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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十章 千年祭
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タマリアの職場にて

「以上、諸注意となる。判断に迷った場合は、必ず保留すること。私まで問い合わせてほしい。問題が起きた場合は、なるべく早めの報告をお願いする」


 昨夏の社交の準備の時と同じように、グラーブは学生達を公館に招いた。千年祭に備えた内々のミーティングだ。

 今回、学生達が保養地に向かうことはない。そこは海外からの来客が利用するからだ。各国の大使や要人が一時的な住居とするのだ。そして催事の大半は、ラギ川南岸に新設されたイベント会場で執り行われる。よって学生の多くは、昨年と違って、接待のために立ち働く必要はほぼない。但し、それでも警戒は必要だ。いつの間にか、どこか誰かの立場を代表して約束事をしてしまいました、なんてことになったら、後始末に大骨を折ることになる。

 一方、学生を組織する必要がそこまでないという点で、今回、グラーブは問題回避を許された。実務の多くを担ってきたベルノストを外した件について、代替手段が用意できているということはなく、もし昨年のような社交を展開しなければならないとしたら、かなりの苦労が降りかかったことだろう。


「とにかく迷ったら連絡すると、それだけだ。私を煩わせることを恐れないように」


 誰が噂したのか、君臣の不和は少しずつ、学生達の間でも話題にのぼりつつある。ただ、評価はまちまちだ。案外、後ろ向きな声ばかりではない。幼少期からの付き合いのある側近といえども特別扱いはしない、という点で、彼に公平さを見出した人もいる。そこには、自分も結果を出せば殿下に見出してもらえるかも、という期待もあるのだろう。グラーブも、何も考えずに感情的に振る舞っているのではない。とはいえ、これは現にベルノストが身の程を弁えて、人の耳目のあるところでは一切、不平を口にしていないのも大きいのだが。

 その意味で、グラーブは自らの権威を高めることには成功した。と同時に、周囲の者達からすると、やや近寄りがたい主君にもなってしまった。そのことにも気付けているのだろう。だから言葉の上では、下々に寄り添うようなニュアンスが強くなる。だが、小手先で君臣間の距離は縮まらない。


「何か質問は……特にないのなら、今日は解散だ。いつもありがとう」


 その一言で、俺達は席を立った。ここは気遣いを要する。グラーブの公平さが認識されるというのは、ベルノストの評価がその分、下がるのと引き換えだ。事情を知りながら、泥をかぶらされている彼に配慮しないなんてできっこない。俺は彼と一緒に、出口付近に陣取っていた。先に彼を出し、その後にすぐ俺が続く。


 どんな君主を目指すかは、グラーブが彼自身の責任で考えることだ。その選択肢の中には、特別に親しい誰かをもたないやり方というのもある。一方で、信頼できる側近に、重要な仕事を大きく委ねるというやり方もまた、存在する。それぞれ一長一短はあろうが、問題は、それが本人の置かれた状況に適しているか、そして、本人のその器があるかどうか、だ。

 俺の前に立って退出しようとするベルノストが、無表情のまま、一瞬だけこちらを顧みた。気を遣われていることに気付かない彼でもない。婚約者のカリエラからしてあんな態度だったのだし、その内心は推して知るべしだ。


