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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十章 千年祭
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偶には観戦する側に

 競技場を覆うざわめきは、遠くの潮騒のように止むことがなかった。今日も晴天、ただ風が吹き抜けていくのもあってか、不思議と暑さをそこまで感じなかった。頭上に迫り出す屋根のおかげで、影の輪郭をくっきり描く陽光にさらされることもなく、桟敷席は実に快適だった。


「葡萄のジュース、三人前、お持ちしましたー」

「あー、そこ置いといて」

「畏まりましたっ」


 そこへ競技場で働く臨時のアルバイトらしき若い女性が、飲食物を持ち込んでくる。彼女が去ったのを見計らって、俺はそっと手をかざし、小さな声で詠唱する。


「はい、お待たせ」

「わー、ありがとー!」


 コップを両手で受け取ると、リリアーナはそっと一口だけ飲んだ。


「冷たくっておいしー!」

「じゃ、僕も」


 コモも手を伸ばして別のコップを自分のものにした。


「信じられない贅沢だな……いや、ないでもないんだけど」

「うん? リー家では、夏場に氷水を飲んだりできる?」

「一応ね。冬場に作っておいた氷を、あの屋敷の地下深くに貯蔵しておくんだけど、やっぱりちょっとずつ溶けちゃう。だから、贅沢するためには使わないよ。大事なお客様を迎えた時とか、そういう接待の場で出すだけだね」


 最後の一つのコップを、その長い腕を伸ばしてギルが取った。


「まぁ、ファルスだからなぁ」


 一口飲んだ彼は、まるでキンキンに冷えたビールを飲んだ前世の中年サラリーマンのように息をついた。


「かぁーっ、うめーっ!」


 桟敷席の奥の方では、ラーダイがコップを片手に神妙な顔をしていた。冷えた紅茶の中には、俺が追加した氷が浮かんでいる。

 ファルスが強いか弱いか以前の問題だった。息を吸って吐くように魔術で氷を生み出す魔術の技量を見て、彼の中では矛盾を無視しきれなくなってきているのだろう。

 だが、俺は俺で、別のことに頭を悩ませていた。


「うぅん」

「どうしたの?」

「いや、今、ギルがうまいって」

「あん?」


 コップの中の氷をカラカラ揺らしつつ、彼は至極当然とばかりに言った。


「そりゃあ、今日はそんなに暑くねぇけど、でもまぁ夏だろ? それが冷たいものを飲めるんだから、うめぇに決まってんだろ」

「そこなんだ、今、悩んでいるのは」


 腕組みをし、たった今、選手達が去ったばかりの競技場の中央を見下ろしながら、俺は深い溜息をついた。


「喜ばれるってだけなら、冷たいものを出せばいい。でも、それじゃあ工夫も何もないじゃないか」

「何の話だよ」

「マリータ王女に頼まれた仕事の件」


 とはいえ、工夫は既にいろいろ見せてしまった後だ。一口サイズの立食パーティー対策、氷、それに……

 がっかりはさせたくない。


「暑いから冷たいものを出すとかそんなありきたりで誰でもわかる心地よさだけ提供してそれでよしとするなんて料理人としてどうなのかもっとこう真夏ならではの工夫とか気遣いとか面白みのようなものが伴っていないのでは期待に応えたことにはならないんじゃないかとだからこそ」

「なんかブツブツ呟きだしやがった!」


 おっと、いけない。

 自分の思考に没頭すると、ついついこれが出る。といっても、割と久しぶりな気がするが。


「いや、冷たくておいしいのはわかるんだけど、要はそれだけに頼るのは芸がないんじゃないかっていうね」

「ふぅん、そんなもんか」

「だからいい思いつきがないかなと」

「ファルス様」


 穏やかに微笑みながらも、ソフィアはそっと俺を窘めた。


「今日くらいは、そういうお仕事のことは忘れて、のんびりなさっては」

「あっ、えっと、はい」


 とはいえ、そろそろ料理大会の予選もあるし、どうしても気になるのだが……

 ぷにっ、と頬を突かれる感触に、また我に返る。


「ボーッとしなよ」


 この場にはウィーまでやってきていた。


「はぁい」


 なんだかんだ、三人の美少女に取り囲まれているこの状況を、ラーダイが遠い目で眺めているのがわかった。確かにこの状況、傍から見れば好色王だろう。別に意図してわざとやっているのでもないのだが……

