南方より星昇る
ここ最近、俺を悩ませているものがある。
「シッ!」
「ぐはぁっ」
憩いの場であったはずの旧公館の中庭。出かける前に一息つこうと縁側に出てみたら、このザマだ。
もちろん、時折は俺にとっての鍛錬場にもなった。それでも、ここの主はこうして縁側に座って、俺や郎党達の様子を静かに眺めているだけだった。
「たるんでいる!」
「はっ!」
それが今では、俺が見物する側で、血と汗と涙を流しているのは……
「次!」
「うごっ」
鈍い音が響いてきた。これはいいのが入ったに違いない。直撃を食らったタオフィがその場にうずくまる。だが、追撃者に容赦はない。
「げっ」
「苦痛に悶えている暇があるか! 隙だらけだ!」
しゃがみ込んだところにトドメの蹴りが突っ込まれる。
ディエドラの訪問が、ヒジリの中の何かを突き動かし、一線を越えさせてしまったらしい。それまで、衣装に合わせるべく、黒髪を伸ばし続けていたのだが、それが出会った頃と変わらないくらい、セミロング程度の長さにバッサリ切り詰められた。そして、服装も変わった。昨年は、夏でも暑苦しい打掛を羽織っていたのが、ウミと同じく簡素な和服のようなものに変わった。そして、体を動かすときには、藍色の作務衣を身に着ける。
「早く立て!」
「は、はっ……」
お出かけの前に、休日の朝を静かに過ごそうと思っていたら、これだ。もうすぐ昼で、そろそろこの場を後にしなければならない。まったく落ち着かなかった。殺伐とし過ぎている。
これまでも、俺の目の届かないところで鍛錬自体は続けていたのだろうが、それをまったく隠さなくなった。心境の変化ということなのだろうが、いったい何がどうしてこうなったのか。
結局のところ、海の彼方からやってきた騎士に一目惚れしたお姫様、というお芝居の賞味期限が、完全に切れてしまったのだろう。例えば先日の、学園が狙われたあの事件では、ヒジリは学生に偽装して犯人に狙われようとしていた。いざとなれば自分の武力で、凶悪犯ごとき、やすやすと制圧できると踏んでのことだ。
そもそも、俺という危険人物の監視要員であるという事実は、既に昨年の段階でも明らかにしてしまっている。取り繕うことの意味を見出せなくなったのだろう。
しかし……
「よし。今が平時であるからといって、気を抜くな。ここが最前線と心得よ」
「ははっ」
俺の目の前で、いきなりこんなおっかないキャラに変貌しなくてもいいのに。どういうメリットや意味があって、こうなったのか。
「旦那様」
「は……はいッ!?」
いきなり声をかけられて、背筋が伸びる。
「昨冬の一件もありますが、やはり、我が家の郎党どもには、気の緩みがあるようでございます」
「は、はいっ」
何が言いたいのだろうか。
「ここは旦那様が率先して、武人の鑑たる姿を見せていただけないものでしょうか」
というと? 俺に何をさせたいのだろう。
「来たる千年祭の武闘大会、そこで旦那様の武名を轟かせてみてはいかがでしょう」
「そ、それは、ちょっと」
興味もないし、申し訳ないので、やりたくない。
「おや、何がお嫌なのでしょうか」
「逆にどうしてそんなところに」
名目は、気の抜けた家臣どもに、主人自ら武威を示して、日々の鍛錬に励ませるということだが……さて、では、ヒジリにとってのメリットは、なんだろうか?