 公館を出てみると、既に時刻は昼下がり、うだるような暑さ、群れなす熱風が俺達を出迎えた。今年は、暑くなり始めるのがちょっと早い。


「そういえば、どちらにお住まいなんでしたっけ」

「そう遠くない。このまま、まっすぐ南だ。例の商店街の中にある」


 苦々しげな表情のまま、低い声で吐き捨てるように言った。彼とて気分が悪くないのでもない。そして、気遣われていることにも苛立っている。


「あ、いや」


 忍耐はしても、基本、プライドは高いのだ。頼られるのは許せても、憐れまれるのは我慢なるまい。


「タマリアはうまくやっているかなぁと」

「ああ」


 ベルノストの顔が少しだけ緩んだ。彼女のことを尋ねるということは、俺が頼る側、目下の人間であるという意思表示だ。彼も若干、冷静さを取り戻したのだろう。


「真面目ではあるし、頭も悪くない。それに、底抜けに明るいな」

「そうでしょうね」

「ただ、食事は外注にせざるを得なかったが」


 俺は目元を覆った。


「なんだか申し訳ない」

「ん? 別に構わん。どうにもならんほど困っているのでもない。掃除と洗濯だけでもしっかりやってくれれば。それより」


 彼は俺に向き直り、眉根を寄せながら言った。


「あれはどういう教育を受けた女だ?」

「と言いますと?」

「料理は完全に素人、針仕事も一応できなくはないが、フォレスティアのその辺の女と比べたら、まぁお粗末なものだ。そのくせ、読み書き計算ばかりは得意という。貴族向け、商人向けのそれぞれの字体も書き分けられるし、買い出しその他を任せていたら、月末に報告書と出納帳を持ってきたぞ? あれは、男として育てられたのか?」

「あぁ、えぇと、うん、まぁ」


 考えてみれば、最初はミルーク、次はサラハンと、生まれの親以外で彼女を指導した人達というのが、みんな商人だった。本人の資質もあるのだろうが、少々変わった方向に発達してしまったのかもしれない。


「まぁ、本人なりにしっかりやってくれてはいる。せっかくなら、顔でも見ていくか」

「そうですね。僕としてもお願いした責任もありますし……」


 そう言いかけたところで、視界の隅に人影が映った。


「お疲れ様でした……これから、どちらかへ行かれるのですか?」


 声をかけてきたのは、リシュニアだった。


「殿下もお帰りですか」

「ええ。あなたもお帰りということなら、そこまでご一緒させていただこうかと思いまして」


 これは、つまり気配りしていたのは俺だけではなかった、ということだろうか。ただ、グラーブをサポートするためなのか、彼女自身の利益を求めてなのかは、何とも言えないところだが。


「そうですね。少し前に物騒な事件もありました。ご一緒した方がいいでしょう。いえ、お一人とは思わず」

「今はもう、安全だとは思いますけれども、そうですね、用心はした方がいいですね」


 そうして、俺達は三人で高級商店街を南に歩いた。


「お帰りなさい! ご飯にします? お風呂にします? それとも……あれっ?」


 明るい声のお出迎えに、ベルノストはげんなりした顔になり、俺は目元を覆い、そしてリシュニアは腰を折って口元を抑えて、なんとか品位を保とうとしていた。


「……タマリア」

「あっ、ファルス、来るとは思わなかったよ」

「いっつもこんなノリか」

「う、うん、まぁね」


 どんな顔をしたらいいかわからないながらも、口元を引き攣らせながら、俺はなんとか言った。


「ベルノストは、僕と違ってれっきとした貴族だから……」

「わ、わ、わかってるよぉ」

「来客があった時に、うっかりしてると……」


 溜息一つ。


「いい。別に正式な会合とか、何か予告していたわけじゃない」


 俺は一応、紹介した。


「こちら、リシュニア王女……」

「おう、じょ?」

「自分の国の王様の娘」

「えっ」


 振り返ると、プルプルと小刻みに震えながら、リシュニアは表情を落ち着かせていた。


「お初にお目にかかります」

「ええっ、いえいえ! 楽になさってください!」

「逆だろ」


 俺は白目を剥きながら天を仰いだ。


 それからしばらく、居間のソファに三人で座って、ローテーブルの上の紅茶に手を伸ばす頃になって、やっと少し落ち着けた。


「申し訳ないことです」

「そのような。私の方こそ、お詫び申し上げなくてはなりません」


 ベルノストはリシュニアに、彼女も彼に、それぞれ謝罪をした。自分の不甲斐なさからグラーブに距離を置かれていると感じているベルノスト、その扱いを不当なものと受け止めているリシュニア。意味はわかるのだが、しかし、中身のない話だとも思う。


