女嫌いの世捨て人
(注意:今話含め4話分、ゴーファトも真っ青の強烈なミソジニー成分が含まれます……が、これは、作者の見解というよりは、ある思想的立場を紹介するものとご理解ください……さすがに内容が内容なので、耐えきれない方は読み飛ばすのも手です……遠慮なく書きましたが、女性読者が減りそうですね)
大きな震動に、一瞬、視界がぶれる。薄暗い馬車の中には、無言で腰を落ち着ける同行者達の姿があった。誰も口を開かない。楽しくおしゃべりするような関係性ではないから、という理由もあるが、最大の原因はこの悪路だ。しばしば馬車が大きく揺れるので、変に口を開けていると、舌を噛む。
景色は見えなくても、馬車の中の空気が周囲の状況を教えてくれる。まず、やけに埃っぽい。かと思えば、切って間もない木材の香りが、いきなり荷台の中に充満して、すぐ消えていく。近所で料理でもしているのか、鍋で何か煮込んでいるような匂いがした。ただ、魚醤を使っているのか、微妙な臭みが混じっていたので、向かいに座っていたマホは顔をしかめた。
一際大きな衝撃に全身を揺らされてから、馬車が止まるのを感じた。腰に軽い痛みを感じつつも、這うようにして荷台の後部に向かい、そこから飛び降りた。そうして振り返り、あとに続く人に手を差し伸べる。
「おぉ、いちち……まったく、わしの別宅だというに、これではそうそう引きこもれはせんのう」
「そんなものがこんなところにあるなんて、いったいどうなってるんですか」
「いやぁ、わしの終の棲家にするつもりだったんじゃが」
俺は呆れながら、周囲を見回した。
ラギ川南岸、東の歯車橋を越えた向こう、トンチェン区のど真ん中。右手には、巨大な円筒形の建造物が聳え立っている。夏の千年祭に向けて、いまや建設作業の最終段階にあるらしい。それ以外は、せいぜい高くても三階建て相当、適当に木材を積み重ねただけの、見るからに不揃いな街並みが、俺達を取り囲んでいた。
「あのう」
貸し切り馬車の御者が、遠慮がちに話しかけてきた。
「なんじゃ」
「今は昼日中ですが、この辺り、あんまり、その、治安がよろしくないので」
「心配せんでも、明るいうちには戻るわい。まぁ、少しだけ待っとってくれんかのう」
「はぁ」
この辺りは、俺も予備情報がある。ルークが教えてくれた件だ。先日の、例の暴動が起きたところから近いので、安全面に不安がある。
いつも通っているシーチェンシ区なら、もう俺はあの辺りで顔を覚えられているし、タマリアやルークもいるので、さほどトラブルを恐れる必要もない。ところがこの区域となると、まず俺自身、慣れがない。知人もいない。
こんな場所に別宅なんか構えて、ケクサディブはどうやって生きていくつもりだったんだろうか。
「さぁさぁ、みんな、こっちじゃ」
今にも崩れてきそうな、それこそ乱雑に釘を打って固定しただけの、古びた木の階段に足をかける。手摺に掴まりながら、慎重に這い上がっていくと、その先に、隙間風をまったく防げそうにないような歪んだ扉があった。
「わしじゃ、サラトン。入ってもいいかのう?」
「君か。いつもの、か?」
「若者が四人もおるぞ」
「狭いが、入ってもらおう」
中から聞こえてきたのは、ケクサディブと同じくらい年老いた男の声だった。ただ、言葉遣いはずっと若々しいのだが。
「それ、遠慮はいらん。中におるのは、居候じゃからな」
「その前に、住人がいることに驚きですよ」
外観の割に、室内は清潔で、あっさりしていた。すべてはこのワンルームの中に詰め込まれていたが、あるのは木製の机と椅子、それに本棚が一つとベッド。本棚には、古びた本が何冊も収められているほか、彼の着替えと思しき衣類も詰め込まれていた。これらの家具は、どれも骨太な拵えで、装飾のようなものは一切なかった。それと、煮炊きと暖房を兼ねた道具と思しき金属製の七輪のようなものが、部屋の中心に置かれていた。
「ようこそ、僕は……おや?」
そして、椅子に腰かけているこの部屋の住人は、西部シュライ人の特徴を備えた男性だった。ただ、縮れた短い髪は、既に真っ白になってしまっている。中肉中背の老人で、それだけなら、この界隈によくいる住人の外見であると言えた。しかし、特徴的なのが腹部で、手足はどちらかといえば細いのに、ここだけ妙に膨れ上がっている。それに顔色も良くないようだ。もしかして、と思ってピアシング・ハンドで本人の能力を確認すると案の定、肉体を示すマテリアルのランクが1しかない。つまり、彼は病気で死にかけている。
「ケクサディブ、ひどいじゃないか」
そう言いながら、彼は笑った。
「くたばり損ないの僕にトドメを刺しにきたのかい?」
