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竜頭――柔太郎と清次郎――  作者: 神光寺かをり
清次郎と鷹女

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「憚り」ながら

 清次郎が上田を発して江戸に遊学したのは十八歳の頃だ。当時の年齢感覚からすれば、すっかり大人になっていたと言っていい。

 今確かにそこから五,六年は経っているわけだが、たとえ成長が遅い子どもであったとしても見違えるほどには背丈が伸びてることはあまりない。

 元が小柄な清次郎に対する一種の御世辞(リップサービス)だろう。


「赤松の()()さん……いや義父上(ちちうえ)。赤松清次郎、只今江戸より帰藩いたしました」


 清次郎は背丈のことには触れず、頭を下げた。


「へえ、気の早いことだ。わしなぞを父と呼び、赤松の姓を名乗ってくれるか」


「ご迷惑なら止めます」


「何を()っておるか。もっと()え、遠慮無く()え」


 赤松弘はカラカラと笑い、再び清次郎の両肩を叩く。


「では遠慮無く。義父上、今夜はこちらに宿泊させていただきたいのですが?」


「なんだへぇ、芦田の家には(けぇ)らないのか」


 弘は満面に笑みを浮かべている。


「あちらには、明日、下城してから顔を出すつもりでおります」


「なんだ今日の明日で、登城させられるのか」


()(たび)はそのための帰藩ですから」


 言い終えてから清次郎は、己の腹の底に隠している不服が、ほんの少し声音ににじみ出てしまった事に気付いた。

 気付いたところで、もう口から出てしまった後だ。たとえ慌てて口を閉じたとして言葉が引っ込むものではない。

 そもそも(かち)()(つけ)という()わば秘密警察であるお役目に就いている赤松弘の鋭い耳が、不満不服の声色を聞き逃す筈がなかった。


「で、用が済んだら早急に(ちゃっと)江戸に戻るつもり()()()?」


 案の定、清次郎の腹の内は見透かされている。弘は笑顔を頬に貼り付けている。


「まだまだ学問が終わっておりませんので」


 これは清次郎の本心だ。

 そうであれば真顔か、少なくとも真剣な表情で言うべきだろう。ただ今この時の清次郎には苦笑いよりほかの表情は浮かべ得なかった。


 堅い笑顔と笑顔の間で、短い沈黙が流れた。極短い静寂だ。そしてその静けさはすぐに破られた。

 破ったのは、赤松親子のどちらでもない。

 ここにいるもう一人の人物、つまり秀助だ。


「せっせんせえ、赤松先生ぇ……」


 困り顔でモジモジとしている。


「秀助、どうかしたか?」


 清次郎に訊かれた秀助は、額に脂汗を浮かべて、その場で足踏みをしていた。


「お!?」

「ややっ!」


 ()()()は秀助が置かれている状況を覚った。その想像が間違っていなかったことは、秀助が絞り出した


「はっ……便所(はばかり)っ」


 言葉ですぐに知れた。

 清次郎は急いで秀助の背中から重たい背負箱を引き下ろさせた。

 弘は玄関へ頭を突っ込んだ。


(ごん)、客人を(ちょう)()()まで()(ない)せい」


 主人の、誰の耳にも「緊急事態」であると解る声を聞いた中年の下男の(ごん)()が、大慌てて走ってきた。

 権太は秀助の手を取って、通り土間を駆け戻る。当然秀助もばたばた走ることになる。


「おお、えらい勢いで()()()いきおったな」


 弘が()(どく)()に言う。


「もしかして、秀助が早く家に早く入ろうと言ったのはこのためだったのか。それなのにおれが門前でうじうじするのに付き合わせてしまって、申し訳なかったな」


 うなだれた清次郎の少し丸まった背中を弘がぽんと叩いた。


「その責任をとるために、早いところ(うち)へ入れ。(おお)(ちょう)(だい)というわけにゃいかぬが、皆で飯でも()()()


 赤松()()()は連れだって御徒屋敷へ入っていった。


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