第六回戦……の後で
控室に戻ると、深い深い溜息が、まるでダムが決壊したかのように漏れ出てきた。部屋の隅の箱に木剣を乱暴に投げ入れ、俺はどっかりと椅子に身体を沈めた。
もともと参加したくもなかった武闘大会だが、ひどい罰ゲームになってしまった。元はといえば、ヒジリが勝手に申し込んだせいだ。叱りつけてやろうか。そう考えて、すぐに思い直した。俺が怒ってみせれば、彼女は跪き、頭を下げて謝罪するだろう。だが、その程度で凹んだりするような女ではない。
もう問題は、俺が恥をかくとか、からかわれるとか、そういう次元の問題ではなくなってしまった。
考えが纏まらないままに、心身が冷めていくのを待っていると、また廊下から足音が響いてきた。一つではない。俺の控室の前で立ち止まると、すぐノックが聞こえた。
「どうぞ」
そこから顔を出したのは、同級生達だった。
「やぁ、ファルス! 凄いじゃないか!」
まず、そう言って俺を褒めてくれたのはランディだった。
「えっ」
実況担当によって笑いものにされていた俺としては、意外な気がしていた。だが、すぐ認識が追いついてくる。
「あ、ああ、ありがとう」
内心の不機嫌を押し殺して、なるべく穏やかな笑みを浮かべるようにした。
「次からはいよいよ本戦だもんね。確か五百人くらい? 集まったらしいけど、その中の八人に残ったって、凄いことだよ」
アルマもそう言ってくれた。
「世界で上から数えて、少なくとも八番目ってことだもんな」
「ランディ、それはちょっと単純化しすぎじゃないかな」
「えっ?」
「だって他のブロックでもっと強い人がいるかもしれないんだし」
アルマの指摘を、彼は笑って流した。
「まぁそうだけどさ! 結果に出てないんだし、そんなのわかんないじゃん?」
「一応、試合に出てない達人とかもいるんだけど……」
俺がおずおずと言うと、彼はバッサリ切り捨てた。
「出てないってことは不戦敗でいいんだ!」
「割り切りすぎ!」
「勝負してないんだから、最初っから負けてるのと同じだろ?」
そんな二人の後ろに、ラーダイが難しい顔をして突っ立っていた。それと、コモもいた。彼は苦笑していた。
ランディは振り返って声をかけた。
「でも、もったいないよな」
「う、お、何がだ?」
少々、ラーダイの声が固かった。
「ラーダイからすれば、ファルスも弱いんだろう? 大会に出ておけば、いいところまでいけたかもしれなかったのに」
「う、ああ、うん、そ、そうだな」
何かがおかしい。不可解だ。わけがわからない。
彼の表情は、雄弁だった。半信半疑といったところだろうか。だが、彼の中の俺は、どこまでいってもハッタリだけ、女たらしなだけの、弱虫でしかないはずだった。
学園に通い始めた時期には、偽のサファイアの冒険者証を持ち込んでいた。フェイムスの探索では、第一階層のスライム相手に驚き戸惑っていた。それでも、四回戦まではすべて相手が女だったし、それに四度目の試合では相手が勝負を放棄した。だから勝ち抜けたのも不思議ではなかった。
なのに、そろそろトーナメントの終盤に差し掛かるこの段階で、それなりの強豪と見られる戦士を二人も倒している。彼もさすがに見ればわかる。イッカラス相手に自分が勝てるかと考えたなら、明らかに否。だから辻褄が合わないのだ。
だが、彼の心配事は、その先にある。
これまで散々、ファルスはスケコマシの腕前以外では雑魚そのもの、と笑いものにしてきたのだ。ここで実は強かった、それも自分なんかよりずっと上、と明らかになろうものなら、今度はラーダイ自身が恥をかくことになる。その可能性についての潜在的な不安が、彼の認知を妨げているのだろう。これは何かの間違いに決まっている、と。
可哀想と思わなくもないが、今まで俺を小馬鹿にしてきたのも事実だ。彼のことは彼がなんとかすればいい。ただ、積極的に彼の勘違いをあげつらうつもりもない。
「次の相手、誰だったっけ?」
「もー、見てないの? 対戦表」
「見たけど、覚えてない」
コモがやっと言った。
「確か、フォレス人だったと思う」
「へぇ、どこの人?」
「帝都じゃなさそうだから、多分……」
