徹夜は寿命の前借り
衝撃のあまり、自信を喪失する者。
事実を認められずに、拗らせる者。
反骨を示し、更なる研鑽を積まんとする者。
清次郎は第三番目だった。三番目にならざるを得なかった。
何分にも故郷・上田で過ごした子どもの頃から変わり者扱いをされていた。陰口もたたかれ、悪口を浴びせられて育った。
愛して止まない算学を、
「武士の本分でない」
と貶められ、嗤われた。
初め、清次郎は彼らに反発をした。
「武士の本分とはなんだ? 馬を駆って人を蹴散らすことか? 刀を引き抜いて人を切ることか?
それは戦国の時勢の武士のあり方だ。
当世の武士の本分は、国を運営し、民を安んじることだ。水を通し、米を獲ることだ。
そのために何がいる? 土地を測量することだ。水路の傾斜を計ることだ。米の収量を正しく量ることだ。
算学はその基礎だ。武士が学んで何が悪い」
食って掛かった。相手が手を出してくれば殴り返しもした。
それでも決して刀は抜かなかったのだから、子どもなりに冷静だったのだ。
そんなことを幾度かくり返すうち、突然清次郎は反発を止めた。手を出すことも口を出すこともしなくなった。
「ああ、こんな事に活力を使っても無駄だ。同じ時間を使うなら、一つでも多く新しい文字を、言葉を、定理を、脳味噌にたたき込んだ方がずっとずっと有意義だ」
このことを、ある日、豁然として覚った。
覚った直後から、駁撃も殴り合いも一切止めた。
何か言われたとしてもすべて聞き流して、ニヤニヤと笑い返すことにした。
殴りかかられたら避けることにした。効率よく避ける力を付けるために、藩校武道館での剣術修行にも精を出した。
剣術と言えば、兄の柔太郎も「頭を守る」ことを主眼に置いていたが、攻撃を避けるために相手の攻撃を自分の刀で受け止める方法を取っていた。頭以外は多少傷ついても、良しとした。
他方、清次郎は相手の攻撃を完全に躱す方法を取った。
元々あまり体格に恵まれた方ではない。それは、相手から見れば的として小さいということでもある。
清次郎は自分の体の特徴を生かし、最小限の動きで敵の躱す術を学んだ。
江戸に上り、瑪得瑪第加塾へ入塾した直後、先輩同輩として「非凡の秀才」や「本物の天才」の才能を見せつけられたときにも――本心はどうであれ――不遜とも取られかねないほどに堂々とした態度をしめすことができた。
内田先生の講義は真面目に受けた。その後に巻き起こる、塾生たちによる侃々諤々の議論には混じらない。清次郎は塾生たちの様子を壁にもたれて眺める。
薄気味悪いとか付き合いが悪いとか言われるのも気にしない。
「いや俺は山猿のごとき田舎者にござれば、何分にも口不調法でして。今は先輩方のお話を拝聴するにとどめさせていただきたく云々」
言いながら三猿の言猿の仕草をしてみせた。
それからは口を挟まず、ただニコニコと笑っている。
無言でいるということは、無駄にレヴェルの低い口出しをしないということだ。論議の邪魔にはならないのだから、非凡の秀才である塾生たちは清次郎の無言と微笑とを気に掛けることもせずに済む。
彼らが討議に疲れて五月雨式に雑魚寝に至った後で、清次郎は行燈に単衣を掛ける。火を掻き立れば、部屋の大半は暗闇のまま、清次郎の手元周りだけがほんのりと明るくなる。
講義の復習予習は当然する。塾の蔵書を読み込む。算学以外の書物にも目を通す。
心の鬱屈を俳句として吐き出し、胸の内を和歌に詠う。
日々の出来事を日記を書き綴る。
そうして一人で過ごした夜が明けてしまう前、早起きな人々であれば目覚めはじめる寅の一点までには、速やかに且つ静かに全てを片付ける。
本を戻す。手控帖をしまう。行燈の灯を消す。
行燈に掛けていた単衣をはがし、これを引きかぶって、いかにもずっと寝ていたかのような素振りで目をつむる。
ほとんど徹夜となるこの学問のことは、塾生たちには気付かれることはなかった。
ただ、皆から酷い朝寝坊であるという誤解は受けた。
寝ていたかのような素振りをする内に、本気で熟睡することが多かったからだ。




