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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十章 千年祭
1042/1082

東の彼方より友来たる

 中庭に降り注ぐ陽光には、情け容赦というものがなかった。朝からじっとりと湿気を含んだ空気が熱を帯びて、中庭に滞留する。こうなると、北側に設置された池も、この蒸し暑さに加担しているのではないかと思われてくるのだが、当の池そのものはというと、北側の仕切りや木々に遮られて、日陰の涼を楽しんでいる。あそこに座ったらさぞ涼しいに違いないが、そんなわけにもいかないので、風の流れの止まった縁側で、中庭の様子を恨めしげに眺めるしかない。

 三人ほどの使用人が、視界を真っ白に染める陽光の下で、音もなく立ち働いていた。伸びすぎた木の枝をそっと切り落とし、足下に散らばった落ち葉を掃き清め、池の水の濁った汚れを掬い取る。石灯篭の汚れもしっかりと拭き取る。そうして、訪問者に気持ちよく過ごしていただくための準備を済ませる。

 ただ、考えようによっては、見栄を張るということでもあるのではないか。果たして、普段着のまま、特に出迎えの準備もせず、気軽に会って気軽に話し、気軽に別れるのと、どちらが安くつくのだろうか。そこまで考えて、やっぱり自分にはできないと首を振る。そんなこと言い出したら、料理人としての自分の出番までなくなるではないか、と思い至った。

 それでも、今日も仕事らしい仕事は、今のところない。準備のために手を動かすのは下々の者共の仕事であって、家の主の役目ではないからだ。


「旦那様」


 縁側に腰掛ける俺の横に、ヒジリがそっと座った。


「何を考えておいでですか」

「いや、暑いなと」

「それであれば、日陰で寛がれては」

「まぁ、そうなんだけど」


 日光浴しないのは、それはそれで不健康なのではないか、という思いが意識をかすめる。


「心配なさらなくても、ミアゴアはしっかり仕事をしておりますよ」

「でも、この暑さだ。せめて何か、お客様にもう一つくらい」

「そうですね。言伝を送りましょうか」

「や、そういうつもりでは」


 ヒジリは軽く笑った。


「落ち着かれませんか」

「手を動かしている方がいい」


 こんな日には、かき氷を食べたい……そうだ、かき氷! いいかもしれない。料理大会に出す品としてはちょっとどうかと思う。でも、ノーラがティンティナブリアの物産展を開催するから、そこでお客様にお出しするなら、耳目を集めるのに役立つかもしれない。


「何をお考えですか」

「あっ、いや」

「どうせまた、料理のことばかり」


 すっかりお見通し、ということらしい。


「でも、今日は遠方からお客様がいらっしゃるのですからね。頭の中を切り替えていただきませんと」


 そういうヒジリも、今日は来客のために、以前の打掛姿で待機している。

 そんな風に過ごしていたところ、廊下から足音が静かに近づいてきた。


「旦那様、お客様がお見えに」

「もう来たか。早いな」

「いえ、それが」


 報告にきたウミの表情には、明らかな困惑が滲み出ていた。


「どうした? 何かあっ……」


 そう言いかけ、身を起こしかけたところで、遠慮のない足音が廊下を揺らしているのに気付いた。

 俺が立ち上がるのと、その人物が姿を現すのと、ほぼ同時だった。


「ほう……久しいな、ファルス」

「アーノさん? どうしてここに」


 彼は一瞬、座ったままのヒジリに視線を向けたが、構わず俺に向かって話し続けた。


「どうしても何も、せっかく帝都に来たのなら、挨拶くらいしようと思ってな。お前がいることは聞き知っていた」

「そ、そうでしたか、でも今日は」


 この後、来るはずの客がいるのに。

 俺がそう言おうとしたところで、背後に濃密な気配を感じて、思わず口を噤んでしまった。


「アーノ」


 ヒジリがいつの間にか立ち上がっていた。


「弁えなさい。ファルス様は私の将来の夫です。そして……私が何者かを忘れたわけではないでしょう」


 聞いたこともないような低い声で、彼女はそう言った。アーノに対する脅しなのだろうが、彼はというと、強気そうな薄ら笑いをやめようともしない。むしろ俺のほうが震え上がるほどだ。


「考え方一つでしょう」

「と言いますと?」

「ファルス」


 彼は俺に向き直り、肩の力を抜いて、言った。


「せっかく尋ねてきたんだ。茶くらい出してはくれんか」

「構いませんが、その、この後」

「なに、少しくらい、構わんだろう?」

「ええと、まぁ」


 確かに、すぐ来客がやってくるのでもない。

 だが、そう答えてしまってから、失敗に気付いた。ヒジリは無表情のまま、怒りを表明している。アーノに図られたのだ。

 ヒジリとアーノの力関係は、言うまでもなく、前者が上、後者が下だ。かたやワノノマ皇族の一員で、しかも魔物討伐隊の指揮官。かたやスッケの豪族の傍流で、かつ正式な役目や身分など授かっていない浪人同然の男。それのみならず、アーノは幼少期に本土に引き取られ、一時期はヒジリにも養育される立場だったはずだ。東の彼方まで旅してきたキース相手に試合をしているのだから、そういうことになる。

