第六回戦……の前に
「大変に素晴らしい試合でした! まさに一流と一流!」
「どちらが勝っていても不思議はありませんでしたね!」
大闘技場は、今日も大盛況だった。
「それにしても、美しい。美しいだけではありませんね。貴族とはいっても、歴史ある武門の家ともなれば」
「それはもう、森の奥に棲まう猛獣だって、美しくもあり、優雅ですらあるのに、猛々しくもあるものですから」
実況担当も、口を揃えて褒めそやす。
「次は準々決勝ですね! 見事、勝利に輝いた貴公子、ベルノスト・ムイラ・ムトゥミースに、今一度、盛大な拍手を!」
スコールのような拍手が降り注ぎ、遠く芥子粒みたいなベルノストは、上品に一礼して、その場を後にした。
俺の時とは何もかもが違う。
「あいつ、やっぱやるなぁ」
隣りにいるギルが、羨ましそうに言った。
「こういう試合だと、技巧に長けている方が有利になりがちなのはある。実際に血肉を断つ強烈な一撃も、軽い怪我も、同じ一本だから」
ベルノストも弱いわけではない。同年代の若者の中では上澄みだ。ただ、本当に兵士や冒険者として現場に放り込んだなら、今の時点では、ギルの方が役に立つだろう。ベルノストの剣は、敵の急所をきれいに貫き通すまでは決定打にならないが、ギルのそれは違う。ただの一撃が重さで敵を圧倒する。華麗な技は人間相手にはいいかもしれないが、体格で人間に勝る魔物相手なら、単純に力で渡り合えるギルのスタイルが有用だ。
「考え方次第です」
反対側に座っているヒジリが言った。
「既に得意としているところがあるのですから、それをもっと伸ばすか、それとも不足を補うか。いずれにせよ、実際の使い道をよく考えることです。あなたの戦場はどこですか? 闘技場ではないはずです」
「あっ……」
「こんなところで一喜一憂する必要はないのですよ」
ヒジリが述べるところとは、つまり、ギルの今後の進路のことだ。
具体的には、どこでどんな役目を担うのか? タリフ・オリムの北方辺境でオーガを集団で狩るのか。それとも、どこかの国軍や防衛隊に属して、そこの斬り込み隊で敵兵の槍の柄を折る仕事をするのか。或いは一人で戦う傭兵になるのか。それぞれ求められるスキルセットは違う。闘技場で勝利するための技術は、他では役に立たないとまでは言わないが、少なくとも戦士としての能力の一部でしかない。
例えば、闘技場には、奇襲という概念がない。せいぜい試合開始直後に突っ込むくらいしかない。だが、実戦であれば、奇襲は誰もが狙いたがるものだ。先手を取って、相手に対応する余裕を与えず一方的に損害を与える。そのために、物陰にじっと何時間も伏せていたりさえする。そういう部分含め、戦いの技能だ。
四回戦で運悪くアーノと当たってしまっての敗退が悔しくないはずはないのだろうが、あれがギルにとっての戦いの全てではない。彼にベルノストを羨む必要などないのだ。
むしろ……
「羨ましいよ、ベルノストが」
「ああ? でも、ファルス、お前は今日、この後、試合だろ?」
「勝ち負けじゃなくってさ」
「あー……」
……前回はひどかった。せっかく、これで終わると期待していたのに。
「それより、次の試合ですよ」
ヒジリがそう言いながら、スッと目を細めた。司会が声を張り上げる。
「では、次の試合です! お待たせしました! 現代の英雄、キース・マイアスの出番です!」
すると、やっぱり観客も盛り上がる。次々席を立ち、あの白い陣羽織を身につけた彼の姿が遠目に見えると、そのまま拍手喝采。
「説明不要ですが、六回戦から試合を見に来ているお客様もいるでしょうから、一応繰り返しますね。一千年以上に亘って世界を脅かしてきた人形の迷宮を滅ぼしただけでなく。ポロルカ王国の転覆を図った魔王の下僕、パッシャの首領も討伐。まさに現代の英雄、それが彼なのです!」
冷静にこの様子を眺めていると、不思議な気がしてくる。司会が述べたのはみんなが既に知っている事実でしかないのに、それをいちいち彼らは聞いて、改めてわざわざ喜ぶのだから。
「今回の大会では、シード選手として途中からの出場ですが、既に二戦、どちらも相手をまったく寄せ付けませんでした! 今日の挑戦者は、どこまで肉薄できるでしょうか!」
少し落ち着いたのか、やっと立ち上がった観衆がポツポツと座り始めてくれた。
「では、挑戦者の紹介です! ジョイス・ティック、ええ、彼はティンティナブリア生まれの……ルイン系のフォレス人のようですね。なのに、記入された出身地は南方大陸北東部、カークの街からやってきたそうですが」
