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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十章 千年祭
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千年祭、終わる

 なんとも締まらない。だが、これでいいような気もしている。

 別邸の二階、中庭を見下ろすテラスにて、俺は椅子の上で、だらしなく伸びていた。


「ほっほぉ、こりゃあ確かにうめぇや! いや、長生きすっと、考えもしなかったもん、食うこともあんだな!」

「帝都一の料理となると、これほどとは」

「でも、高かったよね?」


 ティンティナブリアから、わざわざ千年祭に合わせて応援にきてくれた身内の一部が、近々帝都を離れることになっている。コーヒーの販売、それに入植者の募集といった主要な目的は果たせたので、いつまでもここにいてもらう理由はない。

 それで、今日は千年祭の公式行事の最終日でもあり、それならということで、こちらの別邸でのんびりまったり、送別会と相成ったのだが……


「なんてったって『帝国餐庁』だもんなぁ」


 俺の手料理で送り出そう、と思っていたのだが、ノーラに反対された。

 どうやら、自覚していた以上にくたびれていたらしい。武闘大会の合間を縫って、毎日のように料理研究に勤しんでいた。知人の参加するイベントがあれば、なるべく顔を出すようにもした。料理大会が終わってからは、保養地でのパーティーのために、ほぼかかりきりになっていた。

 学園は夏休みだったが、俺自身はというと、働き詰めの夏だったのだ。それで、これ以上、働かせ続けるのはということで、ノーラが出前で済ませるようにと強く主張したのだ。


 すると、どうだ。張っていた気がプツンと切れると、このざまだ。確かに、ちょっと無理をしていたのかもしれない。


「ファルス、これも勉強だと思えばいいんじゃない?」


 ノーラがそう言った。

 ライバルの腕前を研究しろと、そういうことなのだろう。一理ある。実際、味はかなりのものだ。


「まぁ、ね」

「へへっ、負け知らずのファルスも、料理じゃ無敵とはいかねぇか」


 ジョイスがそう言った。

 彼もガリナ達と一緒に、ティンティナブリアに帰ることになる。建設中のイーセイ港でフィラックと再会し、そのまま復旧した街道を馬車ですっ飛ばして、ほんの数日で城まで到着する予定となっている。


「悔しいけど、納得してるし、これでいいと思ってるよ。料理の方は」

「そうだな。武闘大会の方は、ひどいことになっちまったもんなぁ」


 番狂わせで俺が勝ち上がり続けたことは、これは仕方がない。だが、決勝戦、あれがいけなかった。まさかのどちらも勝ちなし。準決勝に進出した二人も、繰り上げ優勝を辞退。これで勝者不在となってしまった。

 誰が困ったかって? 賭けの胴元だ。


「結局、決勝戦の結果はなしで、全部払い戻しになったんだっけ」

「まぁなぁ。そうするしかないだろ」


 でも、俺のことは恨まないで欲しい。あんな無茶をしでかしたのは、キースの方なんだから。


 なお、ジョイスは帰るが、ディエドラやペルジャラナン、マルトゥラターレはまだ帰らない。フシャーナとの約束がまだ果たされていないからだ。二人はルーの種族についての情報を提供する。或いは、メルサック語の知識も伝える。その代わり、マルトゥラターレの目の治療に力を尽くしてもらうと、そういうことになっているのだから。

 ついでに、ノーラもまだ、少しだけこちらに残ることになっている。リー家など、コーヒー豆を買ってくれる相手との交渉もあるし、植民に応じてくれた人達への対応もあるためだ。とはいえ、そう長居はしない。一ヶ月も経たないうちに、彼女もまた、領地に引き返す予定となっている。

 一方、ホアはというと、ヒジリの鶴の一声で、しばらく帝都に滞在することが決まった。というより、そうでもしなければ、もう本人の収まりがつきそうになかったということでもある。


「おっ」


 中庭に、軍楽隊の調べがかすかに響いてくるのが聞こえてきた。


「帝都防衛隊、きやがったか」


 千年祭の最後の催しは、この世界の常に従って、軍のパレードだった。主要な街道を、美々しく着飾った帝都防衛隊の兵士達が練り歩く。要するに、一千年もの間、我々は女神と皇帝の秩序を守り抜いた。これからも千年間も同じように務めを果たす。そういう意味を込めたパフォーマンスだ。

