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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十章 千年祭
1040/1082

千年祭、はじまる

レビューをいただきました。

ありがとうございます m(_ _)m

 鉄の扉が控えめに閉じられる。その音が冷ややかに響いた。けれども、それは何の慰めにもならない。普段なら、ほとんど人のいないこの石造りの建物は、夏でも比較的冷たい空気に満たされているものだ。だが、今日だけは別だ。

 大講堂は、いつもと違って熱気と湿気に満たされていた。入学式の日なら、ここに集まるのは新入生がほとんどだ。だから余裕があったのだが、今回はほぼすべての学生を強引に収容している。立錐の地なしとはこのことで、この真夏の最中だというのに、斜めに立たなければ隣にいる人と触れ合ってしまうほどだ。今日ほど他人の体温、汗、吐息が耐え難く感じられる日はないだろう。

 熱源である学生達が詰めているせいで、空気自体がぬるくなっている気がするのだが、そんな中でも、少しはましな場所に座を占める人達ならいる。舞台の上にはいくつか椅子が置かれており、そこに学生達の代表が並んで座っている。

 建前こそ平等主義でも、実質的には身分制社会の延長にあるこの学園だから、その代表というのは、当然に揃いも揃って良家の子女となる。グラーブ、マリータ、アスガルを筆頭に、同級生からもコモとアナーニアが席を与えられていた。ただ、どういうわけか、末席にマホまで座らされている。

 学生も教員も、全員が息を詰めて、時が来るのを待っている。これだけ人がいれば、普通なら多少のざわめきはあるものだ。ただのセレモニーでしかないのだが、一回こっきりでやり直しがきかない性質のものだから、厳重注意が下されているのだ。中身などないと承知しながら、大人しく黙っているしかない。


 大講堂のドーム、その天井付近に取り付けられた鐘が、重々しく鳴り響く。正午になったら、打ち鳴らされると決められていた。そしてこれが、千年に一度のお祭りの開始を告げる合図だった。

 目の前のステージの教員席から、クレイン教授が立ち上がり、講壇に立った。


「帝都にて学ぶ若人達に告げます。世界の秩序が定まってより一千年、これを記念する祭典を執り行うことを、ここに宣言致します」


 どういうわけか、この場にはフシャーナはおろか、ケクサディブもいなかった。教員の代表が彼女だったのだ。


「帝都の目指すところは全世界の融和と協調、万人の救済です。ここにいる一人一人がその賛同者であり、協力者であることを私は疑いません。ですが、今日からはただ協力者であるにとどまらず、より主体的に、かつて皇帝が理想とした世界の完成を目指してください」


 すべてが建前、茶番でしかない。それでも、彼ら代表となった学生は、宣誓する。

 まず、教授に代わってグラーブが講壇に立った。


「こんにちは、学友達。記念すべき今日という日を君達と迎えられたことを、僕はこの上なく幸せなことと感じている。改めて言うまでもなく、この帝都は世界で最も平和で美しい街だ。ここを僕らの鑑として、いずれは帰る故郷を輝かせようではないか。今、この場にいることを許された若人の一人として、そうすることを誓う」


 万雷の拍手が降り注ぐ。だが、その言葉遣いをよくよく振り返ってみれば、言質は取らせないと言わんばかりだ。この場にいることを許された若人の一人として。きれいごとは学生の間まで。王子という身分、その責任を伴っての発言ではありませんと、暗に述べている。鑑として、という表現にしても、もしかしたら反面教師という意味合いが込められているのかもしれない。

 続いてマリータが講壇に立った。


「皆さん、帝都は一つの……新たな出会いの場です」


 彼女が語りだすと、大講堂は静まり返った。


「思うに、私達が何者かになる、変化を遂げるとすれば、それは出会いを通してしかないのではないでしょうか。少なくとも、私にとってはそうでした。思いもよらない出会いが、私を別人にしたのだと、今でもそう思っています」


 何の話をしているのか。みんな帝都の理想についての話だと思っているが、俺は意味を理解している。


「私達は日々、新たであらねばならないのです。かつてより、千年の時が過ぎ去りました。けれども、昨日まで、或いは今日までとは、明日は違うのです。私を知った人、私を知る人へ。明日の私は、また新たであることでしょう。ぜひ、耳目を向けてください。この記念すべき日々の間に、私はまた新たになることをお約束します」


 また拍手が降り注いだ。しかし、これは……

 なんかちょっと変なスピーチだったな、くらいの印象だろう。でも、前半が俺との思い出なら、後半も俺のための営業トークなんじゃないか。これから彼女は、ことあるごとに「横流し」されたコーヒー豆を大々的に用いてアピールすることになるのだから。

