ティンティナブリア物産展
競技場を出てみると、もうすぐ昼だった。真夏の日差しに、思わず手で庇を作ってしまう。足元で縮こまる影は、くっきりとその輪郭線を描いていた。
さて、誰にも見られたくないような恥ずかしい試合の後だが、この後、少しだけ用事がある。
今日の行き先は、ティンティナブリア物産展だ。一応の責任者はノーラということになっていて、今日は彼女もいるという。だが、本当の意味での責任者が誰かといえば、それは俺以外には考えられない。ほとんど企画立案は任せきりであるものの、顔も出さずに済ませていいはずはない。せっかくラギ川南岸にいるのだから、今日は様子見に伺うと伝えてある。
少し前までみすぼらしいスラムが広がっていたこのチュンチェン区だが、今ではすっかり別世界に生まれ変わっていた。乱立していた掘っ立て小屋は片っ端から撤去され、今では一つも見当たらない。とはいえ、ちゃんとした建造物を建てる余裕まではなかったらしく、以前とは別の、少しだけ清潔感のある掘っ立て小屋が軒を連ねている。つまり、四隅に丈の高い木の柱を突き立て、その頭上に布を渡して、即席のテーマパークとして活用することにしたのだ。
そうした空間の多くは、自国から持ち込んだ品物を売ろうとする商人達に占められていた。また、そこここにどこからやってきたのか、会場の中に露店が立ち並び、来場者に飲食するものを売っていた。だから区画の間を通り抜けると、それぞれ違った匂いが漂っていた。油っこい串焼き肉、ツンとくる香辛料、火を通す前の生魚……
その向こうに、目指す場所があった。
「おっ、ファルスが来たぜ!」
ガリナが俺を見て、手をあげた。
「やぁ……どう? 順調?」
「んー、どうなんかねぇ」
頭をガリガリ掻きながら、彼女は少し考え込んだ。その横からエディマが答えた。
「一応、渡航契約する人は出てるよ!」
「それはよかった」
「けど、問題ある奴、結構いんだよなぁ。まぁ、弾いてるんだけどよ」
俺は、改めてノーラの押さえているブースを眺め渡した。
まず、敷地の隅には大釜が置かれている。そこでは休みなく乳粥が煮られている。これはタダで提供されている。帝都在住者といってもいろいろだ。移民もいれば、市民権喪失者もいる。そんな彼らでも、せっかくのお祭りの時期なのだから、こういう場所を見て歩きはする。そうして見物をすれば、腹も減る。だが、得てしてお祭りの露店というのは、何もかもが割高だ。だから、あくまで客寄せのために、無料の飯を振る舞っているのだ。
そもそもティンティナブリア物産展といっても、あの領地にはこれといった特産品がない。あのオディウスも、だから現金収入に困って、綿花の栽培に手を出したくらいなのだ。土地は豊かだし、食べるものならそれなりに収穫できるが、他に目立った物はない。際立った文化的特徴もなければ、伝統工芸すらない。あるのは、ひたすら続く広大な荒野だけだ。だから、一部の販売コーナーを除くと、あとは専ら入植者の募集のための空間となっている。
「集客は? できてる?」
「まぁまぁ来てるかな」
「よし、じゃあもっと集めよう」
俺は、客に供する飲料水の貯められた水瓶に近づき、短く詠唱した。途端にそこに氷塊が浮かび上がった。
「わっ、なにこれ」
「氷水なら、喜ばれるかも、と思って」
「おっしゃ! おーい! アツアツの乳粥に、氷水! タダだぞ! 食ってけ!」
二人は早速、やってきた来客への対応に回った。
こうしてタダ飯を振る舞い、足を運んでくれた人に、ティンティナブリアへの入植を勧める。話を聞いてもらえた場合には、参加条件なども詳しく伝える。
入植後は、原則として三年間無税。土地は無償で与える。最初期の土地開発に必要な資金が足りない場合は、ごく低利子で貸し付ける。特に、ロージス街道沿いの入植地に移住する場合は、厚遇する。
