長曽祢興里虎徹
一尺に満たない朴の白鞘が現れた。この長さの刀剣は短刀と分類される。
鷹女は鯉口を切った。刀身を少し引くと、鋼がきらりと輝く。
鷹女の目が大きく見張られた。
刀身を素早く鞘に収め直す。懐から懐紙を取り出し、口にくわえる。
改めて柄を握った。するりと鞘が抜ける。
刃渡り八寸二分。身幅広く、鎬筋高く、刃紋は間を置いた互の目乱れ。古刀を思わせる豪壮な作りの短刀だ。
鷹女は懐紙をくわえたまま、目を清次郎に向けた。
驚きと疑問が入り交じった目の色が、
『作者は誰か』
と、清次郎に問いかけている。
「それが作者名も切られていなければ、鑑定書もない」
あからさまに落胆の表情を取った鷹女だったが、清次郎が、
「ただ……」
と言葉を接ぐと、顔色を明るくした。
「これを俎橋の刀剣商に売りに来た浪人者は、
『当家に伝わる虎徹だ』
と言っていたと」
「虎徹入道だと?」
声を出したのは赤松弘だった。鷹女も懐紙をくわえていなかったら叫んでいただろう。
長曽祢興里入道虎徹は江戸時代前期の刀匠だ。近江の生まれで、江戸に出てきたのは五十になってからだそうな。
作る刀は無骨であるも美しく、刀身は頑強、何より切れ味が良い。
大きな戦はなくなり、人を斬る機会が減った。刀は美術品になりつつあった時代に、虎徹は古刀を手本とし、実戦と実用を考えた作刀をしたのだ。
そのためであろうか、公儀介錯人・山田浅右衛門吉睦は寛政九年に著した刀剣評価書『懐宝剣尺』で「最上大業物」という、絶讃というべき評価をしている。
実際に死刑囚の死体を用いた「据物斬り」をしていた山田浅右衛門が評しているのだから、間違いはない。
そういうわけで非常に人気のある虎徹の刀剣は、大体は大名や高禄の武家の差し料となる。
たとえ累代の品だったとしても、素浪人が持っていることは考えられない。
偽物の可能性が高い。
実際、虎徹の偽物は多い。似た作風の別の刀匠の作品の銘を切りなおした物や、最初から騙す目的でそれらしい数物を打ったりされた。
銘のない刀剣に古びた折紙を付けることもされた。
『少なくとも銀十枚で売りたい』
というのが浪人者の希望だった。
その短刀には銘は切られていなかった。折紙も添付されていない。
刀剣商にも審美眼はある。
愛好家の目は、その短刀が優れた作品である事に間違いないと判断した。
だが、商売人としては、
『初めてお越しいただいたお客様となりますと、銘も折紙もない物をお持ち込みになっても、信用が出来かねますので』
と言うよりほかない。
刀剣商は浪人者が希望した額の十分の一のでの買い取りを提示した。
交渉は長引いた。押し問答の末に、浪人者は引いた。
緊急に、そしてどうしても、幾許かの金が必要だったのだろう。
両替商の封印の付いた紙包み一つ、銀四十三匁だけを持って、背中を丸めて帰った。