「とんでもない。いつものように、迷える後進のために、君の話を必要としているだけだ」
「それにしては」
彼の視線は、マホに向けられた。
「どうして女性を呼んだんだい?」
「ちょっとした揉め事があったらしくてな。彼女は当事者だから、連れてきたんじゃ」
「怖いなぁ」
だが、このやり取りに、早速マホが噛みついた。
「女性がいると、何かまずいんですか」
「暴れたり喚き散らしたり、あとで何か仕返しするんでなければ、別にいてもいいけどね。まぁ、最悪、そうしてくれても構わない。どうせ僕はそんなに長くない」
サラッと自分の死を予告した。そのことをケクサディブも承知しているらしく、頷きながら尋ねた。
「あれから、どうなっておる」
「まぁ、もって夏……冬は迎えられそうにないかな」
「千年祭は見物できそうじゃな」
そう言いながら、二人は笑いあった。それからやっと、ケクサディブは彼を俺達に紹介した。
「彼はサラトン・ゾヒド、元は帝立学園の講師で、歴史学の担当だった。出身は南方大陸西岸のエインじゃ。いわゆる地方領主の分家の末裔なんじゃが、こともあろうにこの馬鹿者、家も仕事も放りだして、ここに棲みつきよった」
「悪かったね。本当は君が暮らすはずだった家なのに」
「まったくじゃ。賃料を払え、このろくでなしが」
ということは、この襤褸を身に纏う病気の老人、サラトンという人物は、これでかなりの教養人に違いない。ただ、まるで世捨て人のような暮らしを続けてきたようだが。
「済まないが、ここには座るところがない。その辺にあるベッドや……なんなら棚の衣類を下敷きにしてくれても構わない。来客を迎えられるようなところではないんだ。なんでもいいから楽にしてくれ。それで、何があったんだい?」
口火を切ったのはマホだった。せっかく厚意で無料でお見合いパーティーに参加させてあげたのに、そこでちょっと暴言を吐かれただけで、コーザは激昂した。本当に迷惑だったのだと。
一方のコーザは、その主張が終わるのを待ってから、自分の婚活歴を披露した。向かい合って口を開けばバカにされ、或いは無視されてきた。そして、ついに挺身隊の犠牲者のことまで嘲笑されて、我慢の限界に達してしまったのだと。
「ふぅむ」
一通り話を聞いた彼は、またケクサディブに言った。
「最後の最後で、とんでもないのを連れてきたね? 公正実現委員会とか、バリバリの活動家じゃないか。一番関わりたくない人種だったのに」
「まぁ、お前さんも、もうじき女神の下に召されるからな。そろそろ女と関わる準備をしておいた方がよかろうて」
軽口を叩き合う二人を見て、マホが口を差し挟んだ。
「サラトンさん、あなたは女性がお嫌いなんですか」
すると、彼は一瞬、真顔になったが、すぐ穏やかな笑みを浮かべた。
「嫌い、というのとはちょっと違うが、避けるようにしているよ」
「嫌いじゃないなら、どうして避けるんですか」
「そりゃ君、不幸の原因だからだよ。穢れといってもいいね」
「けっ!?」
あまりといえばあんまりな言われように、マホは絶句した。なるほど、このレベルの暴言を、それこそ息を吸って吐くように繰り出すのであれば、報復を恐れもするわけだ。
「それでコーザ君」
「はい」
「君はどうして怒っているんだい?」
「えっ、それはだって、さっき話したじゃないですか」
「うん」
サラトンは頷きつつも、重ねて尋ねた。
「でもそれは、君が女性と関わりを持とうとしたからだ。結婚するとか、そのためにお見合いパーティーに参加するとか。そういう余計なことをしなければ、聞きたくもない言葉を聞かされずに済んだはずだ。違うかい?」
「いえ、まぁ、それはそうですけど、でも」
「もう一歩踏み込もう。君は、結婚したいのかな?」
「えっと、まぁ」
「それはなぜ?」
理由の理由、か。ここにアイドゥスがいたら、そんな言葉を繰り返してくれそうだ。
案の定、コーザは言葉に詰まった。
「……幸せになりたい、からだと思います」
「ふふん? じゃあ、なんだ、つまり君の……命懸けの戦いをバカにするような女性と結婚すると、君は幸せな人生を送れると、そういうことかね」
「そんなわけないじゃないですか」
どう考えてもおかしな指摘に、彼は身を乗り出しかけた。
「とすると、君のことを見下さない素晴らしい女性がいつかどこかから現れて、君の手を取ってくれると、そう期待していることになる。違うかね?」
「いいえ、その通りです」
「で、そういう女性は今まで見たことがあるかね? いや、いたとしても、それは相当な上澄みばかりではなかったかね?」
彼は眼を泳がせ、ゆっくりと俺に振り返り、それからサラトンの顔を見て、項垂れた。