帝都出身者については、農業経験のない者もいるので、その場合は能力次第で、別の仕事を紹介することもある。現時点では、城下町の方もゴーストタウン同然なので、ある程度は入居者を受け入れる方針としている。
但し、犯罪には厳しい処罰があり得る。逆に不当な扱いを受けた場合は、ティンティナブラム城まで訴え出ることができる。原則として、重大な問題が起きた場合には城代のノーラが自ら裁く。言い分を聞かれずに処罰が確定することはない。
あとは、このところは豊作のおかげで、食糧不足に陥る心配は少ない……などだ。こうして、同意が取れた場合は契約書を取り交わす。移動手段としては、帝都からイーセイ港までの直通航路を利用する。但し、今すぐ連れ帰るのではない。決められた日取りを待って、それぞれの土地に送り込むことになる。
「順調そうなら、あとはノーラに……ん?」
誰もが忙しく立ち働いていたので、意識を向けるのが遅れたのだが、そういえば敷地の一角に女性の群れがいた。あれもタダ飯喰らいか、入植希望者かと思ったのだが、よくよく見ると違和感があった。というのも、数人の女性がノーラを取り囲んでいたのだが、その身なりは決して悪くない。どちらかというと、帝都の中産階級とか、或いはそれ以上の家のお嬢さん、といった感じだ。
あれは何をしているのか、と思って近寄りかけたところ、俺の手をそっと引くのがいた。
「ダメ」
リーアだった。
「何があった?」
彼女は、目立たないように俺をパーティーションの裏側に隠しつつ、二人で聞き耳を立てた。
「……ですから、私達の疑問はですね、ノーラさん、あなたがどうして直接、タンディラール王より爵位を賜っていないのか、或いは総督に任命されていないのかというところに尽きるわけです」
「陛下に訊いて頂戴。私が決めたことではないもの」
「それにしてもですよ。新領主には半年ほどの治績しかないそうではないですか。しかも、盗賊が跋扈し、飢餓が蔓延する領地をほったらかしにして、すべてをあなたに押し付けていったというのに」
「事実と異なるわ。盗賊のほとんどは夏には討伐し終えてたし、飢餓も秋口には大半の地域で沈静化していたから。劇的に改善したのが翌年からというだけで、その前から既に商会を通じて食料支援は始めていたもの」
「そこ! それも引っかかっているところです。リンガ商会ですよね? 立ち上げから運営まで、これもほとんどノーラさんの手によるものではないですか。あなたが稼いだお金で領地の復興をしているということですよ」
これは……
「帝都の新聞社の記者」
リーアが俺の耳元で、そっと囁いた。俺も黙って頷いた。
誰かが情報を流した結果、新聞社が動いた。目的は? 帝都の理念に沿わない振る舞いを見つけ出して、正しさを押し付けること。
確かに、俺とノーラの件は、格好の材料だ。彼女は、放浪の旅に出た俺の代わりに商会を立ち上げ、大成功させた。それのみならず、帰国後に叙爵されてからも献身的に働き、俺が出国してからの一年半、やはり領地経営を引き受けている。ここは記者達の考える通りで、リンガ商会にせよ、ティンティナブリアの統治にせよ、実際に仕事の多くをこなしているのは、ノーラだ。
俺が無責任とされるのは、仕方ないところでもある。言い訳できなくもないが、タンディラールが決めたことなので、どうしようもなかった。ただ、記者達の狙いはといえば、大陸をサゲて帝都をアゲるところにある。
つまり、実際の統治のほとんどを担っているのは女性であるノーラなのに。ファルスとかいうお飾り領主はろくに仕事もしないのに、男性というだけでその地位を与えられている。ああ、やっぱり帝都の外は野蛮で後進的なんだと、そういう市民の優越感を煽るための記事を書きたい。帝都ではそんな差別はないのだから。
だが、どういうわけか、ノーラの反応がいまいちだった。それで記者達は、なんとか彼女の口から不満の一つでも拾いだそうと、こうして質問攻めにしているのだ。