 俺にとっては珍しくもなんともない防衛隊だが、ガリナ達には珍しいだろう。彼女らは廊下にでて、窓際から、通りを見下ろしていた。


「へぇっ、大陸とは違うんだな」

「あれ? 指揮官の人? 鎧着てないし、あれで戦うの?」


 前世の軍服っぽい格好だ。帝都以外では、まったく見かけることがないはずだ。


 急に周囲がガランとなった。

 それで、俺と同じく腰を浮かせなかったノーラに、予定を告げておいた。


「パレードがいなくなって少ししたら、ちょっと出てくる。すぐに戻るけど」

「うん」


 今日、サフィスは船に乗ってピュリスに向かう。そこから王都に帰ってタンディラールに一切を報告することになっている。もちろん、彼が率いてきた親善使節団も一緒に帰国する……

 と言いたいところだが、実は、それは正確ではない。実は、こっそりというか、何も言わずにそのまま帝都に居残る予定になっているのがいる。まず、大将軍であるはずのアルタール。それから、個人的な都合ということで、オギリックもまだ、帝都に滞在するらしい。

 果たして、これはどういうことか……


 それからしばらく。

 俺はアーシンヴァルの背に揺られ、西の外港の埠頭に辿り着いていた。


「お久しぶりの帝都だったかと思います。いかがでしたでしょうか」


 サフィスとウィム、またそれに続く使節団。その先頭に立つ彼に、リシュニアが笑顔で話しかけていた。


「胸が揺さぶられるようでした。若い頃を思い出さずにはいられません」

「まぁ。閣下は陛下の側近でもいらっしゃいましたし、それはもう、いろんなことがおありだったに違いありませんね」


 実際には、プレイボーイそのものの日々を過ごしていたのだが……

 とはいえ、その背景を理解した今となっては、それをただ軽蔑して済ませるわけにもいかなかった。彼の心の中に、愛と呼ばれ得るものの何かがなかったと、どうして言えるだろう。


「正直なところ、栄光より、若気の至りゆえの過ちばかりが思い起こされました」


 これは率直な気持ちだろう。サフィスは苦笑しながら、そう言った。僅かに表情を取り繕う。それが精一杯だったのだろう。

 それから彼は、話を切り上げるために、きれいごとで締めくくった。


「殿下もあと半年、学びの期間がございます。この、二度とない帝都での日々を、どうか大切になさってください」

「ありがとうございます。確かに、仰るように致します」


 居並ぶ在校生に見送られながら、サフィスは時折立ち止まって手を振り、船へと向かっていった。


「パパ」


 俺の隣りにいたリリアーナが声をかけた。


「ああ」


 娘とナギアのところで、彼は足を止めた。


「次に会えるのは、早くて来年の夏だな。再来年かもしれない」

「うん」

「ナギア、済まないが、リリアーナのことはよろしく頼む」

「勿体ないお言葉です。ですが、ご安心ください」


 サフィスは大きく頷いた。


「お前には本当に……いつか報いたい」

「そのようなことは、望んでおりません」

「では、一つだけ。誰がなんと言おうと、私がお前を今の役目から外させることだけは、絶対にさせない」


 この言葉に、ナギアは目を伏せ、腰を折った。

 サフィスの周囲にいる家僕達、とりわけフーリン家の連中が、ナギアの帝都への同伴を取り消させようとしているのかもしれない。だが、彼とて承知している。自分以上に娘の味方をしてくれたナギアに感謝しないなどということは、考えられない。


「ファルス」

「はい、閣下」

「学園ではいろいろ噂が流れているようだが」


 その口元に、皮肉げな笑みが浮かんだ。


「私の目の黒いうちは、滅多なことはさせない。指一本触れてみろ。キースの剣では死ななくとも、私の捨て身の刃まで避けられるとは限らんぞ? それに、その場に私がいなくとも、ナギアがいるのだからな」

