もう一つの決勝戦
薄暗い調理ブースの中で、俺は砂時計を睨みつけていた。
タイミングとしては、もうそろそろのはず……
意を決して、熱したフライパンに鶏もも肉を載せていく。既に余計な脂は取り除かれているし、厚みが均等になるよう、包丁も入れてある。あとはタイミングが命だ。
これがメインだが、難しいことはしない。鶏肉自身の旨味、そこに醤油ベースのタレを絡め、煮詰める。この独特の味と香りをしっかりと味わって欲しい。
だが、どぎつい味にはしない。ほんのりとした旨味の枝豆ご飯に合わせるのだから。強すぎる味や香りは、枝豆の素材としての甘さを殺してしまいかねない。
既に副菜は作り置きしてある。塩茹でしたオクラを冷水で締め、ミニトマトと一緒にレモン汁やオリーブオイルと一緒に和えた。生きのいいゴーヤが手に入ったので、こちらは塩揉みして苦味を和らげ、胡麻油で人参と一緒に炒めた後、醤油と味醂を合わせた。苦味も酸味も、うまく使えば夏場の清涼感となる。
そこに更に冷製スープもつける。キュウリとワカメ、だし汁と米酢を用いたサッパリとしたものだ。残念ながら、だし汁の元になる鰹節だが、この世界で手に入るのは、モルディブ・フィッシュのようなものばかりだ。とはいえ、当面はそれで十分とするしかない。それと、これは俺だけの優位だが、魔術で氷を出し放題なので、この際、活用することにした。ただ、だからこそ、こちらも最後の仕上げは客に出す直前になる。
砂時計が、落ちきった。
同時に、俺はすべての鶏肉を焼き上げ、それぞれの膳に盛り付けた。
ほどなく係員がやってきた。
「ファルスさん、配膳の用意、いいですか」
「整っています」
「では」
早速、カートに調理済みの料理を載せる。運ぶのは係員がやるが、俺もブースを出て、審査員の前に立つことになっている。俺の場合は、特に最終段階で手を加えることはないのだが、料理の種類によっては、最後に料理人自身がなんらか仕上げをしないといけない場合もあるので、決勝進出した全員が試食スペースまで行くことになっている。
「では、お次は……店名はありませんが、個人の参加ですね。ファルス・リンガ……あれ? これ、武闘大会に出ていたあの人ですよね?」
「剣も振り回せば、包丁も振り回すと。多芸ですね」
「本選に残っているということは、予選の上位八店に残ったということですからね」
実況担当が、会場に詰めかけた観客に向けて説明をする。
残念ながら、満席とはいかない。予選と違って、こちらは見るだけだからだ。それでも、まぁまぁの客入りではある。
「しかし、味の世界にごまかしはききません」
「審査員の方々の舌次第ですから」
ごまかしができないのなら、それこそ願ったり叶ったり。正々堂々、自分に出せる最高の一品をお届けしたい。それで敗れるのなら、本望だ。
しかし、今回については、どうにもその審査員の公平性に不安を感じさせられる。
「難しいところでしょうね。世界中からやってきた方々、そのすべてのお眼鏡にかなう料理となると」
「食は文化ですから、異なる文化の人々その誰もが美味いと感じる。これは凄いことですよ」
「果たしてファルス、この壁を越えられるか」
いつも通りの俺のやり方でいく。特別な食材には極力頼らない。質にこそ気を配るものの、誰でも手に入れられる夏野菜、それに鶏肉。珍しくもなんともないもので勝負する。例えば、赤竜の肉とか、そういう特殊な素材には頼らない。全部が全部豪勢な、人目を引くような品も出さない。一連の料理の中で、ちゃんとメリハリをつける。何がメインなのか、ワンポイントの輝きを大切に。だって試合に勝つためだけの歪な料理なんて、下品じゃないか。
しかし、これが審査員にどう思われるかは、わからない。
俺は顔をあげた。
実にやりづらい。
審査員のほとんどは、知った顔だった。
