ニャア事件
俺とウィーは速歩きで先を急いだ。ディエドラの薙ぎ払う一撃に、三人とも吹っ飛ばされていたのだ。ひどい怪我でもしていなければいいのだが……
魔術で壁は透視できる。三人は、とある控室で川の字に寝かされていた。まっすぐそちらに向かい、ノックもせずに、俺は扉を押し開けた。
「んお?」
乱暴に扉を開けると、力みのない間抜けな声が聞こえてきた。
「無事、ですか!」
「なんだぁ……」
ムクリと身を起こしたのはガッシュだった。
「怪我は!」
「いや、大事はないけど、念の為、医者を呼ぶってさっき係員が」
そこまで言いかけてから、彼は硬直し、俺の顔を凝視した。
「お前、ファルスか?」
その言葉に、他の二人も反応し、上半身だけ起き上がった。
「えっ」
「その顔」
ドロルもハリも、歳を取った。いや、成熟したというべきか。
「はい。お久しぶりです」
「おぉ!」
安静にしろと言われていたはずなのに、三人とも毛布を放り出して立ち上がってきてしまった。
「何年ぶりだ、お前」
「立派になりましたね……ん?」
俺に注目し、駆け寄ったドロルとハリが、すぐ後ろに立つもう一人の人物に気づくのに、時間はかからなかった。
そして、微妙な沈黙が場を支配した。三人の首が、まるで壊れかけのブリキの玩具みたいに、ギギギとゆっくり、同じ方向に動いた。
「そ、そいつ」
「見覚えが、でも妹? 娘?」
「けど、でも、待てよ、落ち着け、そんなわけが」
と思うのも無理はない。ウィーはこの数年間の老化を回避しているから。
だが、どう説明しようかと考えるのは、意味のないことだった。俺のすぐ後ろにいたウィーが、何も言わずに駆け出し、三人の首根っこにかじりついたから。
そうだった。どう取り繕おうとか、そんなことを考えるより先に、彼女は行動してしまう。こういう人だった。
「お前、ウィムか?」
「嘘だろ!?」
「全然変わってません……」
だが、返事などない。それどころではない。固く彼らにしがみつきながら、彼女は静かに咽び泣き始めてしまった。
「なるほどなぁ」
ウィーが少し落ち着いてから、やっと俺は作り話を説明した。つまり、サフィス暗殺未遂の後、王都に戻ってイフロース達と共闘して反乱軍と戦ったところまでは事実を語る。問題はその後で、ウィーは生身のまま、国外に脱出。それから追手を振り切るために南方大陸まで行き、そこでパッシャに目をつけられ、囚われてしまう。彼らの魔法の道具の実験体にされ、数年間、封印されていたことにした。
「それで歳を取っていないのですね」
ハリは納得したようだが、ドロルはそうでもなかった。
「おい、ウィム……じゃなくって、ウィーか。お前、俺達に言うことがあるんじゃねぇのか」
ハッとして、彼女はその泣き濡れた顔をあげた。
「ごめんなさい」
それから、頭を深々と下げた。
「身元を隠していたことも……みんながいるのに、勝手なことをしたのも……全部、ボクが悪かった、です」
三人は、なんともいえない顔をしていた。まるで石の壁みたいに見えた。
彼女のしたことが許されるのか? 公的には許されていない。あくまでイフロースが私的に赦免を与えただけ。エスタ=フォレスティア王国の法を犯し、償っていないのは事実。また、今日まで、かつての仲間だったガッシュ達に何のけじめもつけていなかった。