「閣下、私はそのような」

「だが」


 サフィスは、少し真顔に戻って、落ち着いた口調で言った。


「仮に万が一のことがあったら……リリアーナだけは守ってくれないか。力は尽くすが、私の手が届く範囲には、限りがある」

「無論のことです。頼まれなくとも、そのようにさせていただきます」

「そうか。だが、頼んでおくぞ」


 それから、サフィスは息子の方に振り返った。


「ウィム。お前からも挨拶はないのか。入学は二年半後だからな。もう、姉と気軽に会える機会も、そう多くはないのだぞ?」


 そう言われた彼は、どうも落ち着きなく周囲をチラチラと見回していたのだが、父の声で慌てて我に返って、挨拶した。


「お、お姉様とは昨夜、たくさんお話をしましたので」

「そうか」

「ファルス様も、お見送り、ありがとうございました」

「いえ、ウィム様、帰りの船旅も、どうかお気をつけて」


 挨拶を交わすと、それだけで父子はそのまま、船の前まで歩いていった。そこにはグラーブが待ち構えていた。


「今回は親善大使の大役、大変ご苦労だった」

「いえ、いろいろな意味でいい機会をいただけたと思っております。久しぶりの帝都を目にすることもできましたし、殿下の頼もしい様子も確かめることができました。後々に憂いなどないと、陛下にはお伝えすることになるでしょう」

「あまり持ち上げてくれるな。半年後には、私も帰国して、それからは重責を担う日々がやってくる。今から身震いしておるぞ?」

「殿下、それは武者震いというものです。私は大いに期待しておりますよ」


 そうして社交辞令で話を締めくくると、サフィスは改めて、見送りにきた学生達に振り返った。


「若者達との出会いに感謝を。また、この機会をくださった陛下に感謝を。皆、これからもよく学ぶように!」


 そうして彼は、使節団の面々を引き連れて、船に乗った。


「大丈夫かなぁ……」


 ボソッとリリアーナが呟いた。


「不安はありますが」


 俺は率直に言った。


「閣下は、ちゃんと過去を受け止めていますし、お嬢様のことも、ご嫡男のことも、しっかり責任をもって引き受けるお考えはおありだと思います」

「そういうんじゃなくってさ」


 リリアーナは納得しなかった。


「パパも、そろそろ幸せになっていいと思うんだよね」

「そこは……」


 子供の幸せを自分の幸せと感じるくらいの精神性なら、きっと彼にもある。

 と同時に、彼の心情に寄り添うなら、それだけでは半分しか理解したことにならない。


「……多分ですけど、あれはあれで、傍から見るとわかりにくいんですが、幸せはあると思うんですよ」

「えっ?」


 心の中で、ずっとエレイアラの隣りにいるということ。それが、一人で過ごす時にのみ許された、彼にとっての最大の幸福に違いないのだから。


「お嬢様、お帰りはどうしますか? お見送りは」

「あ、ううん。専用の馬車を待たせてるから」

「結構、お金かけていますね」

「最近ねー」


 ナギアが代わりに説明した。


「世界音楽大会に出て、目立ったものですから……」

「ああ、なるほど」

「気軽に遠出もできなくなりました」


 そう言いながら、彼女は密かにほくそ笑んだ。

 それで俺は察した。


 ナギアは、リリアーナにとって、この上なく信頼できる従者だ。どんなことがあっても主人を庇い、守り抜く覚悟をもっている。幼少期にはいろいろあったが、今ではどこに出しても恥ずかしくない、立派な娘に育った。しかし、そんな彼女にも、性格上の難点がないのでもない。

 言葉を選ばずにいえば、陰険なのだ。そして、以前に何かあると、絶対に忘れず、根に持つ。


 千年祭の少し前に、俺がリリアーナと二人で出かけたことを、彼女はよく覚えていた。


「お嬢様は有名人になってしまわれたので」


 意味有りげな笑みを俺に向けつつ、ナギアはねちっこく言った。


「今後は間違いがないよう、私がしっかりお守りします。ご安心ください」

「むー」


 リリアーナにも、その意味がわからないということはない。自由にファルスと遊びになんて行かせてやらないと言われたのだ。だが、ふくれてみせたって、こうなったらナギアは動かない。


「さ、お嬢様、馬車に戻りましょう」

「うん。じゃ、またね、ファルス!」

「はい、お気をつけて」


 俺は彼女を見送ると、改めて水平線の彼方に視線を向けた。

 そこには、豆粒のようになった小さな船が見えるばかりだった。

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― 新着の感想 ―
帝都編1番の見どころが終わっちゃったなぁ
ホアはねー、自分厳しく律する女性にとって憧れというか方位磁石というかそんな存在でしょうから、手元に置いておきたいんですね、きっと。
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