 乙女心を弄んでいるようで、なんとも胸が痛い。


 アスガルが登壇した。先の二人が制服を身につけているのに対して、彼はこの蒸し暑さにもかかわらず、故郷の服装で通している。


「喜ばしい日を共に祝おう。私が帝都にやってきてから、世界は大きく変わった。私達はより近しい存在になった。多くを説明する必要はないだろう」


 これは昨年、ティズがムールジャーン侯の称号を得て、世界秩序の一員に加わったことを意味している。アスガルを見て、そのことを察しないのは、頭空っぽの学生だけだろう。


「一つだけ。出会いによって得るところがあるのは、私達が互いに異なっているからだ。私は私があなたでないことに喜び、あなたが私でないことを祝うだろう。さぁ、この素晴らしい夏を共にしようではないか!」


 彼も攻めのスピーチをした、か。帝都の理想がどうあれ、そんな口先一つで我々の独立を、伝統を打ち崩せると思うな。そういう主張だ。

 それからも、生徒達の代表が順番にそれらしい言葉を述べていった。そして、最後にマホが講壇に立った。


「皆さん、私達が今、この一つの場所に集まることができているのは、帝都があるから、帝都の理想があるからです」


 いつになくか細い声だった。力を感じられない。表情も沈んでいるように見える。

 理由には事欠かない。過激な運動家だということがわかってくると、同級生もみんな、彼女からそっと距離を置くようになった。それにまた、あの場にはアスガルがいる。かつて彼女を監禁した恐ろしい人物だ。それがすぐ傍にいて、平静を保てる方がおかしい。

 ただ、それにしては、とも思う。クレイン教授が彼女をトリにしたのは、誰が何を言っても、最後には帝都の理想を賛美して、きれいにスピーチを終わらせてくれるからだろうに。


「私達が何者にもなり得るのは、何者であってもいいとするこの世界が保たれているからです。紆余曲折はありながらも、私達はその秩序を一千年間もの間、守り通すことができました。そして、次の一千年の間にも、これが保たれますように。ご清聴ありがとうございました」


 少し前の彼女なら、もっと鼻息荒く、声高に帝都の正義を叫んでいそうなのだが、何か心境の変化でもあったのだろうか? だが、俺はもう、彼女について、さほどの興味を抱いてはいなかった。


 普通は終業式が執り行われ、各学級に戻って前期最後のホームルームを済ませて解散となるのだが、今年は少し変則的に、千年祭の開会宣言が終業式を兼ねる形となった。この開会宣言は、帝都の至る所で、同時刻に行われたらしい。議会でも、時の箱庭でも、新設された新競技場でも、それぞれ代表が、正午を告げる鐘の音を待って、開会宣言をしている。なるほど、テレビ中継なんてできない世界だから、これはこれで合理的ではある。

 そうしてセレモニーを済ませた後、そこはやはり普通の終業式と同じように、教室に戻って夏休み中の諸注意をコモが代読し、一般の学生は解散となった。


 だが、教室の窓から見下ろして待っていると、学生が帰途につく一方で、一台の馬車が正門を潜って、校庭の縁を進みながらフシャーナの本拠である研究棟へと向かうのが見えた。というわけで、俺も階段を降り、そちらに向かうことにした。

 前もって伝えられていた通りに研究棟の鉄の扉を開け、すぐ左手の部屋に立ち入ると、そこにはもう、他のメンバーが勢揃いしていた。


「ギィ」

「遅いぞ、ファルス」


 ペルジャラナンに続いて、機嫌のよさそうなカディムが声をかけてきた。部屋の奥にはフシャーナが、そのすぐ隣にはソフィアが、反対側にはシャルトゥノーマ、ディエドラ、マルトゥラターレも席を占め、円卓を囲んでいた。