 俺は視線をまた、前に向けた。桟敷席の下には、チーム戦を戦う選手達がやってきていた。


「次の試合、始まるよ」


 アルマが軽く手招きした。


「うーん、みんな強いんだろうけど、でも、なんかなー」


 ランディが少々つまらなさそうに言った。


「やっぱり、個人戦には見劣りしちゃうかな」

「それはだって、個人戦はもうそろそろ決勝近いんだし、強いのしか残ってないんだもん」

「あとは、そもそも強豪もみんな個人戦に集まったらしいしな」


 ギルが肩を竦めた。


「まぁ、そう言うなよ。俺は勉強だと思って見てる。これはこれで、違う技術なんだって」


 オーガ狩りだってチーム戦なのだ。ただ、戦う相手によって連携の仕方も変わってくる。


「勉強と言やぁ」


 ラーダイが尋ねた。


「そういや、ルークの奴は来ないのか? あいつ、こういうの好きそうなのに」

「ああ」


 俺は眉を下げて、首を振った。


「僕のせいだ」

「お前、なんかしたの?」

「何もしてないんだけど……ほら、うちで扱ってる、あのコーヒーっていう飲み物なんだけど、あれをうちのオルヴィータに売り歩いてもらってて。大変そうだからって、ルークが手伝うって言ってくれて……申し訳ない。僕がやらないといけないのに」


 それまで影のように控えていたナギアが、ピシャリと言った。


「それはよくありませんね」


 人前だから、俺にも丁寧な言葉遣いをしている。


「主人が主人として振る舞わないのは、悪徳と心得るべきでしょう。気にしてはならないのです。あなたはあなたで、別のところで気苦労を重ね、彼らに仕事を与えているのですから。それに、彼らの役目を主人が横取りするべきではありません」

「えっと、でもオルヴィータは、収容所の頃の仲間だし、そういうつもりじゃ」

「今はあなたの城に詰めている使用人ではないですか。けじめをつけなければ、困るのは下々の側なのですよ」


 こちらが言葉をなくすと、ナギアは密かに満足そうな微笑を浮かべた。やりこめてやった、ということなのだろう。構わない。勝ちは譲る。


「おっ、始まるぞ」


 どちらのチームも三人ずつ。基本は木製の武器だが、個人戦と違って、こちらでは飛び道具も一部、解禁されている。弓を使えるのだ。但し、制限がかけられている。


「あんな質の悪い短弓、使いたくないよ」


 片方のチームの選手の一人が、まさに弓を携えていたが、それは控室に置かれている、玩具のような短弓だった。威力も出ないし、粗雑な作りなので、狙いも定まりにくい。速射にも差し支えがありそうだった。


「矢も、あんなクッションがついてたら、重さで狙いが狂いそうだし、使ってたら変な癖がつきそう」


 出場者に大怪我をさせるわけにはいかないので、鏃の代わりに丸いクッションがついている。命中したら審判が見極めて、負傷の程度を判断し、選手の敗退を決めることになっている。


 ゴングが鳴り響く。互いのチームには、それぞれ作戦があるのだろう。片方は、盾を構えた戦士の後ろに、他二人が固まった。他方はというと、三人がそれぞれ距離をとって散開した。


「取捨選択だなぁ」


 パンをかじりながら、俺はのんびりとした声で、観戦中の試合についての感想を述べる。

 いろんな動きをしてはいるが、どちらも目指すところは単純そのもの。瞬間的に、多対一の状況を作り出したい。相手が一人でも欠けてくれれば、戦況は一気に傾く。一人が一人を支えている間に、残り一人を二人で挟み撃ちにできるから。あとは、それをどう実現するか。最初から三人で固まるか、それともフットワークを生かして背面を取りに行くのか。

 そして、これこそが団体戦の人気の低さの理由でもあった。最初の一人が落ちるまでが勝負で、その後はほぼ、消化試合みたいな展開になる。敵も味方も一人ずつ削れていって……なんてギリギリの熱い戦いは、滅多に見られない。