「人の上に立つ者、殊に旦那様はその武功によって今の地位にあるのですから、その力を示すことに意味がないなどというのは、さすがに考えられないお話ではないかと思いますが」
建前しか喋ってない。これでは何が何だかわからない。
「いや、しかし、武技というのは非常時に備えて、世間相手には伏せておくべきものということも言えるわけで」
「泰平の世における武とは、民草の安心の拠り所となる点に、その値打ちがあるのです。隠しておくことのありがたみは、それほどでもございません」
口先だけのディベートなんか、いくら続けても意味がない。
「ご安心くださいませ、旦那様」
「なにが」
「旦那様は大変に慎み深いお方、自ら力を見せびらかそうとはなさらない。ですから、私が代理の者を送って、旦那様の出場を届け出ておきましたゆえ」
「はぁっ!?」
勝手に、なんてことを。
俺は武闘大会なんかに出たくはない。だいたい、モーン・ナーの呪詛によって得た力で暴れまわるって、反則同然じゃないか。無論、命懸けの殺し合いなら、きれいごとで済まないのは仕方のないことだし、俺も手段は選ばない。でも、武闘大会はお祭りのイベントであって、栄光を求める一般人が大勢集まる場でもある。彼らの努力を、どうして俺のイカサマで踏みにじらなければいけないんだ。
手を伸ばし、ヒジリの肩を引き寄せた。そして小声で囁く。
「何が目的だ」
合理的な必要でもあるのかと思いきや……
「腹いせです、旦那様」
「はいぃ?」
「私ともあろうものがいながら、あちらでもこちらでも……ずっと窮屈な思いを我慢してお側におりましたのに。それなら旦那様も、何か一つや二つ、面倒事を抱え込んでみたらいいのです」
そんな理由で? まるで子供じゃないか。
だが、どうもそれが彼女の本音だったらしく、言うだけ言うと、ヒジリは身を起こして郎党達に振り返った。
「では、マツツァ、タオフィ。お前達はこれから素振り千本……」
そう言いかけたところだった。
「お取込み中のところ、申し訳ございません」
トエが駆け込んできた。
「旦那様、お時間のないところではございますが、お客様が」
「誰か」
「南方大陸、アリュノーの商人、ワング・ケタマカンと名乗っておいでです」
では、彼も今日、到着したのか。
「時間はないけど、会おう。こちらへ」
搾られていたマツツァやタオフィからすれば、これはもっけの幸いだったろう。客人が一階の客間に通されるのに、そこで素振りなんかさせられるわけがない。そもそも、タオフィの顔には、さっきの練習試合のせいで、痣ができている。
障子は開け放たれ、俺とワングが向かい合って座れるようにと座布団が置かれた。時間もないので、俺は廊下に立って彼を迎え、作法も何もなく、居室で腰を下ろした。そこへファフィネとタウラがやや慌ただしい様子でやってきて、俺とワングの目の前にお茶を置いていった。
「遠いところからよく来てくれました」
「なんのなんの、大事なお得意様のところだからネ、到着したらまず寄るのは当たり前ネ」
相変わらずらしい。宿を取ったらすぐこちらへと駆けつけてきたのだろう。そこにある打算まで読み取っておかないと、彼みたいな人間とは付き合えない。取るものものとりあえず、いの一番に参上致しました、といえば、いかにもあなたを大事にしていますというアピールにも見えるのだが、これにはもう一点、裏のニュアンスもある。貴人のスケジュールは自由にならないのが普通だが、彼はそこに割り込んでみせたわけだ。そして、一度例外を許せば、次もとなる。
「それより、商売の話ネ」
「ああ、えっと、これからもうすぐ僕は、アスガル……赤の血盟の公館に顔を出さないといけないので、あまり時間がありません」
「おぅ、忙しいネ!」
と言いながら、腰を浮かせる様子もない。言いたいことは言い切ってしまいたいのだろう。俺も聞いておきたい。
「少しなら時間があります。手短に」
「豆は売れてるのかネ」
「厳しいです」
やっぱりその話題か。
「ウチもこの取引に一枚噛ませてもらってるから、売れれば儲かるけどネ、売れなかったら手間の分だけ丸損ネ」
「対策は考えてあります。流行させるのに、それなりの地位にある人を使う手筈は整ってます」
「誰ネ」
「シモール=フォレスティア王国の姫、マリータ王女です」
この人選に、彼は眼を見開いた。