「人は能力と実績で評価されるべきです。なのに、どうして実際に結果を出しているあなたではなく、滅多に領地に戻りさえしない人が領主なんですか」
「それはあなたの評価でしょう? 私は陛下の評価と判断に間違いがあるとは思っていない」
俺の力と、その結果として生じた影響力を知るノーラからすれば、俺が今の地位にあることに疑問を感じることはないだろう。人形の迷宮の解放も、パッシャの討滅も、俺なしでは実現しなかった。といって、その武勲がそのまま領主の地位に直結されるべきという話にはならないかもしれない。だとしても、なお俺があの地の領主であることの意味はある。ミール王とも友好的な関係を保っていて、しかも本来なら敵対していてもおかしくない赤の血盟とのパイプにもなっている。それに、そもそもロージス街道の再建にしても、俺抜きでは実現するはずもなかったし、なんなら現時点でもそうだ。窟竜による街道の防衛が、今は欠かせないのだから。よって、俺を領主に据えておくことには、妥当性がある。とはいえ、それは記者達にはわからないことなのだが。
「だからって、それならあなたはあなたで、もっと評価される別の場所で活躍なさればいいはずです。どうしてティンティナブリアに縛りつけられなくてはいけないのでしょうか」
「縛りつける? 私は誰にも縛られてなんかいないわ」
これも、まさに真実そのものだ。ノーラは誰にも束縛されていない。俺にさえも。
「私は、私自身が望んで、ティンティナブリアに留まって、働いている。誰に命じられたからでもないわ」
「そ、そんなはずはありません。これが女性の自立を阻む因習、思い込みです。あなたは大陸のものの考え方に凝り固まっているのかも知れませんが、本当は」
「私の意志を勝手に決めつけないで」
見ている俺のほうがヒヤヒヤさせられた。
ノーラは、なるほど、普段は仏頂面で、愛想もない。一見すると怖いのだが、本当はそうでもない。害意のない相手に喧嘩を売ることは決してないし、道理が通っていれば引き下がりもする。あれで実は、滅多に怒り出したり、苛立ったりなどしない。ネチネチと恨むこともない。ドゥミェコンでキースに打ちのめされたときにも、平然と「あなたは役立ちそうだから歓迎する」と言い放つような女だ。
だが、そんなノーラにも、導火線がある。つまり、大切にしているものだ。彼女は、誰に似たのか、意志というものを何より重要視している。それが思い通りになるかどうかは別として、何をどう思う、どう考えるという部分について、勝手に踏み込まれることを極端に嫌っている。
相手がものを言っているのに、こうして黙らせるように言葉をかぶせるなんて、ノーラとしては珍しいことなのだ。それだけ記者が彼女を苛立たせたということでもある。
「もういいでしょう。忙しいの。帰ってください」
それで記者達は、不満顔でゾロゾロと引き上げていった。
彼女らの背中が人混みに紛れて見えなくなったところで、やっと俺とリーアはパーティーションの影から這い出てきた。
「ノーラ、済まない」
「ああ、ファルス、隠れてくれてて助かったわ」
「なんだか、いろいろ押し付けてるみたいで」
彼女は首を振った。
「帝都って、頭のおかしな人がたくさんいるのね」
うんざりした、と言わんばかりに彼女は溜息をついた。
「自立? あの人達は、それから一番遠いところにいるわ」
邪魔者が去ったところで、俺は改めて周囲を見回した。
「何か問題は」
「さっきの連中くらいよ。それより、ファルスはお昼、まだでしょ? ここの乳粥だったら、すぐ食べられるけど」
「じゃあ、いただこうかな」
それで俺も、タダ飯にありつこうとする連中と同じように、長いテーブルの端に腰を落ち着けて、配膳されるのを待った。
「どうぞ、お召し上がりください」
「えっ」