「どうするべきかの話だと思いますよ」


 俺が白けた調子でそう言うと、二人とも首を振った。


「できることはない。殿下が一概に間違っているとも言えない。王者は無謬であるべきだ」

「いざとなったら、なんでもありなのはそうなんでしょうけれども。去年のあれが、忠臣を使い捨てにするほどの大事件でしょうかね」

「私が口添えできればいいのですが」


 逆効果だろう。だが、そうなるとベルノストとしては手詰まりになってしまう。こういうところが、グラーブの未熟さなのかもしれない。公平、公正な孤高の王という像に問題があるわけではないが、実のところ、大勢の人々に担がれる神輿だからこそ、王は王たり得る。特別な地位から蹴り落としたベルノストに挽回の機会を与えることもまた、必要なのだ。さもないと、今度はその他の配下達も疑心暗鬼になる。けれども、実際にそうしたいと考えていたとしても、グラーブの側にも、そのための手札などないのだ。

 次代の王としてのプレッシャーゆえだろうか。近頃、特に余裕のなさを感じさせられる。


「力尽くでやってしまってよければ、なんとでもなるんでしょうが」

「おい」

「やりませんよ。別に貴族の地位に未練はないんですが、身内に迷惑がかかるのが怖いので」


 とはいえ、イライラさせられる件ではある。


「僕からすると、殿下は機能してないも同然ですからね。スッキリ片付けたくはあります」

「と言いますと」


 俺のやや乱暴な言葉に、リシュニアが反応した。


「いえ、その……春先にコーヒーというものを飲んでもらったかと思うんですが」

「ええ」

「あれを千年祭に合わせて、大々的に売り出そうと……南方大陸の物産なんですが、加工はティンティナブリアでしておりまして。領地を復興させる上で、目玉商品の一つにしようと考えているんですが、これがなかなかうまくいかず」

「まぁ」


 グラーブにもう少し余裕があれば、広告塔になってもらうことも検討できたのに。

 ベルノストが割って入った。


「あれは、面白い香りだとは思うが。どうやって売るつもりだ?」

「最初は高級品として売り出したいんですよ。わかりますよね? 身分ある人が好んで味わうもの、となれば、下々も先を争って買い求めるものです」

「なるほど。それで」

「流行を起こすなら、まず帝都から。それが一番いいと思うんです。言っておきますけどこれ、僕にとっては四年越しの計画ですからね」


 顎に指を当てて、リシュニアは少し思考の淵に沈んでいた。だが、その長い髪を掻き分けながら、顔をあげる時には、その眼差しにはっきりとした意思が浮かんでいた。


「ファルス様、その、コーヒーというものを、どうしても売りたいですか?」

「どうしても売りたいですね。というより、広めたいです」


 近くは身近な人々や領民を富ませるため。遠くは世界に未知の味を広めるため。俺自身の栄光みたいなものより、ずっと価値のある大事な仕事だ。


「手段を問わないというのなら、私に心当たりがございます」

「そうなんですか!」

「一応、まだ成功を確約はできないのですが、少しお時間をいただけますか。効果的な宣伝をしてくださるだろう方に、御助力をお願いできるかどうか、話し合ってきますので」

「それはどなたですか」


 けれども、リシュニアはゆっくりと首を振って微笑むばかりだった。


「私にも、いろいろ思うところがあってのことですよ。まわりまわって、兄にもいい薬になるかもしれないお話です。でも、そこまで自信があるのでもないですから、少々お待ちいただきたいのです」

「わかりました」


 彼女の側にも都合があるのだろう。構わない。いざとなれば、リシュニア自身も広告として……だが、社交の中心を担わないであろう彼女にどれだけの宣伝効果があるかとなると、それはそれで、なんとも言えないところがあるのだが。この世界、テレビもインターネットもないのだから、美貌の姫君だからといって、単純に拡散力があるというのでもない。


「それより、ファルス様」

「はい」


 リシュニアは、謎めいた笑みを浮かべて、静かに言った。


「たまにはムトゥルクと遊んでやってくださいな」

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更新ありがとうございます! > その選択肢の中には、特別に親しい誰かをもたないやり方というのもある。一方で、信頼できる側近に、重要な仕事を大きく委ねるというやり方もまた、存在する。 タンディラール…
タマリアは、実はドリフ見てた世代の転生者じゃね?w
タマリアかわいいね
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