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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第四十九章 釘打ち事件
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学園長からの依頼(上)

 公館の勝手口から一歩、通りに出ると、ぬるりと湿った風が流れていった。見上げれば、空は灰色だった。今すぐ雨が降りそうには見えないが、どうにもすっきりしない天気だった。

 やけに街中がひっそりしているような気がした。それで思わず立ち止まってしまったのだが、すぐ頭を振って思考を切り替える。ヒメノに待ちぼうけを食わせるわけにはいかない。

 大通りの、馬車の停留所からほど遠くない地下道の手前で、ヒメノは両手で鞄を持って、俺を待っていた。


「おはようございます」

「おはよう」


 どことなく彼女の表情も翳っているように見える。俺の気分の問題だろうか? しかし、それにしては……


「なんだか、街の様子がおかしい気がします」

「やっぱり?」

「この地下道の向こう側なんですけど」


 地下道の中では声が反響する。


「帝都防衛隊の制服を着た方が立っていて」

「何かあったのかな」


 昨日、偶然ながら、何かの猟奇殺人事件の現場に居合わせてしまった。あれが影響しているのだろうか?

 地下道を抜け、大通りの反対側に出てから、右手に折れた。確かに、ヒメノの言うように、防衛隊の制服を身につけた人達が、一定間隔で立っていた。事情を尋ねたい思いもあったが、彼らも公務だろう。邪魔をするわけにもいかない。

 やがて、左手に学園前の路地が見えてきたが、やはりひっそりとしていた。登校する学生達は少なからずいるのだが、誰もが無言だった。それに、ここにも防衛隊員が立っている。正門前には、今度は学園の警備員が立っていて、やたらと緊張した表情で通行人を見つめていた。


「じゃ、また帰りの時間に」

「は、はい」


 何とも言えない空気のまま、俺はヒメノと別れ、教室に向かった。


「おっ? ギル?」


 俺より先に、ギルが席についていた。だが、彼はもうヘトヘトに疲れ切っているらしく、机に突っ伏して寝てしまっていた。


「大丈夫か」

「ほっといてやれよ」


 横合いからラーダイの声が飛んできた。


「昨夜遅くまで、仕事だったんだとよ」

「仕事というと、ギルドのか」

「そうらしいぜ。詳しいことは聞いてねぇけど」


 少しして、廊下からコモがやってきた。手にはメモ用紙が握られている。


「着席してください。連絡事項を伝えます」

「教授は?」

「緊急会議だそうで、朝は来ない」


 俺は周囲を見回した。ほとんどの学生は自席にいるが、よく見るとマホの姿がなかった。

 それから講義の時間になり、それぞれ受講のために教室を後にした。次に俺達が再集合したのは、昼食の時間だった。


「食えよ、なんでもいいから」

「食べた方がいいと思うよ」

「講義なんか寝てやり過ごせばいい。さすがにそんな状態じゃあ」

「っていうか、帰って寝た方がいいんじゃないでしょうかねー」


 ラーダイ、アルマ、ランディ、それにフリッカが、昼食を前に、一口も食べようとしないギルに向かって、それぞれ言葉を投げかけていた。彼のトレイにあるのはパンとコーンスープとサラダだけ。もう、肉類なんてまったく受け付けられないらしい。そんな状態なのに、ギルの目はギンギンに見開かれていた。無論、隈がくっきりと浮かんでいたのだが。


