愛しきものよ
繰り返しになるが、清次郎と鷹女は今日が初対面なのだ。
それゆえに、
『これは少なくとも男女の情からくるものではない』
と、清次郎は確信している。
世の中には「たとえ初対面でも、一目惚れというものがあるのだ」と力説する者もいるだろうが、
『ありえないな』
その仮説を清次郎の脳はバッサリと切り捨てた。
清次郎の脳味噌は今のところ、算学と蘭学と兵学と砲術とでいっぱいだ。女性への興味があることを否定はできないが、学問への情熱に比べればそうとう薄い。
それでは、家族の情か、あるいは友情か。
『どちらも違う』
家族の情は、家族として暮らすことによって膨らむ物だ。
友情は、同じ志を持って――あるいは志を違えども――共に時を過ごすことによって育まれるものだ。
と、清次郎は考えている。
であるから、現状の清次郎は鷹女を家族と認識できていない。また友であるという意識は持ちようがない。今は愛も情も計量器が零な状態なのだから。
だからこそ、
『縁あって出逢ったのだ。愛も情もこれから少しずつ積み上げて行けば良い』
と考えている。
そういうことなら、この焦燥感は何なのだろうか。
疑問が湧いたら追究せねばいられない。清次郎は頭を下げたままの鷹女を眺めた。
ツヤのある、すこしばかり茶色がかった髪。
滑らかに丸い額。
僅かに腫れのある耳介。
頭の大きさに比べて、やや広いように見受けられる肩幅。
細い指は、節榑立って力強い。
清次郎は気付いた。
『これは剣術使いの手だ。武士の身体だ』
おそらく掌の側には竹刀胼胝があるのではないか。
学問の“片手間”に剣術道場に顔を出す程度な自分の掌にあるのと同等かそれ以上に立派な竹刀胼胝が。
考え至った途端、腹腑に落ちた。
『そうか。おれは武士の一端として、同じく「武士」である赤松鷹女が「四谷正宗の名剣」を手に入れたことを羨んでいるのだ』
心がすぅっと晴れてゆく。
『ああ、おれは剣術の方はへっぽこで中途半端な横好き程度なくせに、その度を超えて、名剣を欲しているのだ』
答えが出た。答えに納得がいった。
「ともかく頭をお上げなさい。鷹女殿に迎え入れられて、その刀もきっと喜んでいる」
鷹女が顔を上げた。
「清次郎殿がそう思われるのですか? わたしが持つ事で、この素敵なお刀が喜んでいると? 本当に?」
「あなたはその刀をとても丁寧に取り扱いなさった。だから、もし刀に心があるのなら、憎からず思ったでしょうな。
でなければ、あなたが鞘から抜いたり茎を観たりしたときに、指先に斬りかかるとか、落ちて太ももに突き刺さるかぐらいの抵抗をしそうなもんです」
鷹女の白かった頬が、再びじわりと赤みを帯びた。赤い色は耳朶から首筋まで広がってゆく。
鷹女は懐剣を取り上げた。それが刀であるとは思えないほど愛おしげに抱きかかえる。
「あなたに喜んで頂けて、おれも嬉しいですよ」
『いつかおれも、人に羨まれる刀を手に入れたい物だな』
清次郎の顔に晴れ晴れとした笑みが満ちた。