そこで、また扉に小さなノックの音。
「はい」
「じゃーん!」
扉を押して部屋に入り込んできたのは、リリアーナとソフィアだった。
「ファルス様、お疲れ様でした」
「二人とも」
思わず腰を浮かせた。
「どうしてあんな」
「えーっ、だってぇ」
リリアーナはまったく悪びれることなく、言い切った。
「ファルスが女の子に見境ない、危ない人だって思われてた方が、都合いいじゃん!」
「僕の都合はどこにいったんですか」
「ファルス、じゃあ、逆に考えてみてよ」
指を一本突き立て、室内の注目を集めつつ、彼女は続けた。
「このまま、ファルスがカッコよく戦って、次もその次も、つよーい人をバッタバッタ倒して、優勝しちゃったら、どうなると思う?」
優勝……したくない。
「きっと帝都中の女の子が、ファルスを追いかけるようになるよ!」
「うっ、それはちょっと」
「でしょ! 余計なのが増えちゃうよ!」
ソフィアが、続きを引き取った。
「ファルス様が、世俗の栄光をこれ以上、求めておいでとは思いませんが、やむなく戦うとなれば、面倒事もついてくることでしょう。とするなら、多少の醜聞も虫除けくらいにはなるかと存じます」
「その前に負けてしまえばいいんだけど」
「えー? それはちょっとやだー」
「お嬢様、いやとかそういう問題ではなくですね」
とはいえ、ここでキースと本気で果たし合うかも、なんて言ったら大騒ぎになる。
「まぁ、試合のことでは心配しておりません。ファルス様ならどうせ、勝とうと思えば勝つに決まっていますから」
ソフィアがこともなげにそう言うので、ランディ達の目の色が変わった。
「それより、ファルス様もお忙しいでしょうけど、先にお話したように、せめて一度くらいは一緒に遊びに出ませんか? せっかくの千年祭ですのに、ひたすら働くばかりでは、楽しくないでしょう」
「あ、はい」
確かに、世界平和会議とかのパーティーで、一緒に遊ぶとは答えたから、時間は作らなければいけない。出場者が少なめとはいえ、そろそろ料理大会も始まるのだが……
リリアーナが言った。
「団体戦の桟敷席、取ってあるんだよ!」
「えぇ? 広すぎませんか?」
「ゆったりできたほうがいいじゃん」
ソフィアは、先に来ていた四人に振り返って言った。
「ファルス様はお忙しくて、皆様ともあまりお過ごしになれませんし、都合が合えばですが、よろしければ、どなたでもご一緒できるようにと思いまして」
「なんか気を遣わせてしまったみたいで」
団体戦。そういえば、身内から誰か出るかも、という話を小耳に挟んだような気がする。
忙しいのもあって意識から抜けかけていたが、誰のことだったっけ?
だが、思考が纏まる前に、またノックの音。
「失礼致しますわ」
マリータまでやってきた。学園関係者なら誰でも顔を知っている貴人に、室内は一瞬、静まり返った。
さすがに一人ということはなく、すぐ後ろにはお供が一人。
「こちら、覚えておいででしょうか?」
「カフヤーナさんですか! お久しぶりです!」
すぐ後ろにいた彼女、カフヤーナは、以前見たのと変わりない、淡い青色の侍従の服に身を包んでいた。そして、優雅に身を折って一礼した。とはいえ、少し老けたか。化粧が厚くなっている。
「ご無沙汰しております。すっかりご立派になられたようで」
マリータは周囲を見回した。自分達を除いて、六人もの客がいる。言葉は選ばなくてはならない。
「皆様、ご歓談中のところ、お邪魔してしまったようですわね」
「あっ、いえいえ」
ラーダイが慌てて、手を振りながら言った。本当に、大物が相手だと、きれいに小物になるところが、実に彼らしい。
「えっと、ファルスに何か御用でしょうか?」
「ええ……でも、別に聞かれて困るほどの話でもありませんし、むしろ好都合かもわかりませんけれど」
瞬きしつつ、彼女は素早く思考を纏め、俺に向き直った。
「簡単に申し上げると、ファルス様、あなたの手を貸していただきたいのですけれど」
「はい。何をすればよろしいでしょう」
「それはもちろん、料理をお任せしたいのです」