コーザに対して礼儀正しく振る舞った女性は、確かに存在した。ヒメノもそうだし、ヒジリもそうだ。リシュニアも彼の手を取って、親しげに話をしてくれた。だが、彼女らが彼に靡く可能性があるか? 身分と、それに見合った高度な教育を受けた……この世界では一万人に一人もいないレベルの、まさしく上澄みばかりなのに。
「少なくとも、お見合いパーティーでは見かけたことなんかないだろうね。それに、普段の生活でも、まず滅多に出会うことはない」
「そうですね」
「じゃあ、君は砂浜を掘り返して、砂金が見つからないと嘆いているわけだ。キラキラしたものなんて、せいぜい雲母くらいしかないんだろうにね。違うかい?」
サラトンの言わんとするところはシンプルだ。コーザがうっすら期待している「愛情に満ちた妻」なんてものは、実質的に発見不可能な珍獣だ。そんな女性は最初から存在しないのだから、探し求めるだけ無駄。せいぜいのところ、まがい物を掴まされて後悔するだけ。
誤った目標に向かって突き進んだ結果、おかしな品を掴まされたからといって、それでどうして他人を責めることができようか。
「黙って聞いていれば、ひどいことを言いますね」
マホが、またもや噛みついた。
「それじゃあ何か、まともな女性なんかほとんどいないって、そう言ってるようなものじゃないですか」
「ようなものも何も、僕はそう言っている」
「学園の講師を務めるほど学んだ方なのに、結局はお国の因習を忘れられないんですか。女性を見下さないと落ち着かないんですね」
「逆だよ。僕は差別しない。男でも女でも、どこの国の人でも。その上で、見たままを言っている。少なくとも帝都には、善き妻になれる女性は、ほとんど存在しない」
それから彼は、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「そんなに言うのなら、君はさぞ立派な女性だろうから、そこの悩めるコーザ君の妻になってあげたらいいじゃないか」
「変なことを言わないでください。朝食べたものを戻してしまいますから」
「だが、君はまともな女性なんだろう?」
「私にも選ぶ権利くらいあるはずです」
鼻で笑いながら、サラトンは続けた。
「ごもっとも。だったら、そこら中にまともな女性がいるというのなら、このコーザ君に見合う相手を探すくらいなら、きっと簡単にできるはずだね?」
「簡単とはいかないです」
「そうだろうね。簡単なら、彼はもう見つけている。ではなぜ、そうなっていない?」
「あのですね、同じ女性……同一人物でも、相手を選ぶし、振る舞いも変わるんです。それはだって、私だって、よっぽど素敵な男性がいたら、喜んでその人の妻になるかもしれないし、精一杯優しくするかもしれないですよ。でも、どうしてこんな」
その言い草を聞いて、サラトンは膝を打って笑い出した。
「君、まともな女性なんか滅多にいないという僕の言葉に反論していたのに、いつの間にかそれを立証してしまったじゃないか!」
「まともな男性なら、まともな女性をいくらでも見つけられると言ってます」
「そうだね。でもコーザ君に何の問題がある? 一応、市民権も持っているし、命の危険を冒して帝都の理想のために戦った経歴もある。仕事も、高収入ではないけど、食いっぱぐれのない半官半民の養老院の班長で、もちろん、前科もない。ただ、お金持ちでもなければ、特別な才能があるのでもないけどね」
つまり、凡人であるということ。凡人では、まともな女性と釣り合わないのだと、マホはそう言ってしまったことになる。
「とするなら、やっぱり僕の言った通りなんだよ。それこそ、そこのニド君のように垢抜けているとか、ファルス君のように高い地位を得た特別な男性でなければ、まともな女性と出会うなんて、できっこない。いや、君の言葉を借りるとするなら、女性がまともな態度をとってくれない。そうだね? だとしたら、女性に認めてもらえる男性というのはいったい、何人に一人なんだろう? 十人に一人? それとも百人?」
サラトンは肩をすくめた。
「ある、あると言ったところで、見つけられないものは存在しないに等しい。出会えない人は、いない人だ。少なくとも、コーザ君の世界には、妻に適したまっとうな女性は、存在しない。よって、あらゆる女性は……汚い言葉を使ってよければ、つまりアバズレ同然だ。だから、連れ合いを探し求める努力は、するだけ無駄ということになる。目標設定を適切にしなければ、好ましい結果には行き着けない」
論理的には反論しようもないのだが、この言葉に、マホもコーザも恨めしげな目を向けた。にもかかわらず、サラトンは実に涼しげに続けた。
「では、そろそろ僕の昔話をしようか」