「どうやったネ」
「そんなことより、これは基本的に秘密です。わかりますね。どっちの立場も悪くなる」
「じゃあ、どうやって売るネ」
「あなたが売るんです。独断で」
また彼は、顔を歪めた。
「利益のためにあなたを裏切ったフリをしろということネ?」
「さすが、呑み込みが早いので助かります」
「切り捨てられたりはしないネ?」
「ワングさんほど便利な人が他にいれば、それも悪くないのですが」
すると、彼は口角をあげた。
「紹介状でもなんでもいいから、私があちらの人に挨拶できるように手回ししておいてほしいネ」
「承知しました」
「ちゃんと考えておいてくれていたのなら、一安心ネ。準備が無駄にならずに済みそうネ」
彼は、出されたお茶に手を伸ばすと、一気に中身を飲み干した。
「それじゃ、行きましょうかネ」
「おっと、一緒にいらっしゃるつもりですか」
「お供ネ!」
やれやれ、だ。せっかくの機会だから有力者と繋がっておきたいのはわかるが、まったく彼らしい。
「昼食会ですよ。ワングさんの席はないかも」
「お腹空いても我慢するネ」
そうまで言われては、追い返すわけにもいかない。苦笑するしかなかった。
間もなくやってきた馬車に二人して乗り込むと、俺達は帝都東部の、アスガルのいる館へと向かった。
「よく来てくれた」
足下には南方大陸産の茣蓙。その上に、サハリア産の座布団が置かれている。直射日光の差し込まない広間からは、中庭の噴水が見える。そこから外の風が吹き込んでくるのが、この屋敷において提供できる、最高の涼なのだ。
そこで彼は、俺の後ろにくっついてきた人物を見たためか、余所行きの顔でそう挨拶した。彼の左右には、俺の二人の知り合いが立っていた。その片方は、本来ならここに同席させてもらえるような身分の人間ではない。
「済みません、アスガル様」
俺は後ろに立つワングを紹介しないわけにはいかない。
「アリュノーの商人、ワング・ケタマカンです。偶々ついさっき、うちまで来てしまいまして」
「構わない。ファルスの身内なら、ここは我が家と変わるまい」
使用人が出てきて、俺とワングの座る座布団を置いていった。
「では改めて」
全員が着席したところで、まずはアスガルの左手に座を占める、橙色の長衣を纏った人物が話しかけてきた。
「これは見違えた……よもや私のことをお忘れではあるまいと思うが」
「もちろんです。お久しぶりです、ハーダーン様」
俺の呼びかけに、彼は苦笑した。それも仕方のないことだ。初対面の時に、俺がどういう振る舞いをしたか。お前呼ばわりした挙句に「俺に従え」だ。それが今では「ハーダーン様」なのだから。一応、タフィロンを陥落させた後では、俺も丁寧な言葉遣いをしていたが。
俺が成長したこの四年間で、彼は少し老け込んだのかもしれない。もう四十にもなるのだ。そして、この世界では、人が老いるのは早い。まだ髪の毛の全体は黒いのだが、もみあげにはうっすら白くなったところが見える。日焼けした肌にも、皺が増えたようだ。
「是非ともお会いしたかった。一度、お時間のある時にまた、今、おいでの屋敷までお伺いしてもよろしいか」
「人が我が家に帰るとき、誰に断りを入れるというのでしょう?」
サハリア風に返事をすると、彼は笑みを深くした。
だが、それだけで、反対側にいる少年に挨拶する機会を譲ることにしたらしい。
「見違えたのはファルスだけではないらしい」
アスガルが、少し楽しそうに言った。
促されて、右手に座っていた少年が床に伏して、それからまた顔をあげ、俺に挨拶した。
「ご主人様」
さすがの彼も、思うところがたくさんありすぎて、すぐに言葉が出てこなかった。
「カークの街でお別れしてより三年、受けた御恩を忘れたことはございませんでした」
「そんなに畏まらなくてもいい。立派に育ったと聞いて、嬉しかった」
シックティルが黄金に喩えた少年、クー。だが、確かに彼は、そのように表現されるだけの人物に育ちつつあった。
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クー・ハータラ (13)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク6、男性、13歳)