顔を上げて、少し驚いた。見覚えがなかったような気がしたからだ。
「シーラ? あれ? いつ帝都に?」
「ノーラ様に従って、一緒に参りましたよ」
そうだったっけ? でも、例の旧公館で面談した覚えがないような……
「ノーラ、シーラは連れてきていたの?」
「えっ……と、ここにいるんだから、連れてきたんじゃないかしら?」
「そんな、あやふやなことを言われても」
何かスッキリしない感じが残るものの、とりあえずということで一口、味わってみた。
「うっま! え? 前にも思ったけど、何を入れたらこんな味になるんだろう」
「おかげで何度もお粥だけ食べに来るのもいるくらいよ」
「うーん、でも、それで困ってるんでなければ、宣伝になるし、いいんじゃないかな」
「そう思って、特に制限とかはしていないわ」
とにかく、シーラの料理の腕が尋常でないことは、俺も承知している。幸い、食材に余裕があるというのなら、このまま人集めを継続するのがよさそうだった。
「ご馳走様。それで、販売コーナーはどうなってる?」
「それなんだけど……」
ノーラが眉根を寄せた。ガリナもエディマもリーアも、困ったように目を見合わせた。
はて、もし問題があるのなら、やめさせれば済むのだろうに、どうしてそんな難しい顔をするのか。
「こっち? 何を売って」
敷地の隅に並べられたテーブルに向き直り、そこに陳列されているものを何気なく目にして、俺は硬直した。
「よっ、王子様ァ」
ホアはニタニタしながら、俺を出迎えた。
「おっ、王子様、じゃないよ、なんだ、これ」
というのも、そこに並べられていたのは、どう見ても……
「おう、これ、売れ行き最高なんだぜ? バカみたいな値段をつけても、飛ぶように売れていきやがる」
「おっ、おっ、お前、これ」
「名前は借りてるぜ? いいだろ、これくらいよぉ」
俺は小刻みに震えながら、その商品を確認した。
金メッキされたそれは、滑らかな手触りとズッシリとした重量感を伴っていた。そして、添えられていた説明には、こう書かれていた。
『ピュリスの変態王、ファルス・リンガの魅力(複製)……二つとない味わいです』
俗に言う、張形というものだ。しかも、俺の名前で、俺の実物が「これ」みたいな……
ホアはヘラヘラ笑っていた。俺はカクカク震えていた。その均衡が、急に破れた。
「お前ェッ! なに勝手なことしてんだぁっ!」
「うっせぇ! うっせぇんだよ! ずーっと片田舎でつまんねー仕事ばっかさせやがって! いつまで経ってもブチこんでくれねぇしよォ! これくらいなんだってんだ!」
俺はホアに掴みかかり、ホアも俺に掴みかかって、怒鳴り合いを始めた。
「お前な、わかってんのか! うちの入植地にきてくれる人を増やそうって頑張ってんだぞ! こんなもん並べてたら、まともな人が逃げるだろが!」
「そんなお上品な奴が、開拓地なんかに来るかよ! 食い詰めた移民とか市民権なしの連中が、どうにか人生マシにしたくて来るんじゃねぇか! むしろウケるくれぇだぜ!」
「そういう問題じゃないだろ? もし仮にまっとうな人がここを通りかかったら、俺がどういう目で見られるかって話をしてるんだ!」
「どういう目も何も、男なら勲章だろが! どうだ、このデカさ、天高く屹立する逞しさはよォ!」
恐らく……
領地で不満を溜めまくっていたホアの様子を、みんな見て、知っていたから。だからこの暴挙を見ても、止められなかったのだ。
「変に誇張しやがって、なんてことしてくれるんだ!」
「誇張じゃねぇよ! これくらいデカかったろが!」
「勝手に決めつけるな! お前、見てないくせに!」
「いーや! 一瞬、見えた! 見えたはずだ!」
しかも、実際に販売開始すると、これが飛ぶように売れてしまった。
こうなるともう、やめさせる理由がつけられない。それで今までズルズルと……
「ミッグ郊外のあの時か? 脱がされる前に止めただろ!」