 だが、その力関係は、いまや捻れてしまった。俺のせいだ。ファルスとアーノが対等に話す時、ファルスの婚約者に過ぎないヒジリが一歩身を引くのは当然のこと。目下のはずのアーノに強く出られなくなったのはあなたのせいですよ……無言のまま、ヒジリはそう伝えてきている。


「では、こちらへ」

「うむ」


 準備中の客間に座布団を置いて、向かい合った。


「それにしても、帝都にいらっしゃるとは思いませんでした」

「浮草同然の身の上なれば、どこへ行くにも腰の軽いことよ」

「千年祭の見物ですか。確かに、催し物も多数ありますが」


 すると彼は不思議そうに首を傾げた。


「はて? では、お主は出ないのか?」

「と言いますと」

「世界一を決める武闘大会があるではないか」


 つい先日、第一回戦を突破したばかりだ。思わず苦い顔をしてしまう。


「旦那様は、既に参加しておられます」

「なんと? では、その顔はなんとしたこと。まさかお主ほどの腕があって、初戦で敗れたなどということは」

「いえ、そういうわけではないんですが」


 さるところからの情報提供。思わぬ食わせ者ってなんだ。

 第一回戦で、相手になった女戦士を普通に一撃で沈めただけなのに、どうしてあれがセクハラ認定されなきゃいけなかったんだ。


「では、何がそんなに不満なのだ?」

「単純に出たくなかったなぁと」

「はっはっは! 確かにな。今のうちは良かろうが、そのうち、強敵の相手をせねばならんからな」


 強敵の相手。ということは、ほとんどこれが説明のようなものだ。


「では、アーノさんは」

「うむ。この機会に天下一の腕を示そうと思ってな」


 ヒジリが頷いてみせた。


「なるほど」

「なるほど、とは?」

「アーノ、旦那様がいらっしゃるのですから、お前はよくて二番目ですよ」

「ほほう」


 彼は獰猛に微笑んでみせた。


「それは楽しみ」

「僕は楽しみにしてませんからね?」

「私は楽しみにしております」


 とんだ腹いせだ。ヒジリは俺の横で何食わぬ顔でそう言った。


「ところで」


 アーノは笑みを収めて尋ねた。


「なんですか」

「キースの奴は来ておらんのか?」


 虚を突かれ、俺とヒジリは目を見合わせた。


「そうか、顔も出しておらんのか」

「キースさんも、こちらに?」

「帝都の新聞を読んでおらんのか」


 言われてみれば、ほとんど目を通していない。普段、政治的な重要情報は、新聞より先にグラーブやベルノストから共有されるし、何か深刻な危機がある場合は、フシャーナやケクサディブが直接、相談を持ち込んでくるだろう。だから興味がなかった。


「最有力選手で、途中から試合に出るそうだ」

「そうだったんですね」

「あやつ、いまや世界最強の英雄などと書かれておったぞ」

「まぁ、間違いではないんじゃないですか」


 人形の迷宮の制覇、それにパッシャの首領を討伐となれば、もうそれだけで歴史に残る成果であると言える。

 その時、廊下にウミがやってきて、無言でさし招いたので、ヒジリはそっと中座した。構わずアーノは喋り続けた。


「それが気に入らんのよ」


 アーノは不敵な笑みを浮かべてみせた。


「もともと、お遊戯でしかない試合などに興味はなかったが、あやつが出るというのなら話は別だ。たまたま戦場に恵まれただけということを、ここで示してしまわねばのう」

「そんなものでしょうか」

「大森林に出向いた結果があれではな。その後の戦にも参加しそこねた。つくづく運がない」


 確かに、亜人討伐で名を挙げることもできず、ラハシア村で追い返され、そのせいでポロルカ王国でのパッシャとの決戦にも参加できなかった。あの時、あの場にアーノがいれば、どれだけ戦いが楽になったことか。その意味では、お互いに不運だった。


