表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十章 千年祭
1067/1082

準決勝

 頭上には黒雲が犇めき合っていた。音もなく風が流れていく。円形の競技場の中心から見上げる空は、暗い灰色に染まっていた。

 ここ数日の好天が嘘のように、この日は薄暗かった。いつ大雨が降っても不思議はない。それでも、大勢の観衆がここに集った。現代の英雄の剣を見るために。


「長かった武闘大会も、残すところ、あと三試合となりました」

「本当に、あっという間でしたね」

「少々番狂わせなどもありましたが、今日の試合は要注目です! かたや現代の英雄、キース・マイアス! もう説明不要でしょうが、人形の迷宮を滅ぼし、ポロルカ王国を危機に陥れた悪の組織の首領を討ったという、正真正銘の本物です! それに対するは」


 運営にとっての番狂わせが起きたのは、俺の件だけではなかった。


「西の彼方からやってきたあの豪傑、ウルカンを鮮やかに打ち破った! アーノ・ヒシタギ!」

「正直、驚きました。ウルカン選手は、数少ないエメラルドの冒険者で、大沼沢最強と謳われていたのですが」

「無名のアーノ選手に敗れるとは、誰も予想していませんでしたね。ですが、このアーノ選手、見落とされていただけの実力者のようですよ? 東の彼方、スッケでは、名の知れた剣士だったそうで」


 実況担当が出場選手の説明をするが、やはりというか、不思議なほど、会場は静かだった。ざわめきが途絶えたりはなかったのだが、それがどうにも控えめに聞こえるのだ。


「次の準決勝にも、東方大陸の達人、チャン・クォがいますので、まだ結論は早いのですが……これはもう、事実上の決勝戦といっていい試合になるかと思われます」


 ひときわ冷たい風が吹き抜けていった。奇妙な沈黙が場を覆ったことに気付かされた司会役が、取り繕うように叫んだ。


「おっと、選手入場です!」


 音もなく、暗い空の下、いつものように白い陣羽織を身につけたキースが、ゆっくりと歩み出た。それとほぼ同時に、反対側からは、朱色に金糸をあしらった豪華な陣羽織を纏ったアーノが進み出た。二人の表情は、静かに微笑んでいるようでもあったが、しかし、その眼光は研ぎ澄まされた刃のようだった。


 二人にとって、これは因縁の対決なのだ。かつての勝敗に、どちらも納得していない。ワノノマに渡ったキースが、年少のアーノに屈辱的な敗北を喫した。だが、アーノの方も、それがキースとの戦いの中で突如覚醒した神通力のせいとあっては、勝利を誇ることもできない。

 そして、この二人には共通点もある。キースはタルヒ、アーノはクガネと、どちらも特別な武器を授けられている。かつての皇帝や女神に由来する、国宝にも匹敵する代物。それを借り受けるほどの戦士なのだから、どちらも当代切っての戦士なのだ。

 だが、勝者は常に一人。頂点に立てるのは一人だけだ。


「……と、それでは、試合開始、しましょうか……」


 二人が発散する闘争心は、もはや目に見えるほどだった。やや気圧されながら、司会役はそう尻すぼみになりながら、なんとか言った。

 それから、ゴングが鳴った。


 不思議なほど、二人には動きがなかった。のっそりとそれぞれの獲物を構え、向かい合った。


「う、動きがありません」

「睨み合いが続きますが」


 木刀を両手で握るアーノの方が、間合いが広い。実戦であれば、それはキースにとって、そこまでの不利にはならない。彼は投擲用のナイフを持ち歩いているし、タルヒの力を借りれば、ウィーとの決闘で見せたように、水魔術を詠唱抜きで使っていける。だが、今回は手元に木剣しかない。地形や障害物を利用することもできない。ただ、それでも、片手でも扱える程度の剣であるおかげで、もう片方の腕は自由にできる。