「オレくらいの職人になるとな、もう歩いてる姿勢だけで内側のデカさがわかんだよ!」
「じゃ、いちいち見る必要もなかったよな? ってか、俺の羞恥心はどうでもいいのか!」
「んなもん、売上の前にゃ、些細なことだろうがよ! 売れまくってんだよ! 特にこの金メッキのがなぁ! ボロい商売だぜ!」
これでは埒が明かない。俺はノーラに問い質した。
「どうして止めなかった」
「ごめんなさい」
「謝罪はいい。なぜ止めなかったのか、理由を訊いている」
すると彼女は俯いてしまった。
「原価が……」
「なんだって?」
「余った黒竜の皮の端材を使って作ったっていうから……廃棄させるのも」
黒竜の内皮、外皮はそれぞれ高級な防具の部材として需要がある。それでいて、滅多に出回らない。もっとも、ホアが使ったのはその端材、単体ではちゃんとした防具の内張りとして使うには足りないサイズのものを流用したのだろう。だが、それにしたって安くはない。
現在、ティンティナブラム領は赤字なのだ。免税措置の真っ最中なので、収入がない。少しでも現金収入に繋がるのなら、ということもあるのだろう。
「だからって、こんなの二束三文だろうに」
「そうでもねぇんだぜ?」
「なんだと」
「これを見た貴族の娘さんの、まぁ従者あたりがだな、あとでこっそり連絡つけてくんだよ。そうなると、裏からバカ高ぇのを買ってくれたりしてなぁ」
頭が痛い。どうしてくれるんだ。どうしたらいいんだ。
「とにかくこれは……」
言いかけたところで、ふと、視線に気付いた。
ハッとして振り返ると、そこには見覚えのある女性の姿が。帝都の一般市民のような地味な服装で身分を隠してはいるが、見間違えるはずもない。リシュニアは、顔を赤くして、口元を押さえて、硬直していた。
「わ、わわわ、で、殿下」
よりによって彼女に見られるとは。大変に好ましくない。ここから横方向にどんな噂が広まっていくことか。
「な、なんとも、これは、意外と凄いというか」
「ご、誤解です! 誤解です、殿下! こいつが勝手に!」
「で、ですが、貴族たるもの、下々の行いの責任は」
赤面しつつ取り乱しているのに、口から出てくる言葉はいつも通りというのが、またなんともいえない空気を醸し出していた。
「ホア! いや、ガリナ、エディマ、とりあえず、これ、撤去」
「お、おう」
「可及的速やかに。頼む」
ホアは抗議する姿勢を見せつつも、言葉を発せず、それを見送るばかりだった。というのも、リシュニアに気を取られていたからだ。
「ふぅ……お見苦しいところを」
「い、いいえ!」
ほっと一息。問題のモノは取り除かれた。あれはなかったことにしよう。暗黙の了解が、俺と彼女の間に構築された。
「それで、今日はどうしてこのようなところに」
「まぁファルス様、せっかくの千年祭ですもの。あちこち見物に出歩くのは、自然なことではありませんか」
白々しい。嘘ともいえない取り繕い。
リシュニアは、やっぱりあのタンディラールの娘なのだ。彼は、王都の中の情報をよく把握していた。誰がやってきても、即座にそのことを察知して対応した。そういうところは、親譲りなのだろう。
武闘大会のトーナメント表を確認すれば、俺がどこで試合をするかは把握できる。その上で、近くでティンティナブリア物産展が開催されていることも、これも帝都の運営側が配布しているチラシを見れば容易に確認できる。俺を捕まえるために、こうしてやってきたのは明らかなのだ。
「そうですか。でも、ここには面白いものはないですよ? というのも、そもそもの目的は、ロージス街道周辺の廃村に入植してくれる人を募集するための催しなので」
「お、面白いもの……」
思い出しかけて、すぐ彼女は記憶に蓋をした。
「い、いえ、それよりファルス様」
「なんでしょう?」
「お約束をお忘れでしょうか」
約束? なんかしたっけ?
