朝まだき
ばたばたという音が聞こえる。
複数の人間が家中と屋外を走り廻っている足音だ。
旅と寝不足に疲労困憊し、寝床の中で朝寝坊を決め込んでいた清次郎も、その騒がしさには、起き上がらざるをえなかった。
清次郎が彼が眠っていた部屋と隣室とを仕切っていた襖の方を見た時宜で、それが、
「スタン、パン」
と小気味の良い音を立てて大きく開いた。
襖の向こうには赤松弘が立っている。
「これは義父上、おはようございまする」
起き抜けの清次郎がぼんやりした声を出し、布団から出ぬまま頭を下げた。
それに対する弘の言葉は、挨拶への返しでも、無礼を叱責する物でもなかった。
清次郎の眠気を吹き飛ばすのに十分な、驚くべきものだ。
「その布団の中に鷹はおるか?」
清次郎は眼球が零れるかというほどに目を見開いた。顎が外れ落ちたように口が開きっぱなしになる。とっさに言葉が出なかった。
何回かぱちぱち瞬きをし、その目をごしごし擦り、顎の蝶番をごりごりとうごかして、清次郎は脳に刺激を送り込んで、意識を動かし、声を出した。
「義父上。……いえ赤松の小父様」
清次郎はまだ夜着に足を突っ込んで座っている。目上の者に対して礼を欠く姿勢だ。
しかし弘にはそれを咎める余裕がない。
「む……」
息を飲み込んだが、そのあとにまともな言葉を出せず、焦りと落胆の色がある目で清次郎を見ていた。
「小父様が大切に育てた娘殿は、そのような……つまりは婚礼の前に他家の男の布団に入り込むような、発展家な娘殿なのですか?」
清次郎は夜着を跳ね飛ばした。敷き布団の上に正座し直して、父の親友を見据える。
「それとも小父上は、ご自身の娘御をそういった尻の軽い女だと思っておいでなのですか?」
「何を言うか! 鷹はそんな……そんな娘ではない。だがっ……」
弘は声を荒げた。しかし声音は尻すぼみに小さくなる。
「だが?」
「……今日に限っては、そうであったほうがありがたいと思うたのだ」
赤松弘は襖にすがりついたままへたり込んだ。敷居の上に膝が落ちた。骨と木がぶつかる固い音がした。
かなり痛いはずであろうに、弘の表情は落ち沈んで強張ったまま変わらない。
そんなただならない弘の様子を見て、さすがに清次郎も居ずまいを正さねばならないと感じた。布団から出て弘の正面に正座する。
「今日に限って、とはどういうことでしょう?」
弘はうなだれた。
右手を清次郎の方へ差し出す。その手には折りたたまれた薄い上田紙が一枚、抓まれている。
清次郎が取って開いてみると、細い筆のかすれた薄い墨の文字が染み込んでいた。