「よっぽど大変なんだなぁ」

「思い出したくない」


 彼はポツリとこぼした。


「お、おう」


 その口調があまりに重々しかったので、ラーダイは若干、引き気味になっている。気遣いを忘れないギルにしては、珍しいことだ。


「そんな調子じゃ、午後も勉強どころではないだろう。本当に帰って寝た方がいい」


 俺がそう言うと、彼はテーブルに肘をついて、深く溜息をついた。


「そうしたいんだけど、でも、なんとかしねぇと」

「お前一人の仕事じゃないだろう。ほどほどにして休まないと、肝心なところでドジを踏むぞ」


 そんな風に話しているところに、普段は俺達のグループに溶け込むこともない人が、覚束ない足取りで近づいてくるのが、視界の隅に映った。


「ちょっと、いい?」


 マホは、不安げな表情を浮かべ、遠慮がちにそう言った。


「なんだ」

「あの、助けてほしいんだけど」

「断る」

「私じゃなくて、コーザ君」

「なに?」


 その名前が出た瞬間、ラーダイもギルも振り返った。


「その、食事が済んだら、学園長の部屋で、この件についてのお話が」

「学園長?」


 では、フシャーナもマホからの、この相談にお墨付きを与えている? 俺は腰を浮かせかけた。


「ギル君も一緒にって。他の人は悪いけど、今の時点ではお話できないって言ってたから」

「じゃあ、なんでお前は首突っ込んでんだよ」

「私は、だって、関係者が……」


 その一言で、場の空気が重くなった。


「悪ぃ。お前の身内がやられたのか」


 ラーダイは、そう言いながら顔を背けた。


「なんか、高級住宅街の方で、ひどい事件が起きたらしいって噂は聞いてるけど」

「こんなすぐ傍で、とは思わなかったね……」


 俺はギルの背中を叩いた。


「一仕事だ。食え。動くなら、力が出ないと始まらないぞ」


 それからしばらく、俺とギル、それにマホは、学園長の執務室に迎えられていた。俺はてっきり、以前に尋ねた石造りの建物に行くのかと思っていたが、あれは彼女の研究棟であって、執務室ではない。あれとは別に本校舎の最上階の一室が割り当てられていて、そこには上質な絨毯が敷かれ、上品なソファとローテーブルが置かれていた。

 それとは別に、背凭れのある木の椅子が持ち出されていて、あろうことか、そこにクレイン教授が腰かけていた。他にこの執務室には、フシャーナとケクサディブがいた。


「これは、どういう取り合わせですか」


 そう問わずにはいられなかった。事前に彼らの関係性について、聞き知っていなくても、肌でわかる。フシャーナとクレイン教授の関係性は、見るからに最悪だ。その場にいるだけで、俺達まで気まずくなる。


「仕方がないのよ」


 フシャーナが言った。


「先に結論から言うと、ファルス君、悪いんだけど、今回の事件の解決を手伝ってほしいの」

「どんな事件かもわからないのに、ですか」

「このままだと、どれだけ犠牲が出るかわからないの。でも、帝都防衛隊は、多分、そんなに役に立たない。そうよね、ギル君」


 声をかけられたギルは、少しだけ体を揺らしたが、何も言わなかった。


「守秘義務があるのは知ってる。でも、ここでは話してもらう。今回の事件には、代理機関の権限で介入するつもりだから」


 マホも言い添えた。


「コーザ君の知り合いなんでしょ? このままだと、無実の罪で裁かれかねないの」

「マホ、どうしてお前がこの件に関わっている。まず、それからだ」

「それはだって」


 彼女は俯いてしまった。代わりにクレイン教授が、重い口を開いた。


「私の愛弟子の一人が、殺害されたからです」

「えっ」

「エクスプラターシャ・ミドゥシは、ナーム大学で経営学の講義を受け持っていました。他に、クリマド銀行の役員や、公正実現委員会の理事も務めていました。あなたは面識があったはずです」


 では、昨日、偶然に見かけたあの無惨な遺体は、彼女のものだったのか。


「じゃあ、マホ」

「この前、委員会の後援するお見合いパーティーで、コーザ君が問題を起こしたでしょ? あれで委員会の人が、コーザ君が疑わしいとか言い出して」

「馬鹿な」

「さすがに、私もそう思ったのよ。で、クレイン教授に相談して」


 そもそもの話、コーザにこんな思い切った犯罪なんか、できるわけがない。遠目にちょっと木箱の中を覗いただけだが、あれはかなりの憎悪、でなければサイコパスか何かでなければ、やれるような暴力ではない。それに、小さな木箱の中に人体が収まるよう、骨まで打ち砕いてあった。それだけでも、かなりの重労働だったに違いないのに。


「元々、前回の犯行時にも、私とザールチェク教授に脅迫状が届いていましたから。ですが、こちらでなく、まさかミドゥシが狙われるとは」

「ということなの、ギル君。実はもう、防衛隊の方にも、学園から協力者を募って送り込むとは伝えてあるの。責任は私がとるから、一通りの説明をお願いできるかしら」


 それでようやく、ギルは重い口を開いた。


 最初にギルドで仕事の募集があったのは、今から三週間ほど前のことだった。給与は高いが、守秘義務があり、拘束時間も長いという。例によって金欠の彼は、迷わず請け負った。

 契約に同意してから、やっと事件の概要を聞き知ったのだが、それは通常、冒険者が引き受けるような仕事ではなかった。なぜなら、殺人事件の捜査だったからだ。そんなものは、事実上、警察の役目を果たす帝都防衛隊がやればいいことで、冒険者にまでお鉢が回ってくるのは、普通ではあり得ない。だが、今回に限っては、そうする必要があるとの判断が下された。


