品川宿
そう言ったわけで、芦田柔太郎は大事な大事な大荷物を背負って胸を張り、こぼれ出る笑みを隠そうともしないで、藩邸の門を出た。そのあとを、「先生のお役に立ちたいのに仕事をもらえない」ことが少々不満であることが、これも顔に浮いて出てしまっているのを隠せない彦六が、小荷物を負って続く。
今日の目的地は東海道第一宿の品川宿だ。まだ江戸府内だといっても良い近場だが、複数日かかる旅に脚を慣れさせるには、初日は短距離で納め、日を追って距離を伸ばし、日を追うごとに距離を伸ばして行くのが良いのだという。
品川宿に一泊して翌朝七つ立ち、東海道を進み、保土ケ谷宿で泊まる予定だ。
その翌朝も夜が明ける前に歩き出す。途中、東海道を外れて東の浦賀道と呼ばれるルートへ入る。六浦湊を経て、長善寺わきの大田坂をあがり、安針塚に詣でて、険しい十三峠を越え、その先の横須賀村に宿泊する。
次の朝も暗い内に出立しなければならない。逸見、汐入、公郷、大津を通って、矢ノ津坂からついに浦賀の港に至る。……という計画だ。
移動距離は十七里半ほどになる。
江戸御府内と国元の信濃国・上田との往復以外に旅をしたことのない柔太郎にとっては、この道行きは「慣れぬもの」である。一度歩き通してみないことには、どれほどの日にちで歩き通せるものか判断を下せない。
十七里半という距離だけを考えれば、若い柔太郎であったなら片道二日でもゆっくり過ぎるかも知れない。だが今回は余裕をもって片道は三日かけることにした。
帰りも行きと道のりにすれば往復六日。あるいは「旅に慣れてきた」復路三日目には泊まる宿場を変更し、品川を通り抜けて藩邸まで歩き抜くことができるかもしれない。そうなれば五日の旅程ということになる。
この度、柔太郎に与えられた休暇は十日間と日が切られている。一日目の今日と旅程の六日、そして藩邸への報告と休息に必要な一日を差し引くと、浦賀にとどまれるのは二日間。帰路を二日に圧縮すれば滞在を三日間にできるかも知れないが、移動を一日短くするなら、その分は藩邸で報告書を書く時間と休息に充てたい。
「そのことはともかくとして、今は品川まで行く事だ」
新しい草鞋でしっかり地面を捕らえ、芦田柔太郎は歩んだ。
柔太郎の主君――厳密には、まだ家督していない柔太郎ではなく、父の勘兵衛の、であるが――上田藩主・松平伊賀守忠優は、この時分は老中の職に就いていた。そのためその頃の上屋敷は江戸城曲輪内の大名小路にあった。
品川宿までは二里ほどだ。普通に歩けば一刻もかからない。ちょうど昼に出発したなら、昼八つまでには到着する。
実際、昼八つ前に宿場に着いた柔太郎は、すぐに上田藩御用の小さなの旅籠へ入った。
「後から連れがもう一人来ることになっているのだが」
対応した女中が、
「ではその方の分もお夕飯をご用意いたしましょうか」
返すのに、柔太郎は微苦笑を浮かべて言った。
「ああ、頼みます。しかし……もしかしたら、日暮れてから来るかも知れないので」




