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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十章 千年祭
1043/1082

フシャーナ、ヒスる

 なぜ夏休みの昼間に、こうして学園まで出てきて、汗を流して作業に従事しなければならないのか。その理由は、以下の通りだ。

 つまり、帝都の市民ではなく、海を越えてやってきた観光客の気持ちになって、このパドマの街を見渡すとして。彼らが見たいと願うのは、どんなものだろうか?

 一つではない。戦勝通りの華やかさに浸りたいのもいるだろうし、時の箱庭を散策してみたいのもいるだろう。だが、そうした人々はまた、帝都ならではの歴史とその遺物、これを目にせずには帰れない。つまり、この街にしかない文化の香りというものを吸い込んでおきたい。

 そして、そんな観光客の欲求を満たすのに適した場所がいくつかある。そのうちの一つがここ、帝立学園だ。


「せーのっ」

「もうちょい右、そう、そこで降ろして」


 そもそも帝立学園は帝都の顔の一つだ。現在、帝都の中で最もレベルの高い学校はナーム大学だが、格式ではあくまで帝立学園が第一とされている。ここの学園長が皇帝代理機関の一員になるという取り決め、また各国の有力者同士の融和という設立目的などを思い浮かべても、この学園は帝都の成り立ち、理念、歴史と深く結びついている。

 実際、入学時の挨拶でケクサディブが述べたように、この学園は統一時代以降、歴史の舞台でもあったということができる。各国の歴代国王も通った場所なのだ。過去に思いを馳せ、想像力の翼を広げたい人にとって、ここを見ないで帝都観光を終えるなんて、考えられない。


「まっすぐになってる?」

「じゃ、架けちゃおう」


 どうせ観光コースに組み込まれるのなら、催事にも協力してしまうのがいい。学園の校舎は、ただでさえ見栄えのする代物で、廊下を歩けば、まるでブランデーの海の中を漂っているかのよう。そこに積み重ねられた歴史もあるとすれば、それ自体がもう、美術館のようなものだ。また、学園には小規模ながら、博物館も併設されている。

 だから、この学園を展示場として活用しようという考えが出てくるのは、自然な結論だった。今、設営を手伝っているのは、画展の会場だ。学生達のみならず、今回の千年祭に合わせて多くの画家が作品を制作し、持ち寄ってきている。それを展示するのは、学生の仕事となった。


「なかなか壮観だな」


 廊下を背にした壁側に、単色の……ここでは、暗い緑色の布を高い位置からかける。布にはあちこち、小さな穴が空いている。それは布をかける衝立に組み込まれた突起が顔を出すための場所で、そこを手がかりに絵画を架けていく。


「僕の作品もありますよ、ほら、あれです」

「本当だ」


 エオが指差す方に目を向けると、確かにそこには、俺とゴウキの姿の描かれた一幅の絵画があった。ただ、その内容はもうほとんどデタラメだ。握手し、エオの方を向いている姿勢は同じでも、まず、服装が違う。ゴウキはあの衣装のままだが、俺も何か黒っぽい、いかにも貴族が身につけるような、フォレス風の服を身に纏っていた。そして背景はというと、日の出の時間帯のラギ川、東の河口付近だ。海の彼方から顔を出しかけた太陽、黄金色に輝く空に黒々とした線を刻む歯車橋。なんかもう、無理やりな感じが凄い。見た人がすぐ帝都とわかるようにということで、この構図にしたのだろう。


「まぁ、ぜんっぜん、気に入ってないんですけどね」

「そうなんだ? これだけ描けていれば、評価されそうな気がするけど」

「課題だから、仕方なく無理やり仕上げただけです」


 横で作業を手伝っていたヒメノが、エオの作品をまじまじと見つめた。


「でも、出来栄えは、素人目にも並外れていますよ」

「でも僕は……いえ、ありがとうございます」

「入賞するかもしれませんね」


 ヒメノは笑顔でそう言ったが、エオは曖昧な苦笑いを浮かべるだけだった。不本意な絵が評価されて、しかもそれが入賞なんかしてしまったら。記念すべき千年祭の受賞作だ。当然、どこかに収蔵されて、作者の名前と共にずっと保管され続けることになるに違いない。この絵で自分という画家が後世の人々に評価されるとしたら?