「俺はまだ会ったことはないんだが、最初に犠牲になった女性というのがな、防衛隊員の妻だったそうで」

「最初?」

「今回で、遺体が確認されたのは三人目なんだ」


 防衛隊員の妻が殺害されたことで、捜査班は、犯罪者からの報復、怨恨からの犯行という見方を強めた。無論、それで防衛隊が捜査をしないということはないのだが、犯罪者の裏をかく目的もあって、別動隊を組織することが決まった。

 この時点で懸念されていたのは、犯罪者の側が防衛隊の内部事情をある程度把握している可能性だ。つまり、被害者の夫が不在であることを知っていたから。もしかすると、隊員の勤務シフトなどまで調べ上げての結果なのかもしれない。とすれば、そうした組織とは別口で、イレギュラーに動く誰かがいた方が、真実に肉薄できると考えるのも、おかしな判断ではなかった。

 ところが、どれだけ防衛隊が駆けずり回っても、またギル達冒険者が力を尽くしても、手掛かり一つ、掴めなかった。そんな中で、二度目の事件が起きる。


「それがアルダ・ジノモック教授の件だったのか」


 ギルは無言で頷いた。

 その日、防衛隊の詰所で一連の調査報告をしていたところで、類似の殺害現場発見の報告を受けた。ギルを含む冒険者は、防衛隊員と一緒にジノモック教授の住む寮に向かった。そこで見たものは……


「血の海だった。でも、ただの死体とか、ひどい怪我とか、そんなのは見慣れてる。オーガと戦ってきたんだから、そういう仲間の姿だって目にしてきた。だけど、違うんだ。あれは」


 ギルが目にしたのは、まさに憎悪の形そのものだった。被害者は全裸だったが、全身にアクセサリーをぶら下げていた。つまり、釘だ。苦痛を与える目的で、爪と指の間に、細い釘が丁寧に刺しこまれていた。それだけでなく、指の各関節にも、丹念に小さな釘が突き刺してあった。ギルがぞっとさせられたのは脛で、下肢の前面、皮膚の向こうがすぐ骨になるあたりに、びっしりと隙間なく釘が打ち込まれていた。それと背中、肩甲骨にもいくつも釘が刺さっていた。極めつけは、口だ。奥歯にはそのまま、口の外から斜めに釘が突き刺さっていた。前歯は、その際に邪魔になったのだろう。上下とも叩き割られていたが、その割れた歯の根元のところに、やっぱり小さな釘が刺さっていた。

 そして、どれも致命傷になるようなものではなかった。これでは被害者は、さぞかし大きな声で泣き喚いただろうと思うのだが、そこは対策してあったらしい。何かの薬品で、被害者は喉の奥、声帯を焼かれていた。


「大きな釘も刺さってはいた。だけど、そこからはほとんど出血の痕がなかったんだ」

「殺した後、か」


 被害者に苦痛を与えるという意味もないのに、それでも手間をかけて釘を突き刺すとは、どういう心境だったのか。

 とにかく、ジノモック教授は、彼女自身の私室で惨殺された。そして、これまた犯人は見つかっていない。


「その現場にね、脅迫状が残されていたのよ」


 フシャーナがそう言った。


「実物は帝都防衛隊の捜査隊が持ってるけど、文章だけは書き写してある。ただ、実物の方は、全部印刷物の切り抜きなのよ」

「じゃあ、書いた人の癖とか、そういうのもわからない」


 彼女が頷く横で、ケクサディブが言った。


「脅迫状には、二人の名前が連ねてあった。それで、わしは犯人が、若くても五十代半ばくらいまでの高齢者ではなかろうかと考えておったのだが」

「なぜ、そうなるんですか」

「二人にとっては気分が悪かろうが、言ってしまおう。ザールチェク教授は、そもそもはクレイン教授の派閥の一員じゃったからな。教員になってからも、しばらくは仲間同士だった。だが、今では違う。つまり、二人を同じ穴のムジナと考えて纏めて扱うという時点で、これは昔の人間、今の関係を知らない誰かに違いないと考えたのだよ」


 だが、その説明に、クレイン教授は冷たい声で応じた。


「その通りであれば、よかったのですが……ミドゥシは四十代前半です。彼女は私の生徒の一人ではありましたが、ナーム大学に出た人間です。学園の中には他にも元教え子がいるのに、なぜ彼女を選んだのか。その推測では説明がつきませんね」

「ごもっとも。わしが狙いを外したのかもしれん」


 二人目の被害者が出たことで、防衛隊の捜査体制は拡大され、上位の将官が本部を取り仕切るようになった。だが、それからしばらく、犯行が再発することはなかった。

 だが、ミドゥシ助教授は、コーザに出会った翌日の夜、行方不明になった。翌朝の講義に姿を見せないことで不在が知られ、関係者が確認を取りに動いた。だが、自宅にいたのも使用人達だけで、本人は帰ってきていないとのこと。そして、郵便受けには身代金を要求する書状が投函されていた。


