そして彼女は世界最強の座に輝いた
「世界最強がついに今日、決まります! 限られた手札の中で、いかに最善を尽くすのか?」
実況担当の声が会場に響き渡る。そこまで人気のない催しと聞いていた。客の入りはそれなりだったが、やけに静かだった。これは歓声を浴びせるような競技ではないからだ。
「決勝戦は、三点先取で決着です! では、まずどちらが先手か、サイコロをーっ!」
真夏、それも晴れた日にしては、不思議なほど涼しく、快適だった。日差しは頭上の覆いのおかげで遮られているし、この桟敷席には風が通る。一般席と違って広々と空間を使えるのも心地よさの理由の一つだろうか。
「先手はリン! リン・ウォカエー選手の先手で、さぁ、試合開始です! 最初のカードを迷わずドロー!」
数ある世界大会の一つ。ゲーム大会の決勝戦。それが今日のイベントだった。
そして、この催しを見に行く一般人のふりをして、この場所に集まった人々がいる。
「なんともお恥ずかしい。できれば、見なかったことにしていただけると」
俯きながら眼鏡を鼻の根本に押し込むハッシが、あえて無表情のまま、そう言った。
「気にされることはない。何より、これから話す大事からすれば、些事も些事」
サルヴァジールがそう言って余裕の笑みを浮かべてみせた。しかし、異端たる神壁派の国の代表に同情されるとは、ハッシからすれば恥の上塗りであろう。
自国の認定したはずの司祭が、聖職者としての立場も忘れてゲーム大会に出場し、かつ決勝戦にまで居残るとは。左手で頭を支えつつ、ハッシはしばらく気持ちを整えた。
「それに……」
サルヴァジールは、まるでふやけてしまったかのように、力なく首を振った。
「我々セリパス教徒に突き付けられた事実からすれば、そもそも恥などというものが根本から意味をなしますまい」
「お気の毒ながら、ごもっとも」
相槌を打ったのは、ワノノマからやってきたウィテだった。その横では、今日、久しぶりに会えたゼン・レンも頷いている。その彼が、続きを口にした。
「神々の真実は……統一時代の始まりの頃には、各国の王家に受け継がれていた秘密でした。ですが、大乱の時代に伝承が失われたのでしょう。ワノノマを別とすれば、あとはポロルカ王国にしか伝わっていないようです」
この会合に参加したアスガルは、今日、いきなり知らされた事実の数々ゆえに、冷や汗を流しながら石のように座り込んでいた。ティズがここに来られない以上、その名代として、顔を出さずには済まなかったから。というのも、ムールジャーン侯の事実上の支配が及ぶウンク王国、その関門城の彼方から、ストゥルンがやってきていたためだ。そして彼は、ルーの種族の代表としてのシャルトゥノーマを伴っていた。
彼は目元を覆いながら、呻いた。
「こんな途方もない話とは……どうやって父に伝えたらいいのか」
「書面ではいけませんぞ」
「もうすぐハリジョンから船が来るはずです。それに乗れば……教授、後期の授業はいくつか穴を開けますが」
フシャーナは頷き、低い声で応えた。
「ええ。ことがことだから、卒業の心配はしなくていいけど」
信頼できる者を集めて、世界の秘密を共有する。それがノーゼンの役割だった。
ビルムラールが、やや声を掠れさせながらも、なんとか纏めた。
「つまり、こういうことですね……古代のポロルカ王が幸産みの儀式によって招福の女神に願いを叶えさせた結果、異なる世界から数多くの神々がこの世界に降臨した。イーヴォ・ルーのように、世界を作り変えようとするのもいましたが、中にはモーン・ナーのように、この世界を滅ぼそうとしたのもいた。五色の龍神のうち、生き残っているのはヘミュービとモゥハのみ。そして」
彼の視線が俺に向けられる。
「ファルスさんは、モーン・ナーに呪われて生まれてきた。この世界に混乱を齎そうと望まれて。だから、人並み外れた力を得られたということですが」
「はい」
俺が説明したのは、ごく一部だけだ。前世の話もしていないし、ピアシング・ハンドの詳細も教えていない。ただ、魔宮の剣のこと、それと呪詛が暴走した末にパッシャの隠れ家をデサ村ごと滅ぼしたことについては、目撃者もいる。なにより、ノーゼン自身が俺と戦ったこともある。僕はバケモノではありません、で片付けられる状況ではないため、部分的な説明は避けられなかった。
ヒジリが横から言い添えた。
「稀有なことですが、それにもかかわらず、自らの意志を失ってはいません。普通なら、神性に呑まれてしまうのですが……」
「その、よう、ですね」
アスガルが、やっと言った。
「学園でのファルスの姿を見る限り、到底、そんな恐ろしいものには」