まず、神聖教国の代表としてハッシ、それからアルディニア王国の代表としてのサルヴァジール。彼は、俺を見て、僅かに顔色を変えた。忘れるわけもないだろう。俺が国王陛下にカミキリムシの幼虫を食わせたことを。今回もゲテモノが出てくるのではないかと、身構えているに違いない。
それから、自国の代表としてはアルタール。その横には、隣国のフォニック将軍が。サハリアの代表としては、先日会ったばかりの王子、クルナーズが。そしてポロルカ王国の代表としては、ジーヴィット将軍が駆けつけてきている。
帝都からはボッシュ首相、インセリア共和国を含む東方大陸北部の代表としては、こちらも先日の世界平和会議で出会ったディナイ……彼自身はとっくに帝都の議員になっているはずだが。最後に東方大陸南部の代表として、チュエンからやってきた議員が一人。彼だけ、初対面だった。なお、ワノノマの代表はいない。
「では、ファルスさん、説明を」
「はい」
俺は一礼して、配膳を待つ審査員達に言った。
「これから召し上がっていただく料理は、恐らく大昔の帝都に存在した、そして過去数百年に渡って失われていた、ですから実質、皆様にとって世界初の調味料を再現して、提供するものとなっております」
この説明に、彼らは互いに顔を見合わせた。
「その調味料……醤油ゆえの、独特の香りと味を楽しめるのは、主菜の鶏肉、それと副菜のゴーヤとなります。夏ですので、清涼感を楽しめるよう、酸味や苦味を活かした味わいで仕上げました。特に注意すべきこと、難しいことはございません。ぜひ、ご自由にお楽しみください」
そう言ってから、俺は深々と頭を下げた。
「一見すると、平凡な料理に見えますが」
「どれ、味わってみるとしよう」
「その前に質問が」
サルヴァジールが尋ねた。
「今回は、どんな虫を使ったのか」
「閣下、今回の料理には虫は含まれてなどおりません」
この回答に、会場は軽い笑いに包まれた。
この後、試食の時間となり、俺は脇に引き下がった。
しばらくして、本選出場の八店舗の代表が全員、呼ばれた。いよいよ結果発表だ。
「すべての試食が終わりました。審査員の厳正なる投票により、第一位、金賞に輝いたのは……」
全力は尽くした。悔いはない。そう思い定めて、結果を待ち受けていた。
「……『帝国餐庁』です! さすがは帝都一の名店と呼ばれるだけのことはありました!」
この結果は順当というしかない。この場に来ているその店の代表の料理スキルは俺より上、7レベルに達している。実力もあり、資金力もあり、良質な食材を仕入れるつてもあったのだろう。
力で及ばなかったのだ。素直に称賛したい。
「帝都ならではの乾貨の暴力的な旨味、そこに最高品質の肉、締めの甘味。どこを切り取っても、まさに美食としか言いようがないものでした!」
「しかし、本来であれば、これだけの味の洪水には、誰も耐えられなかったはずです」
「そうなのです! どうしてもくどくなってしまいますからね。ですが、それを支えたのが、こちら!」
そこに運び込まれたのは……
「最近、帝都で話題の! そう、南方大陸の神秘! コーヒー! です!」
ずっこけそうになった。
「僅差で二位、銀賞に輝いた『仙境野猪』も、やはり強すぎる旨味にコーヒーをぶつけて、後味を整える作戦でした。今大会を有利に進めたところは、いずれも新たな食材を巧みに使いこなしています。伝統を重んじながらも革新の努力を怠らない一流の厨房、であればこそ、栄光を手にできたのでしょうね」
俺もコーヒーを持ち出しておけば、逆に勝利に近付けたのかもしれない。
だが、それも小さなことだと思い直した。ある意味、これは最高の結果だ。試合に負けて、勝負に勝った。一流の料理人達が、こんなにも早くコーヒーの値打ちに気付いてくれたのだから。
敗北の中に、けれども小さな喜びを覚えつつ、鼻歌交じりに旧公館まで帰ってきた。
武闘大会、それに料理大会と、俺が多忙になる理由がこれでほぼ片付いた、ということもある。既に千年祭の日程のほとんどは終わった。あとはのんびり楽しむだけ……
