黒い友情
料理の魅力は、その味わいだけにあるのではない。灰色の皿の上には、白く透き通った千切りの上に、赤、緑、薄い黄色、それに淡い桃色と、宝石をちりばめたような彩りが映えていた。その皿を目にしたアルマは少々不快そうな表情を浮かべていたが、俺はといえば、こんなところでこんな品に出会えるとは思っておらず、軽い驚きをもって、ただ目を見開いていた。
「遊ぶって言ってもね」
ランディは肩を竦めた。
「一応、武闘大会の入場券は人から貰ったのもあるし、見に行こうとは思うけど、そんなに楽しめるものかな。あれでしょ、大闘技場なんか、上の方の席から豆粒みたいなのが戦ってるのを見るだけなんだろうし」
「それは決勝戦の話で、予選の方はもっと小さな会場でやるから、そっちのが臨場感を味わえると思うよ」
コモの答えに、アルマは首を振った。
「やだなぁ、それはそれで、なんか、だって痛そうじゃん」
「まぁ、木剣とかで叩き合うだけでも、打撲傷になりそうだし」
彼らが語り合っている中、ゴウキは淡々とフォークを皿の上の野菜に突き刺し、口に入れている。
去年はほとんど見かけなかった食材が入ってきている。週末は市場に出かけてみるのもいいかもしれない。これもきっと千年祭の影響に違いないのだ。
「打撲で済めばいいけどな」
ギルが真顔で言った。
「まぁなぁ」
ラーダイも同意する。
「一応、練習試合だってことでお互い、うまーく手を抜いてるなら、そうそうひどい怪我はしねぇけど、あれだろ? 世界一の座をかけての本気の試合となりゃ」
「骨折くらいは普通にしそうだな」
コモは涼しい顔で言った。
「出場する人は大変だね」
武闘大会だが、個人の部と三人組のチーム戦の部とがあるらしい。ルール上では両方に出場することも可能らしいが、そうする人はほとんどいないのだとか。それはだって、個人戦で怪我をしたら、チーム戦の方で仲間達に迷惑をかけることになる。
既に出場者の募集は始まっているらしいが、俺としては、そんな催しに興味などない。だが、料理大会の方にはエントリーした。これから一ヶ月、いろんなアプローチで上を目指すつもりだ。
「ねぇ」
たまりかねてアルマが尋ねた。
「それ、なに?」
「珍しいですよねー」
俺が口を開く前に、フリッカが言った。
「熟する前のパパイヤが帝都に持ち込まれるなんて、なかなかないですよー」
「なんかニンニクが生で入ってるんだけど」
そういうことか。アルマがイヤそうな顔をしていたのは。だが、俺としてはポジティブな受け止め方しかない。
「ティンプー王国辺りから、急いで運んだのかもしれないけど、保管状態に気をつけても、うまく日持ちさせて二週間くらいだから、帝都に届いたらすぐ食べるくらいじゃないといけない。よく運んだなぁと感心してるよ」
「故郷の味」
ゴウキが言葉少なに言った。
青パパイヤを主体としたサラダ。それに鶏肉を焼いたものが添えられている。
「臭い、残らない?」
「食べ合わせ次第」
彼の目の前には、他にキノコとヨーグルトの小皿があった。
「礼服を着てるってことは、今日はこれから偉い人に会うんだろ? ちゃんと考えて食ってるって」
今日のゴウキの服装は、制服ではなく、ゴキブリコスチュームだったりする。つまり、ポロルカ王国の要人と顔合わせすることが決まっている。
「ビルムラール様と会うとか?」
すると、彼は首を振った。
「ジーヴィット将軍。陛下の名代で千年祭に来る」
「えっ」
それは知らなかった。といっても、事前にビルムラールに確認しておけば、知り得たことだったが。
四年前のラージュドゥハーニーの混乱の際に、王族が次々と命を落とした。その影響だろう。ドゥサラ王はまだ若い。代理で帝都に顔を出せる王子はいない。イーク王太子が死ななければ、スペアが三人もいたはずだった。というより、留学中のチャール王子がその役目を果たしていたはずだった。