「ゴチャ混ぜですね。しかし、正体不明なところがいいです。予想外の何かを起こしてくれるかもしれませんよ?」
「最強に届くのか? 番狂わせは起きるのか? ここは注目ですね!」
ジョイスだってパッシャ相手に戦っているんだけどなぁ……と、内心、ぼやきたくなる。呼び方からして「挑戦者」なのも引っかかるところだ。キースはシード選手だが、別にチャンピオンというわけではないのだから。
「あーっ、いいなぁー」
ギルが頭を抱えて身悶えする。
「アーノと先に戦ってるんだし、同じようなものかと……」
「そんなこと言われてもなぁ」
でも、羨ましいのは俺の方だ。別にジョイスだって、俺みたいに毎度毎度、コケにされているのでもないのだし。
「始まります」
ゴングが聞こえると、急速に会場が静まり返る。音もなくジョイスは棒を構え、キースも木剣をなんとはなしに構える。完全に脱力していた。
どちらも全力を出せない勝負だ。ジョイスは神通力を見せびらかすわけにはいかない。キースも、タルヒを使えないし、殺傷力の高い魔術の使用も制限される。
ジョイスは、自分の流儀を忘れたりはしなかった。構えはしても、凝り固まることはない。棒の先端は常に渦を巻くように揺らめき、腰を落としたまま、彼はゆっくりとキースの周囲を回り始めた。キースの右手には木剣があるが、それから距離を取るように、ジョイスは右へ右へと摺足で位置をゆっくりと入れ替える。
間合いの有利を確保したいのかもしれない。キースが一撃を浴びせるには、どうしてもジョイスの棒を掻い潜る必要がある。だが、右手で構えた剣は、ジョイスが反時計回りをする以上、どうしても内側、遠い間合いに取り残されることになる。
普通であれば、それは悪くない作戦だ。しかし、キースに対してどれだけ意味があるか。彼はいつでも左右を入れ替えることができる。両手利きになるまで鍛えてあるのだから。
いや? そのことをジョイスは知っているのではないか?
キースも、ジョイスの動きに追随するように、体の向きを少しずつ変えていた。
そして、ジョイスの体からみて、キースの右手がほぼ反対側に向いた時、二人は弾けたように動き出した。ジョイスはキースの背中側から、掬い上げるように打ち込んだ。同時にキースは、左右を入れ替えて左手に持ち替えた木剣を、これまた反転しながら下から巻き上げるように振るった。
棒と剣が交叉した。ジョイスが棒を短く持ち直して、その先端を入れ替えつつ棒を回転させて下からキースの顎先を狙い打つ。鈍い音が響いた。
まさか、と思っただろう。だが、キースは右腕を盾にした。それでも、棒の先端を受け止めたのでは防ぎきれない。下がりたくなる連撃に、敢えて前に出る選択をした。ジョイスが持ち替えた手のすぐ近くに、右腕の肘を叩き込んで、回転を殺した。
その一瞬、棒が止まったところを見計らって、キースは木剣を横薙ぎに、そして鋭くジョイスの首元を刺し貫いた。二度目の刺突こそ、首をひねって直撃を避けはしたものの、胴体への横薙ぎはまともに食らってしまっている。
二人は距離をとったが、数秒後、ジョイスは敗北を認め、審判に一礼した。
あれが本物の剣だったら。仮に胴体になんらか防具を着用していたにせよ、首をかすめた突きの方は、無視できない負傷を齎した可能性が高い。一方、棒の一撃はキースの肘を砕いていたかも知れないが、生命を奪うには至らなかった。妥当な判断と言える。
「……息が止まるような凄まじい攻防でした!」
「さすが、ここまで勝ち上がってくるだけあって、ジョイス選手も見事な技を見せてくれましたね」
勝者は勿論、敗者も讃えられる。
俺以外は。
「惜しかったですね」
ヒジリがポツリと言った。
「あと一歩だったのですが」
本音のところ、キースが負けたらボロクソ言ってやるつもりだったのではなかろうか。先日の説教からして、いろいろ根に持っているのは間違いないから。
「そうなると、準々決勝は、キース対ベルノストか」
ギルが遠い目でそう言った。
「なんか、こっちのブロックは知り合いばっかだな」
俺とは反対側のブロック、第六回戦の四つの試合のうち、三つが俺の知人の参加となっている。実はこれは、運の影響が大きい。例えばベルノストの前回の試合は、不戦勝だったらしい。相当な猛者同士の勝負で、どちらも結構な怪我を負ってしまい、勝った側も出場を辞退するに至っている。出場者全体を見れば、必ずしも俺の知人のすべてが上位層というわけでもない。
次の試合、アーノ対チー・フェイも見届けたいところなのだが……
「済みません、ファルス選手でしょうか」
……迎えがきてしまった。
