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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十章 千年祭
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醤油ラーメン

 蒸し暑い真夏の夜の空気。そこに厨房の熱気が混じり合う。それでも、俺はじっと待ち構えて動かない。麺を茹で、湯から引き上げるタイミングを逃してはならないのだ。

 頃合いを見計らって金網を突っ込み、掬い上げた麺を、その上で軽く跳ねさせる。湯切りは重要だ。そういえば、前世のバイト先にいたっけ。ラーメンの茹で汁の臭いがたまらなく嫌いだという人が。わからなくもない。特有のムッとする感じがあるとは思う。

 だが、それでも適切に湯切りをして、然るべきスープに麺を沈めたなら、そういうえぐみのようなものは、ほとんど気にならないだろう。このスープ、何色とすればいいのか、焦げ茶色などとは呼びたくない。まさにこれが醤油色。そこに金色の縮れ麺が浸かると、俺は手早く味玉、チャーシュー、ナルト、メンマ、それにネギを添えた。

 器は小さい。サイズとしては、ミニラーメンといったところか。だが、これが料理大会予選のレギュレーションなのだそうで、分量を合わせなくてはならない。


 出来上がった品をトレイに載せて、俺は足下に気をつけつつ、中庭を見下ろす二階のテラスへと出ていった。


「おーっ、これがファルスの新作料理か!」


 ルークが椅子から身を乗り出すようにしていた。

 俺が二日後の料理大会の予選で使う武器。それがこの醤油ラーメンだ。オーソドックスだが、それゆえに隙がない。俺の好きな、淡麗という言葉で表現できる、昔ながらの中華そば。ただ、それをとにかく丁寧に作る。思えば、ピュリスにいた頃になんとか出せたのは、トンコツラーメンだった。あれはあれで悪くはなかったのだが、やはり基本の醤油ベースのラーメンを出したいと思っていたものだ。

 ちゃんとした料理一式を提供できるのは本選になってから。予選では少量の一品で評価される。であれば、お椀一杯分の中で、どれだけの世界を表現できるか、それが勝負の分かれ目。そして、この手の一品料理でも、前世日本のレパートリーは、ちゃんと役立ってくれる。切り札を出し惜しみして予選落ちでは意味がない。だから、最初から全力だ。


「箸を使ってほしいけど、無理ならフォークで。スープも飲めるけど、塩分が多めだから、残すこと前提で作ってある」

「へぇぇ、美味しそうなのです」


 醤油を生み出せるのが俺一人なら、醤油ラーメンを出せるのも、世界で俺一人だけ。この味は、ここでしか食べられない。


「あっ、熱いから、食べる時はすする感じになるかも。あんまり上品な料理だとは思わないでほしい」

「ふーん、まぁ細かいことはいいや」


 ニドはフォークを取った。


「そうだな、それより久々にファルスの飯だ。どんなもんか……なんかカークの街の屋台で出てきそうな感じの料理だな」


 ジョイスは箸を取った。


「いただきます!」


 そうして彼らは醤油ラーメンに食らいついた。

 こうやって夜食を提供する目的だが、一つではない。まず、二日後の予選のための予行演習という意味合いもあるが、それとは別に、この千年祭の時期にもコーヒーを売り歩いてくれているオルヴィータ達へのねぎらいの気持ちというのもある。特にルークは、リンガ商会の社員でもないのに、手間を惜しまず助けてくれている。


