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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十章 千年祭
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友情、平等、予約

「失礼、驚かせてしまったかな」


 そこにいたのは、二人の貴人だった。

 一人は四十代に差し掛かっていて、獅子のようなその髪は、既に灰色になりかかっている。やや日焼けした、頬骨の見えるたるみのない顔立ちに、煌々と輝く双眸が目についた。鼠色の地味なスーツを身につけているが、その上質さは、服飾の素人である俺にも直感できるものがあった。本人の体格がよく、無駄な贅肉もないことから、もともとスタイルがいいのだろうが、それにしても、きれいに体にフィットしている。オーダーメイドで作らせた高級品というのが、よくわかる。

 もう一人は、これまた黒いスーツを見事に着こなした貴公子で、年齢は三十代前半。野性味を感じさせる一人目と違って、こちらはいかにも貴族らしい雰囲気を漂わせている。金色の髪はきれいに整えられているし、肌は白磁のようだった。黄金と宝石に彩られたモノクルをかけているところなどは、少々気取りすぎだろうか。俺に声をかけてきたのは、こちらの方だった。


「はじめまして。どなた様でしょうか」

「インセリア公の末裔、ディナイだ。君は、あの噂のティンティナブラムの男爵、ファルス・リンガで間違いないかな」

「その通りです」


 もう一人の方も、自己紹介した。


「オング・オクラッシュ。立国党の代表を務めている」

「これは、はじめまして」

「なに、楽にして欲しい」


 内心では、もう火災の際の煙を胸いっぱい吸い込んでしまったような気分だった。今日はどういうわけか、やたらと声をかけられる。

 いや、不思議でもなんでもない。イーセイ港の宣伝にあれだけ力を入れていれば、ティンティナブリアで起きた異常事態を政治家達が嗅ぎつけるのは、自然なことだ。現にクルナーズも、マリータ経由で早速、声をかけてきたのだし。

 案の定、オングがそれを話題にしてきた。


「話には聞いている。なんでも、あのイーセイ港を復興したんだって? いつから稼働させるつもりかは知らないが、大したものじゃないか。魔境を切り開くなんて、並大抵じゃないだろうに……内陸までの道路が開通するのには、まだ時間がかかるかもしれないが、気長にやりたまえ」


 ディナイも頷いた。


「大胆としか言いようがないが、並大抵の決断ではなかったはずだ。あくまで伝聞でしか知らないのだが、ティンティナブリアは少し前まで、大変な治安状況だったのだろう? それを立て直すだけでも、簡単とはいかないだろうに。野心的すぎる。だが、個人的には好感を抱いているよ」


 彼らは俺に何を期待しているのだろうか。

 俺の特別な力を知っていればともかく、そうでないとすれば、タンディラールからの政治的独立などなし得ない、ぽっと出のなんちゃって貴族でしかないのに。


「ありがとうございます」

「でき得ることなら、今後は良き友人になりたいものだ」


 また出た。嫌な表現だ。


「おや、ご不満かね」

「いえ、何を仰いますか」

「帝都は、どうしても海に依存する面がある。東の海だけでなく、西との繋がりも、あるに越したことはない。となれば、西方大陸の玄関口を新たに築こうとしている君には、どうしても注目せざるを得ない」


 オングが代わって言った。


「心配しなくても、我々は正義党のようなおかしな頭はしていない。あちらの過激な連中は、こんなことを言うんだろう? つまり、ティンティナブリアはフォレスティア王国の一部、フォレスティア王国は皇帝の命によって成立した六大国で、帝都に属する、だからティンティナブリアの領主であるあなたも、王より帝都に帰属すべきだ……聞いたことはないかね」

「ああ、ありますね」

「狂気の沙汰だ。フォレス人はフォレス人だ。そうではないかね」


 同意もほどほどにしておかなくてはいけない。政治的に何かまずいことに巻き込まれたら、グラーブやベルノストに尻拭いさせることになる。最悪、ここで何があったかは、あとで相談しなくてはならないだろう。