 アーノもわかっている。迂闊に剣を振り抜けば、その間隙をついてキースは間合いの内側に滑り込んでくる。その瞬間、後の先を取ることに、彼が集中していることを。


 打つ手がない。どちらも、互いの実力が拮抗していることを理解している。少しでも自分に有利な状況になるのを、じっと待っている。

 だが、待つだけでは勝利など掴めない。そんな消極的な性格ではない。程なく、キースの木剣は顔の高さで横ざまに構え直された。ほぼ同時に、アーノの木刀も、斜めに傾けられる。


 武器で決着をつけにくいのなら、絡め手で。しかし、どちらも相手の手の内を知らないのでもない。二人が共通して行使できるのは、水魔術と風魔術だ。そして、その中で特に殺傷力の低いものとなると、使用可能なものは更に絞り込まれてくる。

 二人はほぼ同時に詠唱を終えたように見えた。その瞬間、両者の影がぶれた。


 それは比喩ではなかった。撓らせた木の枝が勢いよく振り抜かれるような音がしたかと思うと、既に二人は鍔迫り合いを始めていた。そして、実際にその二人の姿が、微妙に霞んで見えていた。とはいえ、それもほんの一瞬のこと。


「い、今のは……?」


 実況担当には、わからなかったらしい。


 先に詠唱を始めたのはキース。だが、それが形になる前に、後から魔術を用いようとしたアーノが『風の拳』を放ちつつ、斬りかかった。

 しかし、その選択を、実はキースは見切っていた。彼が用いたのは『霞』……ウィーとの決闘にも用いた魔術だ。それによって風の拳の軌道が可視化される。

 要するにキースは、間合いを詰めるためにアーノを誘い出す必要があった。だから魔術を用いるという選択を敢えて見せつけた。それでアーノは、先手を取られるくらいならと、比較的短時間で発動でき、しかも試合のルール上でも問題ない『風の拳』を使う選択をしたのだが、彼がそうすることを見抜いていたキースは、最初から『霞』を詠唱して、余裕をもって回避できるよう備えていたのだ。


 距離が詰まっている。互いの得物が触れ合っている。それが静かに角度と位置を変えながらも、まるで何かで接着でもしたかのように、くっつきあったまま、離れない。

 それは何かの舞踊にも似ていた。刀身を横に寝かせたり、また立てたりしながら、摺足で立ち位置を入れ替える。押したかと思えば、離れすぎる前にまた密着する。二人は、無数の選択肢の中から、少しでも自分に有利な瞬間を掴み取ろうとして、まさに主導権を奪い合っていた。


「これはどういう……」


 木剣を打ち合わせる音さえしないのだ。不可解な動きに見えるだろう。ぬるぬると、まるで両者の武器が絡み合う蛇のように動くさまは、異様でさえあった。

 だが、これは極めて高度なやり取りだ。相手に密着して、離れない。これだけでも、相当な技術を要する。

 それに、二人は武器だけで戦っているのではない。特にキースはそうだ。ただ相手を斬ることだけ考えて、粗雑な動きをしようものなら、その膝を乱暴に蹴りぬかれてしまうだろう。そうでなくともキースは、アーノの刀に十分な圧力がなければ、受け止める剣を支える腕を一本にして、陣羽織の襟を取りにいこうとしていた。そこまでいけば、刀を振り抜けない密着した状態から、剣の一刺しをお見舞いできる。無論、それがアーノにわからないはずもなく、そうはさせまいと微妙な体重移動を繰り返して、隙を見せないように立ち回っていた。