「ウィー、ちょっと首伸ばせ」
「えっ?」
「そうそう、頭をもうちょっとこっち」
言われるままに首だけ前に出したところ、ガッシュは腕を振り上げ、真上から彼女の頭に拳骨を食らわせた。
「このバカ野郎! 勝手な真似しやがって、どれだけ心配したと思ってんだ!」
と、叱りつけてから、ガッシュは気遣わしげに左右に視線を向けた。
「見え見えなんだよ、お前のやり方は」
ドロルはそう吐き捨てた。そう言いながらも、彼も軽く手をあげ、ウィーの頭を叩いた。
「あいたっ」
「痛がってんじゃねぇ、このボケ」
ハリは頷くだけで済ませた。
「仮にも私は神官ですので、個人的な懲罰のために人を打ったりはしません。が、わかっていますね?」
「……うん」
俯く彼女の肩に、ハリは手を置いた。
「では、改めて。おかえりなさい」
この言葉に、再びウィーの涙腺は決壊した。また三人の肩にしがみつき、声もなく咽び泣きだした。
俺はそれを見届けると、無言で手を振って、そっと部屋を後にした。
とりあえず、こちらは片付いた。あとでまた時間をかけて彼らとは話すつもりだが、今は先にディエドラに文句を言っておかなくては。あんな滅茶苦茶をされたのでは、たまらない。
探してみると、もう反対側の控室に引き返しているようなので、廊下をぐるりと回って、そちらに急いだ。
扉の前でノックしようとして、中から話し声がするのに気付いた。だが、構わずノックをすると、内側から扉が開けられた。
「ギィ」
開けてくれたのはペルジャラナンで、室内にはディエドラとシャルトゥノーマの他、二人の係員と……
「あっ」
……猫耳をつけた女が一人。
「気持ちいい人ニャア」
思い出した。三回戦の対戦相手だった女、ミャオだ。でもそれがどうしてここへ?
俺がキョロキョロ見回していると、係員の一人が深い溜息をついて、三人に告げた。
「とにかく、あれはもう禁止です。死亡者が出かねないので」
「承知しました」
代表して返事をしたのはシャルトゥノーマだった。
「何度も言っているが、ちゃんと手加減はしたぞ?」
「そういう問題ではない。お前は黙っていろ」
それだけで、係員は部屋から出ていった。
「ディエドラ」
「なんだ」
「肝が冷えた。確かに、あれは駄目だ。大騒ぎになったぞ」
「ふふん」
だが、彼女にはまるで反省がなかった。
「力を競うところで、力に制限を加える。本当に、人間というのはわけがわからない」
「死んだら元も子もないからだ。普通の人間は、ルーの種族みたいにはいかないんだから」
「一応」
シャルトゥノーマが割って入って、説明をした。
「目立つという目的は達成した。これ以上、試合に出るまでもないかもしれん」
「それは、どういう」
「元々は、ルーの種族の存在を認知させるのと、あとはティンティナブリア物産展の宣伝も兼ねての出場だったからな」
「そういうことか」
とするなら、ああいう無茶もパフォーマンスのうち。とはいえ、事故になっていたら、それどころではなかったのだが。
「それで」
係員の注意は妥当だし、そこに疑問はない。
俺は振り返った。
「どうして彼女がここに?」
ミャオ・ムシュク。猫耳をつけた繁華街のヌードダンサー。どこで縁があった?
