早く早く
実を言うと、清次郎が赤松の家に「帰って来る」のは今日が初めてだ。
赤松家の養子となることが決まって以降も、帰藩することがあれば、帰る先は木町の芦田の家だった。
近頃は当人もすっかり「赤松清次郎」と名乗り呼ばれることに馴染んでしまっているが、正式にはまだ「芦田清次郎」なのだ。実家に帰るのが当然だろう。
養父となる赤松弘とは実父である芦田勘兵衛の友人として、うっすらとした面識があった。養子入りが本決まりになって以降、幾度か手紙の行き来がをするようになり、そのお陰で、幾分か親しみを抱くようになった。
だが他の家族とは一面識もない。弘の後妻・きぬ女とも、妻になるらしい長女・鷹女とも、直接的なやり取りはしてこなかった。むしろそれを避けてきたきらいがある。
清次郎からすれば、赤松家の女性二人は「名前は知っているが、他人」という感覚だった。
その感覚が一種の疎外感となったものか、あるいは照れからくる決まり悪さを覚えたものだろうか。
「おれは知らない人が、殊更に女の人が苦手でね」
ともかくも、清次郎は赤松家屋敷前に到達してから長い時間、門を潜ることも戸を叩くことも躊躇しているというわけだ。
「ええ、そいつは前々からお察し申し上げておりますよ。よそよそしいというか、人と話すときなんかは間合いが広いと言うか」
秀助は軽い口調で真面目顔をしている。
重い荷物を背負ったまま立ち尽くしているのにはさすがに飽きた。
「先生にもいろいろご事情がおありのようでやすが……ともかくも今はここが先生の御宅なんでやしょ? ほら先生、早いとこお邪魔しましょうよ」
「今は……今となっては俺の家はここ、か。確かにそうだ」
清次郎は背筋を伸ばした。衿元を正す。
「有難う秀助。お前さんの言うとおりだ」
ぺこりと頭を下げた。秀助が驚いた、その上で嬉しげな顔をする。
「お礼なんて……でも、おいらがちったぁお役に立ったってことでやすか?」
「うん。ちっとどころじゃぁない。お前の言葉のお陰で決心が付いた。
行こう。いや、帰ろう。このおれの、赤松清次郎の我が家に」
清次郎は一歩踏み出した。歩を進め、門を潜り、式台の手前で立ち止まった。
咳払いをする。
「お頼み申ぉす!」
という呼びかけの言葉が消える前に、玄関内の衝立の陰から何かが飛び出してきた。
清次郎は反射的に左足を引いた。右手を刀の柄に伸ばす。
抜けない。
旅装であった清次郎の腰の長刀には「柄袋」が被されている。
『しまった!』
焦りを覚えたのは、だが一瞬のことだった。
清次郎の右手と左足は速やかに穏やかに元の位置に戻る。
衝立の陰から飛び出した人は、式台をも軽やかに跳び越えて、清次郎の真正面に着地した。
「おう、清! しばらく見ぬ間に、ずいぶん背丈も何もでかくなりおったな!」
衝立の陰から飛び出した人は、清次郎の両肩をバンバンと叩いた。