「ファルス、楽しめてる?」


 俺が脱力しているので、リリアーナが気遣ってか、そう尋ねた。


「もちろん。この席もいい感じですし、この状況も、何とも言えないくらい、心地いいし」

「状況? って?」


 ラーダイがボソッと言った。


「女に囲まれてるから……」


 俺は苦笑して、首を振って否定した。


「そうじゃなくって。ほら、今、僕はこうやって試合を見下ろしてる。出場しなくてもいい。実況担当に何か言われることもない。安全そのものだ」

「そうだな?」

「危険に巻き込まれる可能性のないところから、危険に対処する人々をただ見物する……しみじみと安全を満喫できる。最高じゃないか」

「そっちのが性格悪ぃよ」


 彼も苦笑した。


 固まって戦っているチームから、矢が放たれる。だが、道具のせいもあって、命中精度が低い。簡単に避けられている。一方、散開したチームは、徐々に距離を詰め、相手を取り囲みだした。それで彼らは徐々に壁際に向かうのだが、それも見越していたのだろう。射手を狙って、彼らは波状攻撃を浴びせだした。これを庇わないわけにはいかず、陣形が乱れたところを、別の一人に攻撃が殺到した。それでもう、決着がついてしまった。


「勝ちは勝ちだけど、この闘技場みたいな状況じゃなきゃ、使えねぇやり方だなぁ」


 ギルは冷静に分析した。


「軍勢同士の乱戦だったら、こんなに広がって自由に戦うなんてできねぇし、建物の中とか、森の中とかでも、もっと遮蔽物あるだろ」

「あくまで競技ってことだよね」

「オーガ相手だったら、しっかり陣形組まないとすぐ死ぬしな」


 そんな感じで、みんなでだべりながら、ゆったりと試合を眺めていた。


「素晴らしい試合でしたね! では、次の試合ですが」

「東からは……えっと、どれどれ、長旅の末に再会した三人組! どこまでいけるか、挑んでみるとのこと! チーム『青魚食べ放題』……え、えーと、青魚? なんですか、これ?」


 俺とウィーが、同時に立ち上がった。


「嘘……」


 ウィーが小刻みに震えていた。

 それに気付いた俺は、彼女を抱きかかえ、ゆっくりと座らせた。とはいえ、俺も「まさか」の思いが拭えない。

 だが、先頭の一人が槌を高々と掲げて入場すると、それはもう疑念ではなく、確信に変わった。


「ええっと、青魚食べ放題のリーダー! ガッシュ・ウォー選手ですが、なんと! 手元にある情報によると、あのキース・マイアスの人形の迷宮攻略パーティーの一員でもあったそうです!」

「それって現代の英雄というか、凄いことなんじゃないですか」

「上級冒険者になってからも、多少の休養を挟んでから、各地を転戦して実績を積み重ねてきたようですね」


 リリアーナも目を見開いていた。


「あのおじちゃん達、前に会ったことあるね」

「ええ、ありますよ」

「年末のお祭りの時にも見たけど、官邸が襲われた時にも助けに来てくれたっけ」

「そうそう、そうです」


 そこで総督を襲った側と、襲われた側が、揃ってここで試合を見下ろしている。奇妙というしかないのだが……


「じゃあ、応援しなきゃ!」

「ボクも! ガッシュ、頑張れぇ!」


 二人のテンションが爆上がり。それにソフィアが目を白黒させて、俺に尋ねた。


「あの、これは」

「ああ、あの東側のチーム、二人とも、もちろん僕とも知り合いで」

「まぁ、それは。では、ぜひとも頑張っていただきたいところですね」


 ガッシュ、ドロル、それにハリ。この三人がまた、帝都に集まって、パーティーを再結成していたとは。解散式を見届けた自分としても、胸に熱いものを感じた。


「対するに、西から入場するのは、今大会の台風の目! 異形の集団です!」


 実況担当が声を張り上げると、通路から対戦相手の三人組が姿を現した。


「チーム『ナシュガズ復興委員会』……なんですか、このナシュガズって?」


 座ったまま、転びそうになった。


「え、えー……?」


 さすがにこれはない。ひどい。誰か、俺の身内も出場するとか聞いていたが、ちゃんと確認するんだった。

 ディエドラ、シャルトゥノーマ、それにペルジャラナン。ルーの種族で組んだパーティーとか、こんなの反則同然じゃないか。


「え、えっと、これ」

「ウィー、ガッシュさんはよく頑張った」

「ちょっと!」

「無理だよ。ペルジャラナンが本気を出したら、三秒かからず決着がついちゃう」


 竜の咆哮一つで全員が硬直する。一応、ガッシュは人形の迷宮で、その手の経験をしているから、立ち直りが早いかもしれないが。それでなくとも、白兵戦能力でガッシュはペルジャラナンに対抗しきれない。ドロルやハリも、接近戦を得意とはしていない。技量の差もあるが、ディエドラの獣人としての身体能力を考えると、ハリも一方的に追いつめられてしまう。そしてドロルの投擲技術も、シャルトゥノーマの風魔術とは相性最悪。

