置手紙
それは珍妙な手紙だった。
『尚々
清次郎殿には妾如き者に彼のような良きお刀をお与え下さりましたこと、心から御礼いたし候。
このお刀のみが、妾の心の支えに御座候。
今生、肌身離さず持って参りまする。
以後妾の事はお忘れ下さり、良き方と良き縁を結ばれますよう、お祈り申し上げ候。
かしく
父上様 母上様
妾儀、このたび不孝の段これあり、筆を執り奉り候。
かねてより心に秘めおきし思い、ついに抑えがたく相成り、密かに思い出深き我が家を立ち退き、出で立つことと可致候。
大御ある父上様母上様を悲しませ候、家の名を穢すこととなりますことは、充分承知の上に御座候。
さすれど、胸中の願いを捨てて生きることより、遠く消え失せる方が妾には倖せなので御座いまする。
どうか、どうかお許しくださいませ。
父上様母上様がこれまで我が身を養い被為成下しご恩は、来世にて必ずお返し申し度く存じ奉りまする。
何卒、この不孝なる娘をお探し下されまぜぬよう、そして妾のことはご放念くださりますよう御願い奉りまする。
皆様どうかご自愛専一にござれませ。
鷹』
尚々書というのは追伸の事だ。手紙の本文を書いた後、書面の袖、つまり紙面の右端の文字のない部分に書き足す。そのため、袖書ともいう。
これは切紙に手紙を書いた場合のことだ。巻紙では現代の追伸同様に文末に書かれる。
結果的に切紙を用いた手紙は、本文よりも追伸の方が先に目に入る。
つまり、この手紙を開いた赤松弘の目に真っ先に飛び込んできたのは、清次郎の名前だったのだ。
弘の脳の冷静な部位は、一読して手紙の中身を理解した。
鷹女はかねてから剣術に身を入れていた。男に生まれていたのなら、剣術家の道を選んでいたかも知れない。
いや鷹女は、女であっても剣術家である事を選んだのだ。
心を決めて行動をしたのだ。
だが一縷の望みを、一番最初に目に入った清次郎の名前に賭けた。
鷹女が手紙を書いた後に、自分が最後に書いた人名に心を引かれて、その元に彼の顔を見に、あるいは自分の顔を見せに来る、その僅かな可能性に賭けた。
そして赤松弘は賭に負けた。
それにしても珍妙な手紙だ。
書き手が真面目に書いたということはよくわかる。
書き手の情熱が読み取れる。
書き手の抱く希望がありありと書かれている。
書き手の決心が露わにされている。
だがそれは、学者の末席を汚す清次郎から見ると、ともかく奇妙なものだった。
まるで子どもが背伸びをして、漢字を無理くりに使い、難しい言葉並べたような文章に見える。
熱意を伝えたい、真剣な心を判って欲しい。それがために、とにかく真面目な、とにかくちゃんとした文章を書かねばならない。
鷹女はそう考えたに違いない。
夜中か明け方か。ともかく真っ暗な中、おそらく明かりも付けずに、充分に墨をすることもせず、息を殺してこの手紙を書いた。
両親は楽しい酒に酔って深く眠っている。客は旅疲れのため深く眠っている。
下男下女は明日の仕事に備えて、いつも通りぐっすり寝ている。
そして鷹女は音も無く家から出た。




