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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十章 千年祭
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料理大会予選とその後

「済まないな、三人とも」

「なんの、これくらいはさせてもらわねば」


 昨日は熱い戦いが繰り広げられたチュンチェン区の大競技場。だが、今日はまた別の勝負のための空間となる。


「どうしても、設営だけは人手が欲しかった。とはいえ、士分のお前達にさせることではないのではないかと」

「それを言い出したら、旦那様が料理大会に出る方がおかしいと、そういうことになりますが」


 ポトが言った。


「悪事をなすでもなし、主人が芸に熟達していて、何が悪いということがありましょうか」


 マツツァも同意した。


「それに、これも先々を考えれば、領地の発展のためとなりましょう。旦那様はコーヒーに満足されず、ショウユも売り出そうとしておられる」

「ああ。コーヒーはどうしたって南方大陸でしか育たない。だけど、醤油の材料は大豆と小麦、それに食塩だ。それならティンティナブリアでも醸造できる」


 俺が俗世を去っても、名産品として土地に根付いてくれれば。これ以上の喜びがあるだろうか。

 タオフィも頷いた。


「拙者は、個人的にはあの香りは好きですぞ。他では得られない、上品な味わいが」

「嬉しいことだ。でも、醤油の使い道はもっと広いんだ。まぁ、それはおいおい、広めていこうと思うけど」


 この広い競技場の中央に、いくつもの屋台が立ち並ぶ。どの店舗も、出せるのは一種類、小さなお茶碗一杯分だけ。

 評価方法だが、まず最初の集団……市民の希望者の中からの抽選で選ばれた数百人が、ランダムに割り振られた三箇所の店舗で食べる。彼らは、自分が食べたそれぞれの店について、合否を決め、投票することができる。つまり、ここでは減点方式だ。彼ら全員が採点を終える頃には、それぞれの店舗が採点済みになっている。

 その後、一般の来場者が、その点数を見て、食べに行く先を決めるというわけだ。それぞれの店舗は、出場者名と品目、そして現時点の点数が示されている。普通に考えれば点数が高ければ高いところを狙うほど、来場者は安定しておいしいものをいただけるということだ。但し、提供側には食数の制限がある。店舗も、この小さな屋台一つ分しかないので、売り切れたら終わり。しかも、食べてもらっても投票されなければ意味がない。

 こういうルールでの勝負なので、提供に時間がかかる品は不利だ。ご飯物なら、事前に炊いておけばいいのだが、時間経過で味が落ちる。それで評価が下がって点がつかなかったら、それはそれで無駄になる。


「では、あとで店の片付けのために、また参ります。旦那様はご武運を」

「ありがとう」


 そういう勝負なので、醤油ラーメンには優位がある。一食を提供するのにかかる時間は二、三分ほど。茹で時間はあまり体感に頼らず、念のため砂時計で確認する。湯切りが慌ただしくなるが、うまくやれば一度に複数の麺を同時に茹でることで、実質的な提供速度をもっと高めることもできる。その辺はもう、予行演習で履修済みだ。

 最初の客は、必ずうちで食べることが決まっているので慌てなくてもいいが、一般入場者は違う。混雑して待たされるとなれば、他の店に流れる可能性だってあるのだ。そのリスクを最小に留めるのなら、やはり速さが重要となってくる。

 スープ麺を提供するところは他にもあるだろう。だが、醤油の香りと味わいは、これが事実上の世界初。あっと言わせてやろう。


 身構えて待っていると、やがて会場の入口が開かれ、最初の来場者がやってきた。


 それから四時間ほど。昼下がりの時間帯に、俺は調理器具の洗浄を済ませてから、店を閉じた。規定の百食分が売り切れてしまったからだ。無我夢中で麺を茹で、湯切りをし、客に出し続けて、気づけばもうこの時間。競技場の中を見回すと、まだ営業している屋台の方が多かった。とするなら、それなりのスコアは稼げたとみるべきだろう。

 参加者専用の出口から競技場の薄暗い通路に入った。そこで退場を告げる。この時間も重要だ。来場者の採点が最初の評価項目だが、そこで同点だった場合、先に売り切った方が順位としては上とされる。食べに来る人は一般人で、別に食の評論家でもないので、そこそこの店にも投票してしまうかもしれない。だからこそ、最初に人気を集めて点を取りきることに意味がある。

