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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第四十九章 釘打ち事件
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コーザの婚活・口論

「定員割れのがましでしたね」


 パーティー会場の舞台裏、係員の控室。白い床、白い壁、ガランとした何もない部屋だった。そこに中年女の冷え冷えとした声ばかりが響いている。


「言われるまでもなくわかることかと思いますが、雰囲気の良し悪しも成婚件数に影響しますから。ですが、その程度のことであれば、まだよかったのです」

「……申し訳ありません」


 顔を赤くし、目に涙を滲ませて、コーザは俯いた。


「せっかくのご厚意だったのに、不利益になってしまって。参加費は、お支払いします」

「お金の問題ではないのです」


 そして、彼に叱責を浴びせているのは……公正実現委員会の理事にして、ナーム大学の助教授であるミドゥシだった。


「実は今回は、監督省庁の視察が行われる日だったのですよ」

「えっ……」

「運営上の問題として、後日、指摘があるかもしれません」


 カツンとヒールが響く。


「べ、弁償、したいのはやまやまですが」

「ですから、さっきからお金の問題ではないと、そう言っています」


 コーザは、わけがわからず、顔をあげた。


「世の中の仕組みをわかっていらっしゃらないようですね」

「は、はい?」

「そもそも私はクリマド銀行の役員でもありますから。お金に不自由して、こんな事業をしているのではないのです」


 公正実現委員会は市民団体であって、営利目的の企業ではない。つまり、ミドゥシが欲しがっているのは、この場に限って言えば、金銭ではない。


「では、何を差し出せば」

「正義です」

「は?」

「私は社会正義を欲しています」


 その一言が、俺には毒の霧のように感じられた。

 コーザにとっては、わけがわからないだろう。言葉通りに受け止めれば、つまり、婚姻の機会を提供することで、一人でも多くの女性に結婚してもらう。ゆくゆくは帝都の少子化問題を改善し、また成婚した女性の生活も安定させる。そういう社会の利益を追求しているのだと、そういう意味になる。

 だが、一歩踏み込んで深読みすれば、それだけではないとわかる。ミドゥシは帝都の富裕層、特権階級の側の一人だ。資産なら、貴族にも負けないくらいある。そんな彼女が、わざわざ多忙な中、どうしてナーム大学で教鞭を執り、市民団体のイベントなんかにまで首を突っ込んでいるのか。そこに欲しいものがあるからだ。

 それはつまり、正しさだ。要するに……お金はうなるほどあるけれども、私は一般市民を搾取する側の人間ではなく、むしろ施す側、正義の実現に向けて努力する人なのだ……そういう道徳的優位性を身に纏うために、骨を折っている。

 何もかもを手に入れたいのだ。財産だけではなく、正義をも、我がものとしたい。そのような意識が透けて見えるからこそ、俺は息が詰まってしまうのだ。本当に、この国の「市民」とは、どいつもこいつも貴族より貴族らしい。


「正義って、その、具体的には」

「帝都の正義は、まぁいろいろありますけど、帝都の繁栄ですよね」


 腰に手を当て、ミドゥシは溜息をついた。


「は、はい」

「でも、近頃は女性が子供を産みません。少子化で移民に頼らざるを得ない状況が続いています」

「はい」

「子供は国の宝です。子供を得るには、女性が結婚して、安定を手にする必要があります。まぁ、もちろん、それが女性の就業を妨げてはならないのですが」


 ふと思った。でも、ミドゥシはそういえば、未婚だったような……


「でも、だったら僕は、ちゃんとできるだけ妻と子供を養うつもりでここに来ているんです。どうしてあんなひどいことを言われなきゃいけないんですか」

「勘違いしているようですね」

「えっ?」


 冷え冷えする声に、コーザは目を丸くした。


「大切なのは子供であって、またその母親です。あなたは彼らを生かす手段として有用かどうかを評価される立場です」

「えっ? えっ?」

「考えるまでもないでしょう。どこの大学にも入学できず、やむなく挺身隊に参加させてもらって、やっと市民権を与えられたに過ぎない成人男性と、これからまだ無限の可能性を持つ子供、どちらに将来性がありますか」


 お前は手段、こちらは目的なのだと。この線引きに、コーザは一瞬、怒りに顔を紅潮させたが、すぐそれを引っ込めた。


「子供、それからその母体となる女性。この保護が根本です。それに役立つ限りにおいて、帝都があなたを生かしているに過ぎないのですから、逆に妨げになるのなら、処分されるのは当然でしょう。違いますか」


