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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第四十九章 釘打ち事件
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女子会、和気藹々

 甘く香ばしい匂いが厨房に立ち込めている。鉄板の上には、控えめな声で抗議する生地が、そろそろ柴犬を思わせる色に焼きあがりつつあった。


「旦那様、お客様がお揃いです」


 そっと戸を開けて、小声でウミがそう報告する。調理中の俺は、ちょっと気難しいところがある。お客様が飲食するものに唾を飛ばすわけにはいかないので、なるべく言葉での返事は避ける。鉄板から目を離さず、小さく頷くだけで済ませた。

 焼きあがったら、清潔な濡れ布巾で包む。それから、事前に用意した漉し餡を乗せ、生地で挟んだ。


 どれだけ考えても、俺にできる最善の方法は、これしかなかった。上手に言いくるめるなんてできないし、ごまかし続けるのも苦手。となれば、真心をぶつけるしかない。もう少し器用な人間なら、それもやりようなのだろうが、俺には他のやり方なんてない。


 皿が用意できたのを察したウミは、黙ってそれらをお盆に載せて、ファフィネやタウラと手分けして、運び出していった。

 それを見届けてから、俺は木の椅子に腰を下ろし、やっと緊張を解いた。


「お疲れ様でございます」


 すぐ横で俺の作業を手伝っていたミアゴアが、労いの言葉をかけてくれた。


「自分のためにやったことだ」

「とは仰いますが、さすがの腕前でございます。私もこの歳ですが、毎度のように学びがございます」

「お互い様だな」


 そう言うと、俺は立ち上がった。エプロンを外しながら、指示を下した。


「済まないが、これからお客様のところに顔を出さなければいけない」

「承知してございます。後のことは」

「申し訳ない」


 料理人なら、調理を終えた後の道具の洗浄から後片付けまで、しっかりやるべきだ。そういうところで手を抜くのは三流だ。自分で道具の手入れをするから、気付けることだってある。わかってはいるのだが、今回は俺が顔を出して話をしなければ片付かない問題があるので、彼に任せてしまわなくてはいけない。

 いったん自室に戻り、服を着替える。それから一階の、あの縁側に面した大部屋へと向かう。俺が到着する頃には、周囲の人払いも済んでいるはずだ。


 気持ちが落ち着かない。ヒジリはうまくやってくれているだろうか。この計画を相談した時には、力強く「お任せください」と言ってくれていたのだが……

 一階に降り、廊下を通って東側の入口から中庭に立ち入った。縁側に向けての障子は、開け放たれている。少し蒸し暑くなってきたとはいえ、今日は快晴、初夏のみずみずしい空気を取り入れないなんて、あまりにもったいないから。

 険悪な空気になっていないといいが……


「本当に通っちゃえばいいじゃん!」


 リリアーナの大きな声が俺の耳に飛び込んできた。


「お嬢様」

「えー? 似合ってたのに」


 ナギアが窘める。いつもと変わりない様子に思われるが……


「あれは、そのぅ……」


 うん? 聞き覚えのある声の、聞き覚えのない口調。不審に思って、俺は意を決して踏み出した。


「あ、ファルスさん」

「やっと来たか」


 ヒメノとシャルトゥノーマが、俺に気付いて振り返った。

 一階の広間には、総勢八名もの女達が、ヒジリを除いて、序列もなく車座になって座っていた。一応、ヒジリだけは客をもてなす主人の立場なので、一人、壁を背にしているが。

 そのすぐ左手にはヒメノ、リリアーナ、ナギアと続いて、手前にはオルヴィータがいる。逆に右手には、ソフィア、シャルトゥノーマ、ウィーの順番で落ち着いていた。全員、座布団に座っていて、その手前には、湯呑みとどら焼きの皿を載せた膳がある。

 そして、俺は見慣れないものを目にしていた。


「ふぁっ? だ、旦那様?」


 赤面するヒジリと、それをからかうリリアーナ。いったい、俺がここにやってくるまでの間に、どんなやり取りがあったのか。

 ソフィアがやんわりと止めに入った。


「リリアーナ様、その辺で。ヒジリ様がお困りですよ」

「だってかわいいのに」

「私も目にしてみたかったものですが」


 何の話だろう、と疑問を感じた俺に、ヒメノが説明してくれた。


「あの、事件の当日のことですよ」

「ああ、そういえば、学生を守って欲しいとヒジリに頼んだっけ」

「それで、ヒジリ様は……学園の制服を着て、自ら囮になろうとなさっていて」


 自分の戦闘力に自信があればこそ、敢えて悪意を誘い込もうとしたわけだ。しかし、結果は芳しくなかった。


「あれは、だって、旦那様があっという間にやってきて、犯人を追い詰めてしまったのでしょう?」

「ヒジリ様がいらした時には、あらかた騒ぎが収まっていましたから……私達がウィーさんに連れられて学園まで戻った時に、ヒジリ様が不審者扱いされて」


 ソフィアも頷いた。


「それはだって、守衛さんからすれば、明らかに見覚えのない人が、制服だけ着て学園まで来たようにしか見えませんし」

「何年生で、どこの学級だとか、いろいろ尋ねられて、困っていたんですよ」


 そこを通りかかったヒメノ達が、それと察してとりなした、ということなのだろう。


 しかし、この妙な打ち解け方は、どうしたことだろう?