「どうだろう」

「すげぇよ、これ。塩辛いっちゃぁ塩辛いんだけど、そんだけじゃねぇな。香りと、酸味と……なんていったらいいんだ? コクってやつ?」


 ニドは気に入ったらしい。


「麺がプリプリ、つるんとした喉越しがなんともいえないのです」

「けどこれ、なんかサッパリした飲み物が欲しくなるな」


 概ね好評らしい。自然と笑みが溢れる。きっとそれは、俺も同じだろう。

 他の女性陣も食べている。ただ、下品にしたくないのか、すすっていないのでペースはゆっくりだが。


「これは初めての味と香り。コーヒーにも驚かされたけど、これも新しい」


 リーアがそう評価したかと思えば、


「ファルスの出す料理は、いつも単純なようで複雑だニャア」


 ディエドラも頷いている。

 そんな彼女をシャルトゥノーマが横目にみながら、ボソリと言った。


「……お前、その『ニャア』ってのを、これからも続けるつもりか?」

「何か問題かニャア?」

「少なくとも、今の時点では、全然似合ってないぞ」


 なんともいえない、微妙に苦々しい顔をして、彼女はそう言った。これにはストゥルンも同意した。


「お前の『ニャア』はなってない」

「なっ? だが、私は本物の獣人だぞ。耳もこの通り」

「だが、虎だろう? 猫らしさが足りない。よし、わかった。今度、猫の鳴き真似を教えてやる。声帯模写の中では比較的簡単だから、すぐできるようになるだろう」


 俺はそんなやり取りを、何も言えずに見守っているだけだった。

 だが、それに学びを得て、黙ってウンウン頷くのもいた。


「みんな、それぞれ新しい武器、手に入れてやがんなぁ」


 とっくにラーメンを食べ終え、スープまで飲みきったホアは、そう呟いた。


「武器ってなんだ」

「あん? そりゃ決まってんだろ。お前をベッドに引きずり込む手段だ」

「お前の頭の中は、そればっかりなんだなぁ」

「今更だろ」


 と、そこで気付いたのだが、ホアの服装が初めて見るものになっていた。

 これがなかなか洗練されている。黒と緑を大胆に使った上着とショートパンツ。帝都のいいとこのお嬢さんみたいな格好をしていた。


「ホア、その服、買ったのか」

「おっ、王子様がやっと気付いてくれたぜ! オシャレもしてみるもんだな!」

「あ? ああ、似合ってるとは思う」


 が、しかし、どうも噛み合わない。

 ホアは優れた職人だから、美しいデザインの剣を拵えたりもするし、できる。彼女が俺のために一式整えてくれた黒竜の革の鎧も、機能性とスマートな見た目を兼ね備えた逸品だ。しかし、彼女が自身をうまく飾り立てるところを、これまでは見たことがなかった。要するに、作るセンスはあっても、使うセンスはない。


「どこでそれを?」

「おう! リシュニアが見繕ってくれてな」

「ハァ!?」


 呼び捨てとは、いかにも馴れ馴れしい。

 そういえば、俺がティンティナブリア物産展に顔を出したあの日、急に彼女がわけのわからないことを言い出したんだっけ。ホアに向かって大好きとか。あのお姫様、頭のネジが飛んでしまったのか?


「もしかして、あの日の後も、会ったりしてるのか?」

「んー? あれからあっちも忙しいらしくてな。二回くらいしか会ってねぇぜ?」


 俺が武闘大会やら料理大会やらに振り回されているうちに、いつの間にか関係性を構築していた。


「じゃあ、その服は、殿下が」

「オシャレは普段からしないと身につかねぇって言ってな。自分で出すっつったんだが、贈らせてくれっていって譲らねぇんだよ、あいつ」

「あいつ、って……」


 身分なんか気にかけるような人間ではないとは知っていたものの、この気安さたるや。


「ホア、あれが誰か、わかってるのか」

「んあ? 確か、あれだろ、エスタ=フォレスティアの王女様」

「そうだ。一国の王女だぞ。そこらの木っ端貴族とは違う」


 俺がいつも、どんな無礼でも許しているから勘違いした、なんてことがあったとしたら、責任問題だ。


「そりゃ、常識くれぇオレにもあるぜ」

「僕に対しては何を言っても許されるけど、殿下が相手だと、話が違うんだ。わかるか」

「けど、あいつ、そういうの一切なしでって、自分から言ってきやがったんだぜ? まじぃだろっつったんだが、いいから気にするなって」


 どういうことだ?

 いや、想像はつく。なにしろ、俺を誘惑さえした彼女のこと。次はホアを籠絡して、というのも不自然ではない。俺という人間は、俺自身の欲望には動かされにくいが、身内を人質にとられると、途端に付け込みやすくなる。自分でもその弱点を承知しているが、リシュニアほど頭が回るのなら、それくらい気付いて不思議はない。


「む……」

「言っとくが、オレぁなんも失礼なことも、悪いこともしちゃいねぇぜ?」

「そうか」


 ここでホアを問い詰めても何も変わらない。リシュニアの話を聞いたほうがよさそうだ。そう結論して、俺はこの話を打ち切った。


「オルヴィータ、どう? コーヒーは売れてる?」


 マリータ王女は既に、個人的な会合でコーヒーを活用し始めているらしい。とはいえ、それがどれだけ影響しているかは、今のところ、なんともわからない。


「売れるようになってきたのです!」


 喜色満面、彼女は俺の顔を見上げて答えた。


「やっぱり、偉い人が飲むようになると変わってくるのかな」

「それもあるかもしれないけど、それだけではないのです」

「というと?」


 彼女は隣に座るルークの肩を叩いた。


「頑張ってくれたのです!」

「俺はなんもしてねぇよ。荷物運んで飯食っただけだ」

「飯?」

「ああ」


 彼は頷いて、説明してくれた。


「ほら、オルヴィータが顔出すとこって、割と高級な飯屋ばっかりだろ? だからせっかくだしと思って、なんか食わせてくれって言ってみたんだ」

「よく応じてくれたな」

「それで、一通りの料理の後に、オルヴィータにコーヒーを出してもらって。あれ、飯の後だと、余計にうまいよな! デザートと合わせてもいいし」


 オルヴィータも言った。


「それで、あんまりルークが美味しそうに食べて飲むから、逆に興味を持ってくれたのです!」


 まさかの実演で、顧客ゲットとは。

 ルークは見ての通り体も大きいし、食べっぷりも見ていて気持ちよかったに違いない。


「それに、ルークは不思議と人に好かれるのです」

「みんないい人ばっかりなんだよ。俺がどうってことはないんだから」


 それはどうだろう?