 本選に出場できるのは、上位八店舗のみ。俺がその中に食い込めたらいいのだが……


 さて、久しぶりに体が空いた。

 と言いたいところだが、寄りたいところがあった。それも二箇所も。


 まず、南北の連絡船に乗って帝都の北側に降り立つと、そこから乗合馬車を捕まえて、学園に直行した。


「いらしてくださったんですね!」

「何かと忙しくて、顔を出せなくって」


 学園の展示スペースで、今日もヒメノは来場者の案内に立ち働いていた。


「どう? 調子は」

「好評ですよ。ここで、私が仕立てた衣服を、実際に着てみてもらったりもしてるんです」

「へぇ」


 そういえば、この前、展示の手伝いをした時にはなかったが、大きな姿見が置かれていて、カーテンに仕切られたスペースができていた。


「異国の変わった服、という受け止められ方しかしてないんですけど。でも、どんな形でもまず、良さに気付いていただければと思って」

「いい考えだと思う。服だからね、確かに」


 俺は頷いた。


「料理で考えればすぐわかる。食べもしないのに、美味しいかどうかなんて、わかるわけないんだし。服だって、着てみなきゃ良さなんかわからない」

「ふふ、皆さん、嬉しいことを言ってくださいますよ」


 本当に嬉しそうにヒメノは言った。


「余計な力が抜けていく気がするとか、それでいて自然と背筋が伸びるとか」

「へぇ」

「何気ない仕草をしてみただけでも、自分が美しくなったような気がする、なんて仰ってくださった方も」

「それはよかった」


 そこまで話してから、ヒメノは少しだけ、口元では笑みを浮かべたまま、表情を曇らせた。


「それと……」

「何かあった?」


 問題でも起きたのかと、俺が真顔になりかけると、彼女はゆっくりと首を振った。


「いいえ。いいお話です」

「えっ」

「私の作品を見た、帝都の服飾業者の方が、卒業後はうちで働くことを検討しないかと仰ってくださって」


 評価された。それは嬉しいことだ。

 でも、それを受け入れていいかといえば……


「なるほど」

「もちろん、いいことなんですよ? なんですけど」


 選択肢があればこそ、悩ましくなる。

 本来、ヒメノにそんな自由はない。ヒシタギ家の支援を受けて留学させてもらっているのだ。普通であれば、留学後はそのままスッケに帰り、オウイが決めた縁談を受け入れて、武人の家の妻としての役目を果たすべきなのだ。今は俺に宛てがわれる可能性もあるのだが、その場合でも、それならそれで夫たる俺についてティンティナブリアまで嫁いでいくべきという話になる。


「やってみたいのであれば……うーん」

「あっ、いえ」


 彼女は慌てて手を振った。


「私がそんな我儘を言うわけにはいきませんから」

「僕がヒジリに強く言って、形だけ僕の側妾として受け入れるということにすれば、駄目とは言われないし、言えないとも思うけど」


 そう言われて、ヒメノは俯いてしまった。余計悩ませてしまっただろうか。


「とにかく、僕にできることがあれば、するつもりではいるから」

「ありがとうございます」

「ああ、あと、それから」


 伝えることがあった。


「今、帝都にアーノさんが来ているのは知ってる?」

「あ、はい。一度会いに来ましたよ」

「えっ、大丈夫だった?」


 すると彼女は苦笑して肩を揺らした。そして両手をさっと隠すようにして背中に回す。


「木刀を握らされました」


 今度は俺が微妙な顔をする番だった。きっと相当絞られたに違いない。


「でも、いいお知らせも聞けましたよ」

「というと?」

「ヤレルおじさまにお会いしたそうですけど、その時に聞きました。少し遅れるそうですが、後の船でワノノマの知り合いが、帝都を見物にやってくるようで」

「じゃあ、知り合いの顔も見られるんだ」


 彼女は頷いた。


「もうそろそろ、船も到着する頃だと思うので。あんまり遅いと千年祭も終わってしまいますし」

「そっか」


 久しぶりに親族の顔をみられるとなれば、楽しみだろう。

 そうして話していると、次の来場者がやってきた。


「っと、じゃあ、そろそろ」

「はい、わざわざありがとうございます。あ、それと」


 彼女は言った。


「エオ君に聞きました。武闘大会、次は準決勝だそうですね。次からはなるべく時間を作って見に行きますね!」

「あ、ああ、うん、ありがとう」


 むしろ、あんまり見られたくはないのだが……

 口元をひくひくさせながら、俺は手を振ってその場を去った。


 次は繁華街方面に向かわなくてはいけない。今日もリシュニア王女が、俺の領民のフリをして、アルバイトに励んでいる。その様子見というのもあるが、他にも確認したいことがある。いきなり初対面のホアを口説きにかかるとは、どういうつもりなのか。