 ディナイが身を乗り出した。


「さっきの、ボッシュの演説は覚えているかい? はは、忘れてしまっても仕方ない。あんな中身のない、薄っぺらい言葉の寄せ集めでは、頭に残りようがないからね。だが、彼は重要なところを履き違えてしまっている。わかるかね?」

「いえ」


 彼の言葉は、より熱量を帯びるようになった。


「彼は、誰もが平等だと言った。嘘だろう? あの人もこの人も違う。それを平等だと。それで、自分と違う人を尊重している気になっているなんて」

「ディナイの言う通りだ。我々は皆、異なるんだ。異なるのなら、異なるということを尊重しなければ始まらない。そうだろう? ハンファン人の食べる米を、フォレス人に強要するのは、彼らを尊重していることになるかね?」

「いいえ」


 食べ物を喩えに出すのはズルい。文化的な食の好みを強制的に変えて、一律同じものを受け入れさせるというのは、確かに「平等」ではあるが「尊重」していることにはならない。そこは確かにそうだから。


「帝都は帝都だ。その帝都のありようを、大陸に押し付けるのも、似たようなものではないか」

「そうかもしれませんが、何を仰りたいのか」

「我々は友人になることはできる。だが、家族ではないのだ。それでいいのではないか」


 さっきのボッシュ首相のスピーチはやり過ごしたが、こちらはどうしたものか。

 だが……


「仰ることはわかります。平等、というのは多分、そんな、少なくとも、多くの人が思っているようなものではないと」

「さすが、理解が早くて助かる」

「ですが」


 ……問わずにはいられないのが、俺の悪いところだ。


「友人は、永遠に友人でいられますか?」


 二人は、目を見合わせた。


「そうなるよう、努力はするとも」


 それが彼らの答えだった。


「僕が思うに、お二人が仰る『友人』の考え方は、相当な部分、いわゆる帝都の『平等』を足場にしているんじゃないでしょうか」

「ほう?」

「またもしそうでないというのであれば……では、その目に見えているのは、どこまでの世界ですか? 十年後ですか? 百年後? 千年後まで、考えていますか?」


 オングは肩を竦めた。


「遠い未来に理想を掲げるのも結構だが、今日明日をなんとかしなくては、今を生きる人々は生きていけないんだよ」

「はい。ですから、間違っているとは申しません」


 全面的に友好的とは言えない俺に対して、少々棘のある言葉で、ディナイが話を切り上げた。


「まぁ、君が考えなしの人間ではないらしいことはわかったよ。機会があればまた、語り合おう」

「はい。今日はありがとうございました」


 ほっと息をつく。

 同意も、明確な反対もせず、フワフワした実態のない議論だけで済んでよかった。綺麗事ばかりの正義党にも近寄りたくはないが、立国党は立国党で、やはり関わりたくない。


 こんなやり取りばかりで神経をすり減らすなんて、とてもではないが、やっていられない。正直、逃げ出したいくらいだった。

 どうにかしようと周囲を見回したのだが、その時、また声をかけられた。思わず肩を縮めてしまう。


「ファルス殿ですかな」

「間違いありません」


 しかし、問いかける声に確認を与える返事、その声には聞き覚えがあった。一気に俺の心に生命の水が注ぎ込まれる。ああ、よかった。

 振り返ると、普通ではあり得ない集団が、そこには存在した。まず、アルディニア王国の老宰相サルヴァジール。その横には、真っ白な僧衣に白い帽子、金色の三つ編みのソフィアが佇んでいた。そのすぐ後ろには、緋色の僧衣を身につけたメガネの男。ドーミル教皇の懐刀、ハッシだ。神聖教国の特使に選ばれたのが、彼なのだろう。

 そして最後に、サルヴァジールのすぐ後ろ、赤い上着と黒いズボンの、あちらの宮廷人の服装をした男が立っていた。なんて似合わないんだろう。まさかノーゼンがこんな格好で現れるなんて。