 彼自身は慣れたにとしても『苦痛吸収』の神通力がなくなったわけではないのだ。とするなら、彼の接近によって、内心のストレスが自然と軽減されているのかもしれない。そう考えると、彼が出会う人が「いい人ばっかり」になるのも無理はない。心を歪ませる苦痛が遠ざかれば、人は人に優しくなれるから。

 とはいえ、そのようなささやかな恩恵の代償に、ルークの日常は激痛に塗れているのだが。


「そんなにしっかり売ってもらったんじゃ、やっぱり給料を払わなくちゃいけないな」

「いらないよ。おかげで帝都のいろんな料理店にも顔を出せたし、珍しいもんいっぱい食えたしな! 本当、ファルスのおかげだし、俺達に付き合ってくれたお店のおかげだし。それでファルスはコーヒーを広めたいのがうまくいくし、お店も珍しい飲み物を売り出せるようになるしで、みんないいことだらけだ」


 ルークは、いつもこんな感じだ。


「関わらせてもらって、ありがたいよ」


 これといった欲がない。食事とか睡眠とか、或いは真なる騎士に相応しくあるために強くなりたいとか、そういう欲求はあるが、それ以上、何も欲しがらない。そして、何かいいことがあると、すぐ感謝する。


「そうか。でも、こっちとしてもタダってわけにはいかないから、これは貸しにしておいてくれ。別のことで報いるつもりだから」

「ああ、ありがとう」


 さて、概ね好評なようだし……

 武闘大会の方はキースのこともあって気がかりでもあるが、二日後の料理大会予選についてはもう……


「す、す、す、凄いですっ! さすがお師匠様!」

「わっ!?」


 背後からいきなり突き飛ばされた。


「どうしてこれを私に叩き込んでくれなかったんですか!」

「チャル!?」


 どうして彼女がここにいるのか、まったくわけがわからない。


「この麺とスープがあれば! タリフ・オリムから都落ちすることもなかったのに!」

「ちょっと落ち着け!」


 俺は彼女の方を掴んで抑え込み、周囲を見回して、ノーラの方へと向き直った。


「ごめんなさい。セーン料理長に教わりたいことがあったとかで、ピュリスの方に寄ってもらっていて、今朝、こっちに合流したばかりで」

「そうだったのか」

「予定になかったんだけど、せっかくだから帝都に行ってこいって言われたらしくて、ついさっき、ファルスがこのラーメン? というのを作ってる間に、ここまで来たのよ」


 それで正面に向き直ると、恨めしそうに俺を見上げるチャルが詰め寄ってきた。


「お師匠様ぁ」

「い、いいか。これは隠していたわけじゃない」

「じゃあ、なんですかー」

「あの時のタリフ・オリムでは、必要な材料がどうしても足りなかったんだ。だから出せなかった。それだけだ」


 手を放してもらってから、一息ついて、俺は腕組みした。


「そうだ。同じく醤油を使えば、蕎麦の麺もぐっとおいしくなるぞ」

「本当ですか?」

「本来の蕎麦の麺のあり方を、やっと伝授することができる。今は忙しいけど、一段落したらちゃんと教えるから、待っていてほしい」


 そうだ。

 俺はこの世界に醤油を齎した……或いは復活させただけかもしれないが、とにかく、これはこれで、製法や利用法について、後継者を残しておく必要がある。調味料だけあっても、それを用いたレシピがないのでは、その価値は半減してしまうだろう。

 ティンティナブリアから去る前に、チャルには一通りのことを教えておかなくてはいけない。


 深夜、別邸のみんなに挨拶してから、俺は旧公館に引き返した。

 料理大会の予選の前日に、武闘大会の準々決勝がある。本当に慌ただしいことだ。

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― 新着の感想 ―
今日醤油ラーメンを食べてきました。 美味しかったです。
醤油ラーメンか。 袋麺ではそれなりに食べるけど、外食でラーメン食べる時は、家系の塩ラーメン、博多とんこつ、こってり味噌ばかりになってしまった。 この世界だと確かに醤油ラーメン・・・いや塩でもいける…
やっぱ料理回がファルスらしくていいな 大会での反応が楽しみ
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