・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力
(ランク5)
・スキル シュライ語 7レベル
・スキル フォレス語 6レベル
・スキル サハリア語 6レベル
・スキル ハンファン語 5レベル
・スキル 管理 4レベル
・スキル 商取引 5レベル
・スキル 薬調合 4レベル
・スキル 精神操作魔術 5レベル
・スキル 火魔術 3レベル
・スキル 水魔術 3レベル
・スキル 風魔術 3レベル
・スキル 土魔術 3レベル
空き(0)
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言語スキルが尋常でなく伸びている。それと管理スキルが伸びているところからして、シックティルの下で、官僚の真似事を仕込まれてきただろうことが窺える。それと、もともとあった商取引スキルも成長しているが、薬調合スキルに加え、更に四属性の魔法も、そろそろ初級者とは言えないくらいの水準に達しつつある。
異常なのは、その成長速度だ。あれからたった三年しか経っていないのに、管理スキルが4レベル。普通の人なら十年はかかるところを、たった三年。それも、それだけに専念したのでもなく、魔術や、恐らくはそのために必要とされて習得したとみられる薬調合スキルまで、およそ常識では考えられないほどの速度で習得している。
なんとも、女神は不公平だというしかない。武術に関しては、どれほど鍛えてもまったく成長の兆しもなかったのに、学問や魔術となると、まるで底なし沼のようではないか。このままの勢いで成長し続けたら、なるほど、数年後には君主の懐刀として、申し分ない人材になる。ポロルカ王国の王衣にも引けを取らないだろう。
こんな風に一気に進歩するとなると、別れる前に病原菌耐性のスキルを抜いておかなかったら、成長を阻害していたかもしれない。空き枠の心配をしておいてよかった。
「こちらは、今日、ファルスが引き取って、屋敷か、別邸の方に連れて行くことになると聞いているのだが」
「そうです」
「よかった。そうしてくれると一安心だ」
一安心? おかしな表現だと思ったのだが、顔に出たのだろう。
「いや、なに、シックティルのところで養育されてきたというから、どれだけ学んだのかと思って、試みるつもりで話しかけてみたのだが」
クーの顔を横目に見て、アスガルは小さく首を振った。
「一言やり取りするごとに冷や汗が出た。話せば話すほどに、むしろ己の無知をさらけ出すことにしかならん」
「申し訳ございません」
クーは床に手をついて謝罪した。
「私が未熟だからでしょう」
「なぜそうなる」
「才気走るような傲慢さは遠ざけねばなりません。君臣ともに災いを招くばかりです」
俺はゆっくりと首を振って笑った。
「クー、それは君主を甘やかしすぎだ。アスガル様は、その辺の凡庸な貴公子と違って、己を省みることができる。主人の感情まで管理する責任は、下僕にはない。いや、主人が感情の管理を下僕に委ねて、そのことに気付けなくなったら、それはそれで危うくもある」
「はっ」
「恐ろしいな」
アスガルは自分の首元をぴしゃぴしゃ叩きながら、苦笑した。
「そのうち、自分が気付かないうちに、臣下に操られておるやもしれんな」
「アスガル様、ご心配はご無用にございます」
「なぜだ」
「何よりまず、私の主人はファルス様であるということがございますが」
床に手をついたまま、顔をあげて、彼は言った。
「そのようになったとしても、決して悪いようには致しません」
これには、アスガルもハーダーンも大笑いするしかなかった。
「これは愉快だ。しかし、この先は、そろそろいい時間でもあるし、とっておきのご馳走を味わってもらいながらにしよう」
そういうと、アスガルは手を打って下僕達を呼び寄せた。
人から電撃大賞に挑んでみないかと言われ、慌てて書いたものがあるので、こちらで告知します。
よかったらどうぞ。
https://kakuyomu.jp/works/16818622172569304740
正直、時間的余裕もなく閃きにも恵まれなかったので、そんなに面白いものになったという気はしません。
一次選考も突破できないかも、と思っています。
ただ、一応完結する内容で書き上げてはありますので、お暇でしたら。




