落ち着かない日
その日の朝、俺は縁側から、着々と準備が整えられていく中庭を眺めていた。
まず、四隅に木の柱を据え付ける。そこに二重に大きな布を結び合わせて、簡易的なテントとする。その作業はついさっき終わって、今はその下に仮設の板間のようなものを設置している。だいたい縁側と同じくらいの高さになるもので、木製のブロックを互いに噛み合わせることで組み立てる。ただ、あくまでこれは板間にしかならないので、来客の快適のために、そこに座布団を敷き詰めることになる。そして、縁側との接続通路も据え付ける。
要は真夏に催事があった場合の備えということだ。昨秋の立食パーティーでは必要なかったが、今の時期に同じことをすると、熱中症患者が続出しかねない。
「旦那様? まだ御一行がお着きになるまで、あとしばらくはございます。お休みになられては」
背後からヒジリの声が届く。だが、自室でダラダラしても、休まらない。
落ち着かない。手を動かしていないからだ。でも、それは理由の一部でしかない。
横から、フォモーイが駆け込んできた。
「急病人の対応準備、整いました」
「御苦労です。何かあるまで下がっていなさい」
「はっ」
なんとも気を張ることだ。季節柄、仕方のないことではあるが。
やっぱり、どうにも落ち着けない。
二日前の夜、学園から帰ってきてから、俺は知らせを受け取った。その日の昼に、ノーラとその一行が、ようやく帝都に到着したとのこと。それで早速、顔を見に行こうと腰を浮かせたのだが、彼女が旧公館に送りつけた手紙には「無用」と記してあった。
代わりに、やってほしいことが書き連ねてあった。それがこの会場設営だった。学園が休みになる日は、世間一般の仕事も休みになりやすい。だからノーラは、俺の友人、特にノーラと共通の知人を可能な限りこの日に集めてほしいと要求した。
彼女らしいというか、彼女らしくないというか。その両方だ。
ノーラは徹底した合理主義者だ。傍から見れば、冷徹という印象さえ与えかねないほどに。到着したその日に俺と会おうとしなかったのは、そんなことに時間を潰してなどいられないからだ。俺に出迎えられれば、その分、その他の行動が遅れる。一緒に食事をしたり、近況報告しあったりしているうちに、日が暮れてしまう。彼女はそれを嫌った。
帝都に留まれる時間は有限なのだ。それは彼女だけでなく、千年祭に合わせてここまでやってきた他の有力者や商人達についても同様だ。だから、彼女は一刻も早く、そうした交渉相手に対して、到着を知らせ、アポイントを取りつける必要があった。
そして、いったん連絡がつけば、あちこちに顔を出さねばならなくなる。彼女とて木石ではない。帝都にいるニドやタマリア、ルークには会いたい。だが、だからといって、今日は繁華街、明日はシーチェンシ区……とあちこち観光する時間が残る保証もない。だったら最低限の挨拶は、一日で纏めてしまいたい。後で余裕ができれば、のんびりするのもいいが、無理かもしれない。
そして、他の人にもそのようにするのだから、俺についてさえも、例外とはしなかった。ティンティナブラム城で俺の帰還を待っていたときであれば、本拠地にいたのもあって、前もって仕事を片付けるなどして時間の余裕を作ることもできたのだが、今回はそれが難しい。というより、そういう余裕はこちらが用意してあげるべきものなのだ。
理屈はわかるのだが、鼻白む思いがないでもない。子犬が尻尾を振るようには懐かない。そういう彼女だということは、よくわかっていたはずなのだが。といって、そのことにケチをつけられるほど、俺が身綺麗にしているかというと。彼女が領地の復興に励んでいる間、俺は世界一の大都会で高等遊民の暮らしをしていたのだ。しかも、いろんな女の子とデートを重ねながら。
ならば、それはそれとして、俺の方から何か、少しでも心尽くしを……と思ったのだが、今度はそれをヒジリから止められてしまった。
『旦那様は前日まで学業がおありです。その日は午前中から、延べ人数でおよそ三十人もの来客を迎えることになるのに、当日の朝からでは間に合わないでしょう。それに、毎度のように旦那様が出しゃばると、ミアゴアの立場もなくなるというものですよ』
こう言われては、もうどうしようもない。座って待っているしかないのだ。
それから間もなく、主賓の到着が告げられ、俺は縁側の奥の自席に落ち着いた。形としては、俺とヒジリがホスト側で、ノーラが招待客なので、どうしてもこうなる。トエが出迎えに行き、障子の前で来訪を告げ、それから俺とヒジリが立ち上がって迎える。なんとも他人行儀なことだ。
「遠方より、ようこそおいでくださいました」
「ヒジリ様、お久しぶりでございます」
俺をほっぽりだして、ノーラは余所行きの挨拶をした。
半年ぶりの彼女は、さすがにこの灼熱の季節を過ごすのに、領地で身につけていたような黒いローブは纏っていなかった。簡素な白いドレスを身につけているだけで、手には幅広の帽子を抱えている。
「ノーラ、お疲れ様」
「うん。ファルスも元気?」
「ああ」
あっさりしている。いや、これも余所行きの顔の一部ということか。それに、後ろに同行者達を待たせている。彼女は再びヒジリに向き直った。
「今日は作法を気にかけない集まりということにしていただいたということで、大変助かります。ありがとうございます」
「ノーラ殿、礼とは即ち真心です。作法に拘るあまり、真心が置き去りになるのでは、本末転倒です。本日は、何の気兼ねもなく、私どものもてなしを受けていただきたいものと思います」
