な服こさえて遊べるのも、今のうちだけなので」

「もったいねぇ。お前、あれだけあれこれ作れるんだったら、帝都でも仕事くらいあんだろ」

「そりゃ、こっちで就職したいと思わないでもないんですけどねぇ。でも、なーかなか、そんな思い切ったことはできないですよ。留学に送り出してくれたのも実家ですしー」

「お前の口から、そういうまともな人間みたいな言葉を聞かされるとは思わなかった」


 そう言われて、フリッカは人差し指を頬に当てつつ、遠くを見るような目をした。


「まぁでも……そういえば、そんなような進路を選ぶような人もいるみたいな話は聞いたこと、ありましたっけね」

「おう?」

「帝都まで留学させてもらったのに、帝都で暮らしたくなって、仕事もこっちで見つけてー、みたいな。やっぱり、一芸に秀でていたりすると、そういう話が舞い込んできたりすることもあるみたいですからね」

「いいじゃねぇか。自由に向かって羽搏く。羨ましい話だぜ」


 だが、フリッカはどこまでも冷淡で、現実的だった。軽く頭を振って首を竦め、なんとも夢のないことを言った。


「自由なんて、あるんでしょうかねー」

「あぁ? あるんじゃねぇの? ここ、帝都だし。お前だって、ここで仕事見つけりゃ、実家に帰って親の選んだ相手と結婚しなくたって、好きに生きられんだろがよ」

「目先だけなら自由っぽくは見えるけど、そうでもないんじゃないかって、薄々気付いちゃって」

「どういうこったよ」


 彼女は自分自身を抱きすくめるような仕草をして、答えた。


「だって、体は一つしかないし、時間も止まらないでしょ? じゃ、学園出て、どっか仕事見つけて、働きだしたとして。そりゃ、最初の一、二年くらいは好きに過ごせると思うけど、その後は? 帝都の人みたいにうまーく相手を見つけて、上手に恋愛でもして、結婚まで漕ぎつけて。そうでもしなきゃ子供も産めないでしょ? で、いったん産むとなったら、結局、仕事は休まなきゃいけないし」


 アルマが突っ込みを入れた。


「でも、産まないって自由もあるんじゃない? だって市民権はもう学園卒業で得られてるんだし」

「そうだけど、それは産む選択肢を犠牲にするってことでしょー?」


 ピンときてなさそうなアルマに、フリッカは付け加えた。


「あと何年かすれば、私達もお婆ちゃんなわけで」

「それは早すぎるよ!」

「それを考えたら、どうせ選べる範囲なんて、たかが知れてるかなってことで。じゃ、産まないなら産まないでいいけど、そうまでしてやりたいことがあるかなって。着ぐるみに命かけます、っていうなら、まぁいいかもだけど」


 それにラーダイが軽く噴き出した。


「命かけてなかったのかよ。お前、去年、真夏でもあんな暑苦しいの着てて」

「あの時は、命かかってましたねー」


 茶々を入れたラーダイを置き去りにして、フリッカは結論を述べた。


「まぁ、どうしたってどこかで不自由になるってことで。いつまでも若くはないし、体は一つしかないし。そうなったら、先々まで考えて一番マシな不自由はどれかなーってことで」


 だが、帝都生まれの二人には、やっぱりよくわからなかったらしい。


「それが帰国して、親の決めたお見合い相手と結婚してもいいっていうことなの?」

「えーっ、だって、帝都でイケてる殿方見つける方が、ずっと大変じゃないかなー」

「フリッカは美人だし、いけると思うけど」

「無理です怖いですー、第一、それで貞操散らしたら、それこそ実家に逃げ帰ることもできないじゃないですかー」


 アルマは腕組みして、首を傾げた。


「でも、自分の意志と関係ないところで、そんな大事なことが決まっちゃうのに、いいの?」

「逆に、選びきれるんですかー? あのイケメンもこのイケメンもいるのに、本当に自分の意志に任せて大丈夫なんですかー?」

「俺はビックリだぜ」


 ラーダイが肩を竦めた。


「お前がそんなにあれこれ考えられるほど、頭がいいとは思ってなかった」

「自由って、そんな簡単に扱いきれるものじゃないんだろうなって、帝都に来てから思うようになったんですよー」

「そうかもだけど」


 ランディが尋ねた。


「その難しい自由ってやつを上手に扱えるようになる責任を背負ってるのが、僕ら市民ってことじゃないのかな」

「まぁ、それは一理ありますねー。だけど、それ、うまくできてますかっていうのと。そうまでして本当に選びたいのかなってことと。切実に必要としてる人はきっといるけど、そんなに大勢じゃない気がするんですよねー」


 それから、ボソッとフリッカは付け加えた。


「……それでもなんでも、どうしてもしたい何かがある人だけが、自由を手にすればいいと思うんです、私は」


 そこまで話すのを聞いてから、俺はまた、前に向き直った。


「わっ?」

「おはよ」


 目の前に、気配もなくじっと立っていたのは、ケアーナだった。

 しかし、これは……


「あのさぁ」


 何とも言えない微妙な表情。微笑んでいるつもりなのだろうが、俺にはわかる。これは問題が起きて、相談したいということだ。


「今日、授業の後、暇? 久しぶりにデートしてほしいんだけど」


 俺は周囲をさっと見回した。真剣な話をしているらしいと、ギルは察したようで、やや緊張した表情を浮かべていた。一方、後ろの方にいる三人娘は、また何か「犠牲」「中毒」「雑食」などと失礼な言葉を呟いている。そしてアナーニアはといえば、すっかり存在感がない。ただ、不機嫌そうにしているのはわかる。これはまた、公邸の方で何かあったのだろうか?


「あ、ああ、わかった……時間は空けられるので」

「そう? よかった! 楽しみにしてるね」


 千年祭が終わって一息、のつもりだったのに。

 どうやらまた問題が持ち上がってきてしまったらしい。

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― 新着の感想 ―
あっしもファルサちゃんの登場待ってます
遂に追いついてしまった… これからは更新と冬の不幸祭りを待ちます…! 最近ずっと酷い扱いのファルス君は可哀想ですが自分の好きな料理にも打ち込めて良かったなあと思います。ヒロインの中ではリリアーナとヒ…
帝都は一見自由に見えるけど恐らくお尋ね者でも無い限り帝都に来れるくらいのリソースがあるなら大半の人は地元に戻った方がだいぶマシな暮らしができるね あとが無くて開拓民募集に飛び込むくらいのハングリーさを…
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