「こんな作品より、ヒメノさんの出品のがずっといいです」

「どうでしょう。私なりには頑張ったんですけど」


 口元では笑っても、眉は八の字になってしまっていた。

 彼女の出品したワノノマ風の着物は、しっかり見ないとその値打ちがわからない代物だったからだ。遠目に見ると、地味な、暗い藍色の服にしか見えない。だが、すぐ近くで目を凝らせば、それが極めて微細な染め物であるとわかる。細かな白い点が規則正しく並んでいて、さながら魚の鱗のような円形状の柄になっている。光の当たり方で見え方も違ってくる、実は極めて手の込んだ、高度な一品だった。

 今、自分にできる最上のものを。本来、ワノノマの人々にとっての美とは、絢爛豪華であることを意味しない。余計なものを削ぎ落とし、その文化の粋を見せつけるとなれば、このような形に落ち着くしかなかった。だが同時に、それがこのような場での評価を勝ち取るのに適した選択ではないことも、わかっていた。


「あれだけの品は、なかなかないです。相当な腕前がないとああはなりませんし、それにしたって手間もかなりのものだったと思います。あれが入賞しなかったら、審査員の目は節穴ですね」

「そう仰っていただけるだけで、頑張った甲斐がありますよ」


 悩み抜いた末の選択だったのだろう。自分の中の最上を差し出すのか、評価する人々に阿るのか。けれども、千年祭は諸国間の融和と相互理解のための催事だ。であれば、ここはなんとしてもワノノマらしさを表現しなくてはならない。そのためにヒメノは全力を尽くした。


「二人とも、そろそろ悪いけど」

「あ、はい」

「教授に呼び出されてるから」

「はい、こちらは気にしないでください」


 軽く手を振って、俺は教室を出た。

 他にも大勢の生徒が、この蒸し暑い中、学園まで出向いて展示の手伝いをしている。そんな中を歩きながら、何かに似ていると思った。そうだ、高校の文化祭だ。この学園には、もともとそういう年間行事などない。だからこそなのか、この既視感のある景色に、ずっと昔の感情が蘇ってくるのを、意識下でうっすらと感じていた。悪くない気分だった。


「急に集まってもらって、申し訳ないわね」


 普段は使われない執務室。こんな暑苦しい季節なのに、足下は絨毯のまま。だが、呼び集める面子を考えると、ここ以外の場所を選びようがなかったのだろう。

 フシャーナは、見るからに不機嫌そうだった。そんな彼女にどんな思いを抱いているのか、グラーブもマリータもアスガルも、まったくの無表情だ。


「与野党揃ってくだらないことを、この忙しい時期に、直前になって決議してきて、とばっちりが学園にきてしまった、という報告。もう心当たりのある人もいそうだけど」


 こめかみに手を当て、軽く掻き毟るようにしてから、彼女は続けた。


「世界平和会議の開催と、平和宣言の採択という、何の役にも立たない、中身のない儀式をやってくれないか、というお話。それで、いくらかの社交もやって欲しいらしくて」


 実にくだらない話だ。しかも、そのために各国の要人のタマゴに、それぞれパーティーを開催せよと。だが、千年祭が始まってからの要求とは。皆、それぞれ予定を詰め込んでいるところに割り込ませろというのだから、これはフシャーナとしても頭の痛い話に違いなかった。


「申し訳ないとは思っているけど、学園長の立場では、議会の決めたことを覆したりはできないの。どうにか、形ばかりでも、それぞれ一度ずつ、交流会の名目のパーティーをどこかに挟んでもらえないかしら。あと、初回は帝国議会主催の集いがあるから、そちらには必ず参加ということで」


 この言葉に、マリータが露骨に表情を歪めた。


「教授、確認ですが」

「なにかしら」

「その、初回の集いには、学生以外の有力者も参加するということでよろしいでしょうか」

「そうなるわ」


 苦いものでも喉の奥に突っ込まれたのかと言わんばかりの顔で、マリータはそのまま黙り込んだ。


「困ります」


 今度はグラーブが声をあげた。


「この時期になってから会場を抑えるのは少々無理があるかと思いますが」

「そうよね。わかってるわ。でも」


 グラーブは、無言で頷いた。学園長が無茶を押し付けているのではない。祝賀ムードに乗っかろうとした帝都の政治家どもが、こちらの事情もよく考えずにおかしな決定を下したに過ぎない。だからフシャーナへの怒りはないが、ただ、黙ってこの要求を受け入れるのもどうかということで、一言ぶつけておいたのだろう。


「降って湧いた災難ですわね」


 マリータも不満を口にした。だが、すでにして彼女には対策があるらしい。


「とりあえず、追加の催しについては、当方は、既に用意しておいたパーティーの一つを、そちらに割り当てることで対応することにさせていただきます。あとは多少の……手入れをして、いかにも帝都の考え方に沿ったものらしく見せることができれば、それで満足してもらえるのでしょう?」

「そうね」


 するとマリータはグラーブに言った。


「どうでしょう? そちらでお困りなら、今回は合同の会という形式で片付けてしまおうか思うのですが」


 この提案に、グラーブの表情は強張った。抑制してはいるものの、そこには怒りが滲んでいた。昨秋のスキャンダルを忘れられるわけもないのだから、これは自然な反応だろう。


「他意はありません。こういう横紙破りが煩わしいのは、お互い様でしょう」

「そちらにとって、何の利益がある」

「強いていえば、利益がないことが利益ですわ」


 火花を散らす二人に、フシャーナは溜息をついた。


「どうでもいいけど、そういう話はここを出てから」

「いけません」


 マリータは即座に言った。


「ここを出たら、このお話は御破算でしょう?」

「むっ」


 グラーブが遅まきながらに気付いた。

 今、この密室で決まったことなら、グラーブもマリータも、両フォレスティア王国合同のパーティーという筋書きを、学園長の要望であるかのように匂わせつつ、配下達を納得させることができる。だが、ここを出てから一緒にやろうという話は、不可能だ。なぜそんなことをするのか、個別開催でという話がまずありきではないか、と言われてしまう。