 だが、この押し合い、最後にはアーノが乗り切った。大きく刀を振り抜くと同時に、キースは後ろへ飛び退くしかなくなり、また元の位置に戻った。

 息が詰まる展開だった。互いの間合いを奪い合う静かな戦い。


 そしてまた、睨み合いの時間が始まる。


「ア、アーノ選手、キース選手を押し戻した、のでしょうか?」


 間合いの有利を取り戻したのは、結果としてはアーノだった。だが、この攻防戦で消耗させられたのは、彼の方だったようだ。

 一方で、キースの側も失ったものがないとは言えなかった。もう、同じ手は通用しないだろう。そして、相手の間合いに潜り込む機会がまた得られる保証はないのだ。


「おや」


 実況担当が、気の抜けた声を漏らした。

 冷たい雨の雫が、静かに彼の頬を打ったのだ。


 またたく間に会場全体にパラパラと、そして次第に乱暴に闘技場の日除けを打つ雨だれの音が響き渡りだした。

 そんな中でも、二人は動かなかった。二人の陣羽織には、既にしっかりと雨水が染み込んでいた。その水をたっぷり含んだ袖口から、雫が滴り落ちる。


 そして、再び両者とも、静かに詠唱を始めたようだった。だが、今度はどちらも用心している。魔術を完成させる最後の一句を、どちらもまだ、口にしていない。

 そのまま、じりじりと距離を詰めていく。


 先に仕掛けたのは、アーノだった。小刻みな動きで、けれども的確にキースの首を狩るように、突きにも似た鋭い横薙ぎを浴びせた。

 だが、これほど美しく無駄のない動きであっても、キースはうまくかいくぐった。この機を逃さず、懐に飛び込もうとした、その一瞬。


 アーノを中心に、巨大な水の球が出現したように見えた。


「これは!?」

「雨水が……!」


 アーノが行使したのは『矢除け』だった。その瞬間、彼の周囲に降り注いでいた豪雨は、すべてが「飛び道具」とみなされて、弾き飛ばされた。キースは、至近距離でいきなり顔面にシャワーを浴びせられたようなものだった。

 一瞬の隙。だが、達人同士の戦いには、その一瞬があれば足りる。返す刀で、アーノはキースの肩口を狙い打った。


 その動きが、途中で止まった。


「決着……えっ?」


 アーノの木刀は、最後まで振り下ろされなかった。その根本近くに、キースの木剣が添えられていたからだ。そしてそこから、真っ白な氷の塊が、さながら大きな掌で鷲掴みにするかのように、二人の武器を絡め取っていた。よく見れば、アーノの袖口まで、若干の氷がへばりついている。

 無論、その分、キースの左腕も凍りついていた。『凍結』の魔法で、互いの武器を封じたのだ。だが、彼にはまだ、自由なままの右腕があった。


 咄嗟には避けられなかった。

 キースの拳が迫ってきても、アーノの両腕は魔法の氷に縛られたまま。それを振り払う余裕もなく、一撃を左の側頭部に叩きつけられた。


 たたらを踏んで後ずさるアーノだったが、キースの集中も途切れてしまっていた。二人の武器を拘束する氷は既に雨に溶かされていた。

 追撃を浴びせようと迫るキース。迎え撃つアーノは、木刀を横薙ぎにした。


 その時、白い陣羽織が丸く膨れ上がったように見えた。


 敵を近づけまいとして、長い刀を横に振る。この選択は合理的で、その動きは必然だった。だからこそ、キースはそれを下がるのでもなく、受けるもでもなく、正面から乗り越えた。腰の高さで振り抜かれるそれを、跳躍で……さながら池の鯉が水中から飛び上がるかのような動きで、跳び越えたのだ。

 刀を振り抜いたアーノ。その斜め後ろに、なんとか着地したキース。素早く振り返って刀を振り切るのと、しゃがんだ姿勢から剣を振り上げるのと。ほとんど同時だった。


「くっ……!」


 よろめきながら、後ろに下がったのはアーノだった。

 間一髪、彼の返しの刀が届く前に、キースの剣がその右脇腹に届いていた。


「い、今? 何が」


 激しく降りしきる雨もあって、実況担当には、今の早業が見えなかったらしい。だが、アーノは結果をごまかすような男ではなかった。木刀を握る手を緩め、首を振った。それから、深い溜息をついた。


「しょ、勝負あり! この戦いは……紙一重のところではありますがっ! 勝者はキース! 決勝に進むのはキース・マイアス!」


 やっと大雨にも負けないほどの歓声が、競技場に轟いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
キースが勝つと分かっていたけど、それでも読み応えがある試合だった。 何でもありの試合でもたぶん引き出しが多いキースが勝つ気がする。
ファルスがキースに対してどうするか気になってしょうがないですね。
キースが勝っちゃったけど、どうなるか楽しみ ファルス的には制限なければ勝つのは余裕ですがどう対処するのだろうか
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