「でも、あれは本当に危険でしたし、今、生きてなかったかもですよ?」

「なに? では、私が戦の果ての死を恐れるとでも思うのか」

「いえ、そんなことはないのですが」


 彼は座布団の上で腕を組み、背筋を反らして大笑いした。


「この世に怖いものなど、何一つありはせぬわ!」

「それは結構なことだな」


 横合いから、耳慣れない低い声が聞こえてきて、思わず顔をあげ、それから俺は慌てて立ち上がった。


「お久しぶりです。このような、大変失礼を」


 急いで立ち上がる俺に、ワノノマの勅使は穏やかな笑みを浮かべ、慌てなくて良いと手振りで示した。


「ウィテ様、お会いするのは二年半ぶりでしょうか」


 ヌニュメ島に到着した日の夜、俺達を歓待した侍従、テリ・ウィテ。彼が今回の、ワノノマの特使を務めることになったのだ。初めて会ったときと同じく、彼は真っ白な服を身につけ、長い黒髪を耳の後ろで結い上げていた。


「ファルス様は、見違えましたな。しばらくお会いしないうちに、随分と立派になられた」


 彼は相好を崩して再会を喜んでくれた。

 しかし、さっき会話に割り込んだ声の主は、ウィテではない。そのすぐ後ろに控えていた別人だった。


「ヤレル様も、本当にお久しぶりです。いらっしゃるとは思いませんでした」

「いやいや、わしも勅使の方のお供に指名されるとは思ってもおらなんだ。あれから無事、スッケまでいらしたとのこと、兄より一切は聞き及んでおります」

「おかげで、スッケではオウイ様に歓待していただくこともできました。ありがとうございます」


 俺とヤレルの間では、険悪な空気など一切ない。朗らかな笑みを見せつつ、彼は俺との再会を祝した。

 が、それが終わると一転して、ヤレルはそこにいる悪童に叱責の声を浴びせた。


「それで、お前はなぜこんなところにおるのだ」

「む」

「む、ではない。む、では。さっさと立たぬか、この無礼者めが。身の程を弁えよ。ヒシタギ家の血を引くとはいえ、ヒジリ様からすればお前は陪臣の身に過ぎぬのに、なんたる振る舞いか」


 それでアーノは渋々立ち上がった。

 ヒジリはそれを見届けてから、ウィテに振り返って言った。


「ウィテ、別室を用意させてありますので、そちらへ」

「承知致しました」

「トエ、少し長いお話になりますので、先のお客様をお送りしなさい」

「はっ」


 なんとも居心地が悪そうだ。苦虫を噛み潰したような顔のアーノなど、滅多に見られるものでもないだろう。ヒジリはきっちり仕返しをしたようだ。


「ヒジリ」

「なんでしょう」

「アーノ……さんを送り出してくる」


 彼女は薄ら笑いを浮かべつつ頷いた。俺まで困らせるつもりはないらしい。


「では、先に参ります」

「済まない」


 三人を見送ってから、苦笑いを浮かべて立ち尽くすアーノに声をかけた。


「そこまで」

「おぉ、済まぬな」


 北東の表玄関から外に出ると、俺とアーノは二人して深呼吸した。


「くわばら、くわばら」


 そう言って、彼はまた苦笑いを浮かべた。


「怖いものはないんじゃなかったんですか」

「怖くはないが、なんとなく苦手なのだ。ヤレルだけはのう」


 首を振って、彼は俺に確認した。


「それより、お主、本当にヒジリの夫になったのか」

「まだ婚約者止まりで、確定してはいませんが」

「大変じゃのう」


 彼は俺の肩をポンと叩いた。


「よりによってヒジリとは」

「そんなにひどいですか」

「私なら、何が何でも御免被るところだな」

「でも、真面目で、頭もよく、美人で、血筋も最高と、完璧な女性だとは思いますが」


 手をパタパタと振りながら、彼は言った。


「いらんいらん。去勢されるようなものではないか」


 そこで彼は話題を変えた。


「ところで、こちらにはヒメノも来ているはずだが」

「ええ、今も寮で暮らしています」

「どうだ? あれからちゃんと刀を握っておるか」

「いやぁ……裁縫に夢中なんじゃないでしょうかね」

「やはりか。まったく、あれは武人の家の娘としての自覚が足りん」


 顎に手をやり、少しの間、思案に沈んでいたが、すぐ切り替えて、明るい顔で言った。


「今回の祭りには、他にもスッケから見物に来るのがおる。あやつに故郷の人々と会わせてやらねばな」

「そうですね。挨拶くらいは」

「連絡がつくのなら、お主から伝えてやってくれ。用事といえば、それくらいだったのだがな」


 言うべきことを言い終えると、彼は身を翻した。


「ではな」

「はい」


 軽く手を振ると、彼はそのまま、通りの向こうへと歩き去っていった。

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― 新着の感想 ―
アーノもキースも出場か。天下一武闘会になりそうですね(笑)
ヒジリも可愛いけど、エッチ先生はもっと可愛いですね
はぁー?ヒジリたん可愛いやろが何言ってるんだアーノ?そしてお前もかわいいぞアーノ
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