 西に向かう乗り合い馬車を降り、右手に見える繁華街の朱色の門を見上げ、それから左を向いて、商店街に一歩踏み出した。その時。


「おぁっ」


 俺も振り向いた瞬間だったから、ちゃんと前を見ていなかった。そして、ぶつかった相手も、どうやら赤い鳥居に目を奪われていたらしく、俺とぶつかったせいで、軽くよろめいていた。


「大丈夫ですか」

「お、おぉ、いや、悪い、ボーッとしてた、済まないな」


 そろそろ中年に差し掛かる、一見して商人らしい外見をした男が、そこに立っていた。

 若草色の上着に、元々はスタイリッシュだったであろう紺色のズボンを穿いている。ただ、本人が元の体格より少しふっくらしだしたのもあってか、微妙に似合っていない。


「いえ、こちらこそ」


 そう言いながら頭を下げた。


「あれ?」

「ん?」

「どこかでお会いしたような」


 妙に見覚えがある気がするのだが、どうしても思い出せない。


「会ったっけなぁ? 誰だったっけ?」

「いえ、気のせいかもしれません」


 それで、俺は彼の視線の先に何があったのかと、改めて右側に振り返った。もしかして、繁華街に行こうとしていたのでは……


「っと、そういう目で見ないでくれよ。せっかく帝都まで来たんだから、心残りのないよう、遊んでおきたいだけなんだからさ」

「えっと、まぁ」


 別に、彼が彼のお金で女遊びしようが、俺が口出しすることでもない。赤の他人なのだし。


「つっても、実はもう、ちょっと行ってみたんだが、正直、そこまでよくもなかったな」

「えっと、そうなんですか」

「お前さん、帝都の人かい?」

「いえ」


 彼は頷いた。


「じゃあ、こんなところで夜遊びする必要なんかない。もっといいところが世界にはちゃんとあるんだから」

「そうですか」

「俺は遊び人だから、記念にもう一回だけ、行ってみるけど、本当の夜遊びを味わいたかったら、やっぱり今はピュリスが一番だからな。ほら、あの有名な変態王、ファルス・リンガ! 今じゃ帝都でも有名人らしいんだけどさ! あいつが拵えた色街が、世界最高なんだ!」


 吹き出すところだった。やっとのことで取り繕ったが。


「こっちはダメだな」

「は、はぁ」

「年齢は高めのが多いし、変にお高く止まってるし。それに割高だしな。まぁ、けど、それならあと一度だけ、帝都ならではの店に行こうと思って」

「そんなところがあるんですか」

「おう!」


 彼はサムズアップしながら言った。


「アウラ・チェルタミーノって店なんだが、人妻がたくさんいるって話だ」


 また吹き出しそうになった。それってニドの店じゃないか。


「大陸の方でも、既婚者なのに泣く泣く売られてきて、みたいな女はいるんだけどさ。こっちの女は、ある意味すげぇよなぁ。結婚してても、イケてる男に貢ぐために、自分から体を売りにいくんだぜ? ま、言ってみりゃ、自分から泥沼の中に身を投げるような、そういう悪い遊びってもんをさ、一度やってみたいわけよ。なんか、禁断の味ってやつ?」

「う……」

「はっはは! ま、いいや! あんた、まだ若いんだから、俺みたいな悪い大人になるなよ! じゃあな!」


 それだけで、彼は歩き去っていった。

 俺も振り返ると、もうすぐ夕方という時間帯の、やや閑散とした商店街に足を向けた。


「まぁ、ファルス様、ようこそおいでくださいました」


 俺がやってくると、リシュニアは恭しく頭を下げた。濃い緑色のエプロンに三角巾。


「あー、リーシャ、うまくやれているか」

「はい、皆様、とっても親切です」


 まさか王女様ですとは言えないので、名前もごまかしている。俺の領民、配下の者の家の出であるということにしてある。とはいえ、それでどこまでごまかせるだろう? 立ち居振る舞い、言葉遣いなど、どうしても身についた気品のようなものは滲み出る。