 あまりといえばあんまりなのだが、さっき一度、怒りでお見合いパーティーをぶち壊してしまっている。今の感情から怒りを引き算すれば、残るのは惨めさと悲しみだけだった。


「では、どうすれば」


 コーザが混乱して、今にも泣き出しそうな顔でそう問うと、ミドゥシは一瞬だけ、俺の方を見遣ってから、また言った。


「それはおいおい考えさせていただきます。今日はお引き取り下さい」


 これで辻褄があった。昨秋、俺がマホに連れられて公正実現委員会の集会に顔を出した時には、俺の素性は伝えられていなかった。だが、その後、何かで俺の情報を入手したのだろう。そうでなければ、コーザみたいな有象無象相手に、いちいちこんなことを言う意味がない。


「はーっ、ったく、適当な女の連絡先も聞けてねぇってのに」


 学園北の停留所から馬車を降りて、薄暗くなり始めた路地を、俺達は歩いていた。そんな中、ニドは呑気な口調でそうこぼしているが、雰囲気は最悪だった。マホは、冬の満月のような双眸を見開いて、周りを見ないでまっすぐ歩いている。その撫で肩に見て取れる力みが、彼女の激しい怒りを示していた。一方のコーザはというと、落ち込み半分、怒り半分といった具合で、なかなか複雑だった。


「ニドさんは、不自由してないんですよね。いろんな女の人から愛されて」

「あん? いや、そいつはちっと違うぜ」

「何が違うんですか」

「この世に俺を愛してる女なんか、ただの一人もいやしねぇよ。いるのはただ、俺に依怙贔屓する女だけだ」


 なぞなぞのような返事に、コーザは何も言えなかった。会話を耳にしていたであろうマホは、一切構わず速足で歩くばかりだった。

 学園の正門の前で、マホはピタリと足を止めた。背中を向けたまま、小刻みに肩を震わせ、それから一気に振り返り、怒りを押し殺した声で、彼女は言った。


「置きっぱなしにしてきたものがあるから、私はここで」

「ああ、今回は迷惑をかけたみたいで」

「かけたみたいですって!」


 俺が、ついでにとコーザの都合を考えて彼をパーティーに捻じ込んだせいで、マホやミドゥシは、想定外のダメージを負ったのだ。だから、少しは詫びる気持ちがあったのだが、怒りに燃える彼女からすれば、それは薪に等しかった。


「よくもあんな真似を! お相手の女性に怪我でもさせてたら、どんなことになっていたか! まったく、なんて人を連れてきてくれたんですか! ただでさえ冴えない男のくせに、我慢の一つもできないんですか! 躾のされてないサルじゃあるまいし」


 この言い草に、コーザの中の怒りが、申し訳なさに勝った。


「じゃあ、じゃあ! 黙ってろっていうのか!」

「なに? あなた如きが私に口答え? そう、黙ってなさい」

「あの女は、バカにしたんだぞ! 僕のことだけじゃなくて」


 拳を握りしめ、肩を震わせ、息を詰まらせて、コーザは胸の中の熱を吐きだした。


「挺身隊に参加して死んだ連中のことを! いなくなってせいせいしたと抜かしたんだぞ! こんなの、我慢できるか!」


 喧嘩の一つもできなさそうなコーザが見境をなくすほどの暴言となれば、やはりそれなりの言葉だったりする。人形の迷宮で、棄民としての惨めさを味わい、自殺する仲間を目撃し、死の恐怖に直面した彼としては、こんな言われ方は許しがたいものだったのだろう。


「何が帝都の正義だ! その正義のために死んだ連中を、お前らは、本当は見下してるんじゃないか! そうやって都合の悪いことは、僕らみたいな弱い立場の人間に押し付けて、いいところは全部持っていくんだ。お金も、身分も……それで、僕らは結婚さえできない。子供の顔さえ見られない。命を犠牲にしても、何の報いもない」

「あのね、あなたは帝都で女の腹から生まれたのよ? 赤ちゃんとか子供だった頃、食べるものは貰ったでしょ。それとも、物心つく前にラギ川に捨てられた方がよかったってことかしら」


 マホはマホで、そんな彼に共感するところなど、何一つない。火に油を注ぐようなことを口にしてしまう。


「ほら、やっぱり! お前らは、僕らのことなんか、家畜同然だと思ってるんだ! 生かすも殺すも、勝手に決めていいと」

「文句があるのなら、能力を示せばいいのよ。大学に入る学力とか、市民権を買える経済力とか。で、どちらもなかったから、あなたは挺身隊に参加したんでしょ? 無事、戻ってくることができたんだから、よかったじゃない」

「その、生き延びて帰ってきた結果がこんなものか。そりゃそうだ、こんなものだよ」


 彼は、俺の方を一瞬、盗み見てから言った。


「僕は弱虫で臆病者だったから……本当に、命を拾わせてもらったようなものだから。でも、僕や隊員のみんなを腰抜け呼ばわりしていいのは、その場にいた人だけだ。まして、死んでくれたから、変な男が減ってよかったなんて。僕は、そこまでバカにされながら、あんな連中が産み捨てた子供達のために税金を払うのか」