「ギィィ」
「知らない」
口を揃えて彼らも来訪理由がわからないと述べている。すると、ミャオは目を輝かせて進み出て、ディエドラの手を取った。
「なんだお前」
「その耳、本物ですかニャア!」
理解が追いついた。
猫耳をつけている彼女は偽物。一方、猫耳が生えているディエドラは本物だ。憧れの猫耳の持ち主に興味が湧いて、ここまで押しかけてきてしまったのだ。
「なんのことかわからんが、これが私の耳だ」
「羨ましいニャア」
「耳ならお前にも人間の耳がついているだろう。何が不満だ」
「猫耳と人間の耳では美しさが違うニャア」
……相手をしてやる義理もない気がする。
「そんなものか」
「どうすれば、その耳、生やせるのかニャ」
「ルーの……獣人に生まれれば勝手に生えてくる」
「後から生やすのは無理かニャア」
「無理だ」
俺とシャルトゥノーマ、ペルジャラナンは目を見合わせた。
「この耳があると、何がいいんだ?」
「うーん、その話し方、もったいないニャ」
「もったいない? 何がだ」
怪訝そうなディエドラに、ミャオは両腕を広げて力いっぱい主張した。
「猫耳があるということは、かわいいということニャア! せっかく顔立ちもきれいで猫耳まで生えてるのに、そんな怖い喋り方してたら、モテないニャ」
「モテない?」
「意中の男性に振り向いてもらえない、という意味ニャア」
くだらない。俺はディエドラの肩を叩いた。
「今日は試合で疲れただろう。帰って休んだらいい」
だが、その時、ディエドラは、ビクッと肩を震わせた。そして、おずおずとこちらに振り返った。
「ん? どうした?」
「ニャ……ニャア」
時が止まった。
目を見開いて、その様子を見届けたミャオは、我に返るとその場でガッツポーズを決め、跳びはねて喜びを表した。
「ここまで来た甲斐があったニャア! それじゃあ失礼しますニャア!」
そのまま元気よく扉を開け、控室から走り去っていった。
「何しにきたんだ、あれは……」
それから俺は、また桟敷席に戻った。
「おう、平気だったか?」
ギルの問いかけに、俺は腰を下ろしながら応えた。
「ああ、問題なさそうだった」
「まぁ、そんな気はしてたけどな。派手に吹っ飛んでたけど、あのガッシュとかいう人、咄嗟にちゃんと盾構えてはいたし」
「万一があるんだよ。ディエドラは、ちょっと気が荒いところがあるから」
リリアーナが尋ねた。
「ウィーちゃんは?」
「ガッシュさんのところに残してきました。積もる話もあるだろうから」
「そっか。私もあとでお話したいと思ったんだけど」
「じゃ、どこかでお招きしましょうか。一応、総督官邸を守るために駆けつけてきてくれた人達でもあるんですし」
「うん!」
そこで彼女は、ふと何かを思い出したように、何もない空間に目を凝らした。
「どうしました?」
俺が声をかけると、リリアーナは小さな動揺を見せつつ、小さく頭を振った。
「ううん。ファルス、忙しいよね?」
「多少なら時間を空けられますよ。今日だって遊んでるんですから」
すると、彼女はそっと身を寄せるようにして、俺に小声で言った。
「じゃあ……時間のある時でいいから、パパに会ってもらえる?」
「構いませんが、どうなさったんですか」
「特に何かがってわけじゃないんだけど」
言いにくそうにしながらも、なんとかしまいまで言葉にした。
「前からずっとお酒ばかり飲んでて……帝都に来ても、夜はいつも」
「まだそんな状態なんですか」
「私が言うと、その時だけは控えてくれるんだけど、目を離すとすぐ飲んじゃうみたいで」
「わかりました。会ってみますよ」
まったく……
サフィスも、そろそろ子供達が巣立つ頃なんだし、しっかりしてほしいところなのだが。そういうことなら、時間を取って顔を出さなくてはならない。
「おっ、また次の試合か」
今日はのんびりする日だ。ちょっとしたハプニングはあったが、あとはぼんやり試合でも見物して過ごせばいい。
そう思って前を向いたのだが、横からの視線に気付いてしまった。ソフィアがじっと俺を見つめていた。
「うん?」
「いっ、いいえ!?」
あからさまに戸惑っている。俺がいない間に何かあったのか?
その答えは、ラーダイが教えてくれた。
「お前、すげぇなぁ」
「はい?」
「さっき、デカいトラに化けた姉ちゃん、宣言してたぞ。自分はもうファルスのお手つきだのなんだのって」
「はぁ!?」
なんてことを。でも、そうか。
先日、どういうわけか泥酔してフシャーナの家で目覚めたもんだから。変なところで対抗意識を燃やして、暴走したに違いない。
「獣人でもなんでもお構いなし、それが」
「冤罪だ」
安全という愉悦が音をたてて崩壊した。
自分の試合でなくても、好色王ファルスの伝説は止まらないのか、と。
俺が溜息をついて俯くと同時に、すぐ後ろに売り子の声が響いた。
「スイカジュース四人前、お持ちしましたーっ」