ノーラの席は、俺の左隣に設けられている。庭の臨時席に留まるのは、主として下僕の身分にある人達、または後から参加する人達だ。そして、順番に挨拶したり面談したりする人が、接続通路を通って家の中に上がりこむ形になっている。
迎える側が腰を据えてから、障子を閉じ、他の来客を庭側の席に案内する。まずは彼らに軽食を供して、一休みさせてから、順番に挨拶にきてもらうという段取りだ。そういうわけで、こちら側も今のうちに軽食を片付けてしまわないといけない。襖を開けた向こうから、ウミが膳を持ち込んできた。
障子が開けられる。俺とノーラも前に出るが、挨拶するのはヒジリだ。
「皆様方、お忙しい中、ようこそ我が家にお越しくださいました。お会いできるのを心待ちにしておりました。できればじっくりお話をしたいので、大変恐縮ですが、こちらからお声がけして、一人、二人と広間の方にお招きさせていただければと存じます」
最初に呼ばれたのは、ストゥルンだった。
ストゥルンの服装が、以前とはまったく違う。南方大陸北西部の文化に合わせてか、目に優しくない極彩色の上着とズボンを身につけていた。
「これはまた、見違えましたね」
「お互い様では」
そういうと、俺達は笑いあった。
「少々遅くなりました」
「いえ、関門城からですから、最初の船に間に合わないのは仕方がなかったですよ」
クーは海沿いのキトにいたから、すぐハリジョンまで出向くことができた。だが、ストゥルンは奥地でギリギリまで仕事をしていたのだ。そして、クース王国を経由するあの道は、天候次第で泥濘になる。どうしても間に合わず、一人だけ別の船で追いかけてきたのだ。
「あちらの様子はどうですか」
「成果は半々といったところです」
俺だけが相手なら丁寧な言葉遣いはしなくていいのだが、目の前にはヒジリもいる。
「関門城付近には赤の血盟の兵士が見回りをしていますから、以前よりずっと治安もよくなりました。亜人や獣人を競りに出すこともできなくなりましたし、何かを持ち出すにしても、あの城門を抜けないといけません。今のところ、その手の商売はできなくなっています。といっても、奴隷狩り自体は禁止されていないので、まぁ……」
奥地の野蛮さは相変わらず、ということらしい。不法移民を拉致して売買するのは、以前と同様に公認されている。
「そういう事情もありますし、そもそも普通にケカチャワンを抜けるあの道が安全でもないので、相変わらずゴイも出ますし、ラハシア村との行き来さえ、簡単ではないです」
「そうでしょうね」
そもそも大森林の奥地まで辿り着ける優れた探索隊だって、そんなにはない。ゲランダンもペダラマンも死んだ。彼らの喪失を埋められるほどの人材は、まだ育っていないのではないか。ましてや、ラハシア村の向こうには、例の沼地もある。あれを抜けられるのは現状、ルーの種族とその仲間の人間だけだろう。
といって、ナディー川を遡行するルートはというと、こちらはこちらで簡単ではない。緑竜の棲息地域をうまく避けなくてはいけないし、ナシュガズの位置する高山地帯まで行き着けなくてはいけない。その上で、ナシュガズから北方への連絡通路が修復されていれば、やっとルーの種族の領域の南端に行き着ける。さもなければ、吹雪とグリフォンの群れが待ち受けているのだ。
「暮らしはどうですか」
すると、彼は両手を広げた。
「これまでの人生が何だったのか、というくらいに安らかな毎日でした。忙しいには忙しいんですが、命の危険を感じることもなく……ただ、鈍ってしまいそうで怖いですね」
彼の顔には苦笑が浮かんでいた。
「でも、しっかりしないとです。あれから結婚をしまして」
「そうだったんですか! 存じ上げませんでした。おめでとうございます!」
「つい四ヶ月前ですから」
とすると、新婚夫婦を引き離してしまったらしい。
「どちらの方ですか」
「ラハシア村の娘で、まぁ、あちらから見初めてもらった感じですね。母みたいに外の世界に興味を持っていた、というのもあるんですが」
「今回は連れては来なかったんですか」
「本人も行きたがってはいたんですが……シュライ語も怪しいので、見合わせになりました」
それは残念。ただ、ラハシア村から出てきたばかりで、いきなり帝都というのも刺激が強すぎるだろう。
「それで、さっき、少しだけ話をしたんですが」
彼が真顔になった。
「マルトゥラターレという方を、奥地に連れ戻す件」
「目が問題なんですよ。もうご存じだと思いますが」
俺も頷き、説明した。
「ちょうど帝都に治癒魔術の専門家がいます。そして、帝都にはそのための施設があるので、治療できないか試みてもらうつもりです。うまく治っても、この夏にいきなりというのもどうかと思うので、別途、準備を整えてからにするべきでしょう。場所が場所なので、僕も行かないというわけにはいかないと思います」
頷き合ってから、俺は言い足した。
「マルトゥラターレもこの後、呼びますが、先にお話をしておいてください。この館は、彼女にとって一族の敵の家です」
「さっき見たら、食事にも一切手をつけてませんでしたよ」
じろりとヒジリを見遣りながら、彼は応えた。
「では、そろそろ」
「ええ、お願いします」
これでは旧交を温めるのも半分だ。もう半分は仕事の打ち合わせみたいになっている。やっぱり落ち着かない。
あとで時間を作って、気楽に語り合える場を設けたい。そう思った。