 もちろん、俺は彼女らに話し合ってもらいたくて、なんとか仲良くしてもらいたくて、このお茶会を催したのだ。どうすればお互いを受け入れてもらえるのか、俺の立場に理解を示してもらえるのか。でも、いくら考えても、俺にできるのは、やっぱり料理だけだった。

 ただ、それはそれとして、確かに、これは俺の望んだ通りの状況ではあるものの。少し前の、あのギスギスした感じはどこへいってしまったのか?


 俺が若干の戸惑いを隠せずにいると、ナギアがそっと促した。リリアーナが正座をして、畳の上に指を揃えて、頭を下げたのだ。


「ごめんなさい」

「えっ」

「ご心労をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます」

「あ、あの、お嬢様?」


 戸惑う俺を他所に、彼女は顔をあげて苦笑いを浮かべた。


「私、周りが見えてなかった」


 それで気付いた。俺の視線はヒメノに向けられる。


「そうか。あの日、貸し切り馬車に一緒に乗せられていたのは」


 周りが見えてなかったのは、俺もそうだったのかもしれない。


「……気にかけてくれていたのか。ありがとう」


 ヒメノに頭を下げた。

 俺がなんとか話そうとしてもこじれかねない。だから、代わりにヒメノがリリアーナと接点を作って話し合ってくれていたのだ。それだけでなく、一連の事件の最中には、とにかく不用心になりがちな彼女らを庇う意味もあって、一緒に帰るようにしてくれていた。


「わわっ、よしてください! ま、まぁ、これはその……ほら、『金の梢』で奢っていただきましたし」

「え? なにそれ?」


 リリアーナが低い声で尋ねた。


「あっ」


 ヒメノは藪蛇だったと今更ながらに気付いた。


「留学生向けの喫茶店でも最高級のところですよね」


 ソフィアが神妙な顔で説明すると、ヒジリが俺を見据えた。


「旦那様、ヒメノと仲良くしていただいても構わないとは申し上げましたが、私もまだ、そんなところに連れて行っていただいたことはないのに」

「えっあっうっ」


 やっぱり何か変だ。俺は彼女らの間に生じる溝を解消したくてこの席を設けたのに、気付くと彼女らのいる広間と俺のいる中庭の間に溝ができている。そんな気がする。

 シャルトゥノーマが真面目な顔で一言を発してくれたおかげで、この都合の悪い空気が少し薄れた。


「まぁ、気に入らんのはあるが、ディエドラは見逃したのだろう? であれば、私が今から騒ぎ立てるわけにもいくまい。それでルーの種族のみんなにとって、不利益になってしまっては、本末転倒だ」


 彼女の視線を受けて、ヒジリは言った。


「ご説明させていただいています。魔物討伐隊は、随分前より、関門城以南に進むことを禁じられています」

「もう、ポロルカ王国が、我々の身分を保証しているからな。それに……ファルス、もし正当な理由もなく、こいつらがルーの種族を虐殺するとしたら、お前はどうする?」


 笑い話では済まないことだ。


「止める。それは許さない」

「だろう。であれば、私が重ねて言うべきことはない。あとは気分だけの問題だ」


 ウィーが口を開いた。


「あの事件の後、ソフィアさんが間に立ってくれて、話をしたんだ」


 少し言いにくそうに、言葉を選びつつ。


「ボクにはまだ、生きていたい理由がある。だから、見逃してくれって」

「気持ちの整理はついてないんだけど」


 リリアーナが珍しく真面目な顔で話し始めた。


「正直、信じられない気持ちだったよ。私が誘拐された時にも、命懸けで助けに来てくれたのに。同じ人が、パパに矢を向けた人を助けるなんて。どうなってるんだろう、信じられないって。でも、違うんだよね」

「違う?」

「私が私にとっての、ファルスの都合のいいところだけ切り抜いて、これからも私にとって都合のいいファルスでいてねっていうのは、ファルスを信頼してることになるのかな? ね?」


 ほっと安堵の息が漏れる。と同時に、俺の見ていないところで彼女も成長していたのだと再確認させられた。同じことかもしれない。俺もまた、彼女のいないところで時間を積み重ねてきた。

 ヒジリが頷き、静かに言った。


「枝葉を見て木の幹を見ず、木を見て森を見ず。そうであってはなりません。以前にウィー様が公館まで来た時、どんな関係なのか問い質しても、旦那様は答えてくださりませんでした」

「あっ、ああ」

「でも、なんとなくは察しておりましたよ。旦那様がそうなさるのは、ご自分の欲のためではなく、目の前のその人に、救われるだけの道理があるのだと、そうお考えなのに違いないと」