 横から、同じく緑色のエプロンを身につけたオバちゃんが、サンダルで足下を擦りながら、近づいてきた。


「おう、いらっしゃったかね」

「どうも、うちの者がお世話になっております」

「ああ、ええ、ええ。あんたんところ、お偉い貴族様なんでしょ」

「ここは帝都ですよ。ただの市民です」

「まぁまぁ」


 手をパタパタと振りながら、リシュニアに振り返った彼女は、その背中を押した。


「ほら、ご主人様が用事があってきたんだから、ちょっと休憩がてら行ってらっしゃい」

「済みません。すぐ戻ります」


 きれいなお辞儀をしてから、彼女は俺についてきた。といっても、そんなに遠くに行くわけではない。話を聞かれないよう、店から少しだけ離れた場所に立って、軽く話すだけだ。


「どうですか? こちら、商店街のお仕事には」

「ええ! とっても楽しいです。夢みたいです」


 俺が苦笑いしているのに気づいたのだろう? 心底不思議と言わんばかりに、彼女は小首を傾げた。


「どうなさったのですか?」

「いや、普通はそんなに楽しそうにするものではないから……だって、お仕事ですよ?」

「はい! こんな贅沢は他にありません」


 自覚はあるのだろう。弁えているとも言える。


「市井の人々には、眼の前の何か誰かのために、めいいっぱい働くという役割があります。それは決して軽い義務ではありませんし、見返りも微々たるものです。それで口に糊していかなくてはいけないのですから」

「その通りです。下々の暮らしは容易くなどありません」

「ですけれども、その場にいらっしゃる方が、私の頑張りに応えて喜んでくださるのですよ? これは、私の居場所からでは、絶対に手が届かないことでした」


 その庶民ならではの喜びと、王族ゆえの保護。いいとこ取りだ。ただ、リシュニアはそれが自分の我儘であると理解できている。別に誰かに迷惑をかけているのでもなし、これはこれで問題ないと言えるだろう。どうせこの夏、千年祭で慌ただしい間にしか体験できないことなのだし。


「それで今日は、わざわざ様子見にいらっしゃったのですか?」

「いや、それだけではありません」


 俺は居住まいを正して尋ねた。


「ホアについてです。何度か連れ出したそうですが」

「ああ、ホアさんですね。ええ、あれから二、三度ほど、遊びに付き合っていただきました」

「どういうおつもりですか」


 俺は険しい顔でそう問い質したのだが、リシュニアは涼しげな顔をするばかりだった。


「どういう……どうもこうも、お友達になりたい方だと思ったので、遊びに出かけただけですけれども」


 後ろめたいことなど何もない、と言わんばかりの、透明感溢れる優等生らしい顔で、彼女はそう答えた。


「それは、なぜ」

「なぜって、私が彼女のことを気に入ってしまったからですよ? 他に理由なんて、必要ですか?」


 俺が目を白黒させていると、リシュニアは口元を手で覆って、笑みを漏らした。


「とっても純粋な方ですよね」

「えっ? ホアが?」

「ええ」


 言われてみれば、そうかもしれない。少なくとも、欲望には忠実だ。


「いやっ、でも、だって、殿下がホアに初めて会ったのは、あの物産展の日でしょう?」

「そうですよ」

「その、あの」


 俺の張形を売っているところなんかを見て、どうして気に入ったのか。

 本当に、リシュニアの頭の中が理解できない。俺を誘惑したかと思えば、いきなりホアに惚れ込むなんて。合理的に考えれば、ホアを抱き込もうとしていると、そう解釈するしかないところだ。


「決めたんですよ」


 それなのに、心を読みまでもなく、リシュニアは本当に楽しそうにしていた。


「ホアさんのこと、できる限り応援するって」

「はい?」

「ファルス様、ちゃんと幸せにしてあげなきゃ駄目ですよ? ふふっ」


 わけがわからない。どうしたものか。心を読むべきか、それとも……

 そこで、店の方に数人の来客がやってきてしまった。


「あー、ちょっと、リーシャちゃん?」

「あっ、はーい、今、参ります」


 庶民のふりをしているのだが、どうしても言葉遣いの端々に余計な上品さが混じってしまっている。軽くため息をつき、俺はその場で彼女の様子を眺めていた。

 熱々の具を挟んだパンを、丁寧な、そしてまだ不慣れな手付きで紙に包み、客に手渡していく。その生き生きとした笑顔ときたら。

 

 やめておこう、と思った。

 根拠はないが、リシュニアが悪意とか、欲望とか、そういうものに動かされているようには見えなかったから。


 俺は、離れたところから、そっと彼女に手を振った。それでリシュニアも気づいて、客の応対の合間を縫って、軽く会釈した。

 それだけで、俺は背を向けて歩き出した。

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