とはいえ、ジーヴィット将軍という人選になるとは。確かに、ドゥサラが王都を後にして一ヶ月もお祭りに参加するというのは難しいし、宰相のバーハルはもう高齢だ。外交を主に受け持っていた黄の王衣の家は、バフーがバカをしでかしたせいで壊滅しているだろうし、その他、内府の王衣達も同様なので、他に送り出せるのがいなかったというのは、そうなのかもしれない。とはいえ、ジーヴィットの家格は高くない。騎士身分なので、貴族ではないのだ。その気になれば、バンサワンのような貴族を使節団の代表に据えることだってできたはずなのだから。そうすると、やはりポロルカ王国として、含むところがあっての帝都軽視の姿勢ありきの選択ではないか、と勘繰ってしまう。
「じゃあ、そのうちに挨拶しないといけないかな」
「お前、本当に世界中に知り合いがいるんだな」
ラーダイが呆れたように言った。
「女だけでなく、男とも幅広く繋がっておく。すると女にも不自由しない、か……」
そして、一人納得していた。
「まぁ、立場のある人間は、千年祭では遊ぶどころじゃないね。うちもインセリア共和国から要人を迎えないといけないから、扱き使われることになると思うよ」
「それは庶民としては、羨めばいいのか、気の毒がればいいのか、わからないね」
「気の毒がってほしいところだよ。せっかくのお祭りなんだし、余計なことを考えずに楽しめる方がいい」
コモとしては、本音だろう。リー家の子というのは、決して将来安泰を約束する身分ではない。常に競争を強いられるし、結果が出なければ脱落させられるのに、自由は制限されるし、未来の保証も何もないのだから。
「まぁ、各国の催しものを見に行くのがいいのかな。物産展とか」
「チュンチェン区に会場を設営するらしいよね。食べ歩きとかもできるみたいだし」
そのために、ルークは大忙しだった。川向こうのスラムを解体して更地にし、そこに各国の展示物を並べるスペースを建設する。タマリアも、ベルノストのメイドとしての仕事を請けていなかったら、その工事現場で日焼けしながら汗を流していたに違いない。
俺があれこれ考えている横で、ギルはまったく別のことを考えていたらしい。
「なぁ、ゴウキ」
呼びかけられた彼は、顔をあげた。
「それ、うまいのか?」
すると、珍しく彼は口元に笑みを浮かべてみせた。
「うまい」
食事を終えて、ゾロゾロと階段を降り、学食の下の校庭に出たところで、俺は知った顔を見つけた。
「あっ」
それはあちらも同じようで、小走りになって近寄ってきた。
「ファルスさん」
「エオ、これから昼?」
「はい、まぁ」
しかし、彼の背中には、いつもの道具一式が詰め込まれているし、左手には畳まれたイーゼルが握られている。
「嵩張りそうだけど」
「それがですね」
彼は不機嫌を隠そうともせず、言い募った。
「教授が、千年祭の絵画部門で、何か描いて出品せよって言うんです」
「はい?」
俺は目配せをした。この後も授業がある。それでギルは俺に軽く会釈して、歩き去っていった。他もみんなそうしたが、なぜかゴウキだけはそこに居残っていた。
「絵を描くのは、好きじゃなかったっけ」
「好きですけど! 強制されるのは嫌なんです! それに、人物画にしたらどうだって……テーマは海を越えた架け橋だって。制限かけられるのが一番苛立つんです!」
ああ……
わかるけど、わからない感覚だ。料理人は、作りたい、作りたくないでは動かない。召し上がっていただけるから、作れるのだ。でも、絵はそうではない。
それにしても「海を越えた架け橋」か。帝都の正義の押し付けそのものだ。この点、普通、料理に思想性なんか伴わないから、絵描きならではの息苦しさのようなものは、あるのかもしれない。前に殺人事件の犯人の似顔絵を頼んだ時には、文句一つなかったから、やっぱりそういうことなのだろう。自分の心に干渉されるような感じがして、嫌なのだ。
「う、うーん、でもその辺は、教授と話し合うか、適当に描いて済ませるか、どっちかしかないんじゃ」
「そうだ、ファルスさん」
彼の黒目が忙しく動き、すぐ後ろのゴウキを捉えた。
「じゃあもう、この場で済ませちゃいます。そちら、お友達ですよね?」
ゴウキは自分で自分を指差して、確認を求めた。エオも頷いた。
「ちょっとだけ、そこに立って……そう、握手してください。もうそれでいいや」