「ほら! 商店街を案内していただきますよう、お願いしたじゃないですか!」
「えっ? ああっ」
部屋に連れ込まれて誘惑されたことばかりが意識に残っていた。では、本当に庶民の飲食店で働きたいと、そういうつもりだったのか。
「まさか本当に」
「本当ですよ。ご案内していただけるんですよね?」
「まぁ、そういうことなら」
とすると、少し忙しいが、なんとか彼女のために、働かせてもらえるような飲食店を見繕わねばならない。まぁ、今は千年祭の最中で、どこも人手不足だから、見つけるのに苦労するということはないだろうが。
そんな風に胸のうちで算段していたところ、不意に横合いからの声で我に返った。
「おうおう、そこの姉ちゃん」
会話に割り込んできたのは、ホアだった。
「てめぇ、どこのモンだよ?」
「えっ?」
「オレの男に唾つけようなんざ、百年早ぇ」
誰がオレの男だ……
しかし、ホアの暴走は止まらなかった。
「その、私は」
「キレイなツラしてっからってよぉ! そうそう簡単にオレを飛び越してベッドに引きずり込もうっつったって、そうはいかねぇんだ! オレの目が黒いうちは」
「ちょ、ちょっと待て、ホア」
「いつまで待ちゃあいいんだよ? え? いつオレの処女は奪ってくれんだよ? ああ?」
最悪すぎる。お忍びとはいえ、相手は一国の王女様。なのに、この言葉遣いとは。
「殿下、大変な失礼を」
「いっ、いえ」
「失礼なのはてめぇだろが! 横入りしようとしやがって! あっちこっちから美人ばっか寄ってきやがって、畜生! けど、オレは絶対、諦めねぇからな!」
そう言いながら、ホアは乱暴に俺に抱きつき、リシュニアを睨みつけた。
ホアの暴走はいつものこと。とはいえ、この振る舞いにはノーラも戸惑っているのだろう。割って入ろうとしつつも、こちらの様子を静かに窺っていた。
少しの間、沈黙が場を支配した。周辺のブースの騒音が、やけに遠く聞こえた。
それを破ったのは、予想外の笑い声だった。
「くっ……ふふっ、ふふふ、あはっ」
こみ上げてくる笑いを、リシュニアは噛み殺そうとして、背中を丸めていた。その衝動が収まると、珍しく目を見開き、満面の笑みを浮かべた。
かと思いきや、いきなり猛然と身を乗り出して、ホアの両肩を掴んだ。
「素晴らしいです!」
「ハァ!?」
「お名前は? ホアさんと仰いましたか?」
「お、おう」
思いもよらない態度に、さすがのホアも、目を丸くしていた。
「ホアさん、私はあなたが大好きです!」
「ハアァ!?」
「ファルス様!」
理解が及ばないのは、俺も同じだった。
「な、なんでしょうか」
「先程のお話は後日と致しまして! 今日は、ホアさんをお借りしてもよろしいでしょうか!」
「もちろん、構いませんが」
するとリシュニアは、これまで見たこともないほどの勢いで、ホアの手を固く握りしめ、引っ張った。
「お、おい」
「では、急ですけれども、私にお付き合いいただけますか! ご安心ください、私はあなたの味方です」
「ほぇ?」
「応援しますよ! じゃあ、行きましょう!」
今まで一度も見たこともないほどのテンションに、俺もノーラも、みんな棒のように立ちすくむばかり。
だが、そんな俺達など構わず、リシュニアはホアの手を引いて、人混みの向こうへと消えていった。