「同級生に見下されたり、からかわれたりしてるくらいだものね」
フシャーナも、固くなりがちな空気をほぐそうとしてか、軽い口調でそう言った。
そんな話し合いの間にも、眼下では、真夏の太陽の下、カードゲームの腕を競い合っていた。
「おおっと、ここでリン選手、場にソウ大帝のカードを出したぁ! そして即座に墓地へ! なんてこった! 特殊効果により、場に出ていたハンファン系ユニットは全部墓地送り! ハムコル選手、無防備になってしまったぁ! これは早くも一点先取かっ!」
実況担当の絶叫に、桟敷席の面々の視線が、一瞬、そちらに向けられた。それでまたすぐ、元の話題に戻った。
これまで沈黙していたノーゼンが、重々しく言った。
「それで、改めてここで問題としたいことだが」
彼の視線は、俺に向けられていた。
「ファルス、例の使徒とやらの正体は、わかったのか」
答えるのが難しい問いだ。
「いえ」
そう答えるしかない。残念ながら、これは嘘ではない。そして、口にしてもまだ許される範囲だ。
「あの後も、僕の旅の途中に姿を現すことがありました。心当たりがあるかと思いますが」
「うむ」
ノーゼンは重々しく頷いた。
「スーディアで我らが同胞、マペイジィを殺したのは、使徒であろうな」
「殺されるところを、直接、見たわけではありませんが」
あとで使徒がそう自白しているのだから、まず間違いない。
「我ら贖罪の民の戦士に与えられるアダマンタイトの杖、あれを魔法で溶かすほどの熱など、想像もつかぬ。どれほどの脅威なのか」
「しかも、正体も知れんとなると」
サルヴァジールは腕組みして、深い溜息をついた。
「パッシャの一員ということはないのですか」
ビルムラールの問いに、ノーゼンもサルヴァジールも、首を横に振った。
「それはあるまい。謁見の間に現れた時、パッシャの名前を挙げたファルスを嘲笑っていた」
「そうすると、いったいどこの誰が」
「わからぬ」
俺も力なく首を振った。
「確かなことは、わかりません」
どこまで喋っていいのか。だが、迂闊なことをいえば、あの砂漠での取引が無になってしまう。
「ただ、僕を味方に引き込もうとはしていました」
「ほう」
「あれだけの力があるのです。三日でタリフ・オリムを瓦礫の山に変えると、多分それは、口先だけの脅しではないでしょう。実際にそれくらいはできると思っています」
「なぜそう言える」
俺は俯きつつも、事実を口にするしかなかった。
「それに近いことなら、今の僕でも可能だからです」
この一言に、場の空気は凍りついた。
だが、その通りなのだ。ケッセンドゥリアンの魔眼を使えば、何もかもが一気に石像に変わる。黒竜の肉体を使いつつ、腐蝕魔術を満遍なく行使すれば、あの都は人の住めない廃墟になる。
「もし、使徒が世俗の王国相手に戦争を起こしたとしたら、本気になればですが、それなりの大国でも、当然のように滅ぶのではないかと思っています」
「それが不可解なのよ」
フシャーナは眉根を寄せた。
「使徒は多分、あなたより強いのよね?」
「そうだろうと考えています」
「だったら、あなたを仲間に引き込んだりしないで、さっさと殺してしまえばいいじゃない。そうすれば、万一にも自分を脅かす強敵はいなくなる。少なくとも、人間の世界には」
これは、以前からの疑問だった。
使徒は恐らく、現時点でも俺より強い。旅に出る前なら、余計にそうだったはずだ。しかも、俺の能力の秘密をある程度、把握しているので、ピアシング・ハンドによる突然の死を回避することもできる。それこそサモザッシュに憑依した時のように、別人の肉体経由で強力な魔法を行使しまくってもいいわけだ。
ウィテが顎に手を置き、考え込みながら呟いた。
「すると、ただの世界征服とか、世界滅亡とか、そういう目的で動いているのではないということですかな?」
「ウィテ、そうとも言い切れませんよ。それだけの並外れた力の持ち主が動けば、龍神が見過ごすとも思われないのですから」
「そこなのですが」
ハッシは、さっきから俯いたまま、眼鏡を鼻の根元に押し込み続けている。考えるときの癖なのかもしれない。
「信用していいのですか」
「と仰いますと」
「あ、いや。モゥハが人々の傍にいること、その繁栄を見守っていることは事実でしょう。しかし、どれほどのことができるのか、そして、どこまでのことをする気があるのか」
彼は、厳しい現実を突きつけなくてはならなかった。
「ノーゼン殿が仰ったように、龍神が目に見える形で最後に人間の世界に介入したのは、偽帝アルティの大乱の、その最後の時点です。モゥハは人々を改心させようとした。でも、ヘミュービは殺戮を選んだ。それも、自然災害を装って、です」