気心知れた俺に対してならともかく、人にものを頼む態度でない気はするのだが、ゴウキは気にしなかった。言われるままに俺の横に立ち、手を差し出した。それで俺も握手して、二人してエオに向き直った。彼はというと、時間を無駄にせず、さっさとイーゼルを立て、作業用の椅子を出して腰かけていて、それから、物凄いスピードで手を動かしてデッサンを完成させていった。
「よし! とりあえず、これでよし。題名は……『黒い友情』でいいか」
「黒い友情って」
「なんでもいいんですよ。あ、でも、先輩の服、制服ですよね? まぁそれは適当に直せばいいか。黒っぽい礼服みたいなのを着せた絵に直しておきます」
言葉の響きが、なんとなく悪を連想させるのだが、とにかく面倒、さっさと終わらせたい一心のエオには、関係なかった。
「ありがとうございました」
エオが頭を下げたので、俺とゴウキも手を振ってその場を離れた。
季節柄、終業時刻になっても、まだ日は高かった。そして、一日で最も暑苦しい時間帯が、昼下がりから夕暮れ時の手前までだ。そんな中、ヒメノは鞄を手にして、校舎の玄関脇で、いつものように律義に俺を待っていた。
「お疲れ様です」
「なんか、こんな日に……暑いのに、悪い気がする」
「そんなことないですよ」
春先の一時期が過ぎ去ってみると、俺の登下校を妨げる女子学生の猛攻は和らいでいた。別に、俺に興味をなくしたのでもない。
「行きましょうか」
二人して、俺達は歩き出した。
「ファルスさんは、もう出場は決められました?」
「ああ、料理大会の方には登録を済ませておいたけど」
「武闘大会には出られないんですか」
「そっちは興味ないから」
ギルとかジョイスとか、知り合いが頑張ればいい。もっとも、そういうところに出たくて出る連中は、自由がある分だけ恵まれているのかもしれない。
リリアーナは千年祭のイベントに駆り出されることが決まっている。登下校の待ち伏せがなくなったのは、そのせいだ。日々、開会式で演奏する曲目の練習に付き合わされているらしい。ソフィアも、神聖教国の代表の一人ということで、今は公邸の方で対応に追われているのだとか。ただ、国の代表としてはまた別に、本国から枢機卿が派遣されてくることになっているそうだ。
「近頃は静かになりましたね」
「みんな忙しいんだろうしね。僕も、コーヒーを売らなきゃいけない。この千年祭の時期に知名度だけでも上げておかないと」
俺がそう言うのを期待していたのだろう。ヒメノは伏し目がちになりながら、おずおずと言い出した。
「それで、あの、お忙しいのでしたら」
「うん? 別に、遠慮なく言ってくれれば」
「実は……」
肩をすぼめつつ、彼女は申し訳なさそうに言った。
「……帝都の服飾業の方と知り合いになりまして」
「うん」
「千年祭の服飾部門で出品を、と」
「いいと思う」
そういうことか。つまり、最後に残った取り巻きの一人、ヒメノ自身も、自分の都合で俺の護衛から外れる。
「僕のことは気にしなくても大丈夫。いくらでも安全に学校に通えるから」
「ヒジリ様がどう思われるか」
だが、俺がやめろと言うわけもない。心の裡に湧き上がる感動、これを押しとどめて、ただただ宛がわれた役割に忠実であれなどと……それでいったいどこに幸せを見出せようか。
ヒメノの人生が今後、どんなものになるかはわからない。その中の可能性の一つには、俺の側妾という道もある。或いはどこかでワノノマ豪族の妻とか、ひょっとしたら家臣の妻にという道もあるだろう。どうせ人生の大半は、レールから外れることさえ許されないのだ。ひと夏、夢を追うくらいのことだ。背中を押してやらなくては。
「何か言ったら、僕が許した、そうさせたということにしておくから。せっかくの機会だし、こんなお祭りは生きてるうちにもう一度はないんだから、悔いが残らないようにやってみたらいい」
俺がそう言うと、彼女はぱぁっと明るい笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます!」
若草が至る所にその葉を伸ばそうとするように。誰もが思い思いに、自分の中の発見を届けようとする。それが人の目に触れ、出会いとなる。
否応なく、それを望むのが人というものなのかもしれない。