「金貨十万枚!?」

「クリマド銀行の頭取の娘だから、それくらいは出せる、ということじゃろうの」


 この時点では、先の猟奇殺人事件とは無関係だと考えられていた。富裕層の人間を誘拐して金銭を要求する別個の事件が発生した……そう認識した防衛隊は、犯人の要求に応えるふりをして、身代金を回収に来た男を捕縛した。

 ところが……


「その男は、何も知らなかったらしい。ただ小遣いを与えられて、所定の場所に行くようにと指示されただけで、そんな事件が起きていたなんて思ってもみなかった、と言っているんだ」


 そして、防衛隊員が張り込んでいたことも見抜かれてしまった。翌日、彼女の自宅に指が届いた。次は適切に対応すること。さもなくば……


「次の要求は、十万枚の金貨を三つの小舟に分けて、ラギ川の南岸に向かって、その無人の小舟を送り出すことだった。さすがに被害者の身分が身分だから、この際、金に糸目を付けられなかった。犯人の言う通り、三つの小舟に金貨の入った袋を積み上げて、北東からの風が吹く中、人を乗せずに流れに乗せたんだ。だけど」


 ただでさえ、かなりの重量がある小舟だった。しかも、風向きは川の上で小刻みに変わる。というのも、地上にある建造物が遮蔽物になるためだ。そうこうするうち、特に金貨を多く積んだ真ん中の小舟が、川の上で旋回し始めた。だが、既に岸辺を離れて遠く、南岸に近い辺りにまで進んでしまっていたし、どうすることもできなかった。一際強い風が吹きつけて、その小舟は転覆してしまった。残り二隻の小舟は、そのまま別々の方向に流されていき、南岸に堆積した汚泥の上で、座礁した。

 無論、防衛隊員は、残った二隻の小舟に、誰かが近づくのではないかと見張りを続けていた。だが、まるまる一昼夜が過ぎても、誰も金貨の受け取りに現れなかった。それからまた一日経って、彼女の自宅に木箱が届いたのだ。


「その遺体の状態で、同じ事件であると判断した、と」

「そういうことになる」


 少し考えて、俺は間の抜けた声を漏らした。


「で、どうしてコーザが? いくらミドゥシ助教授に恨みがあったとしても、こんな大規模で計画的な犯罪を、それこそ先日のお見合いパーティーの直後に考えて実行するなんて、できるわけがないじゃないですか」

「うむ……」


 ケクサディブが頭を抱えていた。


「まぁ、つまり、そういうことなのよ。あとからしゃしゃり出てきた防衛隊のお偉いさんってのがね……アレなのよ。わかる?」

「なんとなくは」


 フシャーナはそこで、話を一区切りさせた。


「それで、もちろんあなたに何の責任もないのだけれども、このままではどれだけ被害が拡大するか、わかったものじゃないから、力を借りたいというお話なのよ」

「はぁ」

「役に立つんですか?」


 マホが言った。


「顔だけですよ、ファルスって」


 彼女の中では、俺はいまだにラーダイに見下されている雑魚のままなのだろう。


「顔だけ、ねぇ……」


 ギルが首を傾げた。だが、すぐマホは納得して頷いた。


「あ、そうか、顔は広いから……済みません、今のは取り消します」


 大方、俺がアスガル辺りを動かして、捜査に協力するとでも思ったのだろう。勝手に納得してくれた。

 ケクサディブが言った。


「それで、そのぅ、クレイン教授」

「なんでしょう」

「この先は、ちょっと込み入った話もさせてもらうので、わしらだけにさせてもらえんかのう」


 申し訳なさそうな彼の声に、彼女は素早く反応した。さっと椅子から立ち上がると、苛立ちの滲む声色で言った。


「教え子の敵討ちは、お願いしますよ」


 それだけで、彼女はマホを伴って、執務室から出て行った。

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― 新着の感想 ―
マホ、ついこの前に散々やり込められた?のに、よくファルスを顔だけとか言えるなあ。 今まで何度、論破されてきたかまで忘れてるのか。 顔と•••口だけですよ。というならわかるけど。
ネタバレ 釘打ち事件の犯人はクヴノック
ファルスちからになれることあるかな?心読むにしても対象が多すぎるとよくきこえないだろうし。あとかりにも学生を無償で命の危機にさらすのは教師としてどうなんだろ。
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