よくよく考えれば、これはかなり好ましくない選択に思われる。なぜなら、ヘミュービのこの行動は、かなりのところ、言行不一致であるとするしかないからだ。
「神が人を裁き治める時代に巻き戻すべきだと……ですが、それであればなぜ、もっと目に見える形でアルティの軍勢を殺さなかったのですか。堂々と人々の前に顕現して、誰でもわかるように罪人を滅ぼせばいいはずです」
サルヴァジールも頷き、同意した。
「そのように考えるなら、モゥハが述べたことも手ぬるいし、中途半端ということになるな。人々の前に顕現するのはいいが、やろうとしていたのは、改心を促すだけ。龍神が仲裁するから戦をやめよと。無論、よいことではあるが、それで説得を聞き入れるかどうかは、人間次第ではないか」
「説明のつかないことではありません」
ヒジリが引き取って言った。
「神々は、人間が思う以上に脆弱な部分があるのです。それぞれの使命に相応しくない行動をとることはできません。もしそれをするなら」
「ギウナのようになる、か」
ノーゼンの結論に、場に沈黙が戻ってきた。
「うぉぉ! リン選手、強すぎる! 圧倒的な試合運びで二点先取! ハムコル選手に反撃の機会はあるのか? 二人とも、三つ目のカードデッキを取り出したぁ!」
実況担当の絶叫が、空虚に通り抜けていった。
ハッシは、再び思考の淵に沈み、問いかけを繰り重ねた。
「誰が我々の味方なのですか?」
「と仰いますと?」
「モゥハは人々の味方でしょう。少なくとも、善良に生きる限りにおいては。そこは疑っていません。ですが、例えば……ノーゼン殿、ヘミュービは人間の味方ですか?」
この問いに、彼は少し考え込んだ。だが、回答する時間も与えず、ハッシは畳みかけた。
「ヘミュービは『この世界の守護者』でしょう。でも、そこで守るべきものの優先順位の中で『人間の価値』はどの辺りに置かれているのでしょうか?」
「それは、難しいところだ」
ノーゼンも、彼の指摘を適当に受け流したりはしなかった。
「我ら贖罪の民は、納得尽くだからよいが、この世界を守り保つために犠牲になるし、それをヘミュービが悲しむということはない。ある意味で、使い捨ての道具でしかない。となれば、世俗の普通の人間についても、そこまで大切なものとは考えておるまい。でなくば、アルティの兵を海底に沈めたりなどせん」
「つまり、これは極論ですが」
彼は前置きしてから、言った。
「例えばヘミュービなら、この世界を守るためなら人間など滅ぼしてもいい、と考えている可能性はないですか」
「それは……」
あまり考えたくはないことだった。だが、既にモーン・ナーという絶対の偶像が打ち砕かれた彼に、思考の上でのタブーなど存在しなかった。
「もっと恐ろしいことを言います。怒らないでください。私が疑問に思っているのはあくまで、その使徒なる人物が、どこから力を借りているのか。誰が背後にいるのか。とにかくここにあるんです。普通に考えれば、それは魔王ですが」
ただ、この世界を奪ったり滅ぼしたりするだけの目的であれば、一千年前までの世界と同じことをすればいいはず。だが……
「なら、世俗の国家より強い使徒という手駒がいるのに、どうして戦争を始めないのですか? まぁ、邪魔なのが多少はいることはいます。そこにいるファルスさんとか、ワノノマの姫巫女とか、それなりに手強いでしょうけれども。でも、逆にこういう強敵を最初に葬ってしまえば、あとは一方的に世界征服できるはずです。もう、世界には他の魔王は、少なくとも目立つ場所にはいないんですから。でも、それをしない。つまり、何が言いたいかというと」
額に大粒の汗を浮かべ、目に見えて肩を強張らせながら、彼は結論を述べた。
「もしかして、女神が……」
「馬鹿な」
これまで黙って話を聞いていたストゥルンが、反射的にそう呟いた。誰も無礼と咎めはしない。それだけの衝撃を引き起こす発言だったのだ。
「なぜあり得ないと言い切れるんですか。ではお伺いしますが、ギシアン・チーレムの世界統一以後、女神やその化身が、この地上に降り立ったという記録はありますか。ただの一つでも」
「それは、ない」
「その化身は合計で百八もいるんです。そして、中には人間を憎んでいても不思議でないのもいる……そうですね、アスガルさん」
この指摘に、彼は声をかすれさせながら答えた。
「災厄……招福の女神は……何百年も、ジャンヌゥボン近郊の岩の牢獄に閉じ込められていた。ギシアン・チーレムに救い出されたと言われているが、その後はどうなったのか」