 どう贔屓目に見ても、青魚食べ放題の勝利は見込めそうにない。


「なんと、このチーム、亜人、獣人、それにリザードマンと、全員が人間ではないのです!」

「それ、出場資格を与えてよかったんですか?」

「ところがですよ、実は彼らは、ポロルカ王ドゥサラのお墨付きなんです」

「そうなんですか」

「四年前の動乱の際に、パッシャ相手に戦い、王家を守ったとのことです。このチームのリーダー、ディエドラは大森林の伯爵として認められたのだとか」


 彼らの試合もこれが最初ではないので、司会と実況担当も、わざとこのやり取りを繰り返しているのだろうとは思う。彼らにとっては二度目、三度目でも、観客にとってはそうとも限らない。


「とすると、何気にこれ、凄い試合なのでは? どちらも大物同士の対決ですから」

「そうなりますね……おや?」


 ペルジャラナンが、手にした木剣を放り出すと、一直線に走り出した。そしてガッシュの前で跳びはねる。ガッシュも、盾と槌を下ろすと、彼の肩を叩き始めた。


「これは、知り合い同士といったところでしょうか」

「そのようですが……何か話し合っていますね」


 そのまま、ペルジャラナンは引き下がり、放り出した木剣を回収すると、会場の隅に向かっていって、座り込んでしまった。


「こ、これは、戦闘放棄? やる気がない? というように見えますが」

「残った二人の女性のうちの一人、亜人の選手も、控室に引き返していくようですが」


 異様な展開に、観客席はざわめき始めた。

 やがて実況席に乗り込んだシャルトゥノーマが、説明を始めた。


「ペルジャラナンは、戦いたくないそうだ」

「えっと、それはあのリザードマンの選手が、ですか」

「知り合いだから、蹴落としたくないらしい」


 といっても、これは試合だ。戦わないわけにもいかない。


「それで、ディエドラが一人でやると言い出したので、私は抜けてきた」

「三対一の勝負ですか?」

「その代わり、奥の手を使うと言っていた」


 その言葉に、俺は心当たりがあった。


「えっ、それはまずいのでは」

「どうしたの?」

「ディエドラのバカ、相手はアーノや僕じゃないのに」


 身を乗り出しかけたところで、実況担当が声をあげた。


「まぁ、それでよければ、試合開始ですね。時間も押してますし」

「どうぞ、始めちゃってください!」


 オロオロする俺を尻目に、ガッシュ達は密集して身構えた。

 と、想定していた通り、ディエドラは……


「両者、動きがありませんが……あれ? あら? こ、これは」


 ……上半身の形がおかしい。着物のような上着の、前身頃がはだけてきているが、素肌が見えない。代わりに真っ白な体毛が溢れ出てきている。そうこうする内に、不自然に肉体が膨れ上がり、そして、ついに……


「う、わぁぁぁ!」


 競技場の中心に、巨大な白虎の姿が現れた。

 観客席も混乱している。


「こんなことして、あのアホ……」


 俺は目元を覆った。


「な、なにあれ?」


 リリアーナも、さすがに目が点になっている。


「獣人の特殊能力。魔獣の姿を取ることができるんだけど……」


 初見でこれの相手をさせられるガッシュ達にしてみれば、たまったものではない。

 眼前に迫る巨体。そして振り下ろされる前足。三人纏めて吹き飛ばされ、一瞬で決着がついてしまった。


「ちょっ、や、やめーっ! 試合中止! 勝負あり! そこまでっ!」


 司会役が声を嗄らして喚き立てた。止めずに死人が出たら大事なので、この判断は間違っているとは言えない。


「ウィー、ちょっと僕は控室に行ってくる」

「あ、ボクも!」


 俺達は慌ただしく腰を浮かせ、桟敷席から廊下へと這い出ていった。

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― 新着の感想 ―
破壊神復興委員会という名前で、使徒、チェリオ、イーグーは団体戦に参戦してないのでしょうか?
いつまでパワー系池沼ラーダイの奴隷やってるの? 関わりたくないから戦わずに逃げたはずだが
このルー3人組のスタンスが穏健中庸過激ハッキリ分かれてて面白いなぁ ガッシュ達もこんな世界で再び集まれるだけでも素晴らしい
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