「旦那様、お客様がお見えです」
勝手口で待ち構えていたファフィネにそう言われ、俺は一階の客間に向かった。はて、今更、誰がと思いながら。
「……そうなのです、旦那様は、暇さえあれば厨房に篭ってしまわれるので」
「並々ならぬ拘りがあるとは存じておりましたが、それほどでしたのね」
女二人が話しているのが聞こえる。そこへ、ファフィネが膝をついて、俺の到来を告げた。
「女性をあまり待たせるものではありませんことよ」
ファフィネが引き下がると、開口一番、マリータはピシャリと言った。
「は、はい?」
「私は料理大会を見届けてから、すぐこちらに参りましたのに、随分と遅いお着きですこと」
「あ、えっと、調理に使った道具とか、そういう後片付けがありましたもので」
ヒジリが身を乗り出した。
「聞きましたよ、旦那様」
「何を?」
「三位入賞、おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
だが、俺は首を振った。
「でも、本当にその実力が自分にあったのかは、わからない。審査員が知ってる人ばかりだったから、本当に味が評価されたのか、僕に配慮したのか、わからないから」
「逆ですわよ?」
マリータが口を挟んだ。
「というと」
「あの恥知らずのフォニックが、あなたの料理だけは一切点を入れなかったと、得意げに話しておりましたもの」
「ああ」
数年前の勝負の件で、いまだに根に持たれているのかもしれない。どうでもいいことだが。
「些細なことです」
「気になさらないのですね」
「逆ならともかく、それは僕の料理が彼の心を動かせなかったという証拠なので、妥当な結果で不満はありません。それより美味しく召し上がっていただけたかどうかが問題ですし、それに」
この夏に、どうしても実現したかった夢は、もう叶ったらしいから。
これでコーヒーは、この世界に永久に残される。これから多くの人々が当たり前に飲むようになる。俺がいなくなっても、人々の営みの中に何かが残るのなら、人としての俺が完全に無になったことにはならない。
「コーヒーの存在は、これで世界中に広まるに違いありません」
やっと心置きなく……と言いたいところだが、少し欲が出てきた。できれば醤油も広めてから、人の世を去りたい。
「私の努力を認めてくださってもいいと思いますわ」
「本当に、頭が上がりません」
「その通りですわ! さぁ、もっと頭を垂れなさい! この場で平伏していただいても構いませんのよ?」
眼の前にヒジリがいるのに……
まぁ、悪乗りなのは彼女もわかっているので、何も言わないのだが。
「それで、本日はどのような」
「どのような、ですって?」
急に彼女の表情が険しいものになった。
「あなた、ご自身のお仕事をお忘れではありませんこと?」
「仕事、といいますと」
「世界平和会議の」
「ああ!」
そうだった。
グラーブとマリータが、両フォレスティア王国の代表ということで、合同で催事を行うと決めていた。
「あなたを借りる件は、グラーブにも同意を取ってありますから。特に厨房の方は、あなたにお任せするつもりで、準備を進めておいてあるのですからね」
「もちろん、喜んで務めさせていただきます」
マリータは頷き、付け加えた。
「それと、せっかく保養所の広い場所を確保できたのですから、参加者には制限を加えないこととしようと考えておりますの。学生だけではなく、どなたでもいらしていただけることにしようかと」
「大丈夫ですか? 変な人が来たりは」
「そこはもう、ペイン将軍に見張りを任せますから、気にしなくていいのです」
となれば、俺としては料理にだけ専念すればいいらしい。
「平気ですか、旦那様」
「問題ないよ。こういう仕事なら、どれだけ働いても疲れない」
「そんなわけがございませんのに」
千年祭の終わりまで、あとひと踏ん張り。
これが、このお祭りでの、俺の最後の役目なのだ。