「それでは、こちらから何を出せばいい。すべてそちらに任せきりでは、立場がない」

「考えはありますが、まだ纏まっておりません。ただ、人を出していただければ、それで」

「ふむ」


 彼の視線が、俺と、すぐ横に立つベルノストに向けられた。それからすぐ、グラーブは頷き返した。


「いいだろう。今回はよろしく頼む」

「こちらこそですわ」


 アスガルは、このやり取りを黙って見つめていたが、すぐ苦笑した。


「こちらは自前で用意せねばならんでしょうな……混ぜてもらう大義名分がない」

「面倒をかけて申し訳ないわね」

「まぁ、やり方を問わないのであれば、なんとでもしますとも」


 とりあえずの伝達が済んだ、ということでフシャーナは言った。


「用件はこれだけ。わざわざ申し訳なかったわね」


 それで集められた面々は順番に部屋から退出していったが、俺はなんとなくその場に留まり、最後まで居残った。

 振り返ると、フシャーナは椅子に深々と腰掛け、机に突っ伏していた。


「……大丈夫ですか」


 俺が声をかけても、フシャーナはすぐに反応しなかった。髪の毛を振り乱したまま、机の上で微動だにしない。


「なんか、相当キテるみたいですけど」


 それから数秒後、蚊の鳴くような声が聞こえてきた。


「もういや」

「ああ、まぁ、面倒そうですよね、その立場」


 またしばらく反応がなかった。


「でも、この夏を乗り切れば、また研究三昧の暮らしも、きっとできますよ」


 俺が、慰めのつもりでそう言うと、彼女はガバッと身を起こした。


「いらない」

「はい?」

「そんなのもう、どうでもいい」

「えぇぇ」


 これは思った以上にストレスを溜めている。研究さえどうでもいいとは、かなりのことだ。


「いや、今は面倒事だらけかもしれませんが」

「ううん」


 彼女は首を振った。


「もう、そんなに楽しくないの。前に言ったでしょ。知らないこともできないことも、なくなったわけじゃない。だけど、それを調べたりできるようになったりして、その先に何があるの?」


 と言われても、答えようがない。

 知識も富も若さも、すべては道具たり得る。そしてそれが彼女にとっての道具である限り、目的そのものになり得ないのだから。

 となると、その他で彼女を宥められそうなものは……


「あっ、そういえば、今日はオルンボサル教授は」


 すると、フシャーナはみるみるうちに鬼の形相になって、バン! と乱暴にテーブルを叩いて怒鳴った。


「あんな男の話はしないで!」

「わっ!?」


 まさか、こんな急に怒り出すとは思わなかった。

 俺が目を白黒させていることに、ようやく気付いたのだろう。彼女は半ば狼狽えながら、肩を縮めた。


「ごめんなさい、ちょっと疲れてるみたい」

「いえ、いいんですが……その、今日も顔を見せてないんですが」


 そういえば、ケクサディブは千年祭の開催宣言にも参加していなかった。しばらく顔を見ていない気がする。


「あの歳で、この暑さだから。ちょっと体調を崩してるみたい。今は休んでるはずよ」

「えっ、じゃあ、お見舞いとか」

「平気よ。別に今日明日死ぬとか、そういうんじゃないから」


 なら、そちらはいいとして……


「教授も、よく休んだほうがいいですよ」

「体はなんともないの。体だけは、若いから」

「やっぱり、その。何かで気晴らしできるといいですね」


 彼女は頷いた。


「お酒でも呑めたらいいんだけどね」

「呑めないんですか?」

「呑めるけど、ここ何十年もやめてるわ。呑まないほうがいいって止められてから」


 はて、どうしたものか。


「確かに、体にいいものではないですが。それだけ苛立ちを溜めているのも、やっぱり毒ですよ。お酒で気が紛れるなら、少しくらいはいいんじゃないかと思います」

「そう、そうね。そうかもしれない。考えておくわ」


 かなりまいっているらしい。

 とはいえ、フシャーナは子供でもない。行き場のない感情を処理する手段くらい、見つけられないこともないはずだ。

 教室のほうで、みんなまだ、展示の準備に立ち働いている。俺も戻らないといけない。最後に彼女に声をかけて、俺も踵を返した。


「お大事に。よく休んでください」

「ええ、ありがとう」

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― 新着の感想 ―
掛け軸って一幅って数えるんですね、知らんかった。
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