第六回戦
「おっと、ようやく顔を出したようです……本大会のお笑い枠……じゃなかった、台風の目! 番狂わせを繰り返してきた謎の存在、ファルス選手の入場です!」
歓声、もといブーイングが頭上から降り注ぐ。真面目な武闘大会なのに、おふざけキャラなんかもういらないと、さっさと負けて退場してしまえと、そういう声だ。中にはあからさまに「変態」「色魔」「変質者」などという罵声も混じっていたりする。
だが、今となってはもう、それどころではなくなってしまった。
「待ち構えていたのは、本大会の有力候補、イッカラス・オィ! 西部サハリアからやってきた双刀使い! これまで舞うような見事な技で、数々の対戦相手を屠ってきました!」
「しかし、双刀使いという点では、ファルス選手も負けず劣らずですよ」
「おや、それは初耳ですね? それに一本しか木剣を持参していないようですが」
「そういう意味ではありません。彼はすべての女の男で、すべての男の女です。どちらの道にも通じているのですから」
ボロクソに言われている気がするが、もう慣れた。
「なるほど、納得です。しかし、仮にファルス選手がいかに好色家といえども、そろそろその特技だけでは、勝利を掴むのは難しくなってきたのではないでしょうか」
「そんな気もしますね」
「疑問なのですが、前回の試合での勝利は、本当に彼の特殊性によるものなのか……」
「それはそうに決まってます。ファルス選手ですからね」
すっかり決めつけられてしまっている。
汚名を返上するのも、どうでもいいとは言わないが、今はキースの件が頭に残っている。
突然、どうしたのかと思わなくもないが、彼と長年の付き合いがあればこそ、理解はできてしまう。
やはりどこまでいっても、彼にとって彼自身の生命は軽い。だから、目的のために放り出すことができてしまう。失敗して死ぬかもしれない? 死んでもいい。或いは、社会的な名誉とか身分とか、そういったものを失っても……いくら俺が今大会のオモシロ枠だとしても、これを公衆の面前で殺害すれば、彼といえども殺人罪に問われる……一向に頓着しない。
多分、俺が彼の望みに応じて、闘技場の真ん中で彼をバッサリ殺したとしても、彼自身はなんら恨むところなどないだろう。彼は、自分の人生の意味を剣に見出した。だからこそ、それをまっすぐにまっとうしようとする。そして彼には、俺という謎の存在、何か底知れない力を備えた何者かが見えている。だから、やめられない。
どうすればいいんだろうか。
「ふん、俺はごまかされんぞ」
俺を睨みつけていたイッカラスは、鼻で笑った。
「目が泳いでいるな。本気の戦いは初めてか? だが、俺は買収なんぞ、されてやらんからな」
彼が何を言っているかは、理解できる。要するに、俺が新人貴族らしいことは把握している。だから、俺が箔をつけるために大会での実績を作りにきていると、そう認識しているのだろう。
とはいえ、声をかけてくれたのは、ありがたかった。そうだ、これから試合だから、そこは集中しないといけない。
「では、いよいよ勝負です!」
「妙技炸裂か、ファルス! 貞操を守れるか、イッカラス! では……はじめ!」
スッと心が冷えていく。とにかく、こいつは片付ける。
イッカラスは、言葉遣いとは裏腹に、こちらを舐めてかかるということがなかった。両手にそれぞれ、軽い反りのある木刀を構えている。一見して、隙はない。もともと両手に武器を持つというのは、防御重視のスタイルでもある。勝ちを急いで掴み取りにいくような戦い方は、しないのだろう。
ピアシング・ハンドが教えてくれる彼の技量は、なかなかのものだ。ベルノストでは少し厳しいかも知れない。ジョイスでも、神通力なしでは難しい気がする。剣術が6レベルに達しているので、確かにこれは一端の戦士といえる。
魔術も神通力も習得していない。ただ、それらの特技を備えた相手との戦闘経験がどれくらいあるかで、それが弱点となるかが変わってくる。とはいえ……
あちらが様子見なら、こちらはどうする? イフロースの教えに従うなら、積極的に前に出るべきだ。受け身に回る剣など、彼は教えなかった。
そして、相手の剣がこちらより一本多いにせよ、あちらもこちらも人間なら、それぞれ腕は二本ずつしかない。俺は木剣の柄を両手で握りしめると、真正面から力いっぱい、振り下ろした。彼は、待ってましたといわんばかりに、両方の曲刀を交叉させて受けた。俺の両腕からの、全身の体重を乗せた一撃を防ぐのに、片腕ではしくじるかもしれない。
だが、すぐに顔色が変わった。アテが外れたとわかったのだ。俺の一撃がそこまで重くなければ、或いは体の軸のブレでもあれば、それを利用して、片方の刀を引き寄せつつ体捌きの要領で立ち位置を入れ替え、残ったもう片方の曲刀で俺の胴体を薙ぎ払えばよかった。だが、身体操作魔術で強化された一撃、しかも技量が高いがゆえに、その一撃はまっすぐ彼の体の中心線に向けられている。左右どちらにも、簡単には反らすことができない。
そのまま俺は鍔迫り合いの距離に迫り、間をおかず、前に出ていた相手の右足を、こちらの右足でコンパクトに蹴倒した。彼も立ち姿は汚くなかったのだが、一撃の重さが違う。耐えきれず、彼はその場に崩れ落ちた。
それでも、ただ転んだのではない。余程、体幹がしっかり鍛えられているのだろう。痛めた右膝をついたまま、防御姿勢はとれている。剣を手放さないのは立派だが……
「うおっ!?」
……急に動かなくなった左腕。だらりと垂れ下がって、体の半分を無防備にしてしまう。その隙間から、俺が鋭く下方に木剣の先を突きつけた。
「えっ」
実況席が、沈黙した。
試合開始から十秒も経過していない。だが、一方的に勝負がついてしまっていた。
イッカラスは、何か信じられないようなものを見るような目で、俺を見上げていた。
「しょ、勝者? ファルス、選手ですか?」
「い、今、何が起きたんですか」
「こ、これは……やっぱり純粋に強いということなのでは」
「いや、し、しかし」
もういいだろう。茶番に付き合うこともない。
俺は背を向けて立ち去ろうとした。
「今日もファルス選手の知り合いを呼び集めておりまして……」
足が止まる。今度はいったい誰だ? ってか、ここの司会役、俺にどんな恨みがあるっていうんだ?