マリータにも専属の料理人くらい、いるはずだ。では、なぜ俺に? 疑問が顔に出たのだろう。彼女は控室の面々を見遣りながら、説明した。
「先日、帝国議会にて世界平和宣言が採択されまして、それに伴って、隣国と共同で交流会を開催することになりましたもので。グラーブ殿下と相談の上で、とりあえず会場は私の方で用意させていただいたのですが、それだけでは、合同で会を催したことにはなりません。それであれば、会の運営に人を寄越してもらうのが何よりではないかと、そう考えましたの」
俺は頷き、尋ねた。
「殿下に確認はなさいましたか」
「まぁ、あなたの承諾もなしに問い合わせたりなど致しませんわ」
「殿下のお許しがあれば、喜んでお役に立ちましょう。ですが、僕一人でどうにかなるものでは」
「それは当然のことですね」
マリータは腕組みして、一瞬、カフヤーナに目を向けた。
「数人の料理人で手分けして仕事をこなす必要があるでしょう。私のところからも何人か出しますが、あなたにも心当たりがあれば、人を手配してくださらないと。その上で、あなたが一切を取り仕切る形と致しましょう」
「構いませんが……殿下のところにも、優秀な料理人がいらっしゃるでしょうに」
「それでもあなたが一切を監督するべきですね」
この点、彼女がそう考える理由はいくつもあった。俺自身、自覚がある。
「こと料理について、あなたの独創性は類を見ません。確かに、腕前だけで比べるなら、探せばより優れた料理人も見つかることでしょう。ですが、彼らには決してないものが、あなたには備わっています」
俺の独創性というよりは、前世から持ち込んだ知識の数々でしかないのだが。とはいえ、土の中での蒸し焼きとか、すぐに食器を手放せる立食パーティー用の工夫とか、この世界では他になかった手法を、俺は次々と編み出していることになる。
「料理大会にも出場なさると聞いているのですが」
「はい。近々予選が始まります。残ればすぐ本選です」
「ぜひとも入賞していただきたいものですわ。それであれば……会に華を添えることができますもの。おわかりでしょう?」
そう言って、彼女はウィンクしてみせた。それで俺は察した。
これは大きな借りになりそうだ。このイベントを、コーヒー宣伝の機会としてくれるつもりでいるのだ。
「決まりですわね」
そこまで言ってから、また彼女は他の面々に振り返った。
「会場は、帝都南西の、あの海岸沿いの保養地になります。広い場所ですし、無料で自由参加という形にしたいと考えておりますので、皆様もぜひ、遊びにいらしてください」
と、そこまではにこやかだったマリータが、ピタリと動きを止め、口元を掌で覆った。
「あ、そうそう、ファルス様」
「はい」
「それはそれとしまして、次の試合は我が国の騎士がお相手します。手加減などは一切できかねますけれど、悪しからず」
……やっぱり、武闘大会なんて、面倒なだけだ。改めて俺はそう思った。
「まだ悩まれるには早いのではないかと」
その日の夜、キースの件をヒジリに相談した時の第一声が、これだった。
「旦那様がキースを相手にするとなれば、決勝戦でしょうけれども、その前にアーノがおります」
「まぁ、そうだけど」
「かなり昔の話ではありますが、キースはアーノに敗れました。あれから一度も勝ったことはないはず」
つまり、そこでキースが敗北すれば、この物騒な話は立ち消えになる。
そうなってほしいところだが……
「いや、そんなことしなくても、僕が普通に敗退すればいいのでは?」
「それも考えないでもないですが」
「別に世界最強にならなくても、次は準々決勝、負けても恥というほどのことはないのだし」
と言いながら、それをしたらしたで、今度は大会以外のところでキースに狙われそうな気がする。
彼がアーノに敗れた場合であれば、話は違ってくる。お前は世界最強じゃないよな、他に課題がある、そっちを解決してから出直してこい。こう言って済ませてもよくなるからだ。だが、俺が能動的に逃げたとなると……
「やっぱり駄目か」
「そんなような気が致します」
観客から罵声を浴びるだけで済むかと思いきや。
思った以上に厄介なことになってしまったらしい。