 入口に近いところに残っていた最後の椅子に俺が腰かけると、フシャーナは背中を丸めてテーブルの上で手を組んだまま、視線だけあげて俺をみた。


「たった今、簡単に話は聞いたところよ」


 溜息交じりに彼女は言った。


「人間の野蛮さにはキリがないのよね。話自体は事前に聞いていたから、知らないわけじゃなかったけど」

「教授がやったことではないですよ。人間だからって一括りにしなくてもいいでしょう」

「そうは言ってもね。治療するからこちらに協力しろだなんて、言える気分でもないわ」


 落ち着きなくテーブルの上を指でトントンと叩きながら、彼女はまた溜息をついた。


「問題は、治療法よね……目を薬で焼かれてるみたいだけど、資料を見る限り、かなり高度な治癒魔術を使わないと、元には戻せないと思われるのがね」


 ソフィアに視線を向けると、彼女も頷いた。


「部位の機能が完全に喪失してしまっているので、ただの傷を治すのとは違うんです。今、書庫で古代の術式を調べる件について、相談していたところでした」

「どうしても試行錯誤になる。時間もかかるし、現状では回復を約束もできない。そこは受け入れてもらうしかないわ」


 肘をついて腕を組み直し、フシャーナは言った。


「成功は確約できないのに、そちらからの情報提供はお願いしたい、ってことだから、正直、気分はよくないのよ」


 シャルトゥノーマが言った。


「だが、こちらが拒否できるわけもないだろう。ここは人間の世界で、私達は圧倒的に少数派だ。それに、仲間の目を治せる可能性があるのが、そちらだけとなれば」

「そうよ。それがわかってるから、なんだか私まで共犯者になったみたいでムカつくってこと」

「気にしなくていい」


 割って入ったのはマルトゥラターレだった。


「悪意もない。何かしたわけでもない。ごまかそうともしない。なら、知りたいということをちょっと知らせてやるくらいは、構わない」

「申し訳ないわね」


 そう言ってフシャーナは肩を落とした。

 大講堂で若者達が、形ばかり爽やかな笑みを浮かべて賛美する異文化交流とは大違いだ。現実には、怨恨や利害の衝突、無理解などが絡まり合う中で、いかに妥協するかの話だというのに。ただ、幸運にも、この場では互いの譲り合いが結果に結びつきそうではあるが。


「千年祭で、こちらの仕事も増えてるから、もしかすると秋以降にいろいろ予定がずれ込むことになりそうだけど、そこも許してもらえるかしら。どのみち、目の治療にもそれくらいはかかってしまうと思うけど。ソフィアも、神聖教国の教皇の養女って立場があるから、千年祭の間はあちこちに顔を出さないといけないことになるだろうし」

「気にするな」


 ディエドラが答えた。


「こちらも、言いたいことしか言わないつもりだ。間にファルスがいるのに、揉めることにはならない。気にしすぎなくていい」


 フシャーナは、それで謝罪を切り上げると、要求を口に始めた。


「じゃあ、お願いしたいことを伝えるけど、いいかしら。まず、書庫には一応、ルー語の資料もあるけど、統一時代のものなのよ。数百年は経ってるわけで、今、あなた達がやり取りする言葉とは微妙に変わっている可能性が高い。だから、現代の大森林の亜人、獣人が使う言葉を、改めて教えてほしいの。それを資料化して書庫に残したい。これが一つ」


 相手が頷くのを確認してから、彼女は続けた。


「それと、ペルジャラナンというんだったわね」

「ギィ」

「メルサック語、という言葉を知っているとか」

「ギッ」


 意思疎通はできていると判断して、フシャーナは最後まで言った。


「そちらについても、できるだけ教えてほしいの。ルー語と違って、こちらは書庫にもまったく資料がないし、これまで誰にも知られていなかったものだから。いいかしら?」

「ギィ」

「ありがとう」


 今日のところは顔合わせだけ。互いに同意を取り付けるための話し合いでしかないから、これでいい。


「じゃあ、具体的な話はまた個別に今度ということで」

「そうね」

「あ、そういえば」


 気になっていることがあった。


「ケクサディブ……オルンボサル教授は、今日はいらっしゃらないんですか? なんか、千年祭の開会宣言にもいなかったし、こっちもいないなんて」


 すると、フシャーナの表情がより曇った。


「この暑さだから、体調を崩したそうよ。いい歳だもの」

「そうですか。お見舞いとか」

「いらないと思うわ。そのうちまた戻ってくると思うから」


 それから彼女が席を立つと、全員が立ち上がった。ゾロゾロと部屋から出て行く。

 俺は出口のすぐ脇でみんなが出てくるのを待っていた。最後にフシャーナが出てきたのだが、彼女はそこで、制服姿の俺に、妙なものがくっついているらしいことにやっと気付いた。


「なにそれ」


 彼女が見咎めたのは、ネクタイピンだった。


「あ、これですか? 先日、オルンボサル教授からいただいたものですが、何か?」


 例のティルノックの事件の後、彼の自宅を訪ねた際に受け取ったものだ。装飾品の類には興味などないのだが、一度も使わずに腐らせるのもどうかと思い、今日は一応、記念式典の日でもあるからと、つけてきたのだ。

 だが、これを見ると、一瞬、フシャーナの目に熱い火が燃え上がった。


「……なんでもないわ」


 部屋に到着した時には曇り空くらいだった彼女の不機嫌は、もはや雷雨直前といった感じにまで悪化していた。

 何かあったのか尋ねたくはあったが、今は触れない方がよさそうだと判断して、俺は口を噤んだ。


 この日はそのまま帰宅した。

 そして、帝都二年目の夏休み、千年祭がようやく幕を開けたのだ。

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― 新着の感想 ―
ギィ
更新ありがとうございます! > 少し前の彼女なら、もっと鼻息荒く、声高に帝都の正義を叫んでいそうなのだが、何か心境の変化でもあったのだろうか?  マホの活動家レベルもまだまだ低いですね。 多分前の…
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