「……本日のお客様は、このお二人です。まずは現在、歌唱大会の予選で人気爆発中の、リリアーナ・エンバイオ・トヴィーティさんです!」
「なんだって!?」
「やっほー! ファルスー? 見てるー?」
実況担当の隣から、彼女は身を乗り出して俺に手を振ってきた。俺は手で目元を覆った。なにやってるんだ。
一方、会場はというと、沸き立った。歌唱大会に出場した結果、その美貌もあってか、どうやら有名になりつつあるらしい。確かに、お嬢様には昔から、どこか人を惹きつけるところがあった。
「そしてもう一名様。なんとセリパシア神聖教国の教皇ドーミル、その養女である、ソフィア・システィン・ノベリクさんです!」
ソフィアまで。俺は頭を抱えた。
「いやはや、泡沫候補、すぐに消えると思われていたファルス選手ですが、ここまで勝ち上がってきてしまいましたからね。調べてみると、なんだか凄い知り合いが大勢いるようですが」
「泡沫? ファルスが弱いってこと?」
リリアーナの疑問に、司会役は頷いた。
「早い段階で聞き知ったことですが、いわゆる学園デビュー……サファイアの冒険者証を偽造して教室に持ち込んだとか、そういうこともあったようですから」
この説明に、リリアーナとソフィアは目を見合わせた。
そう、二人とも知っているし、目の前で見てもいる。俺が本気で戦ったらどうなるかを。だから、ラーダイの誤解についても、真相がどこにあるかは、すぐ察したはずだった。
「へー、そうなんだ!」
が、リリアーナはその誤解を訂正しなかった。大昔、俺が初めてタンディラールの御前に立った時には、あれだけ噛み付いてくれた彼女だったのに。もちろん、それは状況が違うからだろう。あの時は、俺の名誉を守るためにああするのが最善だった。だが、今は別途優先したいことがある。
「それで、今回も勝者になったファルス選手ですが」
「うん」
「何かお二人との接点の中で……思い当たることはありますか?」
変な言い方だ。無作為に思い出を語れというのではない。思い当たること。
「ソフィアちゃん、何かある?」
「そうですね」
彼女は、白々しく指を顎にあて、考える仕草を見せた。
これは嫌な予感がする。
「その……思い当たること、というのは、ファルス様の女性関係に限定したお話でしょうか」
「そんなような感じだと思っていただければ」
いや、ソフィアはセリパス教徒だ。あんまり変なことは言わないはず……
「他の方のことは存じ上げませんが、私について申し上げると、健全なお付き合いしかしておりません」
よかった。俺は安堵の息を漏らし、頷いた……
「が、よくよく思い出すと、一度、服を脱がされそうになったことが」
ブッ! と息を吹き出した。
それ、魔宮の中で、マルトゥラターレに襲撃された時の話じゃないか。ほとんど言いがかりだ。
「えぇぇ、そ、それは」
「へぇ、進んでるんだー」
その辺の村娘ではない。教皇の養女が、公衆の面前でこれを言ったのだから、司会役も面食らっていた。だが、リリアーナは飄々としていた。
「と仰いますと、まさか」
「服を脱ぐくらい、大したことないよ。ね? ファルス!」
「で、では、いったいどこまで」
「んー、全部は言えないかなぁ? ファルスとはいろいろあったから」
「い、いろいろとは」
「いろいろは、いろいろだよ!」
感じる。ヘイトの高まりを。
ソフィアでさえ、服を脱がされそうになったのだ。全部は言えない。いろいろあった。それが何を意味するか。
学園の美女を独り占めする好色漢。そのイメージが、ここでも独り歩きし始めた。
「こ、これは、その」
「人前では言えない秘密があるってことなんだよ」
「そうですか」
ソフィアは落ち着き払っていた。
「私にも、そのような秘密ならあるのですけれども」
「わ、わっ」
実況担当が戸惑い始めた。ゴシップも度を過ぎれば問題になってしまう。
いや、ソフィアのいう秘密というのは、別に色恋沙汰ではなくて……本人も承知で、匂わせているだけなのだが。
観客席の一角から、ついにブーイングが上がり始めた。
その様子を、立ち直ったイッカラスも、何か遠いものを見るような目で眺めていた。
「っと、それではそろそろ試合は終了ですし、ファルス選手? 控室に戻ってくださーい」
お前らが煽ったんだろう、と溜息をつきながらも、俺は指示に従った。