「そろそろ控室に移動してください」
「わかりました」
一日の試合数がたった八つしかないので、もう使われているのはチュンチェン区の大闘技場のみ。そして、全ブロックの試合が一度に行われる。今日は見物だけというわけにはいかなくなった。
「旦那様」
ヒジリが目を細めて言った。
「わかっているとは思いますが、手を抜いてはいけませんよ」
俺がわざと負けることで大会から抜けたがっているのは、重々承知の上。それでも続行を命じてきた。
こうして観戦しにやってきているのも、俺の手抜きを許さないためなのかもしれない。こうなってはもう、仕方がない。俺は肩を落として、係員に連れられていった。
控室に案内された。もう他の選手と同じ大部屋ということもない。試合数が少ないので、個室を使うことができる。おかげで誰にも邪魔されないのだが、外の様子が見られない分、退屈が増すばかりだった。そろそろ変な汚名を返上したい。それ以外に考えることなどなかった。
そんな中、部屋に落ち着いてまもなく、もう足音が迫ってきた。アーノがフェイを一瞬で始末したとしても、ちょっとこれは早すぎやしないか? そう思っていると、ノックもなしに控室の扉が押し開けられた。
「よぉ」
「キースさん、どうしたんですか」
座ったままの俺を見下ろしながら、彼は言った。
「お前が大会に出てくれて、本当にありがてぇからな」
「はい?」
「ついでに頼みごとをしに来たんだ」
彼に似合わない言葉だ。頼みごと? きっとろくな話ではない。
「俺が見た限り、今日のお前の相手も、次の準々決勝も、準決勝まで、大した相手は出てこねぇ。まぁまぁ強ぇんだろうが、お前だったら楽勝だろ」
「何の話ですか」
「決勝に上がってこい」
つまり、世界一決定戦で俺と戦いたい、と?
彼らしくもない。そんなことをわざわざ言うために?
「まぁ、手抜きはするなと言われてますので」
「それでな」
続きがあったらしい。
「俺は、決勝戦ではタルヒを持ち込むつもりだ」
「えっ」
そんなの、一発で失格。反則負けになるんじゃないのか。
「試合に負けたことになる? それがどうしたってんだ」
「そこはキースさんらしいですが、いや、でも、ちょっと待ってくださいよ」
わけがわからない。
「本物の剣で殺し合いをやろうってことですか? そんな恨みか何か、僕にあるんですか」
「ねぇよ」
「じゃあ、どうして」
「お前よぉ」
部屋の隅の箱に投げ込まれている木剣に目をやりながら、彼は言った。
「あんなオモチャでペシペシ叩きあって世界一とか、そんなの変だって思わねぇのか」
「えっ、あ、まぁ、それは」
「なんでもありが本物の勝負だろうが」
そこは同意できる。試合に勝つための技術と実戦の技では、必ずしも同じものにはならない。
「でも、それをどうして今回、やる必要が?」
「知るか。俺が世界最強を目指しているからだ」
「変なこと言いますね。確かめるまでもなく、キースさんは世界最強じゃなかったんですか」
すると、彼は肩を竦めた。
「お前、まだ俺相手に一度も本気を見せてねぇだろ」
「えっ?」
「何度か、よくわかんねぇけど感じたんだ。お前は俺を殺せる。殺せるとわかってて、殺さなかった。勝てるとわかってて勝とうとしなかった。そういうことがあった」
心当たりは、ある。
最初の出会いもそうだった。例の、半ば廃墟となっていた昔の要塞跡。トゥダを下して逃げようとした時に、出口のところでキースが出てきた。あの時、ピアシング・ハンドで消し飛ばさなかったのは、すぐ横にリリアーナがいたから。そして、ギム達が周囲を取り囲んでいたので、彼一人を葬り去っても意味がなかったから。
次は、王都の内乱の時だ。キースに敵認定され、戦えと迫られた。俺はそれを拒否して、目を閉じた。だがあの時にも、確かにその気になれば、彼をこの世界から消すことができていた。
「俺が思うに、お前には俺の知らない力がある」
「だとしたら、どうだというんですか」
「全力で俺と戦え」
「そんな」
残念ながら、戦いなど成立しない。念じて消し飛ばせば終わるのだ。そして、今の俺の能力をもってすれば、そうなる前にキースが俺を倒し切るのも不可能。完全な奇襲があり得ない武闘大会の場では、尚更そうだ。
「意味がありません」
「俺にとってはあるんだよ」
「やりたくありません」
「だから知らねぇっつってんだ。俺は……本気でやるぜ。お前がどうするかは、そっちで勝手に考えろ。用事はそれだけだ」
言いたいことを言ってしまうと、彼は身を翻し、さっさと控室から出ていってしまった。