ビルムラールも、否定はできなかった。
「確かに、人間が人間の望みで地上に引き寄せた女神なのに、その結果が気に入らないからといって、そのような扱いをするというのは、逆恨みも甚だしいというしかありません。そして女神にも人のような心があるとすれば」
「女神としての役割に逸脱しない範囲で、それこそヘミュービがそのように考えているのと同じように、別の形で世界を保とうとしている。そういう可能性はないのかと、私はそれを言いたかったのです」
ヒジリは、唇を引き結んだ。
「考えにくいとは思いますが」
「では、確かにできますか? ヌニュメ島に戻って、モゥハに尋ねていただけますか?」
「いえ、それは」
できない。いや、できるかもしれないが、それには小さくないリスクが伴う。なぜなら、神が神の名の下に述べる言葉は、真実でなければならないからだ。だから、モゥハが言うことに嘘が混じる心配はないのだが、しかしそれがモゥハに許される情報開示であるかどうかは、また別の話になってくる。つまり、モゥハがウナに対して「どんなことでも正直に答える」という約束をしていると同時に、女神相手に「不利益になる行動をしないこと」を約束させられている場合、ウナの質問が女神の禁止事項に抵触すると、それだけでモゥハは破滅的なダメージを負うことになる。
「龍神は、女神に敵対できないと考えるのが自然でしょう」
「はい」
「その女神が人間に対して敵対的になった場合、モゥハは身動きが取れません」
だが、女神は世界を守る使命から逃れられない。しかし、それを言うならヘミュービだって同じことで、なのに彼は何万という人間をあっさり殺している。
「何より、神々が行方不明になっているんでしょう? テミルチ・カッディンにしても、グラヴァイアにしても」
ゼン・レンが苦しげに息をついた。
「その通りです」
「断定はできませんが、神々の封印の存在を知り、そのことを黙殺してきたのが女神だとするなら……ヘミュービ同様に、世界の守り方についての考えが異なる女神がいたとすれば、それら異界の神々を味方につけようとする可能性も……それに、先ほど聞いたお話です。ノーゼン殿、確かにアルディニアの王宮で、使徒はこう言ったのですよね。真なる神に帰依せよと」
「うむ」
真なる神。それは、この世界の道理に従うなら、世界を創造した女神ということになってしまう。辻褄は合うのだ。
「世界を守るために存在する女神が、自らの手で世界を破壊することはできません。しかし、モーン・ナーは世界を滅ぼすためにやってきたのです。そして、招福の女神の役割とは、異世界から新たな神々を呼び寄せること、だとすれば……役割に矛盾せず、人間達への復讐を遂げることが」
「ハッシ殿」
サルヴァジールが制止した。
「だが、それはあくまで可能性にすぎん。まだ女神が敵に回ったという確証はない」
重苦しい沈黙が、この場を支配していた。
やっとシャルトゥノーマが言った。
「とりあえず、この問題において、イーヴォ・ルーの関与はないと断言できそうだな。既にとっくに力を失っている。行動できるなら、今も世界中にルーの種族の住処を増やし続けているはずだ」
「それと、モゥハも直接には関与していないと言えるでしょうね」
フシャーナが続いた。
「でも、あとはほとんどが疑わしいし、確かめることもできない。行方不明になった神々にしても、誰かに封印を解かれたのか、自力で自由を得たのかもわからない。彼らのうちの一柱が暗躍し始めたのかもしれないし、そもそも千年前の戦いでうまく難を逃れた魔王がいたのかもしれない。でも、まだその本当の目的は、明らかにはできないわ。どんな理由があるのか、回りくどいことに、わざわざモーン・ナーの力を得ようとしていた。これだけは確かなのだけど」
アスガルは、緊張のあまり、荒い息をついていた。
「誰を、どこまで信用できるのか」
「ふむ」
「先のサハリアの戦争では、南北いずれの陣営にも、パッシャの手先が紛れ込んでいました。では、同じことが世界中の国々で起きていないとするのは」
この言葉に、この場の全員がいかにも気まずそうに互いに見つめ合った。
「今は平和で、すぐに何かが起きるということはないかと考えられますが……」
やっとハッシが、苦しげに言葉を絞り出した。
「……とりあえず、この場にいる者同士の同盟だけでも、大切にせねばなりません」
場を圧する沈黙の下、俺達は頷いた。
その時、能天気な声が、会場に響き渡った。
「おーっとぉ、リン選手、三戦目も圧勝! 圧勝です! 世界最強のゲーマーは、リン・ウォカエー! この瞬間、歴史にその名が刻まれましたぁ!」