 ヒメノが感心したように言った。


「そんな前から、信じていたんですね」

「いえ……そんな立派なものではありませんよ。信じることにした、と言った方がいいかもしれません。一つずつ、少しずつ。迷いがなかったとは言いません」


 よかった。

 俺があれこれ気を回さなくても、彼女らは自分達で関係性を修復しつつあったのだ。これが幸運でないということはない。恵まれている。


「あ、あの」

「ん? なにかな、ナギア」

「さっき、少し気になることを仰っていたような」


 なんだろう? 変なことは特に言っていないような……


「ウィーの件はご説明頂いたので、承知しておりましたが、さっきの、誘拐されたというのは? 前に行方不明になったことがございましたが、実は誘拐されていたのですか?」

「あっ」


 どうしよう? どう取り繕えば……


「うん!」

「えぇぇ」


 リリアーナが笑顔で頷いた。


「ちょっ、お嬢様」

「えー、いいじゃん。ピュリスのずっと北にある、大昔の砦の址まで連れて行かれて。でも、ファルスだけが見つけてくれて、そこから助け出してくれたんだよ」

「なんという」

「だって勝手に街の外に出ちゃいけない立場だったんだし、秘密にするしかなかったんだよ。あと、前にキースさんから宝剣も貰ったでしょ? あれもこの件のお詫びみたいなもので」


 ピアシング・ハンドのおかげで鳥になれる件は、俺の秘密と理解しているので口にしなかった。だが、それはそれとして、これは喋りすぎだ。


「えっ、キース」


 まずウィーが反応した。


「キース・マイアス?」

「うん」

「うわぁ、断ってよかった」

「え?」

「求婚されたんだけど、断ったら決闘になって大変だったんだ」


 だが、もっと大きな地雷が残されていた。

 ヒジリの顔から、さっきまでの穏やかな笑みが消えている。


「吉兆ありというから、敢えてワノノマの至宝であるタルヒを貸し与えたというのに……傭兵稼業に舞い戻っただけでは飽き足らず、誘拐事件にまで手を染めるとは」

「ヒッ」


 なんか、まずいことになった気がする。どうしよう、俺のせいでキースに何かあったら……


「まぁ、それは後日処理しましょう。それより旦那様」

「な、なにかな」

「ウィー様の身元を隠した事情は理解できました。罪を犯したとはいえ、そうしなければまともに生きられない身の上であったことにも納得致しました。失ったものを思えば、復讐に身を置くのも自然なこと。このまま無罪放免とするのが公平かどうかは別として、旦那様がそうなさりたいと考えるのも無理はないと」

「あ、う、うん?」


 何が言いたいのだろう? 俺が不安げな顔で続きを待ち受けていると、彼女は俺に言葉のボディーブローを放ってきた。


「ではなぜ、あの日、ウィー様は裸だったのですか?」


 時が止まった。十六の瞳が俺を射抜いたから。

 ややあって正気を取り戻したソフィアが、尋ねた。


「あの、ウィー様? そのような振る舞いをなさっていたのは、本当ですか?」

「え、あう、うん、その」

「あー、あー、なるほどねー」


 リリアーナが一人納得して、うんうんと頷いている。


「そういうことかー、私、わかっちゃった!」

「えっ、それはどういう」

「これは教えられないかなー? でも、ファルスだもんね、そういうことはあるよね!」


 秘密を伏せてくれたのはいいが、これでは誤解が深まりそうな気がする。


「あ、あの、お嬢様」


 ナギアがかすれた声で問う。


「もしかして、お嬢様も」

「秘密だってば」

「お嬢様ぁっ!」


 なんだかまずい。だんだんと居心地が悪くなってきた気がする。


「でも、そうですね」


 顎に手を当てて、ソフィアが思考に沈む。


「私も以前、危険なところに迷い込んだ時、助けていただいたことがあるのですが、その時に服を脱がされそうになった覚えが」

「えぇ」


 ヒメノがドン引きしている。


「ち、違う! だってあんな寒いところで」


 マルトゥラターレの魔術のせいでびしょ濡れになっていたのだ。服を脱がせて湿気を除き、体を温めなければ生死にかかわるから……と言おうとしたのだが。

 パン! とヒジリが掌を打ち合わせた。


「よーくわかりました。旦那様」

「な、何がわかったって」

「さっきの『金の梢』の件もありますし……これより私達は、秘密の会議を開催します。議題は旦那様の過去の事実確認と、それを踏まえた今後の取り扱いについてです」

「ちょっ」


 どうすればいいかわからず、冷や汗を流す俺を無視して、彼女は淡々と続けた。


「オルヴィータさん、済みませんが、そちらの障子を閉めていただけますか」

「はいなのです」


 パタン、と軽い音がして、世界はかくも簡単に切り離されてしまった。

なお、2025/01/06から外伝をFANBOXで連載開始しています。

初回は全体公開なので、どなたでも目を通していただけます。


https://ochikakeru.fanbox.cc/posts/8932310

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ここあり読者の諸君よ、この回の続きを先読みしたくなって今日FANBOXに加入してみたら、越智翔先生のタイ生活でのコラムがめちゃくちゃ面白かったよ!先読みそっちのけで読みふけったよ!と感想欄でダイマして…
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