「お、久しぶり、です」


 安心と驚きが同時に胸に流れ込んできた。

 ソフィアが口元に手をやって、くすりと笑った。


「見ないうちに、随分とご立派になられたようで」


 メガネを押し込みながら、ハッシはややねちっこくそう言った。


「いまやどこからどう見ても、一人前の青年貴族ですね」

「あ、ありがとうございます」


 どういうつもりなのか、頭の中で計算する。俺をタンディラールの手駒のままにさせておきたくない。それが教皇の考えだろう。だからこそ、養女としてのソフィアを押し付けようとしているのだし。ハッシも当然、そうした上役の考えを承知しているはずだ。しかし、何もかもを思い通りにするのは難しい。彼の中では、どこまでを妥協できる点としているのだろうか。

 それより、この組み合わせだ。サルヴァジールとハッシ、つまりリント平原を挟んで対立する国同士の代表の、いわば代理が揃っている。俺に声をかける時点で一緒になっているわけだから、既になんらかの話し合いは済んでいるはずだ。その手がかりは、ノーゼンにある。

 サルヴァジールも口を開いた。


「王より伝言を預かっておりますぞ、ファルス殿。だが、まずは再会を祝したい。お元気そうで何より」

「陛下も相変わらずお元気とのこと、級友が教えてくれました」

「昨秋も例年通り、子供達に転がされておいでであった」


 そう答えると、彼はわざとらしく深い溜息をついた。

 あの歳で、今でも降臨祭の見世物に駆り出されているのだろうか。でも、彼にはずっと、そんなコミカルな王様でいてほしいという思いもある。


「それでファルス殿、先に言ってしまうが、陛下は随分と悲しんでおられますぞ」

「と仰いますと」

「せっかく陛下は友情を誓われたのに、今まで一度も頼ってもらえなかった、と」


 忘れていたわけではない。俺は一礼してから言った。


「陛下は、私が旅に出てより、最初に庇護を与えてくださった方。ただ、遠方にあったためにお力を借りることがありませんでしたが、感謝の念は常にあります」

「それは重畳。今となっては、ファルス殿の住処は我々のすぐ隣りにあるも同然ですからな。今後は親しく過ごせるものと信じておりますぞ」

「はっ」


 これは、俺がティンティナブリアの領主になった件も含めての言葉だろう。ロージス街道の拡張と、セリパシアへの接続はどうなっているのかと、そういう催促だ。


「昔馴染みなのはわかりますが、仲間外れにはされたくありませんね」


 ハッシが割り込んだ。その意図は、俺にも汲み取れる。


「正義の女神は依怙贔屓を好まれません。友情に差などありますまい。ここは平等に扱っていただかなくては」


 苦笑しながら、俺は言葉を返した。


「お忙しいかとは思いますが、後日、どこか落ち着けるところでご一緒して、ゆっくりお話させていただけませんか」

「そのつもりだとも」

「ぜひ、お願いしたい」


 表向きには、ロージス街道の件。アルディニアだけに肩入れされたのでは、神聖教国としては不利益ばかりとなるから。だから、ここは俺がしっかり手綱を握って、両方に利益が行き届くよう、調整しなくてはならない。だが、これだけでは半分だ。

 なによりノーゼンがいるのだ。彼はそういう俗世のことには関わらない。今も何も言わないが、彼自身が担当する他の用件なら、ちゃんとあるはずだった。なんといっても、ヒジリは一度、タリフ・オリムまで行き、ミール王とも話し合っているのだから。


「ファルス様」


 ここでソフィアが笑顔で話しかけてきた。


「このお話とは別に、近々、お出かけしませんか」

「えっ」

「もちろん、みんなと一緒にですよ」


 ほっと息をつく。仮にもセリパス教徒が、正々堂々、異性をデートに誘うなんて、それも人目のある場所で、なんて。ヒヤヒヤさせられたが、そういうことではないらしかった。


「それはもう、喜んで」

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― 新着の感想 ―
命の危機は減ったけどその分立ち回りのめんどくささが増えてきてやがる。
ミール王の国は確かに影響力が強い立ち位置な訳でもないし今まで頼れるような物理的な距離でもなかったから仕方ないね でも何か異変でもない限りバカなちょっかい出してくる訳が無いという信頼が育まれてるだけでも…
帝都政治の三本柱…? 最恵国待遇とかまさにこれなんじゃないでしょうか
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