表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜頭――柔太郎と清次郎――  作者: 神光寺かをり
清次郎と鷹女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

57/59

こいこく

 夕餉の前に、赤松弘は手酌で飲んだ(九十)(CC)の酒に心地よく酔った。

 清次郎(むこどの)は酒が得意ではないというので、仕方なく、これもさほど強くない妻きぬに(ちょ)()二つほどを飲ませた。

 弘の養父・(おお)(すけ)は江戸勤番の経験があるが、弘自身は江戸に出府したことがない。それ故に、清次郎が語る江戸の様子が珍しく面白く楽しくてならない。

 亡父が観たであろう景色、亡父も知らなかったであろう名所。信濃の山底の田舎と大都会との違いを、


「語れ」


 と()うた。せがんだ。()いた。


 その後に運ばれてきた夕餉の(ぜん)には、白飯に味噌汁と小梅を硬く漬けたもの、そこに丸々太った()(もち)(ごい)(こく)漿(しょう)が付いていた。

 普段は麦飯か(かて)(めし)と汁物と漬物だけであることを考えれば、大層な()(ごっ)()といってよい。

 その膳が四つ並んだ夕餉の時間を、弘は上機嫌で過ごした。


「旦那様が心から笑ったお顔を観るのは、久しぶりな気がしますね」


 膳を下げるきぬは酒精(アルコール)で耳先まで赤くなっていた。


「そうでしょうか」


 鷹女は父に対していつも愛想良く笑っている心象(イメージ)を抱いていた。

 弘が常日頃柔和そうにしているのは、過分に(かち)()(つけ)けというお役目(しごと)柄のことがあるだろう。親しげな顔をしているほうが聞き込み調査はしやすいであろう。取り調べ――(責め)(立て)を伴うような――にも笑顔は有効かもしれない。

 弘が家族の前でも被っていた笑顔の仮面を、妻はしっかり見透かしていた。しかし娘は見破ることができなかった。


(おとこ)(しょ)はいつでも素直に内面を顔に出すとは限らないのです。そういった殿方が夫になったなら、その裏側の顔を見抜かないと、女房は務まりませんよ」


 きぬは一人娘に笑いかけている。カラカラとした明るい笑顔だ。猪口二つ分の酒の酔いが残っている。

 母の言葉を聞いて鷹女は首を傾げた。


 鷹女は、藩主・松平公が奨励する(よう)(さん)(せい)(しょく)を行っていない。

 それらを行っていれば、(さん)(しゅ)の買い付けから桑の葉の採取、繭や生糸、(たん)(もの)の売買の時に、立場の違う人々と接して世間を見る事ができよう。

 だが彼女は、家の都合で河合家老屋敷の奥向きという、女ばかりの職場に詰めきっていた。そして剣術に打ち込んでいた。

 そのために()()()()()()での経験が少ないのかもしれない。


 鷹女は少し考えたが、やはり首を傾げた。


 奥様とお嬢様と下女とが並んで洗い物をした。

 件の懐剣は、鷹女の帯に挟まれている。水仕事の間であろうと、ほんの少し手元から放したくないのだ。


 やがて灯を落とす刻限になった。

 弘は(せん)(べい)()(とん)に潜り込んで、行儀悪く()()(ばこ)(いっ)(ぷく)()んだ。


『明日から新しい日々が始まる』


 ()(せる)(がん)(くび)(はい)(おと)しを叩くと、天井を見上げて薄く笑い、息をついて寝た。


 清次郎は久しぶりにぐっすりと眠ることができた。

 行燈(あんどん)単衣(ひとえ)が掛けられることはなく、火は完全に消えている。

 室内は深く暖かい闇に満たされていた。

 同じ部屋に秀助がいないおかげだ。


 秀助は赤松家の下男下女とすっかり馴染んでいた。彼らが使っている板間に一緒に床を延べてもらって、心地よさげに寝息をたてている。

 秀助もここ十日の間すっかり習慣になっていた「夜中の読書」から己を解放していた。

 熱心に勉学に励んだここ十日ほどの日々は実に楽しいものであっただろうが、それはそれとして、半ば徹夜のような夜更かしを続けたことで過労も蓄積しきっていたのだろう。


 きぬと鷹女は一つ部屋に布団を並べて横になった。

 母親は幾度も娘の方を窺見(のぞきみ)た。

 胸の辺りが一段盛り上がっている。胸の上で懐剣を抱きしめていた。

 幸せそうな顔をして、穏やかに寝ている、と、きぬには見えた。見えはしたが、どういったわけか不安を覚えた。

 何度も見返したが、鷹女の様子に変化はない。

 そのうちに、きぬも眠りに落ちた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