「あなただって、その『あんな連中が産み捨てた子供達』だったんでしょうに。帝都の市民なら、弁えるべきだわ」

「何が帝都の市民だ! 建前だけじゃないか! お前らは、僕らのことなんか、同じ人間だと思ってない!」


 怒りに駆られてマホを指差したコーザだったが、俺はそっと後ろから彼の肩を叩いた。


「腹が立つのはわかるけど、手をあげるのは駄目です。そうなったら、僕が止める」

「う、うん」


 若干、冷静さを取り戻したコーザだったが、今度はマホが怒りを爆発させる番だった。


「あなたね、身の程を知りなさいよ。こっちは迷惑をかけられた側なのよ? 弱虫で臆病者だって、自分でわかってるなら、文句を言う方が筋違いじゃない?」


 俺は口を差し挟んだ。


「要するに、こう言いたいわけか。弱い奴が悪い、弱肉強食だと」

「当然でしょ、そんなの」

「その理屈でいくと、僕はどうなる」


 世界の欠片の力については知らないだろうし、今でもラーダイに見下される軟弱な男だと思われているのだろうが、少なくとも、俺には一つ、力があることを、マホも知っている。


「領主としての権力や陛下の威光を笠に着て、僕が領民達を虐げても、それは領民の自己責任ということでいいのか?」

「何を言ってるの。それは六大国が皇帝の遺命によることを無視した暴虐じゃない」

「でも、弱いのが悪いなら、悪いのは僕じゃなく、領民だ。自覚がないのか? マホ、お前の言ってることには、一貫性があるようで、ない」


 弱いからどうなっても自己責任、という野生のルールを持ち出すのなら、正義というものは吹き飛んでしまう。マホは今、俺とコーザを相手に、それぞれ別の基準を適用した。しかも、そのことに違和感をおぼえていない。


「一貫してるわよ。帝都の正義に則っているんだもの」

「帝都の正義は、なぜ正義だと言い切れるんだ?」

「なんですって!」

「その前に、お前が言ってることが、本当に帝都の正義なのか?」

「おい」


 ニドの声で、俺は視線を前に向けた。校庭の方から、人影が近づいてくる。


「こんなところで、何をやっておるのかね」


 やってきたのは、たった今、学園内での事務処理を終えて、帰宅の途に就こうとしていたケクサディブだった。


「……なるほどね」


 彼は、マホからの訴えと、俺からの説明を聞いて、頷いた。それからまず、コーザの前に立ち、穏やかな声で語りかけた。


「大変な思いをしたようだね。まずは、お疲れ様」

「えっ」

「もちろん、だからって怒って手を出すなんてのは、どっちにしろ悪いことだがね」

「はい、それは認めます」


 コーザの目には、まだ怒りの色が残っていたが、さすがに見境なしということはなかった。ただ、それでも納得しがたい思いなら残っていたのだろう。


「でもどうせ、帝立学園の副学園長なんて、そんな偉い人には、僕みたいな底辺の気持ちなんか、わかりっこないでしょうけど」

「ふぅむ?」


 顎に手をやり、彼は首を傾げてみせた。


「いや、わしのことをどう思っても君の自由なんだがね……何か勘違いしているのかもしれないが、わしは未婚独身だよ」

「えっ?」


 予想はしていた。既婚者で、まだ奥さんがいるのなら、あんなに自由奔放な私生活は送れない。競技場に通い詰めて戦車競走にお金を賭けまくるなんて。


「これでも君と似たようなものでね。相手を見つけられなかったんだ」

「そんな、さすがにそれはないでしょう?」

「本当だとも。若い頃に夢見たきり、あとは歳ばかり食ってこのザマさ」

「結婚するくらいの経済力くらい、あったでしょうに」

「一部の例外を除けば、こういう大学の教員の給料なんて、若い頃はたかが知れているんだ」


 袖を掴んで軽く体を揺すりながら、陽気な老人の顔を覗かせつつ、彼はそう言った。


「しかし、コーザ君……君は、本当に結婚なんかしたいのかね?」

「えっと、一応、だって」

「うん、まぁ」


 彼は俺達の顔を見渡した。


「これもいい機会かもわからんね。君達、明日は暇かね?」

「教授」


 まさか、また競技場に連れていく……なんてことはしないと思うが。


「あの、僕は学園の生徒ではないんですが」

「そんなの関係ない。未来を担う若者のためだからね。わしが約束しよう、コーザ君。今、抱えているその気持ちは、明日の夕方にはきっと軽くなっているだろう」

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― 新着の感想 ―
ケクサディブ、もう脳内で「彼はどの宝石を渡すのだろう(渡すのは前提)」になってる
久しぶりに重い回だった…。帝都はなんかすごい生々しいな特に産業革命以前と以降みたいな世界をさらに某皇帝が思想とかブレンドしたからかなんかとんでもない世界観を生み出してる気がするぞ。
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